三回戦第三試合その2


窓の外には星屑の絨毯を敷き詰めたような輝かしき夜景。
地上六十メートル。暗い闇に包まれたオフィスフロアでは、留守を勤めるネットワーク機器が、チカチカと緑色の光を瞬かせている。
夜9時。既に就業時間を終えたフロア内に、社員の姿はない。
自宅で自主的貢献作業をしている社員の遠隔ログインを受けたサーバ群が、低く唸り声を立てているだけである。
先進的IT企業である矢文屋エロクトロニクスは、タケダネットの技術を用いて年間を通して残業時間完全ゼロを達成しているホワイト企業なのだ。

室内には、少女が唯一人。
病院内の移動に使われる、華奢な車椅子に座っている。
彼女がまとう服の色は黒。
黒い衣装にあしらわれた銀糸が、ネットワーク機器の緑の光を映し、微かに煌いていた。

少女は立ち上がる。
その両脚は、義肢。
ガラスのように透き通った印象を持つ、機能的な流線型の義肢であった。
立ち上がった姿を見ると、少女の纏っていた衣装がバレエ衣装であることが判る。
スカートの裾は細く繊細に枝分かれして広がり、鳥の羽のようである。
これは、黒鳥。
姫宮マリは『白鳥の湖』における黒鳥オディールが好きだった。
特に見せ場である三十二回転が、大好きだった。

ふわりと挙げた両手を頭上で軽く組み、つま先立ちをする。
小さな身体が、すうと高く伸びたような錯覚を覚えるほどに自然な動きで。
マリは深呼吸を一つ。
そして、これから始まる舞踏会に備える為、魔法の言葉を唱える。

「――――――エクスキューション(XC)・モード」

義足からオーロラのように輝く光が放たれ、マリの全身を這い登ってゆく。
全身を包み込んだ光は、マリの身体にぴったりと張り付くように収束し、流線型のプロテクトスーツに変化した。
血塗れ王妃(ブラッディ・マリー)』の限定解除モード。
最初から全力で飛ばさなければ勝てない――マリはそのように判断していた。



薪屋武人の出現フロアは十二階。
およそ地上三十メートルであった。
武人も、長期戦をするつもりはなかった。
まずは今回の“生徒”が“指導”するに値する「思いの強さ」を持っているかを手早く確認する。
そしてその後は普段通り、「思いの強さ」に見合った筋トレを行うのみだ。

二回戦、武人は弥六の大規模破壊によって苦戦を強いられた。
いかに強靭な筋肉を持っていたとしても、自らが存在する地形自体を破壊されてしまっては立ち回りは難しい。
だから、地形を破壊する側になることにしたのだ。

武人の両腕が、巨木の幹のように太く膨れ上がる。
強い思いを込めて鍛えぬいた筋肉の力で、手に持った巨大なラジカセを頭上に掲げる。
そして、全身全霊を込めて振り下ろした。
フロアの床に、蜘蛛の巣状の亀裂が入り、武人周辺の床が崩壊する。
立つべき床を失い、武人は下のフロアへと落ちてゆく。
その腕にはまだ力が漲り、巨大ラジカセは床を破壊してなお威力を緩めず、重力加速度を得てさらに破壊力を増してゆく。

十一階フロアの床を破壊。十階フロアの床を破壊。九階、八階、七階……。
空手の達人が振り下ろしたチョップが、十二枚の瓦を一撃で割るように、武人のラジカセは一振りで十二枚の床を叩き割り、地下一階駐車場エリアまで貫通した。
大量の瓦礫とともに、地下駐車場へ落下して筋肉着地する武人。
駐車場内に停められている社用車が数十台スクラップと化したが、それは些細な被害である。
貫通してきたフロアのサーバに蓄積されていた、膨大なデータ損失と比べれば。

武人の狙いは、ビル全体の破壊。
対戦相手である姫宮マリの出現位置が不明な以上、最下層まで降下してビル全体を根こそぎ叩き折るのがベストな選択だと考えたのだ。
だが、地下には武人を待ち受けている者が居た。

こんばんは(bonsoir)、薪屋先生。ずいぶん遅い到着ですわね。先生の学校では、レディーを待たせるように教育されているのでしょうか?」

流線型の義足を装着し、黒鳥のドレスを身に纏う、姫宮マリであった。
マリの頭上の天井には、人間一人が通れる程度の小さな穴が穿たれていた。
そして、彼女の周囲には、XCモードの名残である赤い粒子が、ゆるやかに渦巻いていた。

