三回戦第一試合その2


『――――これが松姫カナデ容疑者(17)の最後の足取りです』

『違法退廃暴力施設は摘発され、関係者の99.8%は逮捕されましたが』

『松姫カナデ容疑者は未だに市街に潜伏しているものと思われます』

 ローマ市街に設えられた街頭モニタがちらつき、タケダネットの情報を一方的に伝え続けている。
 たとえそのメッセージを聞く市民が、その広場に存在しなかったとしても。

『彼女には違法風営格闘、未成年者飲酒、全世界模範ヘアカラー法違反の疑いで逮捕状が出ています』

『資源の皆様の通報が、毎日の明るい資源生活を――――』

 巨大なディスプレイの左半分は、折れた街路樹によって引き裂かれ、放送音声の合間には、ザリザリと鳴るノイズも混じっている。
 割れて散乱した石畳。黒煙が広場を満たして、人の声の代わりに、木材がパチパチと弾ける音だけが緊急特番へと答える。

 ローマは燃えていた。
 広場の彼方、滅びの炎に燃える市街には、暗き影と化したコロッセオと、もうひとつの、蠢く巨影が存在している。



 コロッセオの中央には……大の字になって寝転がる少女が、場違いに存在している。
 円形闘技場というロケーションにふさわしく、ひとつの試合を終えた直後と見えて、目を閉じ、肉体と心を休めているようだった。

 あるいは、何か他の理由で単に眠気を催していたのかもしれない。

「うう……」

 呻くような声が漏れる。

「たのし」

「かったーっ!!」

 疲労ではなく、満面の笑みであった。上体を起こすと、キラキラと輝く金髪がその動きを追って流れた。夕陽の光に照らされて、その笑顔はなお明るく咲いた。

 少女の名を、松姫カナデという。
 タケダネットの目を盗み希望崎学園が主催する、非合法の武闘会の参戦者であり――そして今、平方カイという対戦相手を下したばかりの状況であった。
 満足そうに、しかしまだ眠たげに目をこすりながら、カナデは体を起こした。

「あれ……カイさん、いない……? あああっ!?」

 現状を理解すると、その声はすぐさま悲痛の叫びに変わる。

「寝ちゃったあああああああ!!」

「おさけ、一緒に飲みたかったのに! うう――っ! そんなぁ……!」

 ――言うまでもないことだが、タケダネット監視体制において、人的資源の飲酒はそれ自体が法律違反であり、ましてや彼女が戦った……そして既に治療を受け転送されてしまったであろう平方カイは、未成年者である。
 だが、喧嘩した人と一緒にお酒を飲むことは、松姫カナデにとっては二番目に大切なことであった。

 カナデにはまったく理解の及ばない、けれど、途轍もなくすごくて、美しさすらも感じる整然とした技。
 それを自在に扱う平方カイを、今まで戦ってきた他のすべての闘技者と同じように尊敬していた。勝敗に関わらず、彼女と友達になりたいと、心から願っていたのだ。

「ううーっ……うう……どうしよう……」

 意味もなくコロッセオをグルグルと歩き回りつつ、彼女は平方カイに再会する方法を悩んだ。ポータルチケットを使えば帰還することはできるだろう。が、人類未踏の地に生きるとされる数学者と再び出会うことができるか。

「J・Jなら知ってるのかなー……」

 歩き回りながら、松姫カナデは上着をだらしなく脱ぎ捨てる。
 胸のボタンをひとつ外す。夕焼けのオレンジ色の光の中に、白い首元が覗いた。

「あれ?」

 少し首を傾げたまま、スカートを――脱ごうとして、単純な彼女は、ようやくそれを自覚した。

「!? ……あつい!!」

 この季節にはあり得ない気温の原因は、すぐに分かった。日没の光に紛れて、炎がコロッセオを取り巻いていた。帰還用に設えられたポータルに続く通路すら、すでに火の手に呑まれていた。
 眠気のせいでもあり、彼女自身の単純さのせいでもあり、別の物事に慣れない頭を悩ませていたせいでもあった。
 別のポータルを探すべく、まずはこの巨大なコンロと化したコロッセオを脱出する必要があった――

 ――そして弱点でもある単純さと素直さ故に、松姫カナデの決断は早い!

