四回戦第一試合その1


 ――――タケダネットは完全無欠だ。

 どこに居ようと行動は監視され、記録され、不正行為の余地などない。
 ――――と、だいたいの人間はそう思っている。

 人が作りし物に「絶対」はない。
 鎖国。禁酒法。ベルリンの壁。どんな時でも抜け道はあるものだ。
 タケダネットもまた例外ではなく、監視の“穴”が存在する――――。


 「――じゃあみんな!行ってくるね!」


 はつらつとした声が夜の公園に響いた。
 松姫カナデが居並ぶ魔人達に手を振る。

 そう、魔人だ。
 秘密裏に脱獄した『天の磐戸』のメンバー全てが、
 今宵、この公園に集まっていた。

 目的は?
 言うまでもなし!


 「――がんばれよ!」

 「がんばる!」


 「コロシアムの再建費、稼いできてくれよー」

 「任せて!」


 「いつも通りでいいのよ。気楽にね、カナデちゃん」

 「うおっす!」


 「試合終わったら対戦相手も連れて来いよ~。皆で飲むべ~」

 「おー!飲もう飲もう!」


 「さっさと行けクソブス。あと死ね」

 「うん!ありがと、ノブノブ!」


 「どうせ死んでも甦れるんだ。死ぬつもりで戦ってくるといい」

 「死ぬつもりで……? うん!分かった!」


 皆が口々に激励する。
 ぶんぶんと手を振りながら、松姫カナデは試合会場に繋がるポータルに飛び込んだ。

 そう。勝っても、負けても、これが最後。

 どんな怪我も完治する。
 たとえ死んでも甦れる。
 強い人達といっぱい戦って、戦って、勝ったり負けたりできる。

 そんな夢みたいな武闘会の魔法も、これを最後に解けてしまう。

 寂しさがある。
 でも、それ以上に嬉しさがあった。

 (本当に良かった。この武闘会に参加して)

 最後の戦いも楽しもう。
 そう決めた。

 ――――視界が開けた。



 「かすみちゃーん!がんばってー!」

 「うん。ありがとう!」

 声援に応え、少女がひらひらと手を振る。

 少女が纏うのは、紅白を基調とした着物。
 まるで絵巻から抜け出してきたかのような出で立ち。
 そして、腰に括りつけるは七つの威容。
 千勢屋の鉄炮。千勢屋の魂。

 そう。ポータルに向かって町を堂々と歩くのは、千勢屋香墨。
 最後の戦いに赴く彼女を見送るべく――今、町中の人々が手を振っていた!

 「香墨ちゃーん!頑張れよー!」

 「応援してるからな!」

 「危ない真似だけはしないでよ~!」

 「バカ、武闘会ってのは危ないもんだ」

 皆が口々に激励する。
 一度だけ後ろを振り向くと、人混みの向こうに父と母の姿が見えた。

 家族は私の誇りだ。
 この町は私の誇りだ。
 千勢屋は、私の誇りだ。

 す、と静かに一礼し、千勢屋香墨は試合会場に繋がるポータルに飛び込んだ。

 (お父様。お母様。見ていてください)

 (稚器ちゃん。町の皆。わたしを応援してください)

 (わたしは、絶対に――)





 ――――視界が開けた。
 ポータルを抜け出た二人の少女が対峙した。
 千勢屋香墨。松姫カナデ。

 もはや言葉は不要。
 香墨が静かに一礼し、カナデがにこりと笑った。
 それだけで十分だった。



 「――――――即中即仏ッ!」

 ッ ダ ン!

 火縄銃の銃声が轟いた。
 当たったかどうかを確認する暇などない。次の銃を腰からずるりと引き抜く。二連射。

 「即中ッ!」

 撃ち放ちながら次の銃を用意している――三連射!

 「即、仏ッ!」

 鉄炮による三連射!
 対戦相手は死んだか。
 否!

 香墨の連続射撃を回避し続ける娘がいる。
 銃撃すら意に介さぬ身体能力!
 松姫、カナデ!

 「うおおおおおおッ!」

 「即!中ッ!」

 四発目。香墨は間近に迫る松姫カナデに銃を向け、引き金を引く。
 これも当たらない。居並ぶコンテナを蹴り、カナデは横っ飛びで回避する。

 (この人は――!)

 カナデは動きまわり、的を絞らせない。
 香墨は五挺目の銃を引き抜く。射撃!

