《一》
わたしはこれまで一度だけ、父にぶたれたことがある。
いまでもはっきり憶えているんだけど、まだ四歳の頃、鍛冶場の作業台の上に鉄炮が置いてあった。
稽古場で試し撃ちをしている両親がとてもかっこよくて、真似をしたくなって。
わたしは鉄炮を手に取った、まではまだよかったのだけれど、それを母に向けてしまったのだ。
気がついたらわたしは壁まで吹っ飛んでいて、頬が燃えるように痛くて。
そして……鬼も喚いて逃げ出すような形相の父が目前に立っていた。
もう痛いとか怒られたとかよりも怖くて怖くてしかたなくて、大泣きしたわたし。
父は普段撫でてくれるときよりもぐっと強い力でわたしの頭に触れると、眼を見据えてこう言った。
「いいか、鉄炮は、殺すための道具だ。香墨は、お母さんを殺したいのか?」
お母さんを、殺す。
わたしはまだ死というものがなにかよく判らなかったけど、それがとても悪くて哀しいことなのは判った。
涙がぼろぼろ零れていく感覚をありありと思い出せる。
父はそっとそれをぬぐうと、いつもの優しい顔に戻って語りかけた。
「香墨は物が判る子だ。えらいえらい。だから、絶対に忘れちゃいけないよ。――鉄炮は、殺すための道具だ」
そう言うと父は鉄炮を持ってわたしを稽古場に連れて行った。
もういつもの父だったから、わたしはちっとも怖くなかった。
そこで父がわたしに鉄炮を渡して言うには、撃ってみなさい、と。
さっきめちゃめちゃ怒ったのに、どうして? と訊いた。
「鉄炮は殺すための道具だけど、それが必要なときもある。香墨は、お肉が好きだろう?」
大好きだ。牡丹鍋を思い浮かべると、おなかがぐうと鳴った。
父が優しく笑い、続けて言うには。
「香墨の好きな猪の肉をとるには、狩りをしなければならない。そこで、こいつが役に立つ」
銃架をわたしの頬につけ、目当てを的につける。
指を引き金に掛けさせると、ぐっと握りこむ。
響き渡る銃声。耳が壊れそうだったなあ。
しびれた手を振り回していると、そっと抱きあげられた。
「いいかい、鉄砲は、生きるための道具でもある。憶えておきなさい」
片時たりとて忘れたことはない。
冷たく硬い床の上で無様に転がっている、いまでも。
◎◎◎
転送された先は、江戸。
かつて「火事と喧嘩は江戸の華」と謳われたように、江戸は由緒ある都であると同時に非常にDANGEROUSな場所でもあった。
表社会を追放された魔人が異常筋力を発揮してビルを引っこ抜いて投げたり振り回したりと大立ち回りを演じたことも幾度となくあり、そんな悪鬼羅刹を時の将軍・武田信玄が打ち倒す様を世阿弥が能として世に送り出したものが、皆さまもご存じ、『暴れん坊将軍』である。
その後、江戸の建築業は切磋琢磨し、あるところでは一回戦の小山田重工本社ビルの如く容易に引っこ抜かれないよう上空500mにビルを建設するにまで至ったのだが……今回の戦場は、そんな超一流企業のビルとは異なる。
どこにでもあるような、十把一絡げの四流企業。
地面に根を張る雑草の如く、粘り強く『お客様第一!』を掲げるこのビルが、此度の戦場であった。
「た、助けてくれッ!!」
無人、と思われた、ビルの一階。
足元に縋り付くスーツ姿の小太り男を、斎藤ディーゼルは、ヘルメットの奥の瞳で見下ろす。
「む、娘の誕生日なんだ……! プレゼントを、会社に忘れちまって! 取ったら、すぐに帰るつもりだったんだ! 本当なんだ、信じてくれぇ!」
予め、社員一同には通達があった。
このビルは戦場になる。
そこでの損害は全て補償対象となっているため、誰一人としてビルに残るべからず。
万が一戦闘中に残っている社員がいた場合、命の保証はない、と。
そしてそのことは、斎藤ディーゼル本人もお上より通達されている。
口封じのために消すべし、と。
ディーゼルがブラックビワ木刀を握り直す。
「ひ、ひいっ!」
哀れな社員がオフィスの床に額をこすりつける。
ディーゼルは……しばしの逡巡の後、被りを振った。
そして、
「キャアァアアアーーッ!!」
「ひゃああああ!!」
「突ッキョアアアアアアーーーッ!!」
踏み込みながら、木刀を鋭く一突き!
