《一/》
――武闘会最終日、夕刻前。
千勢屋香墨の暮らす町を賑わす喧騒は、いよいよ最高潮に達せんとしていた。
彼女の屋敷の周りはすでに、千勢流炮術の弟子入りを志願する者、鉄炮の購入を希望する者、単に香墨をひとめ見ようとやってきた者、それらが大挙しており、歩くことすら穏やかでない。
そして、年に一度の収穫祭の時期すら超えようかという盛り上がりを、町の人々が黙って見過ごすはずもなく。
屋台が続々と繰り出され、まさしくお祭り騒ぎ。
呼び込みの元気のいい声、とうもろこしの香ばしく焼けるにおい、纏わりつくような湿気。
人いきれをかき分けかき分け、やっとのことで構えられた門の中に滑り込んだ少女がひとり。
「松芝屋さーん! 電視台みせてくださーい!」
可愛らしい浴衣の袖をぐるぐる腕に巻きつけた汗だくの千勢屋香墨を見て、
「うわ、また来た」
玄関から出てきた少年は軽口を叩く。
「だって、松芝屋の電視台はおっきくて綺麗って評判なんだから」
「そりゃどーも。で、何回も何回も観に来てるけど、こいつそんなにやばいのかよ」
香墨は下駄を揃えてたたきを上がり、勝手知ったる家の居間へと足を進める。
冷たい飲み物を出してくれたお手伝いさんにぺこりと頭を下げ、対戦相手である松姫カナデの映像に目を移す。
「うん。今まで戦ってきた、稚器ちゃん、斎藤さん、十四代目さんもほんとにほんとに強かったけど……このひとは底が知れない。相手が強ければ強いほど、それよりもっと強くなるっていうか」
試合が進むにつれ注目度も上がってきたのか、試合映像は半ばおおっぴらに配信されるようになってきた。
それを千勢屋と並ぶ歴史のある家電商会である松芝屋に頼んで、高画質で録画してもらっている。
敵を識れば勝利を知る。死闘を潜りぬけた香墨に、戦の定法が沁み渡っていく。
「なあ千勢屋、お前ほんとに勝てるのか?」
「勝つよ」
何回見ても、カナデの強さは異常だった。
ここで相手の勝ちだ! と思っても、立ちあがる。歩みを止めない。
冷や汗を背中にじっとりとかきながら少年が香墨に問うが、こともなげに応える。
「町の人たち皆が応援してくれてる。それだけじゃなくて、町の外からもあんなにたくさん! だからね、わたしはどんなひとが相手でも、諦めないでがんばれるんだ」
太鼓や笛の音はもちろん、行きかう人々の声も届いてくる。
梅雨明けすぐにこんな賑わいは、いままでなかった。
町の皆に恩返しをしたいという願いが少しずつ叶っている。そのことが、香墨を何より勇気づけていた。
部屋の隅の白い機械に眼をやる。映写機だ。
ふと稚器ちゃんのことを思い出した。斎藤ディーゼルの戦いがよほど激しかったのだろう。今日までずっと調整を余儀なくされていたのだ。今日の試合では、再び元気な姿が見られるだろうが。
「その機械、今日も使うんでしょ? 楽しみにしててよね」
「ああ。皆で見るよ。だから……いってらっしゃい」
稽古場に白布を張って、そこに試合の生映像を投影しているらしく、香墨は帰るといつも「試合観たよー!」と声をかけられる。皆そう言いながらお菓子や揚げ物をくれるのでありがたいのだけれど、なんでも入場料を取って千勢屋と松芝屋で折半しているようで、ほんっとうにお母様ってぬかりないなあと思う。