 「当たってっ!たまッ、るッ、かあああッ!」

 「……く……!」

 カナデは“銃弾”を避けていない。“銃口”を避けている!
 確かに銃口の直線上にいなければ放たれた弾には当たらない。
 理論上はそうだろう。理屈の上ではそうだろう。

 それをリアルで実践する荒唐無稽!
 松姫カナデという理不尽!

 狭いコンテナ群という地形も松姫カナデに味方している。
 銃口の向きをこうも容易く察知されては、当てるのは至難この上無し!

 (ならば――!)

 銃声!

 「う、あッ……!?」

 肩に被弾したカナデが地面に転がった。一瞬の隙をつき、香墨が火縄銃のリロードを行う。
 カナデの真横。コンテナの隙間に置かれた火縄銃が、細く煙をあげている。

 ――“置き撃ち”!
 狭いコンテナ群を味方につけたのは、松姫カナデだけではなかった。
 カナデが銃口の前に来た瞬間に遠隔操作で銃弾を浴びせる。
 香墨の《朱鶴拵篝玉章》による遠隔着火あってこその、死角からの一撃!

 「これでっ!」

 間髪入れず、香墨が鉄炮を向ける。
 先の鉄炮とは別位置の鉄炮。もう一つの置き撃ちと合わせた十字砲火の構え!
 トドメの一撃が、放たれた!

 「――!」

 眩い閃光。そして風圧。
 必殺の銃撃がカナデを貫く事はなかった。

 今のカナデは金髪の少女ではなく、黒髪の美女。
 未来の最高到達点を呼び出す《サンドリヨン・ゴーヴァン》が発動している!

 香墨の背筋にぞくりと寒いものが走った。
 この状態の松姫カナデと、まともに相手をしては、いけない!

 二連続での銃撃。銃口を見るまでもなく躱される。
 更に狙いすました一撃。これも躱される。
 ただただ、スペックの差。カナデの動きが速すぎる!

 (これで、仕留めなければ――!)

 最後の一撃。置き撃ち!
 カナデの死角から迫った銃弾が、

 「……!」

 ほんの僅か。カナデが身を沈めただけで回避された。

 圧倒的な身体能力の強化。
 反応速度の強化。第六感の強化。
 ――こうなる前に、香墨はカタをつけなくてはならなかった!

 「く……!」

 黒髪の美女が銃撃を回避し、香墨に迫る。
 至近距離!着火、構え、狙い、撃つ――間に合わない!

 「もらっ、たあああああっ!」

 カナデが渾身のアッパーを叩き込むべく、身を沈めた。

 (松姫カナデさん。確かに、あなたは……強い!)

 迎え撃つ香墨は七挺目の銃を握り、
 “青眼”に構えた。




 「……うわ!」

 ――後退!
 この戦いで初めて、松姫カナデが後退した!

 カナデの視線は香墨の手元に注がれている。
 ぱちぱちと紙が爆ぜる音がする。

 「……燃えてる、剣……!」

 カナデが呻く。
 然り!香墨が持つ七挺目の銃が、燃えている!
 銃身が真っ赤に燃え上がり、炎の剣を形作っている!

 「あなたは強い。だからこそ――」

 「わたしは、わたしの全力で!
  あなたに勝ってみせます!」

 千勢屋香墨の《朱鶴拵篝玉章》。
 自ら文字を記した紙を随意に燃やせ、灰に帰すまで炎は尽きぬ能力。

 「《朱鶴拵篝玉章》の炎は、火種が燃え尽きない限り消えません」

 つまりは、砲身が紙で作られた千勢屋の特殊銃は、炎を随意に纏い続ける、不滅の炎剣となる。
 そして。ひとたび炎の刃に触れれば、尽きぬ炎が襲い続ける、致命の剣でもある!

 「たしかに鉄炮としては、邪道かもしれません。ですが」

 乱れた息を密かに整えながら、香墨が告げる。

 「千勢屋の鉄炮に変わりはありません!これで、あなたを倒します!」

 香墨が一歩踏み込む。カナデが下がる。
 炎の剣がかすり、瞬く間にフォークリフトが炎に包まれた。

 「――さあ!いきます!」



 ――燃える剣!
 難しい理屈はよくわからない。ただ、当たればどうなるのかは分かる。
 当たればおそらく――消火不能の炎に包まれ、焼死する。

 一度でも斬られれば、死!

 その現状を受け止めながら、松姫カナデは笑っていた!

 (――この人、すごい!)

