三回戦第二試合その2


《一》


三回戦当日の朝。
いつも通り素振り二万本を終え、刀を稽古用から、真剣に持ち替える。

「全空」

刀を振るう。
遠い空で、雲が割れる。
戦に赴く前の、いつもの願掛けだ。
結果は、悪くない。余計な力の籠っていない、澄んだ太刀筋だ。

「フゥ」

息をつき、振り返る。
切り株に座り、俺の姿を見守っている友の姿は、そこにはない。

「……行ってくるよ、博士」

独りごちた言の葉は、風に浚われ、どこか遠くへ。
俺は刀を納め、ポータルチケットを取り出した。


◎◎◎


英国、旧ダヴィンチ造兵廠。
かつては大英帝国の華やかな歴史の一ページに多大な寄与をしたこの工房。
であるが、武士と刀が勝者となった現代においては、旧時代の遺物に過ぎない。

「……」

転送された千勢屋香墨は、そこに堆く積まれた廃棄銃の数々から、悲し気に視線を落とす。

時代の流れだ。
学校でも習った。銃は、武士に負けた。
それは、覆らぬ事実。今更どう喚いたところで、歴史にはただただ冷酷なる真実が記されるのみ。

「……でもっ!」

右手の鉄炮を強く握る。
歴史は、また紡いでゆける!
鉄炮が最強の武器だって、炮術が最強の武術だって、わたしが歴史に刻む!

決意を新たに振り返った香墨の、視線の先。
その男……まさしく歴史の一ページを紡ぐ分岐点に立っていた男が、いた。

「……鉄炮の使い手。千勢屋香墨」

歳のほどは、大きくは変わらないはず。少なくともわたしの父より、はるかに若い。
青年という呼称が正しいはずのその男はしかし、歴戦の猛将と違わぬ威圧感を纏っている。
それも、そのはず。彼の男は、確かに歴戦の大将軍をも超える強さを持っているのだから。

僭称せし名は、十四代目武田信玄。
かつて武田信玄に最も近い男として名を馳せ、そして当代の信玄に敗れ、表舞台を降りた男。
この男の活躍とその敗戦は、香墨自身も当時から瓦版や号外にて知っている。

「……ふむ」

信玄が目を眇める。
その眉間に、深い皺の幽谷が形成される。
そして、

「っ……!」

僅かに漏れた殺気に身構えた香墨は、瞬きのうちに侍の姿を見失った。

「えっ。……えっ」

呆気にとられた、その額に。
信玄の指が、ずぶりと突き刺さった。




《二》

号外!  新たなる信玄候補誕生!!

昨日行われた第百三十四回御前試合において、松田信太(まつだ・しんた、六歳)が優勝した。
圧巻の試合運びで、掠り傷すらほとんど負うことなく全対戦者を退けるに至ったという。
あまりの強さに、歓声はいつしか止み、最後の相手が倒れ伏したときは、二百年の御前試合の歴史で類の見ない静けさに会場が包まれた。
その最後の相手は、かねてから十三代目候補と目されてきた梅原隆(うめはら・たかし・二十三歳)。
試合後の会見では、淡々と「自分の力不足。今後は武田信玄に相応しい人間になるべくより一層精進に勤める」と述べるにとどまった。
だが、今回の試合を見るに、今後は松田信太が十三代目武田信玄の第一候補であることに疑いはない。
(☆年◇月×日、武田新聞体育記事部)

江戸に暮らしていたころ、そんな記事が飛びまわっていたのを覚えている。
当時のわたしは勉学一本で、次の武田がだれとか最強がだれとかあまり興味がなかったのだけど、武田候補交代は町が大変な騒ぎになっていた。
「あの強かった人が」「ねえ」みたいな世間話を耳にしていたあの頃のわたしに、数年後はそいつと殺し合いをしているといって、はたして信じてもらえるだろうか。


時は移ろい、現在。
初めて人を殺して帰ってきたわたしに、思いのほか町の人は優しかった。
お母様が、これは命の保証のある『試合』であると、町の人にきちんと説明してくれたらしい。
ほんとうに抜かりがないと心の底から感謝しつつ、それで受け入れてしまう町の人が、少し心配になった。
お父様は、「町の人は、武田様に言われたことをこなしていればいいから、退屈なんだよ」と言うけど、だったらやっぱり炮術は必要なんじゃないだろうか。
人に向けなくても、的を撃ってるだけで楽しいし。