胸にプレゼントを固く抱いた小太り社員の脇を通り抜け一直線に突き進み、ビル出入り口の合金シャッターを粉砕した。
「……へっ」
「行け。娘さんが待ってるんだろう?」
ポカンとした顔でいる社員に、ディーゼルは言った。
これは、始まる戦いで心に一片の陰りも落とさぬために、である。
だからこれは、甘さではない。
そう自分に納得させようとしながらも、やはり、『まだまだ精進が足りないな』と自嘲する。
「あ、ありがとう! ありがとうっ!!」
社員は歓喜と安堵で瞳の縁に涙すら浮かべながら、慌てて立ち上がろうとして並ぶデスクに膝を打ち付ける。
その姿に、ディーゼルも思わず笑みを浮かべかけ、しかして直後。
「……ム」
「っ!」
社員の奥、階段の上より現れたるは。
華やかなる着物に鉄炮を携えた少女。
今宵の主役のもう一人・千勢屋香墨であった。
(( 見敵、即撃ッ! ))
二人の思考が重なった。
香墨は鉄炮を構えかけ、ディーゼルは木刀を構えながら挨拶代わりの放射熱線!
「ギャアアアアーーッ!!」
両者の丁度直線上にいた社員が放射熱線に呑まれ、肥満体が一瞬で蒸発!
もちろん些かの勢いも減じることのない放射熱線は、香墨をも呑み込まんと突き進んだが、香墨は瞬時に身を翻しており、誰もいない階段の一部をどろりと融解させるのみ。
「……っぷハァッ! ハアーッ! ハアーッ……!」
危ないところであった。
ディーゼルの額に脂汗が滲む。
会敵時、己は明らかに気が緩んでいた。
油断とは言わぬまでも、己が招いた甘さが、ともすれば敗着にすらなりかねなかった。
ほんの牽制程度の仕事しか出来ぬ児戯であるところの放射熱線で相手が退いてくれたのは、この上ない幸運であった。
次は、こうは行かないだろう。
ならば、いつも通り。己も全身全霊を以て相対するべし。
「驚、懼、疑、惑。四念、悉く斬り捨てる」
声に出して唱え、ディーゼルは香墨を追って階段を上ってゆく。
《2》
斎藤ディーゼルは武道の天才ではなかった。
だから、必死に鍛錬した。
偉大な武士になるために。
「面ッ! イチ、ニッ! 面! イチ、ニッ! 面!」
大きく振りかぶった竹刀を勢いよく振り下ろしながら踏み込む。
進んだ分だけ戻って、また繰り返す。
基礎の素振り。
朝。日が昇るよりも早く目覚め、道場を隈なく掃き清めた後、素振りに勤しむ。
昼。父の教えを胸に、懸り稽古で何度も倒されてもめげずに向かっていく。
夜。家族や門下生の食事の支度と後片付けをこなし、素振りに勤しむ。
「面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ! 面ッ!」
前に踏み込みながら面。後ろに踏み込みながら面。それを何度も繰り返す。
剣道を経験したことのある人の多くがこなすであろう、早素振り。
初めは百も続ければ息が上がってしまっていたが、いつしか千を超え、やがて万にも達せんとしていた。
「己を斬るのが剣道」と父は言う。
正しいと思う。実際、日ごとに稽古では体が動くようになってきているし、試合でも勝てるようになってきた。
心を追い詰め技を磨き続け体を苛めぬき、来る日も来る日も鍛錬。
甲斐あって、いつのまにか名が知れるようになってきた。
遂に、武田主催の御前試合への出場が叶う。
全国から歴戦の強者が集う、日ノ本で最高格の大会だ。
「相手は己を高めてくれるもの、万の感謝を以て立ち向かえ」とは父の言葉。
本当に強い相手ばかりだった。死闘をくぐり抜け、ひとりふたりと斃していく。
感謝の気持ちは忘れていなかったはず。だが、敵はあまりに強く、数が多かった。
少しずつ余裕が失われていく。体の動きは反射に近く、もはや本能。
それだけの動きができるのも、稽古によって身に付けた剣術が体に沁み込んでいたからなのだが。
そしてとうとう、一瞬の隙をつかれ、敵に踏み込まれる。駄目だ。殺られる――そう思った、瞬間。
目前の敵は、上半身が跡形もなく消し飛んでいた。
何が起こったか判らなかった。すぐに立会人が飛んできて、試合場を追い出された。
その後、すべての試合への出場が禁じられた。曰く、「魔人の一般大会への出場は認められない」。
意味が判らなかった。あれは不幸な事故だったのに。武道の試合ではよくあることだろう?
