古太刀六郎プロローグ


きっかけは、小さな落石だった。


実況者一族の朝は早い。
午前5時。夜半からの雨はもう上がっていたが、外気は身震いするほどに冷たかった。
古太刀一族の末弟、六郎は、初夏には季節外れの長袖半纏を羽織り、日課の訓練に出た。

霧深い乗鞍岳の山腹に、少年たちの一糸乱れぬ発声練習が響く。

「なんということでしょう!なんということでしょう!なんということでしょう!」

「強~烈な当たり!!強~烈な当たり!!強~烈な当たり!!強~烈な当たり!!」

「入るか、入るか、入るか!?入ったー!!入るか、入るか、入るか!?入ったー!!」

古太刀家に伝わる『実況者・虎の巻』、一巻第一節である。
彼らは切り立った崖の縁に並び、毎朝その瑞々しい声を、飛騨山脈にこだまさせていた。

尚武の気風をもつタケダネット体制化において、実況者の地位は高い。
かつての戦国時代。確かな教養と滑舌の技術、高い生存能力に支えられた
戦場での『実況』は、織田陣営の武士、サイバネ兵、AIいずれに対しても、
高い士気向上の効果があった。

戦場において、「知らない」「わからない」という恐怖が、兵士に著しい
パフォーマンスの低下をもたらす――――そのような研究結果を受け、
関ヶ原の合戦後、主要な戦場に専任の『実況方』をおくことを献策したのが
時のAI軍師、山本勘助である。

実況方による実況は、織田勢から回収した電脳技術によって
全兵士にリアルタイムに共有された。
代を重ねるにつれ、彼らの実況技術は向上してきた。

それは今や、単に無知による恐怖を和らげるだけのものではない。
心躍る実況によって高められた武士たちのグルーヴは、彼らの戦闘力を著しく上昇させ、
無実況時のそれに比べて、実に140%のキルレシオ向上をマークする。
創設当時より、実況方が武田家による世界支配に貢献してきたことは、
疑いようもない事実であった。

古太刀家は二代目信玄公の時代より戦場での実況に従事し、武士たちの士気を
おおいに高めてきた。いまも当主が代々御前試合の実況を務めている、
もっとも由緒ある実況者の家柄である。

彼らは余人が足を踏み入れることを許されない、飛騨山脈自然保護区への
アクセス権を与えられ、未来の一流実況者となる子弟を育んでいた。

発声練習を終えた六郎が、従兄弟の少年たちと別れ、家路につく。
道すがら目に映る景色を、齢12の少年とは思えない、流れるような滑舌で描写していく。

「昨晩いっぱいの雨が嘘のような、さわやかな青空。
 あふれんばかりの蕾をつけたレンゲツツジに、初夏の朝露が輝いております。
 季節は芒種。少し肌寒いばかりに吹く風が、水のようにわたくしの頬を撫でてゆきます」

優秀な芸術家は、自然に学ぶという。実況者もまた然りであろう。
小さな変化を見逃さず、状況を正確に描写する力があってこそ、人の心を動かす実況ができる。
古太刀家が、VRゲームの中の過激なシチュエーションより、
刺激の少ない自然の中での訓練を重視する理由がそれである。

「きょうの家路実況」は、誰に義務付けられたわけでもない六郎の日課だ。
その内容は、六郎の実況者としての才能を、十分に感じさせるものであったが。

このときの六郎はまだ、実況がもたらす真の興奮を知らなかった。
年の離れた兄弟たちが、誇りをもって語る生業として。
ただ、実況を愛していた。

―――悲劇の始まりは、ここからである。

六郎はそのとき、まばらに草木の生えた、険しい斜面の下にある道を歩いていた。
そして不意に、自分のはるか前方、十五間ほどの高さのところで
雨でゆるんだ岩肌が崩れ、直径二尺ほどの小さな岩が、斜面を転がり始めるのを見た。

「おおーっと、落石です!しかし転がった先には、ねじれた松の木がある!」

果たしてその岩は、六郎が言い終わるか終わらないかのうちに、松の木に
引っかかって止まった。

『しかしおそらくこの落石、松の木にぶつかり、かろうじて静止しそうです』

言葉にするまでは間に合わなかったが、石の大きさ、速度からいって、
おそらくそうなるだろうということを、六郎の実況者視力は見抜いていた。

予想通り。

その結果が、ふと六郎にこんな錯覚を与えた。

   ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・
―――世界が自分の言葉どおりに、動く気がする。

六郎の魔人能力、『パニック・ステーション』の発現であった。
言葉にした現象を、その言葉どおりに『誇張』してしまう能力。

六郎は言葉を続ける。

「しかしこの松を支える岩肌、平茸のように中空に張り出しており、
 いささか不安定な様子。さきほどの衝撃により、ヒビが入ってしまったのでは
 ないでしょうか。」

「心なしか風も、強くなってまいりました。これ以上歩を進めるには、
 前方の岩肌はあまりにも不安定。松の木を撫でる一陣の風ですら、
 致命的な一打となってしまう予感がします」