それはさておき、急に真顔になった少年を見て、香墨は噴き出した。
「ちょっとなに格好つけてんの。このあと家で着替えなきゃだし、鉄炮も持ってないのに」
噴き出したが、少年の気持ちは伝わっていたし、応援されるのはやっぱりうれしい。
「でも、ありがと。いってきます!」
見送ってくれた少年とお手伝いさんに深々とお辞儀をして、家へと駆けだす香墨。
すぐに町の人に見つかって半ばかつがれるように屋敷へ運び込まれたが、それはそれで楽しくて、たくさん笑った。
今日は邪魔にならない程度にうんとおめかししてあげるから、と母が張り切っているのを思い出す。
心が湧き立っていく。
◎◎◎
暗黒街のどこか、天の岩戸のバー。
戦いの前はいつも訪れる。
「いよいよ、最後の試合だねーっ」
松姫カナデは、ノンアルコールビールをぐいと流し込んで、ひとり気炎を上げた。
お酒は大好きだが、酔っ払ってしまっては戦いを心から楽しめない。
だから、まずはノンアルコールでガマンして、終わったら思う存分呑み明かす。
それが彼女の流儀である。
「千勢屋香墨ちゃんかぁ。どんな子なんだろ。たーのしみ!」
日内環奈ちゃん、平方カイちゃん、紅崎ハルトくん。みんなとっても素敵で、とっても強くて、最高。
香墨ちゃんもきっと強いんだろうなと思うと、カナデの心が燃え上がる。
「友だち、たくさんになったんだから! さみしくなんか、ないよ」
だが、まわりを見渡すと、一瞬だけカナデの笑顔が曇った。
五百人いたランカーの99.8%が、タケダネットによって逮捕されてしまっている。
つまり、自由の身であるのは、カナデひとりだけだった。
今日もタケダの兵を五人ほどぶっ飛ばしてからここに来たというのに。
「わわっ、もう時間だね! いってきます! ……待ってるからね」
カナデはバーの扉を開けると、振り向いて微笑んだ。
だが、すぐに笑顔は獰猛な獣のそれへと移ろう。
臨戦態勢、勝負の時間。
◎◎◎
港湾に現れたふたりの少女。
――ひとりは、千勢屋香墨。
赤地に色とりどりの柄の入った着物の袖と裾をたくし上げ、隙間からはサラシが覗いている。
手に持ち、腰に提げ、背に吊った鉄炮は、計七丁。
ヨコハマは港湾に吹く風(通称ハマ風)に流される横髪を押さえる表情は、静かに燃えている。
対するは、松姫カナデ。
純白の女子校生服は、今は汚れなくピカピカ。少しだけ短いスカートがハマ風に揺れる。
細身からは想像つかぬエネルギーの籠った四肢は、今か今かと散歩を待つ犬のように元気さを漲らせている。
その表情もまた、爛々と輝く太陽の如き、笑顔。
「……それ!」
開口一番、カナデが瞳を輝かせて香墨の握る鉄炮を指さす。
「えっ、これ……鉄炮?」
突然のことに面食らいつつ、香墨が鉄炮を軽く掲げると、カナデは興奮した様子でブンブンと頷く。
「うん! 銃だよね! むかしの! 初めて見た!」
「……うっ」
『昔の』。『初めて見た』。
カナデの悪意なき言葉は、しかし香墨の胸にぶすぶすと鋭く刺さる。
「もっと最新式の銃は見たことあるんだけどね! 知ってる? ランク28、"ハニカム"! ガトリング使いの女の子だったんだけど……あれっ」
気持ち肩を落とした香墨の様子に、カナデはようやく気が付いて、首を傾げる。
「おなかでもいたいの?」
「いや……ううん、だいじょうぶ。うん」
