四回戦第二試合その2


ニューヨーク。
天空を削らんばかりに高く聳え立つビル群は、摩天楼(Skyscraper)と呼ばれる。
摩天楼群の中にあっても、ひときわ高いビルの屋上に、その非合法バーは仮設されていた。
だが、最早バーとは名ばかりで、アルコールを提供する自動サーバが数台あったのみ。
店員の姿はなく、観戦に訪れる者も多くはなかった。
ほぼ確実に命を落とすとしても、非合法試合を間近で観戦したいと思った無謀な観客達。
その数は、二十名に満たなかった。
そして彼らは、予想通り既に命を落としていた。
試合開始より十分が経過。
非合法バーの中でまだ立っている者は、二名のみ。
その両方が――武田信玄であった。

ひとりは、史上最も勇猛な武田信玄と讃えられる十一代目。
敬愛する二代目信玄を象った、朱塗りの鎧甲冑に身を包む。

もうひとりは、後に史上最も優しい心を持つと敬愛されることになる十四代目。
着流しの浪人のような姿をしているが、身に纏うオーラが半端ない。

「覇ァッ!」
十一代目が身の丈よりも数尺長い刃渡りの大段平を、竹刀のように軽々と振り下ろす。

「ぬううんッ!」
十四代目が頭上へ水平に渡した太刀を掲げ、大段平を受け止める。

刀と刀が激突した衝撃波で、周囲に散らばるテーブルの残骸が同心円状にうねった。
そのような剣戟が既に数度、繰り返されている。
観客は衝撃波の直撃を受けて死ぬか、衝撃波によって屋上から弾き飛ばされて転落死した。

薪屋武人は、十一代目と十四代目が繰り返すチャンバラ遊びを退屈そうに眺めていた。

「あいつら……まるでやる気がないな?」

武術の心得がない者が見れば、二人の信玄の戦いは手に汗握るものであったろう。
だが、薪屋にとっては退屈な代物であった。
二人とも、相手を倒そうという気がまったくないのだから。
世界最高峰の剣術演舞を、ただ披露している。
いったい何を考えているのか、薪屋には検討もつかない。

薪屋の全身は、頑丈な生糸で雁字搦めにされており身動きすることは叶わない。
柔軟性があり切断も困難な信玄生糸は、たとえ薪屋の筋肉でも脱出は不可能であった。
初代武田信玄の末娘である松姫が養蚕事業を開始して以来、品種改良を重ねてきた信玄生糸は、ミスリルにも匹敵する貴重な天然資源である。

試合開始直後のことだった。
十四代目武田信玄が、赤い甲冑を背負いながら木の板と棒切れで火を起こすと、突然十一代目武田信玄が出現したのだ。
流石の薪屋も、武田信玄ふたりが相手では手も足も出ず、あっさり生糸で縛られてしまった。

本来ならば、そこで試合終了のはずであった。
だが、薪屋に止めを刺すことなく二人の信玄は何故か戦いを始めたのだ。
それも、本気の戦いではなく茶番のチャンバラ遊びを。
希望崎学園のネット配信を見ている者たちは最高レベルの演舞が見られて満足であろうが。

十四代目が足元を払う水平斬撃。
重装甲冑を着込んでいるとは思える軽やかさで十一代目は跳躍して斬撃を飛び越える。
空中で身を捻り、大段平で十四代目の首を刈りに行く。
十四代目は左手を太刀から放し、段平の側面を下から突き上げるように拳で殴る。
軌道を上方に逸らされた段平を、首を横に倒して紙一重で回避する十四代目。
――すべてが、茶番だ。

薪屋は、全身の筋肉にありったけの力を込めて信玄生糸を抜け出そうともがき続けた。
『ふざけやがって』
『俺のことを無視して遊んでいることを後悔させてやる』
心の中に、激しく、強い怒りが燃え上がってゆく。
『ビリーブ・ユア・ハート』
怒りが強くなれば強くなるほど、薪屋の筋肉量は爆発的に増してゆく……!
だが、信玄生糸は強靭だった。
薪屋の筋肉は爆発的速度で増していったが、それでも生糸は切れなかった。

下段から振り上げられる十一代目の大段平。
鉄筋コンクリート床をバターの如く切り裂き、足下から現れる巨大な刀。
十四代目は避けず、足袋の裏で大段平を受けた。
刃を受ける箇所の足袋を硬化させ、大段平を足場にして跳ぶ。
前方宙返りしながら、十一代目の頭部へ兜割り軌道で太刀を振り下ろす。
「喝ッ!」
十一代目は気魄の声を上げ、氣の壁を作り出し間一髪で太刀を受け止める。
兜に、太刀が0.5mm食い込んでいた。

剣舞が始まってから、既に一時間以上が経過していた。
だが、十四代目武田信玄にとって、このような剣舞は単なる遊びだ。
何年も繰り返してきた、歴代信玄との修行は、こんな甘っちょろい次元ではない。
これは、魅せるための演舞。
ゆえに常人でも視認可能な速度で、手の内を知り尽くした者同士があやとりのように手順を繰り返しているだけなのだ。

だから――この非合法バーにおいて、最も真剣に戦っていたのは、生糸で縛られて動けない薪屋であった。
薪屋は怒った。怒りに怒り抜いた。
自分を置物にして、チャンバラ遊びに興じる武田信玄どもに怒っていた。
一時間以上の間、怒りの限界を超えて怒りを貯め続けた。

――そして!