武人は紳士的に一礼し、詫びた。

「これは申し訳なかった。女性を大切に扱うのは男として当然の務め。待たせたことは謝らなければいけないね」

そして、暗闇の駐車場内でも輝いているように錯覚するほど白い歯を見せて爽やかに笑った。

「だが――先生に生徒が指図をするのは校則違反だよ」

その強靭な筋力から生み出される驚異的な瞬発力により、一瞬でマリの位置まで踏み込み、巨大ラジカセを振るう。
ゴウ、と突風が吹きぬけるような音を立て、ラジカセが空を切った。
常人の認識能力からすれば、武人の踏み込みはテレポートしているとしか思えないほどに速い。
しかし、天性のバレエセンスを持つマリにとって、その動きはあまりにも遅かった。
XCモードを使うまでもないほどに。

「アン」
ラジカセを回避するステップバックから、前進に転ずる。

「ドゥ」
オーロラ色に輝く軌跡を描いて右足を高く振り上げる。

「トロワ!」
身長二メートルを越える武人の頭上から、断頭ギロチンの如き蹴撃を振り下ろす。

ラジカセによる防御は間に合わない。
武人は僧帽筋と胸鎖乳突筋に力を込めて筋肉の強さだけで殺人バレエの蹴り足を受けとめる。
致命傷には程遠い一撃。
だが、武人の額が割れ、真っ赤な血が滲んだ。

「アン」
額に一撃を入れた反動で後方に捻りながら回転して飛び離れる。

「ドゥ」
着地。着地の衝撃を水平回転で散らす。

「トロワ」
残心。足をクロスさせる5番ポジションで、次の動作に備える。

それは、一方的な戦いだった。
両者の戦闘速度があまりにも違っていたのだ。

「アン」「ドゥ」「トロワ!」
「アン」「ドゥ」「トロワ!」

カウントが告げられる度に、武人の身体に傷が刻まれてゆく。
オーロラめいて輝くマリの両脚は、返り血で赤く染まってゆく。
このまま虐殺ショーが繰り広げられるのかと思ったその時。
薪屋武人が爽やかな笑顔を見せた。

「なるほど――君の『思いの強さ』は確かに解った。それでは“生徒指導”を始めよう」

そう言って武人は、ラジカセの再生ボタンを押した。
破壊不能のラジカセから、世界政府によって封印された禁断の音楽が鳴り響く。
――アイドルの声が!

『アイドルマスター・シンデレラガールズ・スターライトステージ!』

しかし何もおこらなかった!

「アン」「ドゥ」「トロワ!」
「アン」「ドゥ」「トロワ!」

朗らかに鳴り響くアイドルの歌声には無頓着に、無慈悲なカウントが続けられる。
真っ赤な血が混じるオーロラの軌跡が、武人の身体をさらに切り刻んでゆく。
これは何事なのか? 何故アイドルの歌声が、姫宮マリには届かないのか!?

それは、姫宮マリの速さによるものだった。
ラジカセからの音楽による支配効果は、音速で対象へと到達する。
だが、支配効果から逃れるために必要な速度は、音速よりも遥かに遅くとも良い。
音とは、空気の振動であり、観測者の速度によって波長が狂い音程がずれる。
ドップラー効果。
アイドルの歌声を歪ませるためには、自動車程度の移動速度でも十分なのだ。
『血塗れ王妃』によるスラスター噴射で高速移動を続ける限り、姫宮マリには『ビリーブ・ユア・ハート』は無効!

「アン」「ドゥ」「トロワ!」
「アン」「ドゥ」「トロワ!」

暗い地下駐車場に、オーロラの光軌が走る。
薪屋武人の耐久力が限界を迎えるのが先か――
姫宮マリの持久力が切れるのが先か――



雪が、降っていた。
真っ白な雪が、空からゆっくりと降っていた。

『いち、に、さん。そこでターン! 駄目、もっと腕は高く上げる!』

薪屋ましろが、手話でレッスンの指示をする。
“生徒”は薪屋武人。
アイドルとして相応しい、ダンスを指導しているのだ。

♪挿入歌『Happy×2 Days』
♪うた:CANDY ISLAND(双葉杏/三村かな子/緒方智絵里)