すうはあと深呼吸、気を取り直すと、香墨は顔を上げてカナデを真っすぐに見つめる。
「これからは。きっと、みんな見たことあるものになるよ。鉄炮」
「そうなの!?」
香墨の視線を、カナデも、真っすぐな視線で受け止める。
「うん。わたしが勝って、そうする!」
「……へへ! あたしだって、勝つよ!」
戦いの火蓋が、切って落とされた。
《二/》
「知ってるよ! 銃の強さ! 射程は、強い! から!」
カナデは迷わなかった。
いつだって持ち前の元気さを失わず、目の前に聳える壁を打ち破ってきた少女は、この時も。
迷わず、その3分間の魔法を唱えた。
魔人能力『サンドリヨン・ゴーヴァン』。
3分間だけ、己に『未来の最高到達点の自分』を降ろす、身体強化能力。
みすぼらしい少女が王子に見初められる程の美女に早変わりするかの如く、カナデの戦闘能力は、見違える。
美しく輝く金髪も黒く染まり、慎ましやかだった胸元も、制服のボタンを弾き飛ばさんばかりに膨れ上がる。
「はあッ!」
超速での突撃。
迷いのない一手は、すなわち正攻法、距離を詰める。
かつて"ハニカム"を打ち破った時も、射程の利を潰し、鉄拳が勝負を決めたのだ。
その一手は、香墨も当然覚悟している。
逃げるかのように後ろへ滑らせかけた足は、囮。
タイミングをずらして前へと打って出て、鉄炮を木刀に見立てた面打ちの反撃。
「それも! 知ってる!」
「えっ!」
刹那を争う反撃にも拘らず、カナデは反応した。
銃床をしっかりと掴み取り、『びっくりしたでしょ!』とばかりに笑う。
香墨も、まさかカナデが鉄炮を打撃武器として操る流派の担い手と戦ったことがあるなどと、想像もしていないことだろう。
カナデは掴んだ鉄炮を、思い切り振り回す!
振り回され、危うくコンテナにぶつかるところで香墨は手を離し、転がって退避。
手元に残った鉄炮に、カナデは少しばかり羨ましそうな一瞥をくれてから、被りを振ってそっと足元に置く。
「気になるけど! 気になるけど~、時間もったいない!」
『サンドリヨン・ゴーヴァン』の3分間が過ぎれば、カナデの変身は解ける。
その際、パワーアップの反動でカナデの身体能力は大きく低下してしまう。
能力発動から、既に数十秒が経過していた。
「……いない!」
港湾施設に林立するコンテナの数々。
その迷宮の中へ、香墨は姿を消していた。
攪乱しながら狙撃の隙を窺う。この上なく、常套手段である。
「……それなら!」
カナデの頭の上に、ピカッと電球が灯った気がした。
「……すごい体捌き。十四代目さんとも互角かも」
独り言ちつつ、香墨はコンテナの背に身体を預け、カナデの気配を探る。
『サンドリヨン・ゴーヴァン』の制限は知らない。故に、逃げて時間を潰すというよりも、誘い出して置き撃ちで削る腹積もりだ。
「……う、わっ!?」
じっと息を潜める香墨を、地響きのような轟音と、地震のような揺れが襲った。
香墨が辺りを見回せば、遠い区画、先程まではなかった位置にいくつかのコンテナが移動していて、そのうちのいくつかは海に落ちて飛沫の雨を降らせていた。
「まさか」
香墨は器用に手近なコンテナの上へと登り、その光景を見た。
松姫カナデ。対戦相手の少女が、ぐっと助走をつけて突進し、並ぶコンテナの先頭に体当たり!
