三回戦第五試合その2


目が覚めると、知らない部屋に居た。
ここは、どこだ。俺の部屋でも、ゴドーの部屋でもない。
ベッドから体を起こす。少し、全身が痛む。
首には包帯がまかれている。
しだいに目が覚めていく。それとともに思い出す。この傷の原因を。
私は、負けたのだ。紅崎ハルト。あの災害のようなクソガキに。
口惜しさは感じない。私を取り巻く環境は何も変わりがないから。
俺に失うものなんて何もない。もともと何も持っていないのだ。

「あ、起きた。」

声を向くと、椅子に座っている女がいた。薫﨑香織、俺の知り合いだ。

「…何があった。」

「…うーん。あれから色々あったからなー。どこから説明しよっか。」

「ゴドーはどうした?」

「ほほう。真っ先にゴドーの心配ですか。」

薫﨑がにやける。コイツのにやけ面は見ていて、腹が立つ。

「ゴドーならミーちゃんの横で寝てるよ。」

「あ!?」

慌てて布団を跳ね上げ、横を見るが、誰もいない。

「おい。ふざけんなマッド女。」

「あははは。そんなに慌てるなんてミーちゃんはかわいいなあ。」

「うるせえ。黙れ。」

「寝てるのは本当だよ。別室で休んでる。」

「つーか。ここどこだ。」

備品から、医療施設であることは判断できる。ススキノにこんな場所があっただろうか。

「サッポロにある希望崎の医療施設。ミーちゃんは大会の参加者だから。ゴドーが主催者に上手く交渉して治療してもらったんだって。」

…また、助けられたのか、俺は。
なぜ、あいつは俺を助けるのだろう。
何の益もない筈なのに。俺に価値なんてない筈なのに。

「ススキノは殆ど壊滅。」

「…そうか。」

俺はあの町が嫌いだった。だからあそこがなくなろうと未練は、ない。その筈だ。

「沢山の人が死んだよ。」

俺には関係がない。人が何人死んだからって、俺の心は痛まない。

「ミーちゃんの雇い主も。」

「は?」

理解が追い付かない。あのクソ金貸しが死んだ?死んだのか?

「だからね、ミーちゃん。…もう、借金を返さなくてもいい。戦わなくて、いいんだよ。」

自分を縛る枷がなくなった。喜ぶべきはずなのに、素直に喜べない。
胸中に宿るのはかすかな不安。
見えていたはずなのに、ずっと考えないようにしていた事。
今まで奪い返すために殺してきた。何も考えず、自分のために。
それが達成した、達成してしまった。
俺には、何ができるのだろうか?
俺は、アイツと一緒に生きていいのだろうか?


禍津鈴は基本的にノリで生きている。
禍津は殺す相手のことを知ることを躊躇しない。
どんな相手でも気分が変わればためらいなく殺せるから。

「灰被深夜ちゃん?でいいんだよね。年も近いみたいだし、仲良くしない?戦いなんてやめてさ。女子トークしようよ。」

この気持ちに偽りはない。少なくともこの瞬間には。次の瞬間変わっていたとしても、それに従うだけだ。

灰被は、禍津との間合いを詰めるために駆け出した。

「あーあ。つれないなあ。そんなとこもかわいいけどなっ!」

そういうと禍津は日本刀を取り出し、灰被の激突に備える。
彼女の気分は、既に変わっている。


「灰被!おい!止まれ!待てって!」

後ろから声が聞こえる。振り返らない。未練になるから。

「なんで行くんだよ!もう戦う理由はないだろ!」

違うよ、ゴドー。理由があるから戦うんじゃない。それしかないから戦うんだ。

「おい、止まれって。」

手が肩に止まる。
…ここで、振り返れば、俺は幸せになれるんだろうか。
微かな躊躇。それを振り払う。
分かってる。あっちの方が楽だって事は。
でも、決めたんだ。
何も返せないなら、何もできないなら、一緒にいる資格がない。
一緒にいたら、ゴドーの迷惑になる。今回のように。
一度墜ちたものに、這い上がることなんてできなかったんだ。

「腕」を出し、ゴドーを吹き飛ばす。

じゃあな、ゴドー。


「なんか手数が多い気がするなあ。それが深夜ちゃんの能力?」

灰被深夜は答えない。両手にナイフを持ち、禍津に切りかかる。
彼女の腕はそこまで高くないが、躊躇のない攻撃と、優秀な判断力で禍津に迫っている。
ただ、それでも、決定打にはなりえない。

禍津はナイフを日本刀で受け流すと、後ろへ下がり、間合いを取った。
つまんないなあ、と禍津は思う。
灰被の攻撃には余裕がない。技術に対し、誇りも愛着も持たず、道具として
見ていても、戦っていても、楽しくない。
これなら一回戦のクソガキのほうがまだましだった。

禍津はシリアスが苦手である。基本的に彼女は楽しそうかどうかで動く。
傭兵になったのも、楽しそうだったから。
灰被に話しかけたのも楽しそうだったから。
その基準に自分が不利になるかどうかは勘案されない。

