目を覚ます。
からくりの体に休息は必要ない。スリープモードからの復帰は、記憶の“整理”作業が済んだことを意味する。
荒れ果てたコンクリートの室内。タケダネットの目の届かぬ、打ち棄てられた廃墟街――その一角。
第三試合終了後、わたしはここに潜んでいた。■■■には帰っていない。《やるべきこと》があったから。
「……お目覚めかな」
低い声がかけられる。
椅子に縛り付けられた人影。老境に差し掛かった男の姿。一線からは退いたというが、その精気はいささかも衰えていない。
「うん、おはよう! 《歴史博士》!」
「……君は」
彼は僅かに眉を動かす。その顔に銃口を突きつける。
長大な砲身を持つ異形の火縄銃。“■■■■■”から貰った一丁。その側面に刻まれた銘は、■り■■『■■■』の三文字。
折角だから有効に使おう。
「もー。怪我してるんだから、喋っちゃめっ、だよ」
このそ兄ちゃんには大事なことを教えてもらった。きっぽちゃんの正体などだ。
けれど、一方で少しお喋りすぎるとも思う。まだ体は万全ではないんだし、わたしが訊いたとき以外は黙っていてほしい。
「じゃあ、《私》、行ってくる! お利口さんにして待っててね!」
そ兄ちゃんが口を閉じたのを確かめて、わたしは最後の戦いに出発する。
大丈夫。約束はちゃんと覚えている。《武田に報いを、武田の世の者に死を》。
大事なひとの言葉を思うたび、思考回路基盤が励起する。エレキテル反応炉が回転数を上げる。
生身の人間の感覚で言うなら、きっとこれが、勇気をもらうということだ。
「《ああ……お兄様。私、もうすぐお傍に参ります……》」
戸締りも万全。
さあ、行こう。
「……フン。昔日の栄光も、面影なく、か」
崩れかけた円形闘技場。
その入場口の一方から進み出、金髪の偉丈夫は一人ごちる。
未開の荒野。地元のもぐり酒場。貧相な海底試合場。
そして最後に、無人のコロッセオ。
その舞台の選定が、何かしらの示唆を持つように、彼には感じられていた。さほど嬉しくもならない示唆を。
(いや。何を弱気になっている)
かぶりを振る。
今さら悔しいなどと言うつもりか。未開人相手に負けを重ねたことが。
最初から自分は強くなどない。それでもなお意地を通したくて、この戦いに臨んだのではなかったか。
「提督」は前を見た。
反対側の入場口から、小柄な少女がやってくるのを見た。
しかしてその正体は、かの国の学者が開発したからくり人形。
彼の能力をもってすれば、どれだけ厳重にロックされた情報であろうと、アクセスするのはオンラインショッピング程度に容易い。
「――ガキ。何か言っておきたいことはあるか?」
稚器は足を止める。
恫喝するような物言いに、いかにも怯えたらしい様子で。
「……そ、そ兄ちゃん、そんな人だった?」
「ここに来て取り繕う必要もあるまい。お互いにな」
一陣の風が吹き降ろし、巻き上がった砂の壁が二者を隔てる。
「提督」は胸を押さえた。クインから預かった“お守り”が、そこにあることを確かめる。
これがある限り、自分に敗北はない。
直後、砂塵を切り裂いて、重金属弾が飛来した。
種子島バルカンが唸りを上げる。「提督」は動じず距離を詰める。
一秒ごとに六発の弾丸は正確に彼を襲っていたが、全ては獲物に喰らい付く直前で、金属音と共に弾かれている。
「あはっ――そ兄ちゃん、格好いい!」
「それはどうも」
ひとたび弾を撃ち尽くし、稚器は装填の構えを取る。
その機を逃さず「提督」が迫る。彼の手中には銀色の煌き。
万能素材たるミスリルの用途は、風呂敷や飲料に留まらない。アメリカ合衆帝国の技術は、真なる銀とも呼ばれるそれに、武器の形を与えることを可能とした。
中でも「提督」の得物はミスリルサーベル+2。絶大なる彼の地位の象徴。皇帝ジョシュア・ノートン直々に賜った、かの国の粋たる一振りである。
「提督」が踏み込む。稚器を間合いに捉える。剣を振り上げる。稚器は地面を滑って逃れる。脚部ローラースラスターの使用。
「――それは、知っている!」
全力で振り下ろした剣の、軌道が変わる。まるで自ら意思を持つかのごとく、逃げた稚器を追う突きが伸びる。
まぎれもなく魔法の剣。それくらいはやってのける。
「わ――」
金属音。装甲を切り裂いた音ではない。咄嗟に抜かれたヒート鮪包丁が、刃を危うく受け止めていた。