コンテナは人型の凹みをこさえながら吹っ飛ばされて滑ってゆき、隣のコンテナに衝突、それぞれがまた吹っ飛び、別なるコンテナを巻き込んでゆく。
「お、おはじきみたい……」
絞り出すように呟いた香墨の眼下、設置した鉄炮も、コンテナの下敷きになって破壊される。
カナデは、なんかもう半分楽しくなってきてるのか、ニコニコ笑顔でまた次の列へ突進をしかける。
「……くっ!」
町の子どもたちとよくおはじきで遊んでいた(そして大人げなく勝ちまくっていた)香墨には、今度の軌道に嫌な直感が働いた。
すんでのところで隣のコンテナへと跳べば、玉突き連鎖の一部に先程まで立っていたコンテナも見事巻き込まれており、回転しながら海へとダイブしていた。
「見」
「っ!?」
「つけたーーーっ!!」
大声に香墨が振り返ると、コンテナを跳び渡りながらカナデが迫る。
跳び移った時に捉えられたか。コンテナをひとつ挟み、二人の少女は再び対峙する。
「……見つかっちゃったね」
「うん! さ、あと1分!」
「1分?」
香墨が訊き返せば、カナデは元気に頷いて、
「そう! あと1分で、『サンドリヨン・ゴーヴァン』解けちゃうから!」
一切の衒いなく、そう笑うカナデに、香墨は一瞬呆気にとられた後、花の綻ぶように微笑んだ。
「……そうなんだ。じゃあ、あと1分」
設置銃が潰された今、香墨の手元の鉄炮も、あと僅かだ。
そのうちの一本を、力強く握る。
「わたしも、全力で応える!」
牽制の一発は、カナデの残像を貫きコンテナに痕を残す。
満面の笑みを浮かべ、カナデが猛然と迫る。
カナデの振り下ろした拳は、跳び退った香墨の足元を粉砕し、コンテナを破壊する。
その余波に顔を顰めながら、香墨は袂より折り鶴を取り出す。
「飛んでっ!」
鶴の尾が火を噴き、カナデへと飛ぶ。
「なにそれっ! キレイ!」
瞳を爛々と輝かせながら、鶴を正拳で迎撃。
衝突の刹那に鶴は勢いよく爆発したが、カナデは意に介した様子もない。
「ねっ!! 次! 次は、なにを見せてくれるのっ!」
距離を取る香墨に間髪入れず追いすがるカナデ。
その様は、まるで姉に遊びをねだる妹のようにも見えた。
カナデの熱に、香墨も呼応するかの如く、微笑みを再度咲かせ、
「こんなのはどうかな!」
背より抜いた鉄炮を構え、ふっと集中。
「即中即仏ッ!!」
重なった銃声は、三つ。
斎藤ディーゼルを仕留めた三段撃ち。
「い!」
初弾を、右拳が弾く。
「た!!」
次弾を、左拳が弾く。
「い!!!」
終弾を、右足が蹴り飛ばす!
全てを捌き切り、カナデは血が滲むそれぞれの被弾箇所を振ったり息を吹きかけたりして宥める。
ダメージに小さな涙の粒を浮かべてはいたが、その顔には、変わらぬ笑みが浮かんでいる。
「……すごい、ね。カナデちゃん」
真正面から切り抜けたカナデに、香墨は素直な感想を漏らした。
カナデも、嬉しそうに笑う。
「え、へへへへ……! まだまだ、これから……っ」
ガクン、と。
カナデの膝が地についた。
魔法の終わりが訪れた。
《三/》
おとぎ話では、魔法が解けた少女は、それでも王子様が見つけ出してくれた。
お姫様になって、素敵な王子様と結ばれる、ハッピーエンド。
では、松姫カナデは?
3分間の魔法が切れた彼女を助けてくれる、王子様は。
「っ……ぐ、ぐぐ!」
動かぬ四肢に、カナデは懸命に力を籠める。
『サンドリヨン・ゴーヴァン』。未来の最高到達点の前借の、代償。
新たな弾を込める手も止めた香墨の前で、カナデは、立ち上がれない。
両の拳と右足からは血が流れている。
どうするべきか、香墨は逡巡した。
残り1分間の勝負。それは分かっていた。
でも、こころのどこかで、終わらない勝負のようにも思ってしまっていた。
今までの全てを出し切る攻撃を、楽しそうに超えてゆくカナデ。
彼女との舞踏会を終わらせる鐘の音など、聴こえないものだと。
「……」
それでも覚悟を決めた。
腰に提げた一本に手を伸ばした、その時。
「……負け、ない」
カナデの威圧感が、膨れ上がる。
魔人能力の代償、『制約』は、絶対だ。
容易に覆ることなどありはしない。
にも拘らず、これは!?