☆ぴろりろりらーん☆

十四代目武田信玄の懐で、電子音が鳴った。
モバイル通信機器の着信音だ。
十四代目は、懐からデバイスを取り出し、通話ボタンを押した。

「はい。もしもし。こちら、たかしです」

なんという非道!
試合中は、モバイル機器の電源を切るのが常識!
せめてマナーモードに設定しておくべきではないだろうか!
薪屋の怒りは爆発した!

「貴ッッッ様ァァァーッ! 携帯電話は“校則違反”だァァァァァァーーーーッ!!」

貯めに貯めた怒りを解放し、『ビリーブ・ユア・ハート』で一気に筋肉量に変換する!
薪屋の身体が巨大に膨張する!
さしもの強靭な信玄生糸も、この怒りの強さには耐え切れず引きちぎれる!
その筋肉量……20万t!
一気に膨れ上がった薪屋の肉体は、非合法バー全体を覆い尽くしてなお余りあるサイズに!
二人の武田信玄は、膨張した薪屋に弾き飛ばされて摩天楼群の上空へ!

「あー、もしもし。そっちでも見てると思うが、ちょっと弾き飛ばされてね」

十四代目は、空中を蹴って態勢を整えながら、自分が弾き飛ばされたことには関心があまりないように通話を続けた。
その様子を見て、十一代目は役割が終わったことを知り、霧のように姿を消した。

「今から俺もそちらに合流する。――『博士』を取り戻すために!」

十四代目武田信玄は、力強くそう宣言すると通話を終了。
そして、摩天楼の上空を空中歩行術で駆け、ポータルへと向かっていった。

千勢屋香墨との試合終了後、十四代目は千勢屋に訪れた。
そして、平賀稚器の自立脳を対話し、織田信長に繋がる手掛かりを得たのだ。
だが、「きっぽちゃん」と名乗る織田信長の、潜伏場所を突き止めるには至らなかった。
そこで、第四試合を利用して希望崎学園の物理所在を逆探知することにした。
だから、茶番であったとしても視聴者を満足させるような『試合』を見せ続ける必要があったのだ。

十四代目の通話相手は、松田信太――十三代目武田信玄その人である。
捕われの『博士』を救うため、たかしくんは、敵である今上信玄と手を組んだのである。
十四代目を僭称するたかしくんは、世界幕府の敵である。
だが、織田信長を討つという点では利害は一致していた。

――この呉越同舟が、やがて本当の十四代目武田信玄が誕生するきっかけとなったのだった。


一方、巨大な筋肉の塊となった薪屋は――
非合法バーを設営していたビルは、巨大薪屋の重量を支えることはできなかった。
巨大な筋肉に押しつぶされるように、高層ビルが崩壊してゆく。
そして、およそ400mの高さからビルを壊しながら垂直に落下した薪屋であった物体は地面に叩きつけられ――
筋肉がすごかったので、特になんともなかった。


試合結果:十四代目武田信玄場外により、薪屋武人の勝利。


試合らしい試合にならず、対戦相手に“生徒指導”することもできなかった薪屋は、とってもしょんぼりとして家路についた。
そして、不思議な光景を見た。

――いない。

愛する妻である、薪屋ましろが、いない。
二人で過ごしたはずの、綺麗に片付いた清潔な我が家も存在しなかった。
そこにあるのは、乱雑にゴミの散らかった汚らしい独身男性の部屋であった。

姫宮マリとの戦いの中で、薪屋武人は『過去の自分』を受け容れた。
それは、スクラップ置き場で得た『幸福な夢』との決別でもあったのだ。

(ああ、そうか……そうだったよな……)

薪屋は、すべてを思い出した。
声を失った益田ましろを救おうと、献身的に看病した日々を。
ましろが首を括って死ぬまでの短い間の、本当の思い出を。

そして、その後、おかしくなってしまった自分の凶行についても、はっきりと自覚した。

薪屋は、頑丈なロープで輪を作り、天井から吊るした。
そして、あの日のましろと同じように、輪の中に首を通し、足場を蹴り飛ばした。
全体重が、輪に通した首にかかり、輪が首を締め付ける――

でも、筋肉がすごかったので、特になんともなかった。

(おしまい)
最終更新:2016年07月23日 23:56