「うおりゃああああああああ――っ!!」

 金色の輝きが、流れるように走った! 地下格闘コロシアム『天の磐戸』の頂点へと上り詰めたその身体能力は……
 僅かな凹凸、石の継ぎ目を飛び石のように捉え、まるで体重の存在しない天使のように、48mにも達するコロッセオの壁面を登り切り、飛んだ!





『松姫カナデ容疑者は未だに市街に潜伏しているものと思われます。この緊急特番では、判明次第、容疑者の情報を逐次更新する予定です。ご協力をお願いします。続いてタケダネットからの公共広告をお伝えします』

『「最近隣の家から敦盛が聞こえるんだけど……」「もしかして、反タケダ分子?」「いやだ、怖いわ。どうしたら……」』

『そんな時はタケダネットにお任せ!通報から最速10秒で反タケダ分子の効率的鎮圧が完了!明るい相互監視で安』

「ウオオオオ――ッ!!」

 街頭モニタが炎上破壊!!

『爆闘!ガンバースト』第32話 裏切り者を処刑せよ!

 かつては華やかなりし永遠の都、ローマ!
 ガンバトルを求め、紅崎ハルトはこの地に降り立っていた……そして怒りの限界点に達していた! またしても!

「なんだァ……!! なんなんだこの街はよ――ッ!! 看板の文字が読めねえ!! バカにしやがって~~!!」
「ハルトくん! これはローマ語とかいうどっかの地方の方言でヤンスよ……! あとそれ以上に大変なことは……」

 説明不要のゴミ! 安田ケヒャ郎!

「この街がなんらかの巨大規模攻撃によって壊滅炎上しタケダネットの武士生命体が市内を練り歩いていることでヤンス~~! なにゆえハルトくんが手を下すまでもなくこんな惨状にィ――ッ!?」

 禍津鈴と灰被深夜という強敵どもを続けて始末した紅崎ハルト! これまで彼は、来る全日本大会の前哨戦として、武闘会参加者鏖殺のための全国行脚の最中であった。
 灰被深夜の事前抹殺を成功裏に済ませたハルトは俄然ガンバトラーとしての闘志を燃やし、醜悪卑劣なるケヒャ郎は参加者リストの中で位置が明らかである者をドブネズミのように嗅ぎまわった!
 そうして灰被深夜が次の試合で使用する予定だったポータルチケットを奪って辿り着いたのが、次なるターゲット、松姫カナデの所在地ローマであった……が! 外道の策略には相応しい末路がある! クズ野郎の立てた作戦には致命的な穴が存在したのだ!

「そもそもボクはタケダネット特番で松姫カナデがローマ市街に潜伏しているという情報を得て……ハッ!? もしや越谷市と同じように――タケダネットはローマ市街ごと松姫カナデを消去しようと……!? そこまで……そこまでやるでヤンスかタケダネット!」
「なんだか知らねえが許せねえことだけがわかるぜ!」

 絶望に顔面蒼白となる人間のクズ! グググ……愉快愉快! これぞ飛んで火に入る夏の虫!
 安田ケヒャ郎の野望、今潰えたり! 裏切り者を始末するのは私ではない……貴様のドブ虫にも劣る卑劣な精神が、貴様自身の首を締めたのよ!
 数万ものタケダネット武士生命体! 数千の自律殺人兵器群! そして街を焦土と化した未知なる兵器!
 この圧倒的現実(リアル)がクズ野郎を圧倒的に蹂躙殺!
 今度こそお別れだ! 裏切り者を処刑せよ! 残酷無残に死ね安田ケヒャ郎!!

『『『排除! 排除! 排除!』』』
「テメェ……!! この野郎テメェ……!! なにがタケダネットだ……!! なにがローマだ!! ただでさえ暑いのにクソ野郎……!! ガンバーストもできねえでこんな遠くまでノコノコとテメェ!! 俺をバカにしやがって……!! テメェ!!」
「ハ、ハルトくん!?」

 巡回するタケダネット兵を目の当たりにした紅崎ハルトの怒りはメルトダウン寸前の原子炉プールの如く急上昇の一途! 無差別破壊の予兆!
 前門のハルト、後門のタケダ! この地獄の両面焼きホットプレートで、ドブ虫! 芥子粒に等しい貴様の存在痕跡ごと蒸発させ醜い断末魔を読者とともに堪能しようという算段よ――ッ!

