結論から述べるなら私は勝った。
相手の懐に入り込んだ私は、古細菌のコロニーを巨大な腕に物真似し、日内の鳩尾を貫いた。
戦場は雪山。
吹きすさぶ冷たい風。
先ほどボロ負けした戦場。リベンジ・マッチになんて希望する質じゃない。
余計なお世話だと思った。
轟く砲音。
鉛球が体を貫く。
目の前に少女が、迫り来る。
天候の悪い雪山と言えども、相手はプロの砲術師。
正確に照準を定めた砲弾は、確実に私の胸を眼をえぐっていく。
「隠れても無駄ですよ」
少女の声がどこからか木霊する。
無様だなと思った。
前回の戦いで見つけた洞窟の中に逃げのび、またもや身を隠している。
ーー後悔してるの?
ーー後悔してるよ。
ーー二度もあんなに無様に負けて、一体、どの面下げて、私はこの戦いに挑んでいるのだろうか。
自己否定の声が聞こえてくる。
体を売るよりも、心を踏みにじるよりも、自身の弱さをつきつけられることが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。
心を殺すのは得意だと思っていた。
身を削るのは慣れていると信じていた。
けれど、そんなものは、本当の気持ちをごまかすただの欺瞞でしか無かった。
私は悔しい。
圧倒的な暴力の前になすすべもなく、自身を見失ったこと。
(前の戦いで相手に)裏切られたこと。
ただひたすら、洞窟の前に潜んでいると、嫌でも、静寂が気になる。
着実に迫り来る敵。それを前に現実逃避の思考だけがぐるぐると回る。
(行っておいで)
ぼろりと、肩から腕が崩れ落ちる。
あまり使いたくないけど、もはや仕方ない。私は人間をやめます。
地面に落ちたそれは、ぐにゃりと歪んだ。
ピギー!
落ちた腕が跳ね踊る。甲には大きな亀裂が走り、その中には真っ赤な口腔と小さな目が無数に垣間見える。
生まれ落ちたばかりの腕からは、十数本の指がにょきにょきと生えそろっていく。
そして、まるで百足のように指をぐにゃぐにゃと動かしながら、洞窟から飛び出ていく。
失われた手足は戻らない。
今、送り出された仲間たちは返ってこないのだ。
群体であるがゆえに、この肉体を構成する一つ一つが家族だ。
もし、失われれば、生やすこともできない。
既に彼らは腕へと分化を終えた。
そして、残された体も同様に、それぞれの部位に適応しているのだ。
今更、失われた部位に再分化することなどできない。
五体を切り離すということは、人間社会に、日常に、もう二度と戻れないリスクを伴う。
けれど、五体満足で戦うだけの力が、私にはない。
そのことを、私はこの二戦で嫌というほど思い知った。
ーーぼとぼとと、肉の崩れる音が洞窟の中に響く。少女のような何かだったそれは、肉の化物へと姿を変えていく。
日内は、雪山の中を相手の足跡を頼りに、慎重に踏み進んでいく。
魔人同士の戦い、いくら基本的な戦闘力に圧倒的な差があろうとも、魔人能力によっていくらでも逆転することは可能なのだ。
そのことは師範代から、戦いへ赴く者の心得として、嫌というほど言い聞かせられてきた。
吹きすさぶ冷たい風は、確実に日内の体力を奪っていく。
「はぁ、こんなとこ、師範代に知られたら怒られるだろうなぁ」
寒さに震える指先を見て、肩を落とす。
正確な照準。
確かに、正確に急所を狙い、撃ち放たれた砲弾。
あの機会に、相手を倒しきれなかったことが、今になって響いていた。
この雪山の極寒の寒さは、ホモ・サピエンスにはきつすぎた。
今、楠木が出てきたとして、正確に引き金を引けるかどうか。
日内の胸には一抹の不安があった。
よりもよって、飛び道具のない相手なのは辛い。
相手が飛び道具使いなら、今、展開している飛鳥落地穿によって、全方向、死角を防ぐことができたが、相手は影を操る能力だ。
おそらく、地面から迫ってくる相手に、自身の能力は通じるのだろうか。
「師範代なら、こんなとき、どうするんだろう」
思わず、師範代のことを思い描く。
心細くなる日内。
死地に身をおくとはいえ、彼女も思春期の女の子だ。
こんな雪山に一人でいれば、もの寂しくもなる。
戦いが終われば、元の場所に転送されるからいいが、そうでなければ、気が狂ってしまうほどに、ここには命の気配も、太陽の暖かさも届かない。
「もうっ! 早く倒して帰ろ!」
日内はネガティブなっていく思考を切り替えようと、声を張り上げる。
しかし、一体相手はどこに潜んでいるのだろう。
積もっていく雪。
既に足跡はかき消されて見えない。
手がかりを失い、うーんっと頭を捻らせているとーー
「え……! な、なにこれ……!」
突如として地響きが周囲を震わせる。
(まさか、雪崩?)
どきりと心臓跳ね、鼓動が早まる。
しかし、天を見上げた日内が見たのは、迫り来る巨大な雪の壁ではなかった。
真っ黒な巨体に、どくどくと全体から粘液を迸らせた巨大な化物。
それは、一回戦。
斎藤ディーゼル戦を観戦した際、日内が目撃したものを、彷彿とさせた。
楠木の声が響く。
「ごめんね! もう、これしかなかった……!」
化物の上で、苦悶の表情を浮かべる楠木。
右腕から先はない。そして肩から上は、グロテスクな青筋がどくどくと動いている。
「……バイバイ!」
そう楠木が叫んだ瞬間、天高くから、青白い閃光瞬く。
放射熱線
灼熱の光が、日内の目の前に迫る。
とぶとりおちてちをうがつによって、曲げられる放射熱線。
しかし、その熱量は、雪を溶かし、水を蒸発させ、水蒸気爆発へとそのエネルギーを伝播させて、日内を飲み込んだ。
バイバイ。私の右腕。
楠木の右腕は戻らない。