「あたしは、チャンピオンだもん……! 『天の磐戸』の、みんなの……!」
カナデの脳裏に過ぎるのは、これまでの強敵との思い出。
頭が良くない、算数すらまともに解けない彼女の頭に、ぎっしりと詰まっているのは。
「オマエエエエエッ!
眠れ眠れッ、いい加減に眠れッ!」
「ねむっ……てません!
起きてます!大丈夫です!」
ただひたすらに、築き上げてきた。
連綿と続く武芸の流派の糸を紡ぐように、織り合わせてきた。
「悪いが、私は逃げるぞ!追いつけるかな!」
「ううん。鬼ごっこはもう終わりだよ!」
その絆が。
何物にも負けぬ大火となって、カナデの背を押す。
「ライバル達との戦い――」
培ってきた友情。みんなとの絆!」
「その一つ一つが、ガンバーストなんだッ!」
その声が、叫ぶ。
「「「 がんばれ! カナデ! 」」」
「が」
「ん」
「ばる!!」
その姿は、今までの『サンドリヨン・ゴーヴァン』で変わっていた、黒髪豊満な女性の姿ではない。
何も変わらない。現在のカナデの姿だ。
だが。
相対する香墨には、はっきりと分かる。
膨れ上がった闘気は、先程までと同質。
されど、より力強い!
これだ。今までよりも、強い、これが。
このカナデこそ、未来まで含めた最強のカナデ。
「いつだって、そうだった」
笑みを湛え、カナデはゆっくりと構える。
「みんなに応援されてるあたしは、最強なんだ」
「……うん。わたしも」
応じるように、香墨も鉄炮を構える。
その瞳には、もはや迷いはない。
「みんなのおかげで、ここまで来れた。もっと先にも!」
「あたしも!!」」
カナデが踏み出す。
最強の魔法を取り戻したとはいえ、身体が悲鳴を上げている事実は変わらない。
残されたチャンスは一度。
その一度を、彼女は右拳に込めた。
対する香墨は、静かに集中を研ぎ澄ませる。
鉄炮を構え、ただ、機を待つ。
気合と根性で限界をこじ開けたカナデとは異なり、鉄炮は、弾が放たれれば、それが全てだ。
では、こころは何にも影響はないのか? ……無論、否。
「……即中」
敵を見据え、最上の刻に、引き金を引く。
それは、こころなくしては成り立たない。
そのことを、香墨は誰よりも知っている。
「即仏ッ!!」
「うっりゃーーーーっ!!」
銃口と拳。
二つのこころがぶつかりながら、吠えた。
「……ふ、ふふふ」
コンテナに背を預けるカナデは、右腕が消失している。
他に部分も、もし右腕があったとしても、もう、少しも動かせなかった。
それでもなお、楽しそうに笑っているのは、本当に、楽しいからだ。
数十mぶっとんで、今立ち上がった香墨も、同じように片腕が捩じり飛んでいる。
「……楽しい、ね」
「うん……!」
香墨も、笑っていた。
残された片腕が、袂からふわりと大きな紙を取り出す。
失った腕が、流れる血で言の葉を認める。
大鶴に化けた紙は、ゴウと大きく燃え上がる。
その炎の揺らめきを、カナデはうっとりと眺める。
『 朱鶴拵篝玉章 』。
鶴が飛ぶ。
想いを乗せて。
《四/》
炎の奔流が過ぎ、煙がようやく晴れたころ。
波間に揺れる船舶も落ち着きを取り戻し、港湾は静けさに包まれていた。
いままでの激しい有様が夢だったかのように。
「………………はっ!!!!」
「わっ起きた」
カナデが目を覚ました。
一時間ぐらい昏倒していたので、さすがに体が重そうだ。
「えっ、あれっ、いまここどこ、えっと香墨ちゃんがいて、あたしはカナデ。…………ああっ試合!」