 バックステップで斬撃を躱す。火の粉がはらはらと散る。
 斬撃のたびに香墨の懐から折り鶴が転がった。香墨は頓着せぬ。炎剣の斬撃にのみ集中する。
 カナデもまた、笑いながら回避に集中していた。

 (銃っていうのは、向きを見てればギリギリで避けられるものだと思ってた)

 (でも、この人の銃は、違う!)

 先ほどの一撃。香墨の“置き撃ち”は、カナデの死角から正確に肩を撃ちぬいた。
 何をされたのかすら分からなかった。今でも分からない。その事実がカナデを興奮させた。

 (全然違うとこから飛んでくる弾!
  しかも、今度は燃える剣まで!)

 理屈は分からない。だからこそ松姫カナデは笑った。
 手の内がまるで分からぬ強敵――千勢屋香墨の一騎打ちを、彼女と全力で闘りあえる事を、心の底から喜んだ!

 「――ェエエエエイッ!」

 裂帛の気合と共に香墨が斬撃を繰り出す。カナデは側転で避ける。
 カナデの代わりに炎の剣の一撃を受け、背後に設置されていたコンテナが燃え上がった。
 今や港湾施設のあちこちは火の海に沈んでいる。決して鎮まる事ない魔人の炎に呑まれている。

 「ねえ、千勢屋香墨さん!
  この武闘会に参加して……あたし、ほんとによかった!
  あなたと戦えて、あたし、嬉しいんだ!」

 戦いだけを求める修羅。カナデの曇りなき瞳が香墨を見据える。

 「わたしも嬉しいです」

 優しい口調とは裏腹に、千勢屋の口許は緩まない。
 真剣な目で応える。

 「貴方のように強い人を倒せば――
  千勢屋は、きっと再興できますから」

 ふらりと香墨が距離を取った。
 鉄炮の間合い。そうはさせぬ。カナデが距離を詰めようとし、

 瞬間、香墨とカナデの間に爆炎の障壁が現れた。

 「え」

 横を見る。カナデの横にもまた、爆炎障壁!
 港湾施設の一切合財が、魔人の炎に包まれている!

 ――はじめから、千勢屋香墨はこれを狙っていた。

 超人的な身体能力を持つ松姫カナデに、白兵戦で勝てるか?否。
 ならば鉄炮を使った射撃戦で勝てるか?否!

 勝ち筋はただ一つ。戦闘領域すべての大発火!
 港湾施設全域を炎の海に沈め、松姫カナデを焼死させる――
 炎の剣は松姫カナデを切り裂く為のものではなく、
 港湾全体をあまねく着火させる為の火種であった!

 「――すごい!見えなくなっ――」

 炎の海の中でカナデが感嘆した。
 一瞬の後、その姿も炎に呑まれた。



 一面の火の海。

 一面の火の海。

 一面の火の海。

 敵の姿は見えない。松姫カナデの姿は見えない。

 千勢屋香墨は今、港湾施設の中に作られた僅かな安全地帯に避難していた。
 足元には自ら文字を書き込んだ紙が敷き詰められている。

 《朱鶴拵篝玉章》は、紙を随意に燃やすことができる。
 随意に燃やせるということは、随意でなければ燃やせないということ。
 ゆえに、炎の海の中でも『燃えない』安全地帯を作り出す事ができる――。

 「――――終わっ、た」

 ぽつりと呟く。語尾が掠れ、喉に引っかかる。
 息が詰まりそうだった。喉が焼けるように熱い。
 わたしが作り出した安全地帯は、四畳半程度の小さなスペースに過ぎない。
 炎に囲まれた状態で、わたしの身体は、どれだけ持つのか。

 ――それでも、あの子の方が絶対に辛い。

 焼死というのは世界で一番苦しい死に方だという。
 松姫カナデ。彼女は今、紅蓮の炎の中で苦しみに喘いでいるのだろう。
 それは銃で撃ち抜かれるよりもずっと辛いはず。
 一分一秒が地獄の苦しみのはず。

 彼女の苦しみを思えば、息苦しさなど些細な事に感じられた。

 ぐいと額の汗を拭う。決着のアナウンスはまだ流れない。
 松姫カナデはまだ、どこかで苦しんでいるのか――――

 「――――!?」

 瞬間、千勢屋香墨は信じられないものを見た。
 発火炎上する大型クレーンの隙間を縫って、駆けてくる影がある。

 半ばまで金色に戻った、黒髪のポニーテール。
 盛大に焼け落ちたどこかの女子校の制服。
 大火傷を負いながら、それでもキラキラとした輝きを失わぬ瞳――!