「ウオオオオガンバトルしろァ――ッ!!」
『『『排除ボォォォォ――ッ!?』』』

 ロケットのように飛び出した紅崎ハルトが巡回中のタケダネット兵を即刻爆裂昇華破壊!!
 それが何よりも雄弁なタケダネットへの宣戦布告となる! ゴキゲンな破壊と殺戮のはじまりだゼ!

「ヤ、ヤ、ヤンス~~~~ッ!?」



「うおおおおおお――っ!!」
『排ギャア~~ッ!!』

 猫のようにしなやかなハイキックが瓦礫の影から飛び出して、警戒態勢にあったタケダネット兵の頭蓋を揺らした。
 完全装備の防護服がくずおれる前にその手を取って、松姫カナデは向日葵のような微笑みを作る。

「あたしの勝ち!」
『……』
「たのしかったー! ……よね!」

 取り繕った微笑みの眉根が下がり、不安と悲しみの地金があらわれる。
 これで6人目。

「……ねぇ。たのしかった……よね……うう……」
『……』

 兵士が答えることはない。生体AIを構築する培養脳。インストールされた戦術プロトコル。テクノロジー流出を防止するべく、意識レベルの低下と同時にヘルメット内のニューロンを焼き切る安全装置であった。
 コロッセオから脱出した松姫カナデは、追手の武士生命体と戦い、6人を打ち倒した。勝負の高揚を得ることも、健闘を称えることすらもできぬ、無機質な戦闘の結果として。

「こんなの……ううーっ、こんなの……!」

 彼女は、何故自分が指名手配されているのかすらもわかっていない。バカだからだ。
 背後の街頭モニタが、バチバチと火花を飛ばした。

「ぜんぜん楽しくない! 強い人と戦うの、大好きなのに……! みんな強かったのに! どうして――」

 その言葉をかき消すように、青白い閃光が天上の雲を裂いた。鳴動。破壊。災厄。
 振り返る首に遅れて、一房の金髪がその頬にかかった。今は涙に濡れた純粋な瞳は、その源を見た。

「……なんで……壊すの」

 遠く、夕焼けの対照をなす闇となって、蜃気楼の熱に歪む、地上戦艦の巨影があった。
 徳川領での戦闘における禍津鈴の情報リークは、タケダネットによる武闘会参加者の追跡という結果を招いた。
 オフィスビルにおける日内環奈との戦闘では、口封じが推奨されていた多くの社員たちを逃した。頭の悪い彼女は、彼らを殺す必要性を知らなかった。故に彼女が、真っ先に。

 世界の終わりのような炎の中で、スピーカーからの放送が響き続けている。

『――――これが松姫カナデ容疑者(17)の最後の足取りです』

 タケダネットは完全無欠だ。どこに居ようと行動は監視され、記録され、不正行為の余地などない。

『違法退廃暴力施設は摘発され、関係者の99.8%は逮捕されましたが――』

「……ノブ。スペクター……みんな……」

 無数の回転翼機が松姫カナデの頭上に迫り、その銃口を向けても、彼女は戦うことができない。戦いとは楽しいものだと信じていた。
 タケダネット体制下における魔人犯罪率はゼロ。それがこの世界の真実となる。
 都市そのものの存在に終わりを告げるための兵器。遠く、暗く、揺らめく、巨大な影。

 全長3km。地上戦艦の名を『甲陽軍艦』といった。



「邪魔!! すんじゃね――ッ!!」

 壮絶な戦い! 無人爆撃機を搭載爆弾ごと炎上四散させた紅崎ハルトは、その機体を蹴って斜め下方の回転翼機部隊を丸ごと焼き払った!
 強い! 相も変わらず圧倒的な強さ! ガンバトラーは体が資本!

「どこのどいつだ……!! どいつがガンバトラーなんだ!? 絶対に逃がさねェェ……!! 草の根を分けても見つけ出して、ガンバトルしてやるぜ!!」
「えっ、今」

 そして横合いから、思いもよらない声。少女が立っている。ローマ壊滅都市にそぐわぬ姿。すらりと伸びた脚に、金髪を靡かせる可憐な少女だ。もしや、この少女が松姫カナデ!
 少女は涙に濡れた目をパチパチと瞬かせて、珍獣を見るようにハルトを眺めた。

「あの、飛んでたキカイを……一発でやっちゃった!?」
「なんだテメェは――ッ!? ガンバーストしろよ!!」
「すっ……」
「ウオオオオオ――ッ!!」

 言葉を待たずに殴りかかっている! 問答無用の無差別闘志!

