三回戦第四試合その2


「ですから、そのような方はここにはいらっしゃいません」
修道服を着た女が断定的な口調で言い切った。

それほど、大きくはない湖の湖畔にある教会。
その教会に似つかわしくない、軍服姿の男達が多数詰めかけていた。
軍人達は、教会内部や併設された職員宿舎に入り込み何かを探しているようであった。
しかし目当ての「何か」は見つからなかったようで、ぞろぞろと引き上げて来る。

「少尉殿、対象はこの建物内、及び周辺には確認できません」
この場で唯一、士官の階級章を付けている若者に対し、陣頭指揮を取っていた古参兵が大声で告げる。
その声色は作戦の失敗を残念がる物ではなかった。
自分の半分も生きていない若造が……とでも言いたげな表情で報告を終えると古参兵は持ち場に戻る。
この指揮官が隊に受け入れられていないのは一目瞭然であった。

「……おい、もう一度聞く。ここにジャクソン将軍、いや『石壁』ジャクソンはいないのだな」
苛立ちと共に青年が怒鳴る、些か若い。

「ええ、何度も申し上げている通り、いないものはいないのです」
その点、修道女は落ち着き払っている。
青年の若さから来る苛立ち、逸りをうまく逸らしているといえよう。

だが、青年の焦りは最もといえよう。
南北戦争のキーマンである南軍の将、リー将軍の右腕でもある『石壁』ジャクソンの存在は余りにも大きかった。
彼が所属する大隊が、幸運にも将軍を打ち破ったにもかかわらず取り逃がした。
彼の上長は、取り逃がした責任を取ることを放棄し「全て一任する」とだけ命令し戦場を後にした。
上長はジャクソン将軍を見つけ出せれば大勲功だとのたまったが、保身の為の尻尾切りに過ぎないことは明白であった。

青年は必死に捜索を続けた、将軍は手負いであった。少なくとも重傷、重体は免れないであろう。
あるいはとっくに死んでいてもおかしくない。
なのに死体すら見つからない……そのような状況が10日近く続いた。

だが、青年が処罰を覚悟し始めたとき、とある情報が舞い込んできた。
曰く、ある教会に怪我人が運び込まれたがそれがジャクソン将軍なのではないかというものだ。
青年は一縷の望みをかけて、その教会に強制的に調査に入ったのだ。

「どこにもいなかったでしょう、少尉さん」
修道女が微笑む、なぜこの女は笑ってられるんだ……

「貴様、分かっているのか!ジャクソンは南軍の将だ。つまり……」
女が笑みを崩すことはない。

「南軍が勝てば、お前らは奴隷のままかもしれないんだぞ」
青年には本当に理解出来なかったのだ、この黒い肌の女が南軍の味方をすることが。
修道女は、その澄んだ銀色の瞳でシッカリと青年を見据えたまま答える。

「ジャクソン将軍は人格者です、私達は奴隷のような扱いを受けた覚えはありませんし……」
修道女は当然のように言い放つ。
「傷ついている方がいれば介抱しますし、悪人でもない方を引き渡すことは致しません。お帰りください」
にっこりと笑いながら、それでいてこれ以上の干渉は拒否するという強い意志が見えた。

「……ここにいるのは間違いないな、また来る」
「今度は、お一人で来て下さい。そうしたらコーヒー位おご馳走いたしますから」

屈辱に紅く染まる青年の顔、長身巨躯とは思えない程にその顔は愛らしい。
くすりと口に手を当てて修道女は、また笑った。



「何をお考えですか、『提督』」
ここは希望崎学園に指定された待合室、既に時刻は20:30近い。

「なに、お前と初めて会った時のことを思い出していた」
「ふふっ、こんな時にですか」
予想外の答えに、クインは口元に手を当てて小さく笑う。

「何も分かっていないガキが生意気言ってたろう、年上に向かって」
「と……歳のことは言わなくてもいいんじゃないでしょうか」

くっくっくと今度は『提督』が笑う、恐らく殆どの人間に見せたことが無いような笑顔だ。

「なんなら、昔のようにマシュー君と呼んでもいいぞ」
「……本当に怒りますよ、『提督』」
ただならぬ雰囲気を感じ取った『提督』はさすがに黙り込んだ。
クインを怒らせてもいい事はないのは重々承知。