 「ううう、おおおおおおおおおおッ!」

 ――松姫カナデ!
 炎の中を、一直線に駆けてくる!
 業火で全身を焼かれながら、それでもこちらへ向かってくる!

 「そんな……!」

 香墨の立つ安全地帯まで、あと十歩。カナデの勢いは死なぬ。間違いなくここに到達する。
 置き撃ちに使った銃は炎に呑まれて消失してしまった。手ずから撃つしかない。
 腰から銃を引き抜き、構える。あと九歩。

 (あ)

 当たり前の事に気付く。
 火種がない。

 あと八歩。
 すべての折り鶴を港湾施設の大炎上に使ってしまった。
 火種がなくては、銃は撃てない。

 (……お父様)

 胸元に手を差し込む。かさり、と乾いた感触があった。

 この場に唯一残った紙。
 父からの手紙。

 『思無邪ニ至リテ生ヲ為ス』

 そう書かれた、父の細くなめらかな字の下に、
 小さく丸みのある文字で『ありがとう』と記されている。香墨の字。
 火種は、最早、これしかない。

 (お父様。ごめんなさい)


 あと七歩。


 父の手紙を燃やす直前、香墨の視線が一瞬逸れた。
 炎の海を突き進む、松姫カナデを見た。

 松姫カナデの、笑顔を見た。


 (――ああ)

 (この子は、こんなに楽しそうに戦うんだ)

 (わたしはどうだろう)

 (わたしもこの子みたいに、
  笑顔で戦わなければいけなかったんだろうか)

 (――いや)


 (千勢屋香墨!あなたの願いは何!)

 (あなたは、何を想ってこの武闘会に参加したの!)

 (千勢屋を、再興する!そうでしょう!)



 「――わたし、はっ!」

 迷いは一瞬。
 香墨が懐から手紙を引き抜いた。あと六歩。

 ――その一瞬が勝敗を分けた。

 五歩、四歩、……一歩!

 「!」

 カナデの勢いが、増した!
 これまでよりもずっと速く。纏わりついた炎すらも振り切って。
 理解不能なスピード。目測よりも、速すぎる!

 「うりゃあああああああああっ!」

 「――ああああああああああっ!」


 拳が唸った。
 引き金が引かれる事は、なかった。
 二つの影が重なり、そして離れた。

 ――からん。

 音を立て、香墨の鉄炮が地面に転がった。



 ――《サンドリヨン・ゴーヴァン》。
 身体能力を大幅に向上させる、松姫カナデの魔人能力。

 純粋な肉体強化能力は本人への負担も大きい。
 濫用は即、心身の崩壊と死に繋がる。

 だが、もし――濫用しても死なない状況があるとしたら?
 戦いの最中にどんな重篤な怪我を負っても、後遺症一つ残らない。
 そんな魔法のような条件で戦えるなら?

 《サンドリヨン・ゴーヴァン》を無理やり二重使用し、、
 身体能力を数十倍にまで引き上げることが出来る。

 そんな都合の良い状況が、あるのか。
 ある。
 今がそれだ。

 想像を絶する自壊痛に耐えられるなら――――
 《サンドリヨン・ゴーヴァン》の二重使用は、出来る。


 「はーっ。はーっ……!」


 倒れた千勢屋香墨を見下ろすのは、松姫カナデ。
 身体がバラバラに引きちぎられるような苦痛に喘ぎながら、
 しかしカナデは、高々と右腕を掲げた。



 ●千勢屋香墨:戦闘不能

 ○松姫カナデ:戦闘不能

 ――四回戦第一試合・勝者:松姫カナデ





 「――では、松姫カナデと千勢屋香墨の健闘を祝って!」

 「かんぱーい!」

 掲げられたグラスがカツンと付き合わされた。

 集まるのは魔人コロシアム『天の磐戸』の面々。
 千勢屋香墨の家族、彼女が愛する町の人々。
 松姫カナデと千勢屋香墨の関係者全員が、ここに集まっている!