そんな話を稚器ちゃんとしていたら、だからタケダは殺さないとだめなのって。
だから、殺すなんて怖い言葉を使うのは、めっ! って怒った。
強い力は、生かすために使わなければいけない。
それは、お父様の教えでもあるし、私があの恐ろしい人、斎藤ディーゼルとの戦いを経て感じたこと
でもある。
だが、稚器ちゃんは、思いもしない返事をした。

「だって、タケダはチキとお兄ちゃんを殺した人だよ?」
「……えっ、稚器ちゃん、それってもしかして」

稚器ちゃんの頭脳は、数奇な因果のもと、織田信長の影響を受けている。
ならば、わたしが武田を名乗る者と戦うのも、また運命なのではないか――


◎◎◎


六代目武田信玄。
史上最も民に愛された武田信玄とされるその男の能力は、心に干渉する能力だった。

読心、印象操作、精神破壊。
枚挙に暇がないほどの心を操る術を持つその男は、さらに狡猾なることに、自身の心のうちは誰一人にすら明かさず、ただただ、愛される象徴として生きた。

その男の技の一つに、他者の心に『潜る』能力がある。
所謂マインド潜行に近いその能力は、他者の想いや記憶を瞬時に読み取ることができる。
六代目はこれにより家臣や他の大名たちと極めて友好な関係を保ち、あるいは有効な外交を行ったとされる。

「……っ!」

香墨が首を振って離れる。
鉄砲を一度撃ちながら、額を掌でさすってみれば、血も傷跡もなし。

「……やはり、な」

信玄もまた、傷はなし。
弾丸を指でつまみ、そのまま潰し、捨てる。

ふう、と信玄が一度、息を吐く。そして、止める。
香墨にはそれを感じ取るのが精一杯であり、次の瞬間には、衝撃と共に廃工場の床に組み伏せられていた。

「ああっ!!」

カラカラと音を立てて、右手から零れた鉄炮が転がってゆく。
香墨も近接の武道には通じる身だ。にもかかわらず、ぴくりとも抵抗できない。

改めて感じる、圧倒的な力の差。
平賀稚器。斎藤ディーゼル。両者とも強敵には違いなかったが、この男は、別格だ。

「ぐ……ううっ……!」

もがく香墨に馬乗りになったまま、信玄はその手をまたも、ずぶりと香墨の頭に突き刺す。

「あっ……!」

か細い悲鳴が上がったまま、二人は硬直。

「……」
「……」

「…………」
「…………」

傍目には、その衝撃的な絵面のまま、ただ時が過ぎているように見えていることだろう。
だが、その内部。
繋がった信玄と香墨は、六代目武田信玄の精神干渉能力の一端にて、精神体同士の対話を行っていた。


◆◆◆


『返せ』

光り輝く精神体の十四代目武田信玄は、同様に象られた香墨に一言告げる。

『返せ、って……』

繰り返しつつ、香墨は周囲を見回す。
視界の限りに黒の海と散りばめられた燐光。
特異な空間である、とだけ把握して、それ以上考えるのは放棄。目の前の相手に向き直る。

『……一体何を、ですか?』

思わず敬語になる香墨。
一時は次期将軍の座に指をかけた男であるし、そもそも目上ではある。

『博士だ』
『はかせ』
『歴史博士だ。俺の……友だ』

歴史博士。
確かに、聞いたことはあった。十四代目武田信玄の参謀だとか、育ての親であるとか。
しかし、その博士を、自分に「返せ」とは? 香墨には意味が分からない。

『歴史博士が攫われたのは、この間のことだ。俺が第二試合を行っている裏で、博士は攫われた』
『それなら、わたしだって手は出せないはずじゃ』
『首謀者は別にいる。織田信長だ』