『でもさあ、生徒の筋トレするのに、歌に合わせる必要なんてあるのかな?』

「いや、誰もが筋トレに真っ直ぐ取り組めるわけじゃないんだ。楽しく筋トレをしてもらうためには、工夫が必要なんだよ」

『だからって、武ちゃんもう三十過ぎだよ? 今からアイドルの振り付けを覚えるのって大変じゃない?』

「生徒にちゃんと教えるためには――、教師は生徒以上に努力しなきゃいけないんだよ。それに俺は……自分が戦場で犯してきた罪を償う義務があるんだ」

『まったくもう……』

ましろは、溜息をつく。

『あのね、武ちゃんの無駄に自分に厳しいとこはね、長所じゃなくて駄目なとこなんだよ。そこんとこ理解してる?』

「……ごめん」

『それから』

『コレだけは覚えておいて。武ちゃんには私を幸せにする義務もあるんだから。私は、武ちゃん自身が幸せじゃなきゃ幸せになれな……』

そこで、ましろの手の動きが止まった。
武人は、彼女が泣き出しそうな顔をしていると思ったが、それは勘違いだった。
数拍、沈黙の時間があり、その後。

「へっくちゅん」

ましろは、くしゃみをした。
寒空の下で武人のダンスレッスンに付き合っていたせいで、身体が冷えてしまったのだ。
武人との筋トレで、ましろの体力は向上してきているが、やはりまだ病弱なのだ。

「……レッスンは終わりにして部屋に帰ろうか」

『うん』



武人は、ひたすら攻撃に耐えながら、愛する妻のことを想っていた。
ましろは――戦場で何十人もの人間を殺してきた、自分のことを愛してくれた。
血塗れの手を、優しく包み込み許してくれた。
アイドルであった、ましろ自身の声を奪った本来ならば憎むべき自分のことを、駄目な所も含めて全部好きだと言ってくれた。

「アン」「ドゥ」「トロワ!」
「アン」「ドゥ」「トロワ!」

攻撃が降り注ぐ。
武人は、決めた。
自分も、自分の駄目なところを受けいれようと。
忘れたい、封印したいと考えていた、過去の自分を。
武人はラジカセを傍らに置き、構えた――傭兵時代に習得した、軍隊式格闘術の構えを。

「アン」「ドゥ」「トロワ!」
頭上から、断頭ギロチンの如き蹴撃が降ってくる。
武人は――オーロラ色に輝くマリの右脚を左腕で受け止めた。

戦場では、己自身より遅い物体の方が多い。
軍隊式格闘術は、降り注ぐ銃弾やミサイル爆撃を、掴み、いなす術を洗練させてきた。
あえて軍隊式格闘術を用いず、筋肉任せにラジカセを振り回すスタイルを捨てれば、通常モードの『血塗れ王妃』の戦闘速度は、武人が対応できない速さではなかった。

左手首を返し、マリの右脚脛を掴む。
脚をぐいと引き寄せ、右掌をマリの膝に当て、そのまま体重を掛けて地面に叩きつける。
オーロラ色の義足がへし折れ、ガラスが砕け散るような閃光を放って消える。

低くうめき声を上げたマリだが、残された左脚で大地を蹴り、後方宙返りをして距離を取る。
空中で回転しながら『血塗れ王妃』によって右足義肢を再構築。
ガラス片のように弾けとんだオーロラ色の光が再度収束。

エクスキューション(XC)・モード!!」

マリが叫ぶ。全身をオーロラ色の光が包み、ボディスーツを形成する。

「アン」
マリの血が粒子に変換されてスーツ内を循環。エネルギーが満ちる。

「ドゥ」
床を蹴って飛ぶ。背後の瓦礫がソニックブームで砕け散る。

「トロワ!」
渦巻く真っ赤な粒子を纏ったオーロラ色の軌跡が、水平に走る! 飛び蹴り!

「ぬうううううううーーん!」
武人が吼えた! 再びラジカセを掴み、全力でスイングする!
姫宮マリの現在の速度はマッハ8! 戦闘機と同等!
つまり――戦場の勘を取り戻した武人には見える!
蹴りとラジカセが空中でかち合う!

そして――作用反作用の法則!
激突の反動で姫宮マリは上方に弾き飛ばされた!
ボディースーツにより強化されたマリの身体は、脆弱なオフィスビルの構造をたやすく突き破り……星屑のように煌くオフィス街の夜景の中へと射出された!

場外! 勝者――薪屋武人!
最終更新:2016年07月17日 00:02