「さて、そろそろの筈だが……」
ちらりと壁掛け時計を見る。何の時間かというのは言うまでもあるまい。

「来ました、対戦者は平方カイ。対戦場所は……徳川秘密格闘技場です」
「平方カイ、数学者か」

『提督』は内心苦々しい思いだ、あの手の野生児には「交渉」も「脅迫」も通用しない。
だが……

「『提督』、作戦を詰めましょう。数学使いであることが分かっているのはアドバンテージです」
マイナスの感情を一切含むことなくクインがサポートする。

「ああ……そうだな、まず四方が金網に囲まれているから相手が取ってくる行動としては……」
クインと『提督』はブリーフィングをこなす。
その他大勢の参加者にとってはどうかは分からないが、彼ら二人にとっては間違いなく軍事行動であった。


「こんなところか、時間も50分近い。俺は装備の確認をする」
時間は有限だ、誰の上にも平等に通り過ぎる。
もう少し話していたかったな……そうクインが感じたのはどこか普段の『提督』より発する空気が柔らかかったからであろうか。

「あの……『提督』、コーヒーを淹れましょうか」
「WHAT?」

突然の提案に『提督』は素っ頓狂な声を上げた、今がどういう時間か分かっているだろうに。

「ど、どうした、クイン」
「だって、『提督』が出会ったときの話なんかするから……」

最後の方は消え入りそうなほど小さな声だった、そして『提督』の記憶を呼び起こすにも十分だった。
もちろん、あの後クインが『提督』にコーヒーを淹れたことなど、数えきれないくらいあるのだが。

「……頂くよ」
気づいてしまった以上、断ることは出来なかった。
装備の準備を整えつつ、出来上がりを待つことにする。

……やがて、部屋に華やいだ芳香が広がり、それと同時に二人の影が重なり、小さな水音が反響した。

「結局、兄に無くて俺にあるのはお前だけなのかもしれないな、クイン」
『提督』の腕に抱かれたクインはかぶりを振って答える。
「そんな事ないわ、マシュー君……あなたは負け知らずでしょう」
「……今、ここで呼ぶのはズルくないか?」

ふふっとクインが笑う、その笑顔はあの時と全く変わらない。
変わったとすれば、家名や兄に縛られてばかりだった小心者が少しは成長したぐらいか。

二人を引き裂くように機械音声が試合開始時刻を告げる。

「クイン、行ってくる。例の準備は任せた」
「かしこまりました、ご武運を」

体を離す二人、そこには憐憫の情は一切残っていなかった。



『ほぼ同時刻』

同じく希望崎学園によって用意された控え室で、ドタバタと騒ぐ二人。

「だから、言ってるでしょう!これは食べても問題無いの」
皿廻音姫が悲鳴のような声を上げる。

「……オレ、こいつは『証明』してない」
「だから、いちいち『証明』しなくても食べ物は手に入るの、都会では!」

そうか……と小さくうなだれて、平方カイはフライドチキンにカブリついた。

全く……困ったものだと皿廻は自分の悪徳を棚にあげてカイを心のなかで非難する。
やっぱり、数学者なんか連れてくるんじゃなかったかな……
賞金をせしめる目的で行動を共にしてからも、カイは様々な騒動を起こしていた。

当然だろう。
熊野古道の奥深くで文明に触れずに暮らしてきた(しかも数学者!)がまともに順応できるはずはないのだ。
食事から宿泊など、すべての世話は皿廻がしていた。

本当に……手のかかる……
その後に続く単語が出てくる前に、頭の中で否定する。
そう、ペット、ペットみたいなものよ。
金の卵をうむガチョウだと思えば世話のしがいがあるというものよ。