「お前には失望した。二度と家の敷居は跨ぐな」
父には物乞いを見るような眼を向けられ、家から放り出された。
だれも助けてくれなかった。道場の仲間も、母でさえも。
自分が何をした? ただ、試合をしていただけじゃないか。なのにどうしてこんなことに。
答えを探している暇はなかった。
生き延びるために野良の武道家として強盗まがいの賭け試合に身をやつしていた彼をKGBが見出すのは、それからそう遠くない話である。
◎◎◎
(……来てる)
香墨は並ぶデスクの森の中、音を殺す。
それは、息遣いの音を潜めることでもあり、抑えなければどんどん大きくなってしまう鼓動を落ち着けることでもあった。
人を殺すということ。
戦いに勝つためには、そして天下に鉄炮の威光を轟かせるためには、避けては通れぬ道。
一回戦の相手・平賀稚器は、外見は可憐な美少女であったが、中身はからくり人形であった。
そのことが香墨に火蓋を切らせたが、全てが終わったのち、香墨は己の頬を打った。
相手が人形でなければ、わたしは鉄炮を撃てた? ちゃんと勝てた?
わたしのこころは、あのとき、組み合わせに甘えてたんじゃないの?
あれからこの日を迎えるまで、香墨は鉄炮の修練のみならず、心の修練にも励んだ。
相手を、人を、殺す。
その血肉を以て、鉄炮を、千勢屋の一族を、生かす。
『殺すため』に撃つのではない。『生かす』ために、撃つ。
先程の、斎藤ディーゼルが息を吸って吐くかの如く、無辜の社員を殺したように。
わたしも、平静で殺し合いに臨まなければ。
心音が落ち着いた時、ディーゼルが再び姿を現した。
「……」
ディーゼルが、息を吸う。
その瞬間は多くの武道を習ってきた香墨には感じ取れ、先程の放射熱線を思い出し身構える。
「キィアアッ! キョアエエア、アアッ! アアアーーッ!!」
裂帛の気合、から間髪入れずに動く。
正眼から揺らいだ切っ先を、香墨は感じる。
「ンッッ面ェエエエエアアアッ!!」
頭蓋を粉々に破壊するかのような一撃は、手持ちの鉄炮と背中から抜いたものを☓字に交差させて受け止める。
「アアアアアーーッツッ!」
奇声を重ねて力を加え、受けた体勢を圧し崩そうとしたところで、交差を解いて力をいなし体勢を入れ替える。
つんのめったディーゼルに見舞った蹴りは手応えなし。
だが問題はない。抜いた鉄炮を差し戻しながら膝立ちになり、流れるように、
「即中、即仏ッ!」
銃声が轟く。
引けた。引き金を。
人に向けて、鉄炮を撃てた。
香墨は己のこころに手ごたえを感じた。
が、弾の行方は別の話。ディーゼルは走り抜けながらすぐに体を切り返し、銃弾は窓ガラスを破壊して夜の空へと消える。
一合目は、引き分け。
続く二合目、ディーゼルの渾身の胴打ちを香墨は後ろへ転がって躱す。
追撃をかけるか、その判断を、ディーゼルの中に眠る得体の知れない野生の本能が押し留めた。
死角より、銃声。
「ッ、グッ!?」
銃弾が左腕を掠めた。
「キエッ!?」
奇声を漏らしながら、ディーゼルは瞬時に攻撃の正体を見る。
オフィスの隅に置かれたプリンターに、鉄炮が挟まっている。
(……置き撃ち、か!)