「開け」
――それを、分解する。
たたらを踏んだ彼女に、さらに一撃。
(……やっぱり、強い)
稚器は後ろへ滑走しながら、粘つく油を撒き散らす。
「提督」はそれを容易く避け、あるいは剣で切り飛ばす。超常の刃は汚れを受け付けない。
当然予想されたことではあった。
《かつての私の体ならばともかく》、この身は戦闘を想定していない。いかな高出力、いかな武装があろうと、それは護身を意図したもの。
一線級の戦闘魔人と、正面からは渡り合えない。かの斎藤ディーゼルとの戦闘が、その事実を明確に示していた。
(《しかし、勝てる》)
笑う。
幾度か切られた体の内部で、規則正しく響く音がある。
それは破滅の音だ。自分を、そして対戦相手を、さらにはこの闘技場を、灰燼に帰して余りある音だ。
「……さあ、いい加減観念しろ。お前みたいなガキと鬼ごっこはつまらん。いい女が相手ならともかくな」
「むー。そ兄ちゃん、ひどいんだ。《私》だって十分いい女だもん」
唇を尖らせて言いながら、稚器はそこで逃げるのをやめた。
諦めたか。罠があるのか。「提督」は歩幅を狭め、慎重に距離を詰めていく。再度の間合いまであと二歩。一歩。止まる。
「もう一度聞いてやろう。言い残す言葉は?」
「ん――」
その瞬間に斬り込む。
不意打ちは別段狙っていない。ここまで近付くことができた時点で、どう逃げられようとこちらの手は必殺。単に聞く気がないだけだ。
どう――逃げられようと。「提督」は目を剥いた。稚器は前に出た。剣の間合いには近すぎ――否。
耳障りな音が鳴った。ゴムと、金属と、雑多な部品を、まとめて貫く音だった。
「提督」の剣は稚器の腹部を刺し通している。剣の間合いには近すぎた。通常の剣であれば。ミスリルサーベルは彼の手を導き、神業じみた対応を為した。
「……あるよ。言い残すこと」
だが、そこまでだった。
「提督」は困惑した。抜けない。剣が。通常の人体には不可能な動きで、稚器がミスリルの刃を締め上げている。
彼女はそのまま、さらに「提督」を抱きしめた。
「《――お前の負けです。絶望なさい》」
(まずい――)
何かが来る。致命的な何かが。
彼は反射的に距離を“開き”かけた。いかなる体勢からであろうと、そうすれば逃れることができる。
だが彼は逡巡した。逃れることはできる。未だ捕まったままの剣を手放せば。それは皇帝ジョシュア・ノートン直々に賜った、かの国の粋たる一振りであった。
稚器の自爆装置の名称を、正しくは曾兄タイマーという。
自らの失敗を悟った彼は、最期の力でそれを起動させた。以来、自らの体内で響く時計の音を、稚器はずっと聞き続けていた。
刻限は、間もなく。
今や高らかなその音は、間近にいる「提督」の耳にも届く。
「まさか――貴様!」
3秒前。「提督」は足掻いた。稚器は微笑んでその様を見つめた。
2秒前。勝敗の判定はどちらに下るか。――その考えは、稚器にはなかった。今現在の彼女の勝利とは、一人でも多く殺すことなのだから。
1秒前。「提督」は自らの胸に手を伸ばした。そこにあった何かを取り出そうと。
そして。
「――……あれ?」
時計の音は止んだ。
恐ろしいほどの静寂の中で、稚器は小さく首を傾げた。
(《何故》)
自律脳が狼狽する。
原因が検索され始める。削除した記憶に該当事実があると推定。よって復元処理を開始。
――■や、これ■……。
――ど■■■■■すか? ■■■。
――稚■■ゃんの■に、爆■■■……
「《! ――やめなさい!》」
慌てて命じる。しかし何かがその伝達を阻む。思考回路基盤の辺縁で身動ぎしたものが。
復元。
――まあ。そ■な……。
――何■■■ーフティ■■■■■■■れない。しかし……。
「《やめろ!》」
頭を抱える。自由になった「提督」が、剣を引き抜き、叫びながら斬りつける。
右腕の肘から先が飛ぶ。だがそんなことは気にもならない。より重大な問題が、しかし止めようもなく進んでしまう。
復元/復元/復元/復元/復元。
――外すことはできそうだ。
――だったら、取ってあげましょう。可哀想だもの。
――そうしていいものかどうか。稚器ちゃんは未知の技術の塊だ。暴走の可能性に備えることは……。
――……お願い、外して。
――……いいのかい?
