「こんばんは、古太刀六郎です。 天候は晴れ、燦々と輝く太陽は、まるで灼熱のフライパン、蒸すようなこの空気は人口密度300%のサウナと言ったところでありましょうか」
「本日の実況は前回から引き続き、ここサバンナでお送りしております」
「そして、このわたくしーー悠長に喋っているようでありますが、実のところわたくしたちは危機にあります!」
「前回、はじめに強調いたしましたが、この地は、統べるものなき野生の王国――いつ恐ろしい猛獣たちが襲われてもおかしくはありませんっ!」
「大事なことなので繰り返します。」
「私たちはいつ猛獣に襲われてもおかしくないのです!」
「いつ襲われてもおかしくないのです……!」
「さて、ご覧いただいている皆様方は、ここで一様の思いを抱いたでしょう」
「わたくしの今回の対戦相手……。あの華奢な美少女は、果たしてこの弱肉強食のサバンナを生き残れるのだろうか……と」
「こんなことを、この場でお伝えするのは、大変心苦しいところですが、皆様は、こんな話を知っておりますでしょうか……。サバンナで少女がカバに襲われたという話を……」
「これは、一般にはあまり知られていないことですが、カバがヒトを襲ったという話は、決して少ない数報告されています。温厚で頭の悪いイメージのあるカバですが、彼らは決して心優しい草食動物ではなりません。」
「カバはヒトを襲います」
「カバはヒトを襲う。この程度であれば、生きものに興味のある方は、一度や二度は聞いたことがあるでしょう」
「しかし、カバがヒトを食べたという話は、聞いたことが無いでしょう」
「カバはヒトを喰らいます」
「サバンナの原住民の言葉で『カバの花嫁』という寓話があります。」
「カバの姿をした神霊に見初められた少女が、その花嫁になるという話ですが、この言葉の裏には、ある一つの恐ろしい真実が隠されています」
「これは、現地の住民の間では、有名な話でありますが、サバンナと弱肉強食の世界と比べれば、野生生物の脅威など存在しないに等しい日本にいる皆様からすれば信じられないことかもしれませんが、カバはヒトを、特に妙齢の少女を好んで襲います」
「現に、1990年代に行われた大規模な調査において、行方不明者の90%がカバの被害によるもの――さらにそのうちの半数が年端もいかない少女に集中しているという報告あがっております」
「また、風説によれば、被害少女はみな美しい容姿であり、地域でも有名であったといいます。
「わたくしは心配でありません!」
「わたくしたちの置かれている状況が、これをお聴きになっている皆様にもおわかりいただけたでしょうか……! わたくしたちは、この野生の王国で、彼ら”カバ”とも戦わなければならないのですっ!」
「果たして、わたくしの――いえ、楠木纏の運命やいかに!」
■■■
私、楠木纏は、決して清廉潔白に今まで生きてきたわけではない。
盗みは常習だし、嘘もつく。生き残るためとはいえ、人だって平気で傷つけてきた。
だけど、何の理由もなしに初対面の人間に殺されかけたことはない。
(性目的で襲われたことはあるが)
にもかかわらず、私は今、そのような状況にある。
カバだ。
戦闘開始早々、私はカバに襲われた。
■■■
ああ――。
私、楠木纏は敵からの魔人能力を受けている。
それを悟るのに時間はかからなかった。
しかし、それと同時に湧き上がる疑問。
古太刀 六郎――。実況したことを現実にする力を持つ魔人。
しかし、古太刀の能力は誇張することはできても、直接、何かを操ったり、理不尽な状況を無理やり作り出すような能力ではなかったはず。
何をどのようにして、このような状況を作ったのか……。
「どうして……!?」
私は唇を噛んだ。
■■■
古太刀 六郎。
わたくしは自身の能力を誤解しておりました。
わたくしは、実況者。
あくまで、現実を況する者。
この傲慢なプライドと、強固な認識とが、わたくし自身の可能性を狭めておりました。
この三度の敗北で、私は自身のい小ささを知りました。
そして、魔人の持つ無限の可能性について、理解を深めることとなりました。
わたくしはこれでもタケダ家に仕える一族の一人。魔人を排斥し、抑える側でおりました。
わたくしは支配する側にいたことで、知らず知らずのうちに魔人という存在を心の奥底で侮蔑していたのかもしれません。
魔人能力の可能性を信じず、一族が築いてきた「実況」を、恋する乙女のように大事に大事に守り続けてきたのです。
しかし、このたびわたくしは知りました。
魔人の持つ「でたらめな力」を。
目の当たりにしました、誇張などでは決してない、実況を超える魔人の力の片鱗を。