香墨の能力『朱鶴拵篝玉章』は、自らが文字を記した紙を随意に燃やす。
これを使えば、自ら火蓋を切らずとも、構えておらずとも、鉄炮を撃てる。
引き金を引く必要もなく、香墨が鉄炮を撃つ際に引き金を引いているのは、一種の儀式でしかない。
「……キョアアーーッ!! アッアッ! アアッ!!」
奇声により、ディーゼルは乱れかけた心を鎮める。
鉄炮使い。
死角よりの置き撃ち。
損傷した左腕。
だからどうした?
そんなことで敗衄するような、そんな軟な剣道に生きてきたはずがない!!
己が武士道、まさしく刀剣の如く、ただ一筋に武骨たらん。
纏わりつく四念・邪念を斬り払い、突き進むべし。
「キョッキャハァアアアアーーッ! 小ッ手ェヘエエイッ!! 胴ンンッ!!」
乱れ飛ぶ剣閃。
一途に繰り出されるそれを、香墨は受け止め、あるいはいなし、躱し、置き撃ちにて対抗。
ディーゼルが一階で哀れな社員と問答をしている間に、上階に転送された香墨は持っていた鉄炮の幾つかを設置していた。
自らの手で引き金を引かない攻撃……そこに一縷の救いを求めての戦闘法でないことはだけは、ここに断言しよう。
鉄炮に魂を吹き込むは、紛うことなき彼女の能力。
飛び立つは、誰に憚ることなき朱き鶴翼。
己の全身全霊で打ち勝たんとしているのは、香墨も同じだ。
「ッ……キョエエアアアアーーーッ!!」
「っ!?」
だが、これもまた、世の摂理である。
どのような意志も、どのような細工も。
圧倒的な暴力の前には、偏に風の前の塵に同じある。
ディーゼルの放った放射熱線は、ラック内に隠された鉄炮を蒸発させる。
のみならず、二発目! 倒れたラックに気を取られた香墨の足を僅かに焦がす。
「あっ……うううっ!」
か細い悲鳴。
ディーゼルの武士道は勝機を逃さない。
相手を尊重すればこそ、手は抜かない!
「ンンンッ、面ェエエエエーーーーンンッ!!」
絶好の踏み込み、絶倒の一撃。
跪く香墨が掲げた鉄炮を粉砕し、木刀は肩へと到達。
みしり、と骨が悲鳴を上げたのを、両者が感じた。
「キャアアアーーーッ!!」
まだだ! 手は抜かない! まったくもって手を抜かない!!
再度の奇声から、ディーゼルが胴を撃つべく起こした動作は、突然に上がった火の手に遮られた。
「ぬうっ……!?」
火の幕の中に香墨。炎と煙で、もはや姿も追えぬ。
のんびりと目を凝らしている暇はなかった。フロアのあちこちからに火の手。
気付けば、窓の外にもうっすらと煙が上がっている。
「まさか、ビル全体が……!?」
疑惑が確信に変わるのはそう遠くない話だった。
一つ上のフロアを見たディーゼルの視界には、眩いばかりに燃え上がるデスク、書類、その他オフィス機器。
先刻も言った通り、香墨は予めビル内をまわり、置き撃ちの鉄炮を仕掛けていた。
のみならず、同時に奥の手の布石も打っていた。
それは、フロア内の書類を一束にまとめ、側面に一気通貫に字を記す。
一枚一枚に書くよりも遥かに効率的に、遠隔発火する火樽を用意できる。
ディーゼルの追撃を留めた発火も、懐に仕込んでいたこの火樽であった。
「……くっ!」
対戦相手の少女は、おそらくあのまま火達磨となって果てるだろう。
だとしても、自分がこのまま火の風呂の中で過ごしているわけにもいくまい。
下のフロアは既に燃えている。ディーゼルは上へ、上へと階段を上る。
《3》
稚器ちゃんとの試合の後。
家に帰ったら町の皆が総出で迎えてくれた。
もみくちゃにされて苦しそうなわたしを見て稚器ちゃんが武器を出そうとする。
なのでわたしは稚器ちゃんをなんとか押さえつけて、早々に屋敷に戻った。
「お姉ちゃんをチキは助けたかったの!」
「うん、わかるよ。でも、町の人を攻撃しちゃダメって約束したでしょ?」
「……やくそくした」
「いいこいいこ。大丈夫、みんなちょっと盛り上がっちゃてるだけだから。あのぶんだと、そうとう呑んでるな」
