三回戦第八試合その1


蝦夷地、エベレストと呼ばれる雪山。
今回の戦場であるこの場所は、一年を通して雪が溶けることのない、極寒の地である。
折しも今日は数年に一度レベルの悪天候。
氷点下は既に二十度を下回り、凍てつくような猛吹雪が侵入者を拒むように吹き荒れていた。

「な、なんなんだ、この寒さは……」

歯をガチガチと鳴らしながら、日内流砲術道場師範代 日内環奈はぼやく。
彼女の生まれ育った隠れ里は、年間を通して温暖な気候に恵まれている。
山間にあるため冬には雪が降ることもあるが、道場修練場に積もった雪を掻き集めても、小さな雪だるまが作れるか、程度のもの。
これ程の豪雪を見るのは、彼女にとって生まれて初めてのことだった。
当然、寒さへの備えなどしていない。

「何とかしなければ……せめて風の凌げる場所へ……」

得物の長銃を脇に挟み込み、かじかむ両手を胸の谷間に差し込む。
このままでは、指先から凍傷になってしまう。戦いどころの騒ぎではない。
そもそも、数メートル先の視界もおぼつかないようなこの天候では、対戦相手と出会えるかどうかがまず怪しい。

「凍死による敗北など、笑い話にも ならんな……む、あれに見えるは!」

白く霞む景色の向こうに、洞穴がぽっかりと口を開けている。
雪で入り口が埋もれかかってはいる。
だがそれは、中に誰もいないこと、つまり対戦相手の待ち伏せを警戒する必要がないことを示していた。

「助かった!」

身につけた袴が、雪中を進むのを邪魔する。
跨ぐような大股で歩を進め、彼女は洞穴へとたどり着いた。

「……ふむ」

環奈は辺りを見渡した。
外見からは分からなかったが、この空間は自然にできた洞窟ではなく、もっと人工的な代物であった。
壁は石が積み重ねられてできており、天井を支えるように太い木の柱が何本か立っている。

この場所はかつて蝦夷を本拠地としていた反タケダのゲリラ大名、シャ クシャインの戦略拠点の一つ。
数代前の武田信玄によってシャクシャインが討ち滅ぼされた後、打ち捨てられていたものだった。

「……何に使われていたのかは知らぬが、もぬけの殻と言ったところだな」

洞窟を暫く探索した後、環奈はそう結論づけた。
洞窟内部には、戦闘に使用できそうな物はおろか、暖を取るために燃やせそうな物すらない。

「し、しかし……この寒さはやはり堪えるな……」

両手に息を吐きかけ、擦り合わせる。
猛吹雪の中を歩き続けてきたせいか、寒さで手の感覚がなくなりそうだ。
風が防げると言っても、気温は遠慮無く下がっている。

「致し方無い、か」

環奈は脇に抱えていた長銃を石壁に立てかけると、両手を脇に挟む。

「ひゃう っ!」

温かい脇に冷たい手が触れ、思わず声が出る。
太い血管の通っている場所で、指先の機能を回復させる作戦である。

武器を手放すのは不用心だが、ここは環奈以外誰も居ないことを確かめた洞窟。
入り口が一箇所しかない以上、そこに注意を向けてさえいれば、不意打ち攻撃をくらう心配もない。
そう考える環奈の背後、柱の影から何やら蠢くものがあった。

「っ!?」

気配を感じ振り返る環奈を、巨大な黒い腕による殴打が襲う。
日内環奈の今回の対戦相手、楠木纏の能力『サンスカラム・ライン』によって造られた、古細菌コロニーのアッパー攻撃だ。

「ぐああっ!」

石壁に叩きつけられる環奈。
回避が間に合わず、衝撃をもろに受けてしまった。

「 ダメだよ、油断してちゃあ」

巨大な腕の形をした黒い影から、幼さを残した少女の声が聞こえる。

「……貴様っ! 楠木纏か!」
「そうだよー」

息を整える間もなく、黒い腕による第二、第三の攻撃が続く。
防御に使うため、環奈は壁に立てかけておいた長銃に手を伸ばした。
だが

カラーン

乾いた音を立てて、長銃が洞窟の床を転がる。
手がかじかんでいたせいで、銃を取り落としてしまったのだ。

「ざんねーん」

再び銃を拾おうとする環奈のボディを、黒い巨腕が打ち据える。
石壁に叩きつけられ、へばりつくような無様な姿勢を取ってしまう。
頭を思い切り打ち、一瞬意識が薄れる。

「だらしないなー」

黒い影が地を這うように動き、環奈の 長銃を持ち上げた。

「ねえねえ、かんな姉ちゃん」

黒い影が人の手の形へと変わる。

「知ってる?」

地面から生えた手に持たれた長銃の銃口が、壁にもたれかかる環奈の鳩尾を激しく突く。

「グハァッ!」

駄目だ。駄目だ駄目だ。
よりにもよって私の銃で、引き金を引くなどと……日内流の教えに反することなど……

「これはねえ」

引き金に黒い指が伸びる。
環奈の身体は動かない。
銃口が鳩尾にグイグイと食い込む。
銃口が接着している状態の銃撃は、環奈の能力で無効化はできない。

「こうやって使うんだよ!」
(万事休すか!)

