目が覚めると、知らない部屋に居た。
ここは、どこだ。俺の部屋でも、ゴドーの部屋でもない。
ベッドから体を起こす。少し、全身が痛む。
首には包帯がまかれている。
しだいに目が覚めていく。それとともに思い出す。この傷の原因を。
私は、負けたのだ。紅崎ハルト。あの災害のようなクソガキに。
口惜しさは感じない。私を取り巻く環境は何も変わりがないから。
俺に失うものなんて何もない。もともと何も持っていないのだ。
「あ、起きた。」
声を向くと、椅子に座っている女がいた。薫﨑香織、俺の知り合いだ。
「…何があった。」
「…うーん。あれから色々あったからなー。どこから説明しよっか。」
「ゴドーはどうした?」
「ほほう。真っ先にゴドーの心配ですか。」
薫﨑がにやける。コイツのにやけ面は見ていて、腹が立つ。
「ゴドーならミーちゃんの横で寝てるよ。」
「あ!?」
慌てて布団を跳ね上げ、横を見るが、誰もいない。
「おい。ふざけんなマッド女。」
「あははは。そんなに慌てるなんてミーちゃんはかわいいなあ。」
「うるせえ。黙れ。」
「寝てるのは本当だよ。別室で休んでる。」
「つーか。ここどこだ。」
備品から、医療施設であることは判断できる。ススキノにこんな場所があっただろうか。
「サッポロにある希望崎の医療施設。ミーちゃんは大会の参加者だから。ゴドーが主催者に上手く交渉して治療してもらったんだって。」
…また、助けられたのか、俺は。
なぜ、あいつは俺を助けるのだろう。
何の益もない筈なのに。俺に価値なんてない筈なのに。
「ススキノは殆ど壊滅。」
「…そうか。」
俺はあの町が嫌いだった。だからあそこがなくなろうと未練は、ない。その筈だ。
「沢山の人が死んだよ。」
俺には関係がない。人が何人死んだからって、俺の心は痛まない。
「ミーちゃんの雇い主も。」
「は?」
理解が追い付かない。あのクソ金貸しが死んだ?死んだのか?
「だからね、ミーちゃん。…もう、借金を返さなくてもいい。戦わなくて、いいんだよ。」
自分を縛る枷がなくなった。喜ぶべきはずなのに、素直に喜べない。
胸中に宿るのはかすかな不安。
見えていたはずなのに、ずっと考えないようにしていた事。
今まで奪い返すために殺してきた。何も考えず、自分のために。
それが達成した、達成してしまった。
俺には、何ができるのだろうか?
俺は、アイツと一緒に生きていいのだろうか?
☆
禍津鈴は基本的にノリで生きている。
禍津は殺す相手のことを知ることを躊躇しない。
どんな相手でも気分が変わればためらいなく殺せるから。
「灰被深夜ちゃん?でいいんだよね。年も近いみたいだし、仲良くしない?戦いなんてやめてさ。女子トークしようよ。」
この気持ちに偽りはない。少なくともこの瞬間には。次の瞬間変わっていたとしても、それに従うだけだ。
灰被は、禍津との間合いを詰めるために駆け出した。
「あーあ。つれないなあ。そんなとこもかわいいけどなっ!」
そういうと禍津は日本刀を取り出し、灰被の激突に備える。
彼女の気分は、既に変わっている。
☆
「灰被!おい!止まれ!待てって!」
後ろから声が聞こえる。振り返らない。未練になるから。
「なんで行くんだよ!もう戦う理由はないだろ!」
違うよ、ゴドー。理由があるから戦うんじゃない。それしかないから戦うんだ。
「おい、止まれって。」
手が肩に止まる。
…ここで、振り返れば、俺は幸せになれるんだろうか。
微かな躊躇。それを振り払う。
分かってる。あっちの方が楽だって事は。
でも、決めたんだ。
何も返せないなら、何もできないなら、一緒にいる資格がない。
一緒にいたら、ゴドーの迷惑になる。今回のように。
一度墜ちたものに、這い上がることなんてできなかったんだ。
「腕」を出し、ゴドーを吹き飛ばす。
じゃあな、ゴドー。
☆
「なんか手数が多い気がするなあ。それが深夜ちゃんの能力?」
灰被深夜は答えない。両手にナイフを持ち、禍津に切りかかる。
彼女の腕はそこまで高くないが、躊躇のない攻撃と、優秀な判断力で禍津に迫っている。
ただ、それでも、決定打にはなりえない。
禍津はナイフを日本刀で受け流すと、後ろへ下がり、間合いを取った。
つまんないなあ、と禍津は思う。
灰被の攻撃には余裕がない。技術に対し、誇りも愛着も持たず、道具として
見ていても、戦っていても、楽しくない。
これなら一回戦のクソガキのほうがまだましだった。
禍津はシリアスが苦手である。基本的に彼女は楽しそうかどうかで動く。
傭兵になったのも、楽しそうだったから。
灰被に話しかけたのも楽しそうだったから。
その基準に自分が不利になるかどうかは勘案されない。
つまらないものを面白くするために彼女は生きている。
「エンチャント・心象力!」