前言撤回。カナデはがばっと身を起こし、香墨の肩を掴んだ。
「試合はね、終わったよ。わたしの勝ちー」
香墨は疲れた表情を隠せなかったが、じっと眼を見つめ、なんとかにっこり笑う。
すると、みるみるうちにカナデの瞳に大粒の涙が浮かび、ほどなくしてぼろぼろと零れ落ちた。
「ごっごめんね! わたしったら、その、舞い上がっちゃって、ううーごめんなさい……」
「わああ~~~~んヒックヒック、ちがうのおお~~!うわああああ~~ん」
溢れる涙をぬぐおうともせず、ただただ泣き続けるカナデ。
香墨はうかつに喜んでしまった自分に喝を入れ、ひたすらカナデの背中をさする。
……小一時間ほど、そうしていただろうか。
ようやくカナデの背中が震えを止めてきた。
「ごめんねカナデちゃん、落ち着いた?」
「グスッグスッ、うん、ありがとう…………もう元気!」
さっきまでの号泣はどこえやら、太陽のような笑顔を見せるカナデ。
この子は本当に強い、香墨は何度目か判らない実感をした。
「香墨ちゃん、強いねー!! あたしが戦ってきた人の中で一番だったよ!! どうしてそんなに強いのー!?」
「えっと、そうだね……。わたしが戦ってきた相手はほんとに強くて、武器だらけのからくり人形とか、口から放射熱線を吐く剣士とか、十四代目武田信玄とか」
思い出すと体が震える。
カナデにも恐ろしさはなんとなく伝わったらしい。
「えっ怖……そんなのいるんだ……でも、あたしの戦ってきた人も強かったよ、香墨ちゃんみたいな鉄炮持ってる人とか、なんか眠くなる攻撃してくる人とか、ガンバトラーとか!」
「あはは、カナデちゃんもすごい人と戦ってきたんだ……。で、その人たちの強さを分けてもらえたから、わたしもがんばらなきゃ、絶対勝たなきゃって思えたの」
ふたりとも、とてつもない敵と戦ってきた。そこに差はない。
香墨の強さは、自分と誰かの両方のために力の限り戦えること。
カナデの強さは、どんな相手にでも楽しく戦えること。
勝負を分けたのは、もっと些細な、ほんのわずかなちがいなのだろう。
「そっかー。でもね、あたしは負けたら強くなるんだよ! だから、次に戦ったときは、ぜーったい、あたしが勝つんだからね!」
「次かぁ。……次はいつ会えるかなあ」
「次はいま! ねえねえ、あたしとお酒のみにいこーよー」
「お酒!? だめだよ、わたしまだ十五歳……」
「だいじょぶだいじょぶ! あたしだって十七歳だし!」
「ええー大丈夫じゃない! と、とりあえずまた今度ねまた今度! あっそうだ」
懐から紙を取り出す香墨。
一瞬身構えたカナデだが、すぐに受け取る。
「名刺?」
「炮術の先生になるんだから、こういうのもちゃんとしないとねっ。ここわたしの家の住所だから、遊びに来てよ」
「うん! 絶対来る! 絶対絶対!」
小さな紙には、可愛らしい絵とともに香墨の名と住所と。
『千勢流炮術流祖』の文字が、勇ましくもたおやかに記されていた。
◎◎◎
怒号のように押し寄せる人々を乗り越えて、家に帰り着く。
まっさきに駆けだしてきた両親に、香墨は思いきり抱きついた。
最初の試合からずっと、繰り返してきたふれあい。
「お父様! お母様!」
「みててくれた? わたし、勝ったよ。いちばんになったよ」
「千勢屋香墨、ただいま帰りました! えへへっ」
少女の笑顔が、満天の夜空に華やいだ。
[了]