それから、信玄は語った。
希望崎学園の掲示板管理人である『きっぽちゃん』は、歴史博士曰く、死したはずの織田信長であること。

「俺たちをこの戦いに招待したきっぽちゃん。あれは十中八九織田信長だ。」

そのことを、交渉のために一回戦の対戦相手に伝えたこと。
おそらくは、そこから織田信長に「気付いたこと」が伝わり、歴史博士が攫われたに違いないということ。

『俺を狙う者は、政府方にも複数存在する。だが、十三代目は誘拐などという邪道は好まんし、仕掛けるつもりならとっくにしているだろう』

香墨も頷く。

『お前の背後に、俺は一瞬、織田信長の影を感じた。もしやと思って潜ってみれば……正解だったというわけだ』

信玄は、一通りの語りを終える。
精神体でも喋り疲れはあるのか、あるいは気分か、ふうと一息をつく。
対する香墨は、黙りこくったまま。

『申し開きはあるか?』
『……心当たりが、ないわけじゃ、ないです』
『だろうな』

信玄が触れ、香墨自身も思い出している、この前の稚器との会話。
そこから導き出される結論は、いたってシンプル。

平賀稚器の自立脳は、織田信長の最愛の妹、お市のものだ。

彼女の力があれば、織田信長の秘密を探れるかもしれない。
ともすれば、未だ生きていると噂される信長そのものに、たどり着けるかもしれない。

『わたしは……あなたの言ってることが、本当かどうかは分かりません』
『そうだな』
『でも、大切なひとを失うのは……ぜったいに、つらいことだから、力にはなりたい』

お母様、お父様、村のみんな、チキちゃん……自分の大切な人が失われれば、自分もきっと、いてもたってもいられないだろう。
香墨は光子の手を堅く握る。

『協力は、します。でも、条件があります』
『なんだ? 負けてくれだなどと、』
『わたしと』

信玄の言葉を遮った香墨は、その瞳に確かな焔を燃やし、じっと信玄を見つめる。

『真剣勝負を、お願いします』

その言葉を聞いて、信玄は少しの間押し黙った後、フッと唇の端に笑みを浮かべた。

『……いいだろう』


◆◆◆


果たして、六代目信玄より賜りし銀河の帳は開かれる。
現実に舞い戻った二人はどちらともなく離れ、口を開いた。

「千勢流砲術、流祖。千勢屋香墨、参ります!」
「十四代目武田信玄、お相手仕る!」




《三》

「即中即仏ッ!!」

銃声が轟く。

香墨と信玄が戦いを再開してから、既に四半刻が経っている。
その間に撃たれた銃弾は両手の指に余るほど。
しかし、この寂れた工房の壁には、一つたりとも弾痕なし。

「効かん」

言葉が届いた時には、またしても、弾は真っ二つに斬られている。

香墨の放った銃弾の全て、信玄によって一刀両断にされていた。
『武士は銃よりも強し』。その言葉を生み出したのは、誰あろう初代武田信玄である。
そして此処な十四代目信玄は、その初代とも幾度となく刃を交え薫陶を受けてきた男。
銃弾など、紙切れの如くである。

「……どうした? 真剣勝負を望んだのはそちらだろう! そんなものかッ!」
「まだ、まだッ!」

息を切らしかけながらも、香墨の気迫はいまだ萎えず。
足を止めず、動き回りながら、新たな弾を込めては鉄炮を嘶かせる。

「……ふ」

その姿に、信玄は在りし日の己を重ねていた。

ひたむきに。
ただひたむきに、歴代の武田信玄に挑んだ日々。

始めは相手にならなかった。
死にかけるほどの傷を負ったことさえ、一度や二度では足りない。

それでも、諦めず。

何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

何度だって、あの強大なる侍に挑んだ。

挑戦に次ぐ挑戦の果てに、やっと一勝をもぎ取った時。
彼は男泣きに泣いた。

否。
彼"ら"は、肩を抱き合って、泣いたのだ。

「ッ、と!」

頬を掠めた弾丸が、信玄の思考を戦いに引き戻す。
血すら出ない、薄皮一枚を切っただけの傷だったが、不思議と笑みがこぼれた。

香墨の姿はない。工場内の何処かへ消えたか。
それが逃走のためではなく闘争のためであることなど、もはや疑うまでもない。

圧倒的な力の差を前に、全力を尽くして向かってくる。
それが、嬉しかった。

少女を追いかけながら、信玄は心の中で語り掛ける。

なあ、千勢屋香墨。
俺たちは、似てるんだ。

お前のことは、希望崎学園内でも話題になりつつある。
この武士の世で、鉄炮を再び世界規模にするなど、尋常の望みじゃない。
それを、本気で為そうと言うのだ。

俺が『武田信玄を襲名する』と言っているのと、果たしてどちらが無謀だろうか?

俺は武士だ。
お前の夢を応援することはできない。
武士の世を、武田だの世を、俺が永劫に繋げる。

だが。
お前と戦えて、良かった。


●●●


「追いかけっこは終いか?」
「はあっ……はあ……!」

工房を走り回り、二人は再び邂逅する。
肩で息をする香墨に対し、信玄は汗一つ掻いていない。

やはり、傑物。
香墨は己を奮い立たせる。
勝つ。勝って、みんなで生きる!