覚悟を決めた環奈が固く目を閉じる。
黒い手が引き金を引いた。
と、次の瞬間

ガーーーン!!!
金属が破裂するような、激しい音が洞窟内に響き渡る。
それと同時に

「きゃあああああ!!!」

纏の絶叫。
黒い腕がジュウジュウと音を立てて崩れていく。
古細菌がダメージを受けても纏自身に影響はないが、遠隔操作により五感を共有しているため、激しい音と光を伴うこの現象に衝撃を受けていた。

「なんだか良く分からんが」

目を開けた環奈が、黒い腕が取り落とした銃に向かって這って行く。
緩慢な動きだが、彼女は得物の奪取に成功した。

「とにかくよし!」

見ると、銃身の中ほどに穴が開いている。

(強度は不安だが……銃本来の使用方法には影響あるまい)

黒い腕に向けて銃を構える。

環奈の銃に何が起きたのか?
それは単純明 快、暴発である。
長らく打撃武器として使用された環奈の銃は、銃身が僅かながら曲がっていたのだ。
銃を撃ったことのない環奈は今の現象を理解できなかったが、「銃の神様が助けてくれたのだ」と解釈することにした。

「日内流砲術道場師範代、日内環奈。参る!」

身体の動きを確かめつつ、環奈は長銃で黒い手に殴りかかる。
不覚を取ったが、だんだんと温まってきた。
血流が促進されたことで、意識もしっかりとしてきていた。

「やあっ!」

長銃による打撃を受け、黒い腕がザラザラと崩れ落ちる。
これは古細菌によって形作られたもの。よって打撃によるダメージは大幅に軽減される。
古細菌への攻撃は空振りに終わり、環奈の打撃は古細菌の後ろにあった木製の 柱を直撃する。
ギギギギィという耳障りな音を立てて、古くなっていた柱が倒壊した。

「貴様、本体はどこにいる!?」
「洞窟の外だよー」
「そうか! 分かった!」

洞窟唯一の出入り口に向かってダッシュする環奈。
しかし

「ダメーっ!」

再び現れた黒い腕が、環奈に攻撃を仕掛ける。
腕の数は、全部で3本。
纏の2回戦の戦場は、今回と同じ蝦夷のエベレスト。
戦闘場所になりそうな洞窟に、予め古細菌を仕込んでおいたのだ。

「私のコロニーを全部倒せたら、出てきても良いよー」

黒い腕からそう声が響くやいなや、猛然と殴りかかってくる。

「望むところだ!」

力強く応える環奈。
地面から生えた黒い腕には、彼女の能力は意味が無い。
能力に頼らない、日内流の純粋な実力を発揮する場であった。

「やあっ!」
「破ァッ!」

黒い腕をなぎ払い、打ち据え、叩き潰していく。

(……妙だな)

僅かなダメージを蓄積させ、黒い腕その1を消滅させたあたりまで来て、環奈は気づいた。
黒い腕の出現する場所は、柱の近くがやけに多い。
黒い腕へ攻撃するたび、必然的に柱へも衝撃が加わることになる。
既に柱は3本倒れ……

「……しまった!」

環奈が纏の企みに気づいたのは、洞窟の崩落が始まってからであった。

「あー、バレちゃったかー。でももう遅いよー」

洞窟の入り口に人影。
藍色のセミロングに華奢な体型。
先程から環奈が戦い続けてきた古最近の主、楠木纏本人であった。

「上から落ちてくる岩は防げないでしょー?」

環奈が敗れた松姫カナデとの戦いを見て、纏は学習済みだった。

「で、能力さえ使えなければ」

纏は背中に隠していた物を見せた。

「銃は効くんだよね!」

今大会本部から纏が事前申請して借用した武器。
非力な纏でも使用できる、二丁の小型の銃だ。

天井から岩が落ちてくるこの状況で環奈が能力を発動すれば、加速した岩の下敷きになるのは必然だった。

「貴様っ!」
「じゃあねー」

次々と大きな岩が落下してくる。
天井から崩落する中、銃撃を能力で無効化することはできない。
岩を躱しながら、纏のいる脱出口へ走り出しながら、環奈は考える。

(銃を投擲……いや、駄目だ)

石の塊が予測 不能のタイミングで降り注ぐ中、銃を投擲しての遠距離攻撃が、纏の身体に命中する可能性は極めて低い。

(あまり得意ではないが……!)

環奈は覚悟を決め、銃を構えた。

日内流砲術道場師範代、日内環奈。
彼女の能力『飛鳥落地穿』は、宙に浮いた物を地面に激突させる、有り体に言って銃撃を無効化する能力である。
長銃を主に打撃用武器として使用する日内流において、銃撃は邪道。
日内流の教えを体現する能力は、当主の跡取り娘として申し分ないものであった。

では、彼女の様に銃撃無効化能力を持たない日内流門下生は、如何にして銃撃に対抗するのか?

「ふぁいあー」

纏が両手の銃を乱射する。
落下する岩を掻い潜り、数発の銃弾が真っ直ぐに環奈の身 体を貫かんと直進する。

「イアアアアア!!!」

環奈は長銃をヌンチャクの様に振り回す。
その姿は名うてのジャグラーの如し。
礫砂が雨あられと降り注ぐ中、長銃が環奈と纏の間で優雅な舞を踊る。
そして環奈を狙う銃弾をことごとく弾き返した。

「なにそれえええ!!??」

軌道を変えられた銃弾は、再び真っ直ぐに、その銃弾を放った者へと向かった。

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いつの間にか、吹雪が止んでいた。

完全に崩落した洞窟の側に立つ日内環奈。

「道具は正しく使わねばならん」

傍らに横たわる纏。
その身体から流れ出る液体が、降り積もった雪を紅く染めていく。
「そのことを、肝に銘じるように」

満足気に頷く日内流砲術道場師範代、日内環奈。

(ええ~~~……えええ~~~……)

薄れゆく意識の中で、楠木纏は納得しきれないとばかりに抗議の声を上げていた。


勝者:日内環奈
最終更新:2016年07月17日 00:05