「……うん、うまかった」
「そう……そりゃよかったわ……」

そうでなくては困る、まだ一勝しただけだ。
こんな端金では、数学者をダマすなんていうリスクを背負った意味が無い。

「音姫、つぎは父ちゃん殺した奴かな」
「さぁ、わからないわ……でも、あなたが活躍すればするほど、きっとお父さんの敵に近づくわ」

自分でもこんな安っぽい嘘をつくのは気が引けたが、カイのモチベーションを維持するには仕方がなかった。

「そうか……」
少し伏し目がちになったカイであったが、努めて明るく振る舞い顔を上げる。

「ありがと、オレ、音姫の事好きだぞ。『証明』出来る」
数学者が発する『証明』という言葉は余りにも重く深い。

「そ、……そう、まぁいいわ、頑張りなさいよ」
今後の身の振り方を少し考えながら、音姫は冷や汗を拭った。




「おおっとー、これは防戦一方だ!最早勝負あったかー!」
リングアナウンサーの嬌声が響き渡る。

眼下に広がる大海原、そして奇妙な建造物。
ここは徳川秘密闘技場、太平洋に浮かぶ秘密格闘技場。
金網に仕切られた空間内を縦横無尽に飛び交う影。
いや、影だけではない。
闘技場内には影と見まごう大小無数の黒い球体が浮かんでいた。

平方カイの『不動点定理』によって生み出された、その球体はまさに不動であった。
何をしても動かず、壊れず、そこにただ在り続ける。
ただ、それだけの物であったが、この狭い空間であれば効果は絶大であった。

その球体は『提督』にとっては射線や自身の移動を妨害する障害物であったし
平方カイにとっては「盾」であり「足場」であり「武器」であった。

試合開始直後から始まった、この猛攻は最早一方的ないたぶりに近いところまで来ていた。

「降参したら、どうだ。おまえは父ちゃん、殺していない」

空中に浮かぶ球体に立ちカイは『提督』を見下ろす。
『提督』は体中至る所に、小さな穴が開いており出血していた。
極々小さな不動点が至る所に散りばめられている。
そのフィールドを無理に動くと不動点は相手の肉に食い込む。
自分が通る所だけ能力は解除すればいいだけだ。

「・・・・・・は、は、御免被リマスよー」

誰が見ても強がりである。
見ていて痛々しい。

「そうか、じゃあ、つぎは『8発』だぞ」
平方カイは、そう言うと、自らの能力で作り出した不動点に親指を沈める。
ぷくりと親指の腹に血が膨らむ、それを使い方程式を超自然のノートに刻む。

ぐぐっ・・・・・・と脚に力を溜め不動点を蹴って飛ぶ。
目標は勿論、『提督』だ。



マーチンゲール法というものがある。
読者諸氏の中にもご存知の方も多いであろう。
ルーレットの赤黒などに1万円賭けて、負けたら2万円、さらに負けたら4万円と
掛け金を吊り上げていくベット法の一つである。
だが、『数学』の『ゲーム理論』におけるマーチンゲール法は違う。


「1発殴って死ななければ、2発殴りなさい。2発でダメなら死ぬまで倍にして殴りなさい」
そう、これが非情なるマーチンゲール法である。


凄まじい速度で接近する、カイに対して『提督』は反応できていたが回避することは出来なかった。
距離を「開く」ことは出来る、だが移動途中に不動点があったら…・・・

みしり、みしりと重い音が響き『提督』の頸が跳ね上がる。
意識を切り取ろうとする重い打撃だ。

通常なら、とっくに倒れてもおかしくない『提督』が、未だに立っているのには理由があった。

ミスリルモルヒネ・・・・・・つまり麻薬である。
強力な鎮痛作用・覚醒作用をもつ、それを『提督』は不溶性のカプセルにして飲み込んでいた。
試合中いつでも、自分のタイミングでカプセルを「開い」て使えるように。

それに加えて、神経伝達物質受容体(レセプター)を全「開」にすることにより、薬効を高め吸収していたのだ。
逆に言えば、それほどのことをしない限り覚醒していられないようなダメージが蓄積されているわけだが・・・・・・