「今の、わたしは、はあっ、あなたには、きっと及ばない」
「ああ」
「でもっ……! わたしの、全身全霊、で!」

香墨が袂へ手を入れる。
取り出したる両の手には、色とりどりの大鶴。
華々しく翼を広げ、今にも飛び立たんばかりの威容。

「あなたを、超えるッ!!」

香墨の号令に合わせ。
夢か現か、その鶴たちが、ひとりでに飛び立った。

「……ほうッ!」

驚嘆する信玄。
だがその目は、既にそのからくりを見抜いている。

能力『朱鶴拵篝玉章』。自ら字を記した紙を燃やす能力。
鶴たちの尾部に使用した、僅かな紙のみを発火。
そこに装填されたるは、千勢屋でも扱っている噴進薬。
以て、鶴たちが次々に羽搏いてゆく。

「ははははは! 壮観ッ!!」

信玄の視界いっぱいに、色とりどりの大鶴が舞う。
広げた翼。頭。身体。
おそらくは、その全てに火薬が積まれている。
尾の発火に巻き込まれて誘爆することがないのは、千勢屋の名を背負いし職人の業だろう。

この技量に応えるならば。
やはり一度に切り伏せ、文字通り華々しく散らすが相応しい。

「さぞや綺麗だろう、大輪の花火! 俺が、咲かせてやろう!」

信玄が、佩いた刀に手をかける。

「全、」

その切っ先は、

「……ッ」

振るわれず。
刹那、咲き乱れた鶴の爆華が廃工場を揺らした。


●●●


「……グ」

流石と言うべきか、然れどと言うべきか。
あの大爆発の渦中にあってもなお、信玄の肉体は、原形をとどめている。

上半身の着物は爆ぜ、かつて将軍たちとの修行の折についた刀傷だらけの肉体にはところどころ血が滲む。
衝撃に煽られたか、粉砕された工場の壁のあった水際まで飛ばされている。

「あと一歩、だったか」

己が発した声も聴こえず。
爆音に耳がやられたか。思えば濛々とたちこめる煙で視界もきかない。

その額へ。
カン、と小さな衝撃。

「……ム」

額を擦る。
弾かれて上空へ舞い、落ちてきたのは、鉄炮の弾丸。

ディーゼルの命を刈り取った弾丸も、この天下の剣豪相手では乾いた音を響かせるのみであった。

であった、が。

一歩を後退らせる程度の仕事は果たした。

「……しまったな」

信玄の口角が、僅かに持ち上がる。
その足は、戦闘領域より一歩、外れていた。

「……くく。そうか、俺の負けか」
「あの」

笑う信玄に、駆けて寄る香墨はどこか申し訳なさそうだ。

「どうした? 勝者なら胸を張れよ」
「あ、もう耳」
「治ったさ。俺は十四代目武田信玄だからな。ハハハ!」

いやにご機嫌だ。
その理由を香墨が知ることはなかったが。

(初代も、二代目も、三代目も……博士も。きっと、こんな気持ちだったんだろうな)

「その、最後」

最後の一瞬。
一回戦で信玄が見せた絶技を繰り出されていれば、香墨は死んでいたはず。

「ああ。あれでいいんだ。俺は、十四代目武田信玄だからな」

だが、信玄は意にも介さず、言う。
その姿に、どこか年不相応な子どもっぽさを感じ、香墨は噴き出す。

「……ふふっ」
「なんだ。なにかおかしいか?」
「いえ。やっぱり、あなたは、」

続く言葉に、十四代目武田信玄は、この日一番の大笑いをした。


◎◎◎


『猿でもわかる!武田信玄!』 断章

たかし「ねーねー博士!」
歴史博士「なんだいたかしくん?」
たかし「歴代の武田信玄には、みんなカッコいい二つ名がついてるよね!」
歴史博士「そうだね。あれは歴代の信玄の側近がつけてるんだよ」
たかし「側近ってなにー?」
歴史博士「分かりやすく言うと、一番仲が良い人ってところかな」
たかし「じゃあ、僕の場合は博士だね!」
歴史博士「あはは。そうなるのかもね」
たかし「ね! 僕に、二つ名を付けてよ!」
歴史博士「え? いいのかい?」
たかし「うん! はやくはやくー!」
歴史博士「そうだなあ……じゃあ、」


十四代目武田信玄。
誰一人として命を殺めず、剣を以てひとを救ってきた、彼の者は。

史上最も優しい心を持つと敬愛された、武田信玄。



[了]
最終更新:2016年07月17日 00:11