「――っごい!」

 だがそれは、奇怪な捌きの技によって受け流され、カナデの華奢な体を一回転させるだけの結果に終わる。
 剛柔合わせた両手の受けと、腰の捻りにより打撃を殺す技術! 地下格闘技の闘技者が使うような古流技術のひとつであることは間違いないだろう。

「ウオオオオオ――ッ!!?」
『ピゴ――ッ!?』

 ハルトは殴りかかった勢いのまま市民掃討中の多脚戦車の一台に突っ込み、一撃スクラップ破壊!
 自ら生み出した瓦礫の中に埋もれ、敵の姿を探す……!

『『『排除! 排除! 排除!』』』
『『『御用! 御用! 御用!』』』
「テメェらがガンバトラーか――ッ!!」

 再び殴りかかっていく!
 対近接格闘用武士生命体! そしてR.A.S.F! 無人回転翼機! 多脚戦車!
 ――ここローマこそは、『甲陽軍艦』の掃討作戦進行のため、ハルトの敵が無限に溢れる、まさに地上の万魔殿! たった今、松姫カナデと偶然接触できたこと自体が奇跡に等しい!

「ウオーッ!! ガンバトルしろってんだよ――ッ!!」
『『『ギャッギャババババ――ッ!!?』』』

 炎のレオパルドが全てを薙ぎ払い、再び彼は松姫カナデを見失った! こいつの攻撃は無差別だ!
 木を隠すには森とはよく言ったもの! これでは、本来の目的である武闘会参加者を……始末することができないのではないか!?

 ……だが、それでいい! それがBEST!
 松姫カナデを殺すことよりも、さらに大事なことがある。それは……この都市のどこかに放り出されたままの、安田ケヒャ郎の死!
 紅崎ハルト! それだけがWGBO全日本大会に向けてできる、ただひとつの戦いだ!



「……すっごい」

 松姫カナデは、震えていた。悲嘆や恐怖ではなく、先程の少年の炎に灯されたかのように、再び、心の内からの熱が湧き上がってくるのを感じていた。

「すっ、ごい!!」

 彼の顔を知っている。松姫カナデなどよりも、ずっと多くの番組で、何度もその顔が映しだされた、アトランティスの少年。
 希望崎学園の武闘会を戦っていれば、いずれ戦えると信じていた。――紅崎ハルト!

(こんなに……こんなに、強かったんだ!)

 松姫カナデは、生まれつき頭の悪い少女である。
 明らかに暴走をしている紅崎ハルトを目撃してなお、素直にその事実を賞賛した。

(あたしより、ずっと長い間、タケダネットに追っかけられて、ずっとたくさん、敵を倒して……)

 松姫カナデは、自分自身の脚を意識した。罅割れた石畳。その上に松姫カナデは立っている。
 立って、遠く聳える巨大戦艦を、今はまっすぐ見ることができている。

(それでも、立ち上がってる!)

 松姫カナデは、生まれつき頭の悪い少女である。
 才能の壁。種族の壁。存在の壁――
 普通の人間ならば、壁と感じるものを認識することができなかった。

「あたしも……っ! うーっ!」

 ならば、戦える。紅崎ハルトが立ち向かえているのならば、松姫カナデが立ち向かえない道理などない。
 同じ人間なのだから、追いつける。

「あたしも! 戦うんだ!」

 ――駆けた!

 きらめく光を反射していたその金髪は、今は夕陽の影を映す闇だ!
 対話することも出来ない、自分や敵の勝利を称える事もできない戦いは、ただ悲しい。

「でも!」

 空中機動編隊の一群が、連続して胸部装甲を踏み砕かれる!
 彼らを結ぶジグザグの軌跡のように、未来の最高到達点と化した松姫カナデが飛ぶ!