そして気づいたのです。
魔人というものが存在するこの世界で、「ありえないなど、ありえない」のだと。
あらゆる妄想は、魔人という存在を前に「現実」を塗り替える。
ああ、それはまるでわたくしの持つ力そのものではありませんか。
思えば、わたくしが魔人となったあの日、わたくしは、この力で、大地を揺らし、土砂を崩し、山を噴火させ、飛騨牛をも操り、火山性ガスによってあらゆる理不尽といえる理不尽を「妄想」したではありませんか。
このわたくしにできぬことなど、果たして存在するのでしょうか。
もし、存在するのなら、その力はどこまでなのか。
それをわたくしは、「実況」したいと思います。
これは果たして「進化」でしょうか。
それとも「奇跡」と呼ぶのでしょうか。
しかし、一つ確信していることがあります。
真の能力に気づいた今、わたくしに「実況」できぬものはありませぬ。
ゆえに、この戦いはわたくしの勝利で終わることでしょう……。
■■■
私、楠木纏はカバに知り合いなどいない。カバに恨まれる心当たりもない。
にもかかわらず、あの地上最強の生物が、脇目もふらずに私めがけて迫ってくる。
とても信じられない。信じたくない。
ああ、巨大な肉の塊が、土煙をあげて向かってくる。
昔、オカマが教えてくれた。
一年戦争で活躍した有名な機体。
伝説の英雄シャア・アズナブルが使用した史上最速最強の機体のことを。
まさに、あれは赤い彗星――。
そんな悠長なボケをかます余裕もないくらいに、私は一目散に走りだした。
しかし、カバは早かった。
近年になって広く知られるようになったが、カバの走行速度は時速30キロメートル毎時。
しかし、ヒトの走行速度は9キロメートル毎時と言われている。
この制約は、ヒトの姿をしているもの、すべてに当てはまる、弱肉強食の世界の法則であり、絶対的な力の差だった。
迫り来る足音。
逃げきれない――悟る。
悟るやいなや、私は影をカバへと伸ばす。
逃げきれないなら――倒すしかない……しかし、その判断は誤りだった。
カバの前足が影を踏み抜かんとする刹那、コロニーを巨大な腕へと変化させ、カバの顎へと、拳を叩きつける。
やったか――!
そう思った刹那。
カバの姿はそこにはなく、カバはその俊敏性をいかんなく発揮し、横っ飛びで拳を避け、既に大口を開けて、手を伸ばせば届く距離まで迫っていた。
時速30キロメートル。
――死ぬ。
自身の命の終わりを覚悟したとき、世界がゆっくりと回り始め、時間は限りなく間延びした。
――諦めるな! このバカ娘ッ!
オカマの声。
とっさに身をくねらせる。
と同時に、すさまじい衝撃とともに空高く私は打ち上げられた。
眼下に見える地上、真っ赤な血しぶきが地上に、雨となって降り注ぐ。
受け身を取ろうと身をよがるが、感覚がない。
見ると胸から下がごっそり抜け落ちている。
ああ、やられた。
カバの体は血しぶきによって、より鮮烈に赤く染まっていた。
その巨体からわずかに空いた口からは、華奢な手足がだらりと垂れ下がっている。
カバはその鋭い牙で私の半身をえぐり、その大きな顎で骨を砕き、そしてその朴訥で繊細な眼をきらきらさせながら、私の血を啜っている。
…ッ…グチ……ッグシャ……。
咀嚼音。
遠のく意識。
ああ、私はまた負けるのだろうか。
お金目的に参加したにもかかわらず、一円も獲得できていない。
自分の認識の甘さを今更ながら後悔する。
お金目的での参加――それは実力が伴ってようやく口にできるのだと今になって悟る。
けれど、私はやっぱり死にたくない。負けたくない。
今は、それだけが、戦う動機。
■■■
実況とは五感を使う。
眼で見、耳で聞き、肌で感じたものを言葉へと変換し、他者の認識に影響を与える。
さて、この場における他者とは誰か。それは、これを視聴している観客。
ならば、私が勝つ方法はただひとつ。
古太刀 六郎自らが『実況』したこの環境に従い、やつを出し抜くことだけ。
私にできることなど、ただひとつ。
物真似だけ。
物真似なら、誰にも負けない。
体液さえ交換すれば、私は、カバの能力だって物真似してやる。
迫り来るカバを前に、古太刀 六郎は失禁し、身を縮めこませた。
古太刀 六郎自らが強固にしたカバへの誤った認識は、もはや古太刀自身の手によってもキャンセル不可能だった。
実況しても変えられない、自らの過去の実況によって、古太刀 六郎は墓穴をほった。
「実況者自らが、舞台で踊ろうなんて、プロ意識が足りないんじゃない?」
戦意を失った古太刀 六郎を前に楠木はそう告げた。
古太刀 六郎敗北。