――うん。この子はちゃんと約束してくれたもの。
――分かったよ。香墨がそう言うなら。
「……お姉ちゃんっ!!」
「ヌウ……ッ!」
突如生じた衝撃に、「提督」は数十mほども吹き飛ばされた。
エレキテル反応炉の瞬間的出力異常。それは彼女の内に巣食った何者かの、断末魔の叫びめいていた。
《自律脳の機能不全を確認》
《ADMIN権限を人格副脳に移譲》
「……かえらなきゃ」
自らの内で交わされる会話を他人事のように聞きながら、稚器は呆然とそう呟く。
「――ああ、どこへなりと帰るがいい! だが、勝利は私が貰う!」
次いで、迫り来る「提督」を見る。
“お姉ちゃん”との約束は、今では正しく思い出せた。危ないことはしてはいけない。人を殺してはいけないと。
――それに疑問を持って話した時のことも。
「でも、お姉ちゃんだって戦ってるじゃない!」
「あ、うーん……それはそうなんだけど……」
「ずるいよ。チキだって殺せるもん!」
「……なんて言ったらいいのかな。私は、生かすために戦いたいの」
首を傾げる自分に、彼女は語ってくれた。
強い力は、生かすために使わなければいけない。
その意味は、その時は分からなかったけれど。
(……今度は何だ!)
「提督」は駆けながら顔を顰めた。
唐突にその場に屈み込んだ稚器の、自分に向けて開かれた口に、異様な輝きが満ちつつある。
並々ならぬエネルギー。その余波が微細な電光となって、彼女の周囲の空間に走る。
歴史は語る。
織田シジェンデストロイヤー。正気を失った盟友・斎藤道産に対処するため、信長が用いた禁断の兵器。
道産をこの世から消滅させたそれは、だが新たな脅威の呼び水となった。
尾張湾の海底、先カンブリア時代の地層に眠っていた超古代武将――後に“戦国の爆壊者”と呼ばれる、松永久秀の襲来である。
この二大災厄による被害がなければ、乱世の覇者は織田であった。その説は未だ根強く残る。
しかし、今は必要なことだけを述べよう。
結果的に織田は松永にも打ち克ち、解析した能力を、お市の方に搭載したのだと。
《織田シジェンデストロイヤー・レイ》
「――クイン!」
閃光に飲まれるコンマ数秒前、「提督」は引きちぎったお守りを眼前にかざした。
それは黒い水晶だった。一見して何の変哲もない、しかし希代の魔力を湛えた、黒人の至宝である。
赤と黒の光がぶつかり合う。
彼らを中心に広がった波動は、闘技場の地面を波立たせ、次元を引き裂かんばかりに吼える。
その音を聞きながら、提督は歯を噛む。
(まずい、か)
押し負ける。
そう直感する。正当な持ち主でない自分には、至宝の力を完全に引き出せない。
(――だが)
その表情が、不敵な笑みに変わる。
自らの命運が尽きかける。その瞬間にこそできることがある。
「“活路”を――開く!」
彼が叫んだ瞬間、破壊の嵐が掻き消える。
快哉を叫ぶ。それはいつ以来のことであったか。
稚器は未だ屈んだ体勢。そして、
「即中」
半ばから断たれた右腕が、いつの間にか砲に置き換わっていた。
長大な砲身を持つ異形の火縄銃。その側面に刻まれた銘は、誇り高き『千勢屋』の三文字。
「……即仏!」
超電磁火縄銃が光を放つ。
「提督」は最後に残った剣を振るった。その隙間を縫い、弾丸が届いた。