―――風が吹いた。

松と落石を支えていた岩肌が、音を立てて割れた。
そこからは、すべてが加速度的に崩壊した。

「なんということでしょう!いつも使っている道にひそんだ危険!
 この斜面の意外な脆さに、わたくし恐怖を禁じ得ません!
 果たしてわたくしが今立っている場所ですら!安心していいと言えるのかどうか!」

「ああーっと!今朝までは盤石と思われた岩肌が!
 カステラのように崩れていきます!もはやこの土砂そのものが
 ブルドーザー!木々を根こそぎ巻き込んでいく!!」

「土砂崩れが崖下の村を襲います!あらゆる文明を覆わんとする濁流!
 家屋がことごとく崩れてゆきます!村人の生存は絶望的!
 すべてを飲み込む無慈悲な物量が!私の足元までも揺らしています!!」

「揺れが大きくなってまいりました、激しい揺れを感じます!!
 地下深くから湧き上がってくる、マグマのような衝動!!
 今、わたくしがこうして喋っている間にも!どんどん、どんどん
 大きくなってゆきます!!」

火を噴く乗鞍岳!逃げまどう野生の飛騨牛!

六郎の実況は、彼が火山性ガスによって失神するまで途切れることなく、
わずか7分で、飛騨山脈自然保護区の18%に壊滅的な被害を与えた。


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それから八年。

琵琶湖のほとりに設置された安ハニカム・アパートの一室に、
旧式のVRヘッドセットを着け、コンデンサ・マイクの前に立つ六郎の姿があった。

『さあかろうじて、動く丸太橋を渡りきったゾンビハンター。
 人間ヤジロベエと言うほかない絶技でした。
 しかし背後からはいまだ無数のゾンビたちが迫る!
 一体、どうなってしまうのか!?
 実況はわたくし、ブレードロックがお送りいたしました。』

あのとき引き起こした災厄は、魔人覚醒時の衝動によるものであったとの酌量で、
六郎はタケダネットの命による切腹を免れた。
身体には、魔人能力の発動を検知するビーコンが埋め込まれている。

いま六郎は、電脳ネット上のVR体験共有コミュニティの中で
人気ゲームの実況つき有料体験データを提供し、生活している。
古太刀家は取り潰しにこそならなかったものの、この種の魔人能力の発現への
対策を怠ったとして、少なからず禄を減らされている。実家には居づらい心地だった。

タケダネットの強制的指導のもと、あれ以来何度も
魔人能力を制御する訓練を行ってきたが、すべて徒労に終わった。
実況を行う中で、どうしても六郎自身の心が高揚してしまうことも原因なのだろう。
心ある実況と、魔人能力の封印。両者を両立させることは不可能であった。

ヘッドセットを外す。

VRの世界に、六郎の魔人能力は影響しない。それは六郎自身がVRワールドを、
実況に値する『本物の世界』とみなしていないことの証明でもあった。
果たしてそれは幸いだったのか、どうか。
VRコミュニティの中で、押しも押されぬ人気実況者として賞賛を受けても、六郎は虚しかった。


実況がしたい。

作りものではない、生身の人間が生きる世界で。

二度と忘れられない、血が沸くような実況を。

御前試合や、その他タケダネット公認の闘技場で活躍する道は、もはや望むべくもない。
制御しえない魔人能力は、どうあっても実況される対象に影響を与える。
実況で勝敗を左右してしまう実況者など、雇われるはずがない。

戦場で活躍する道も絶たれていた。六郎にはたとえ味方が不利な状況でも、
正直に実況を行うことを止められない欠点があった。

たとえ魔人能力がなかったとしても、味方に不安を与える情報は、自己判断で
絞らなければならないのがプロの戦場実況者だ。
娯楽闘技では問題なくとも、戦場実況者としては致命的な欠陥。
六郎の能力の運用に期待していたAI軍師や研究者たちは、がっかりした意を示す
PINGを打ちながら帰っていった。

それでも六郎が望んでいるのは、VRでも平面動画でもない、
リアルワールド・リアルタイムの実況だ。
自らの実況の性が、あれだけの災害をもたらしたという事実を受けても
実況者として世界と対峙する望みを捨てられない。六郎はそういう男になった。

あるいはそれは、あの災厄の7分間のような興奮を、
ふたたび求めているということなのかもしれなかった。


鬱屈した日々を過ごす六郎のもとに、ある日一通のメールが届く。
それは招待状。タケダネットの目を欺き、思うさま彼の魔人能力と、
舌技をふるうことができる舞台への。

『なんということでしょう…』

心のまま、思うままに実況できる場を求め、六郎は招待に応じる。
それがたとえ、「自らの闘いを実況する実況者」という、道化の歩む道であったとしても。
最終更新:2016年06月27日 18:55