「強い人と戦いたい! 追いつきたい!」

 眼下。地上を爆炎が滑走し、街路を塞ぐ固定砲台を次々と爆散させていくのが見える。紅崎ハルト。

「そうだ――そうだ! あたしは、戦いだけが好きなんじゃないんだ!」

 それは愚直に戦ってきた松姫カナデにとって、最初の気付きだった。
 彼女は、憧れで戦っている。

 重装甲を誇る飛行砲台。それが紅崎ハルトに砲口を向ける。松姫カナデの腕力では砕けない。

「う……おおおおおおおおおおおっ!!」

 ――これまでの松姫カナデの腕力では。
 蹴りの一撃が装甲深くにめり込み、その飛行能力を奪う。遠く、『甲陽軍艦』に光が収束し、放射熱線のチャージを開始する。

 紅崎ハルトは、まだ、はるか前方にいる。
 『甲陽軍鑑』の、全長数百mにも及ぶKOYO製振動実体ブレードが、小柄なガンバトラーを叩き潰すように振り下ろされる。
 彼は炎をまとった拳で掠るようにその軌道を――いや普通にブチ折った。圧倒的腕力の衝突音は空中にも届いた。

「おいつきたい!」

 落下する松姫カナデを串刺しにすべく、多脚戦車が蜘蛛のような攻撃腕を展開する。
 これまでの腕力では砕けない。

「おいつきたいんだ! みんなに!」

 流星のような蹴りが、装甲を両断し、破壊する。しかし『甲陽軍艦』の放射熱線が来る。エゾヒグマの攻撃性能の技術再現。
 松姫カナデが空中にいる間に、狙いを固定されていた。

「J・J! スラッシュメリー! スペクター! 源三のおじさん! カイさん! ノブ! ミカエルくん!

 空気すらもなぎ払いながら、青い破壊光が、松姫カナデを呑み込む――

「紅崎……ハルト!」

 ――その破壊は、彼女の内から湧き上がる熱のようなエネルギーに、相殺されていた。
 『サンドリヨン・ゴーヴァン』という名を持つという。
 わずか3分、未来の最高到達点に到達する魔人能力。松姫カナデはバカである。到達に至る壁を認識しない。強者を見れば、自分も「いつかそうなれる」と考えることができる。
 彼女が思い描く未来の最高到達点は、常に、常に、上方修正されていく。戦い続ける限り。

 ただ純粋に憧れで戦い続ける、松姫カナデのための力だった。

「もうちょっと! ……だ――っ!!」

 『サンドリヨン・ゴーヴァン』の終わりは近かった。――だが、これまでのどの戦いよりも、彼女は強くなっている。せめて紅崎ハルトの背に、追いつく。
 彼女は、はじめて知った。向かい合って戦うだけではない。互いに肩を並べて戦うことが。こんなにも……

「たの! しい!」

 先端が金色に変わり始めた髪が、最後の夕陽を反射した。炎の中、松姫カナデは戦い続ける紅崎ハルトの横で走っていた。

「――ねえ!」

 そして、彼女が理想に抱く、天使のような美しさで微笑んだ。

「すッごく……たのしいよね!」

「うるせ――――ッ!!」


「ギャパァァァ――――ッ!!?」

 紅崎ハルトオオオオオオオオオオ!!!!!



「……目が覚めた? カナデ」
「んい……」

 目をこすりながら、松姫カナデは再び目覚めた。
 髪の漆黒は失せ、今は再び夜闇を一筋の金色に染めている。

 状況を認識するよりも前に、松姫カナデの心を喜びが満たした。

「……スペクターッ!!」
「私もいる。ノブもな」
「J・J! みんな……! よかった! 生きてた! よかった! あああ……!」

 笑いと泣き顔でくしゃくしゃになった少女の顔を撫でて、スペクターは微笑んだ。
 正確には「みんな」ではなかった。スラッシュメリーやミカエルがタケダネットに捕らえられたことは、今は知らせないほうがいいだろう。
 彼女の笑顔を曇らせたくない。それが『天の磐戸』の誰もが祈った願いに違いないから。

「指名手配で危機を知ってすぐ駆けつけたが」

 J・Jは、無機質な表情に少しの笑みを浮かべたようだった。

「ここまでやるとは。さすがだな、チャンピオン。すぐに離れよう」
「怪我はない? おぶって連れてくわ」

 松姫カナデは、瓦礫の山と化したローマの市街を遠く見つめて、眼を細めた。

「……違うんだ。あたしは、まだ勝てなかった」

 『まだ』。その言葉が、カナデにとって何よりも重要な意味をもっている。

「ねえ、J・J! スペクター! あたし、すっごく強い子と戦ったんだ! 今まで見た中で、一番強かった!」

 それは、夜の中でも太陽のように輝いていた。

「そいつの話をしてもいいかな――」

 去りゆく地下ファイター達の影の向こう側で、遠く……
 風景の一部のように潰えた地上戦艦の残骸の中で、最後の爆炎が爆ぜた。
最終更新:2016年07月17日 00:14