つまらないものを面白くするために彼女は生きている。

「エンチャント・心象力!」

禍津は叫ぶ。
能力の発動に発生は必要がない。
彼女が叫びたかったから叫んだだけだ。
つまらない戦いを少しでも面白くするために。


…ふざけてる。

「エンチャント・心象力!」で付与された心象力を理解すると、灰被はそう思った。
もちろん、心象力が、ではない。禍津が、である。
灰被にとって、戦いの技術は道具でしかない。
愛着などないし、憎んですらいる。
だから、灰被には禍津の行動が理解できない。
わざわざ自分から不利になるなど、正気とは思えなかった。
だが、わざわざ与えられた力を使わない理由はない。
禍津に与えられた心象力を発動する。

灰被の心象力は「変身願望」。
理想の自分へと変化する力。
心象力の発動と共に、全身が発光する。

右手と左足は機械から生身へ。
服装は灰色のパーカーから白いワンピースへ。
胸は大きく。
顔つきは穏やかに。
それぞれ、変わっていく。

変身が終わると、灰被深夜は言った。

「こんばんわ。禍津鈴さん。」


「深夜ちゃんの心象力はそれかあ。」

禍津は笑みを崩さない。

「気難しい娘だと思ってたけど。意外とかわいらしいところがあるんだね。」

「かわいらしいだなんて、恥ずかしいですわ。」

灰被も笑みを返す。

「それよりも、ありがとうございます。禍津さん。こんな素晴らしい力を授けて下さって。」

「あはは。礼はいいよ。…この試合、勝たせてくれればさ。」

禍津は間合いを一気に詰め、灰被に斬りかかった。

完璧な不意打ち。灰被に対応ができるはずがない。

…そう、今までの灰被なら。

灰被は、両手で、禍津の刀を挟み込んでいた。
禍津は刀を引こうとするが、相手の力が強く、動かない。

「…ただのお嬢様に見えたんだけど。…意外と武闘派?」

「あら。これぐらい淑女のたしなみです。…あの人の役に立つにはこれくらいできていないと。」

「あの人?何?深夜ちゃん、好きな人いるの?」

「ええ。とても素敵な方です。」

「へえ。それはぜひとも紹介してほしいなっ。」

そういうと、禍津は刀を手放し、距離を取る。
灰被は刀を後ろへ放り投げると、禍津の方へと飛び出す。

「ええ。きっと禍津さんも気に入ると思いますよ。」

「…あら。私に取られちゃってもしらないよ?」

「それはあり得ません。いくら他の女がいても、最終的に私の所に戻ってきてくださいます。」

「…うわあ。怖い」

軽口をたたきながらも、二人は素手で攻防を繰り広げる。

…この状態だと、深夜ちゃんの方が若干上手かな。
冷静に禍津は分析を続ける。
変わっているのは、動きの方針か。
さっきまでとは違い、こちらを制圧するための動きに切り替わっている。
…そこを突けば、勝てるかな。
禍津は笑みを浮かべる。
心象力を使って良かった、これでこの戦いが楽しくなった。
…ま、勝つのは私だけどね。

幾つもの牽制に織り交ぜられた本命の打撃、そこに禍津は飛び込む。
狙い通りに当たれば、気絶程度で済む攻撃。
そこに禍津は自身の急所を無理にねじ込む。

「なっ」

灰被の口から声が漏れる。
このまま当たれば、禍津を殺しかねない。
打撃の勢いが弱まる。
無理に打撃を弱めたために一瞬、隙が生まれる。
そこにを見計らって、禍津は拳を打ち抜こうとする。

次の瞬間、禍津は見えない何かに吹っ飛ばされていた。
強烈な一撃。彼女の体はコンテナへとぶつかる。


「やられたなあ。まさか、土壇場で、心象力を解除するなんて。」

「変身願望」の心象力を本人が自発的に解除することは今までなかった。
灰被も、「理想の自分」に満足していたはずだ。
それなのに解除したということは。

「そんなに負けるのが嫌?」

灰被は答えない。

「ま、今回は私の負けだね。足とか変な方向にねじ曲がってるし。多分、肋骨も折れてる。戦えないよ。」

どれだけ重症でも、痛みがあっても、彼女は飄々とした態度を崩さない。
それが彼女のポリシーだから。

「とどめ刺すなら、楽な方法でね。」

灰被は銃を取り出すと、禍津の方向へとむける。
彼女が何回も繰り返してきた動作。
だが、彼女は引き金を引くことができない。
ゴドーの泣き顔、ゴドーの声、理想の自分。
様々なものが彼女が引き金を引くのを妨げる。

灰被は溜息を吐き、銃を下す。
禍津を背負って、試合場の外へと歩き出す。

「…何で?」
禍津には灰被の行動が理解ができない。

「何の意味もねえ、ただの自己満足だ。」


この行動には何の意味もない。
禍津の傷が治るわけでも、灰被に利益があるわけでもない。
むしろ、重症とはいえ、禍津を運ぶのはリスキーである。
普段の灰被なら絶対にしない。

それでも。
なんの意味がなかったとしても。
相手を殺さずに済んだことが、少し、彼女は誇らしかった。

見てるか?ゴドー。

灰被はここに居ない相手に向かって微笑んだ。
最終更新:2016年07月16日 23:52