禍津は叫ぶ。
能力の発動に発生は必要がない。
彼女が叫びたかったから叫んだだけだ。
つまらない戦いを少しでも面白くするために。
☆
…ふざけてる。
「エンチャント・心象力!」で付与された心象力を理解すると、灰被はそう思った。
もちろん、心象力が、ではない。禍津が、である。
灰被にとって、戦いの技術は道具でしかない。
愛着などないし、憎んですらいる。
だから、灰被には禍津の行動が理解できない。
わざわざ自分から不利になるなど、正気とは思えなかった。
だが、わざわざ与えられた力を使わない理由はない。
禍津に与えられた心象力を発動する。
灰被の心象力は「変身願望」。
理想の自分へと変化する力。
心象力の発動と共に、全身が発光する。
右手と左足は機械から生身へ。
服装は灰色のパーカーから白いワンピースへ。
胸は大きく。
顔つきは穏やかに。
それぞれ、変わっていく。
変身が終わると、灰被深夜は言った。
「こんばんわ。禍津鈴さん。」
☆
「深夜ちゃんの心象力はそれかあ。」
禍津は笑みを崩さない。
「気難しい娘だと思ってたけど。意外とかわいらしいところがあるんだね。」
「かわいらしいだなんて、恥ずかしいですわ。」
灰被も笑みを返す。
「それよりも、ありがとうございます。禍津さん。こんな素晴らしい力を授けて下さって。」
「あはは。礼はいいよ。…この試合、勝たせてくれればさ。」
禍津は間合いを一気に詰め、灰被に斬りかかった。
完璧な不意打ち。灰被に対応ができるはずがない。
…そう、今までの灰被なら。
灰被は、両手で、禍津の刀を挟み込んでいた。
禍津は刀を引こうとするが、相手の力が強く、動かない。
「…ただのお嬢様に見えたんだけど。…意外と武闘派?」
「あら。これぐらい淑女のたしなみです。…あの人の役に立つにはこれくらいできていないと。」
「あの人?何?深夜ちゃん、好きな人いるの?」
「ええ。とても素敵な方です。」
「へえ。それはぜひとも紹介してほしいなっ。」
そういうと、禍津は刀を手放し、距離を取る。
灰被は刀を後ろへ放り投げると、禍津の方へと飛び出す。
「ええ。きっと禍津さんも気に入ると思いますよ。」
「…あら。私に取られちゃってもしらないよ?」
「それはあり得ません。いくら他の女がいても、最終的に私の所に戻ってきてくださいます。」
「…うわあ。怖い」
軽口をたたきながらも、二人は素手で攻防を繰り広げる。
…この状態だと、深夜ちゃんの方が若干上手かな。
冷静に禍津は分析を続ける。
変わっているのは、動きの方針か。
さっきまでとは違い、こちらを制圧するための動きに切り替わっている。
…そこを突けば、勝てるかな。
禍津は笑みを浮かべる。
心象力を使って良かった、これでこの戦いが楽しくなった。
…ま、勝つのは私だけどね。
幾つもの牽制に織り交ぜられた本命の打撃、そこに禍津は飛び込む。
狙い通りに当たれば、気絶程度で済む攻撃。
そこに禍津は自身の急所を無理にねじ込む。
「なっ」
灰被の口から声が漏れる。
このまま当たれば、禍津を殺しかねない。
打撃の勢いが弱まる。
無理に打撃を弱めたために一瞬、隙が生まれる。
そこにを見計らって、禍津は拳を打ち抜こうとする。
次の瞬間、禍津は見えない何かに吹っ飛ばされていた。
強烈な一撃。彼女の体はコンテナへとぶつかる。
☆
「やられたなあ。まさか、土壇場で、心象力を解除するなんて。」
「変身願望」の心象力を本人が自発的に解除することは今までなかった。
灰被も、「理想の自分」に満足していたはずだ。
それなのに解除したということは。
「そんなに負けるのが嫌?」
灰被は答えない。
「ま、今回は私の負けだね。足とか変な方向にねじ曲がってるし。多分、肋骨も折れてる。戦えないよ。」
どれだけ重症でも、痛みがあっても、彼女は飄々とした態度を崩さない。
それが彼女のポリシーだから。
「とどめ刺すなら、楽な方法でね。」
灰被は銃を取り出すと、禍津の方向へとむける。
彼女が何回も繰り返してきた動作。
だが、彼女は引き金を引くことができない。
ゴドーの泣き顔、ゴドーの声、理想の自分。
様々なものが彼女が引き金を引くのを妨げる。
灰被は溜息を吐き、銃を下す。
禍津を背負って、試合場の外へと歩き出す。
「…何で?」
禍津には灰被の行動が理解ができない。
「何の意味もねえ、ただの自己満足だ。」
この行動には何の意味もない。
禍津の傷が治るわけでも、灰被に利益があるわけでもない。
むしろ、重症とはいえ、禍津を運ぶのはリスキーである。
普段の灰被なら絶対にしない。
それでも。
なんの意味がなかったとしても。
相手を殺さずに済んだことが、少し、彼女は誇らしかった。
見てるか?ゴドー。
灰被はここに居ない相手に向かって微笑んだ。