落ち着いた稚器ちゃんを、しげしげと眺める。
医療班の人が直してくれたので、また本当の人間のように戻っていた。
あんなに怖い機械だったのが嘘のようだ。
「……ねえ、稚器ちゃんはどうして戦うの?」
「タケダを倒す、それがカワイイから」
「そっか」
「でも、チキは負けた……お姉ちゃんは、チキよりカワイイ。だから、次も勝てるよね?」
「……うん。勝つよ」
勝った方がカワイイというのはよくわからない。
からくりは造った人の想いが伝わるっていうし、これもそうなのだろうか。
でも、稚器ちゃんが勝ちたかった、ということも、戦ったわたしには伝わってきた。
だから、わたしは勝たなければならない。それが、お姉ちゃんだから。
「お疲れ様! よくがんばったわね」
「相手と友だちになるなんて、香墨らしいな」
「お母様! お父様!」
町のみんなをやりすごしてくれたのだろう、お父様とお母様も屋敷に戻ってきた。
ひとしきり抱き合って、勝利を喜ぶ。
だが……。
「ところで、その子なんだけど、すごい出来のからくりね。どんなことまでできるのかしら」
「造りはどうなってるんだろう。気になる」
お母様もお父様も、商人と職人の眼になってる。
こうなると二人とも怖い。
稚器ちゃん、無事でいて……!
◎◎◎
夜風がディーゼルの熱を醒ます。
火の手と煙に煽られて、遂に辿り着いたのは屋上であった。
ここには、火の手が全く上がっていない。
そのことが、むしろディーゼルには不審に思われた。
「罠、のつもりだったか」
屋上の柵に触れ、ディーゼルは独り言つ。
香墨はディーゼルを、ここに誘い出すつもりだったのだろう。
だがそれも、もはや手遅れ。
彼女は既に火の海の中で潰えたはず。
「……ごほっ! けほっ……!」
「!?」
振り返ったヘルメットの中の瞳が驚愕に見開かれる。
濛々たる煙が立ち上る出入り口から現れたのは、全身に火傷を負い、足の一部は消し飛び、あの華やかだった着物の殆ども失い、肌を覆うのは僅かなサラシのみとなった、千勢屋香墨の姿だった。
「千勢屋の、一族は……けほっ!」
咳込みながらたどたどしく語る表情は、あどけなくも不敵。
「火には、強いんだから……!」
香墨は、まだ諦めていない。
「……」
ディーゼルが、瞳を眇める。
覚束ない足取り。
鉄炮も一本を残して喪失。
衣服も、その下の肉体も、すべからく満身創痍。
これだけの傷を負いながら、この気迫。
ディーゼルはその執念に敬意を表した。
「……キャキョキィアアアーーッ!!」
ならばこそ!
己が持てる武士道の全力を以て、この相手に打ち勝つ!
満身創痍? 絶体絶命? だから何!?
強者には全力で挑むことこそが礼儀! そして剣道は礼節の武道!
ディーゼルの手には木刀! 香墨は全身まさしく剣ヶ峰! すなわち武士道のぶつかり合い!
いざゆかん、最強の剣士を決める戦いへ!!
「面ェェェェェェエエエエエエーーーーーーンンンッッ!!」
「即、中」
突進するディーゼルに、香墨は弱弱しく銃口を向ける。
「……即」
だが、その言葉は。そのこころは。
「仏ッ!!」
未だに、激しく燃えている!!
「アアアーーッ!!」
放たれた銃弾を、ディーゼルは木刀にて一刀両断!
続けて本命たる香墨を斬るべく木刀を構え直す、ことはなかった。
間髪入れずに飛来した二発目が、ディーゼルのヘルメットを粉砕。
次いで現れた三発目が、ディーゼルの眉間を撃ち抜いた。
「……千歳流、奥義……三段撃ち」
稚器の持つからくり技術と、なにより、メモリーの奥底に秘められた思い出。
それらの集大成が、からくりのスライド機構により、一度の発砲で感覚をずらして三発放たれる、この三段撃ち。
「……流派、千歳流炮術! 流祖、千勢屋香墨! ここに、勝利す!!」
最後の力を振り絞り叫んだ香墨は、そのまま屋上に崩れ落ちた。
[了]