「おまえ、頑丈だな・・・・・・」
きっちり『8発』撃ち終わった後に、カイがリングに降り立つ

「お褒メに預カリ恐悦至極」
ふらふらと体を揺らしながらも、何とか踏みとどまる『提督』


「これ以上、やってもかわらない。降参しろ」
「お断リしマス」

一瞬視線が交錯する。
どちらも、どちらもが相手の本気を知る。

「しかたない」
一瞬、平方カイの両手が光ったように見えた。
いや、気のせいではない、実際に光っていた。
「奥の手を使ってやる、よろこべ」

ミンコフスキー空間!
右手に渦巻くは未来光円錐、左手に渦巻くは過去光円錐!
二つの光るドリルである!
空間と時間と観測者が重なったときに巻き起こる大渦。

「左のどりるは過去を貫き・・・・・・」
無造作に平方カイが左腕を振るう。空間に穴が開き腕が吸い込まれる。
『提督』の左腕が吹き飛ぶ・・・・・・いや、吹き飛んだように見えただけだ。

そこには、元から腕は無かった・・・・・・ように見えた
なぜなら、左腕があった所にはすっかり塞がった手術根があるだけであった。
平方カイのドリルは過去の『提督』の腕を貫いたのだ。

「右のどりるは未来を貫く・・・・・・」
無造作に平方カイが右腕を振るう。空間に穴が開き腕が吸い込まれる。
その瞬間には何も起きなかったが、きっちり五秒後に『提督』の右腕は吹き飛んだ。


あああああああああああああああああああ
言葉にならない悲鳴が競技場に響き渡る。

「降参しろ」
平方カイは、本気で降参をうながしていた。これいじょう痛めつけることも無い。
血まみれでうづくまる『提督』を見やる。


ぞわりと怖気がたった。


痛みで言葉が出てこないモルヒネも切れたああ痛い畜生め
全部あいつが悪いんだ俺は悪くない気持ち悪いクインすま
ない腕が飛んだ血が出ている死ぬんだろうか死ぬな死にた
くないなんでこんな奴がちくしょう過去もみらいもだとま
るで六波羅探題六波羅探題六波羅探題過去未来過去未来過
去六波羅探題ドリル未来六波羅探題ドリル異世界過去未来
過去過去過去穴穴過去穴過去過去穴数学過去数学数学数学
ミレニアム過去数学過去数学ミレニアムクレイ数学研究所


ゆったりと・・・・・・『提督』が立ち上がる。

「平方カイ・・・・・・ありがとう・・・・・・君のお陰で認識できた」

カイは先ほどの怖気が間違いでなかったと知る。
この気配は手負いの『問題』が放つ危険な匂いだ。

「クレイ数学研究所・・・・・・知ってるかな・・・・・・いや、知らなくてもいいんだが」

平方カイはすぐに『証明』に行くかどうか躊躇した。
この『難問』は罠ではないかと勘繰った。数学者なら当然だ。
間違った『証明』は数学者の恥だ、しかもこんなに聴講者がいるのだから。

だが、その判断は間違いであった・・・・・・なぜならば。

「ああ・・・・・・すがすがしい気分だ、やはり自分で見ねば認識は出来ない、そうだろう!」

ああ・・・・・・『提督』の真後ろに穴が『開く』

「お前は、ドリルで過去と未来に通じる穴を『開けた』・・・・・・ならば俺にも『開けれる』はずだそうだろう」
もはや『提督』の声は狂気を孕んだ絶叫となっていた。


大きな穴が『開いた』、そこに見えるものは沢山の相似した球体であった。
誰もが、首を傾げるだろう「あれはなんなのだ」・・・・・・と

だが、平方カイだけは違った、彼女だけは数学者であった、知っていた。
未知への恐怖というものがあるように、知者であるが故の恐怖があった。



そこに在ったのは『単連結な3次元閉多様体は3次元球面 S3 に同相である』
即ちポアンカレ予想である。




数学者は『証明』したがる生物だ、最早本能といってもよい。
目の前に広がる3次元閉多様体に平方カイは本能的に飛び掛り、粉みじんになって死んだ。
狂ったように笑う『提督』はその次に、観客たちは最後に殺された
最終的に闘技場も粉砕した3次元閉多様体は虚数の海に還った。

平方カイ VS 『提督』

勝者、時間差により『提督』            了
最終更新:2016年07月17日 00:03