 「ハッハッハー!よくやったな、カナデ!優勝だ!」

 「やったよー!」

 カナデがぐいぐいと大ジョッキをカラにしていく。
 その横でランク23の“スラッシュメリー”が、これまたビールを水のように飲み干していく。


 「あれが香墨ちゃんのお婿さんかあ」

 「えらいちんまくて可愛い子だなあ」

 「女の子みてえじゃないか?」

 ビールのおかわりを運びながら、町の人々がカナデに奇異の視線を向ける。


 「――やっぱりパワーにはフルパワーだったな!
  どんなパワーが相手でも、力で圧倒すりゃあ勝てる!」

 「それは違う。重要なのは持ち味だ。
  今回の勝利はカナデが持ち味を生かす事で――」

 離れたところでは、“J・J”とノブ。
 カナデと香墨の試合について論議を重ねている。


 少し離れた噴水には、千勢屋香墨とその父。
 ほうじ茶で静かに乾杯し、飲み交わす。

 「ごめんなさいお父様。わたしは――」

 言葉途中で香墨の肩が抱かれた。
 父の暖かな両手が香墨を包み、ただ一言。

 「よくやったね、香墨」

 「……はい、お父様!」

 騒がしい酒盛りの中で、親子の時間だけが静かに流れていく。


 「――カナデちゃん」

 「スペクター!」

 空になったジョッキを放り出し、カナデがスペクターに駆け寄った。

 「どう?楽しかった?」

 「うん!とっても楽しかった!
  見てたかな。日内環奈さんと、平方カイさんと……」

 「うん。見てた、見てた。全部見てた」

 スペクターが手を伸ばし、くしゃくしゃとカナデの金髪を撫でる。

 「本当に……いい戦いだった」

 「……うん!」

 日内環奈。

 平方カイ。

 紅崎ハルト。

 千勢屋香墨。

 何れ劣らぬ強敵揃い。
 期間にすれば僅か一ヶ月。
 だが、この一ヶ月。振り返れば、楽しい思い出しか残っていない。

 「……ほんとに、楽しかったんだ!」

 「うん、うん」

 スペクターがカナデの頭を撫で続ける。
 その横で破裂音。ビール瓶が地面に叩きつけられた。


 「――だから!持ち味って何だよ?アア?」

 「あの試合を見て分からなかったのか?
  重要なのは、君の言う力押し一辺倒では限界があるという点で……」

 「ハァー?その力押しバカのカナデに負けたのはどこのどなたですかァ?
  俺の目の前にいらっしゃるクソ“J・J”さんじゃないんスかァ!?」

 「……ほう、君にはカナデが力押しバカに見えるのか!
  サイバネ手術をお勧めするよノブ君。目と……それから脳味噌もかな?」

 「――殺す!」

 「勝てるつもりかね!」

 “J・J”とノブの口論は激化し、広場で魔人同士の殴り合いが始まった。
 すっかり出来上がっている町の住人が止めに入る事はない。

 「いいぞー!」「なんだ、ケンカか?」「俺はスーツのやつに賭けるぞ!」「じゃあ俺はもう片方だ!」
 「悪い奴なんてぶっ飛ばしちまえ!」「ああ、なんまいだぶなんまいだぶ」





 「――千勢屋香墨さん!」

 「あ」

 とことこと近寄ってくる人影を認め、香墨が顔を上げた。
 真夜中でなおキラキラと輝く、金色のポニーテール。
 松姫カナデ。

 「あの……」

 いまさら、何を話せばいいのだろう。
 勝者に対する賞賛か。それとも敗者らしく暗い顔をしていればいいのか。
 香墨が迷っているうちにカナデが熱を込めて語りだした。

 「あのっ!本当にすごかった!
  変なとこから飛んで来るやつとか、ぶわーって燃えるやつとか!」

 「え……」

 「あと、ええと……そう!あれ!あの!」

 「あれ?」

 「ほら!燃えるやつ!」

 「ええと……」

 「燃える剣!」

 「あ、ああ」

 「すごかった!あれ、どうやってやったの?あたしにも出来るかな?」

 矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
 話題は尽きない。

 これまでどんな相手と戦ったのか。
 なぜ香墨さんはこの武闘会に参加したのか。
 魔人能力は。好きなゲームは。好きな食べ物は。

 ――ああ、そうか。

 この子はどんな事も楽しくて、楽しくて、仕方がないんだ。

 魔人同士の武闘会であっても、それは変わらなかった。


 「……ふふふ」

 「? 香墨ちゃん?」

 首をかしげるカナデに、千勢屋香墨ははじめて笑顔を向けた。

 「わたしも楽しかったです。
  また……戦いましょう。カナデさん」

 「……うん!」

 カナデの顔がぱあっと輝き、香墨の手を取った。

 「絶対、絶対、約束だよ!」



 時刻は0時過ぎ。
 一夜限りの魔法は解け、町の夜は更けていく。

 ――松姫カナデと千勢屋香墨。
 彼女たちの武闘会は、こうして幕を閉じた。
最終更新:2016年07月24日 00:04