タケダネットの監視の及ばない未開拓地域の一つ、蝦夷。
ここでは毎年、数多くのの冒険者が命を落とすが、それ以上の人間が金や名誉を求め、集まってくる。
多くの人間が集まるということは、金や物資もまた、そこに集積するということである。
金や物資が集まると、それを求め、また人が集まる。
蝦夷に存在するいくつかの拠点は、そうして発展してきた。
ただし、集まるのはマトモな人間だけではない。
タケダネットの力が比較的薄い未開拓地域の中でも、とりわけ人の行き来が多い蝦夷はタケダネットの支配する社会に適応できなかった人間もまた集まる。
蝦夷にいくつかある拠点の一つ、歓楽都市ススキノ。
冒険者の拠点としてではなく、非合法的な遊郭が集まる街として発展した都市である。
ここには蝦夷の中でも特にマトモではない人間の吹き溜まりである。
ギルドを追放された冒険者。異常性癖を持つ大富豪。本土から逃げてきた犯罪者。借金のカタに売られた子供。
どのような人間であれ、ススキノはそれを受け入れる。
ただし、出るとなると話は別である。
一度墜ちた人間が簡単に這い上がれるほど、ここは優しい場所ではない。
☆
思えば、彼-桜井銀次郎の人生には不幸がまとわりついていた。
優しい両親に育てられ、彼自身も少し出来の悪い弟の面倒をよく見ていた。
高校生になったある時、彼に彼女ができた。
一つ下の後輩で、笑顔がとても素敵だった。
彼は彼女をとても愛していたし、彼女もまた、彼を愛していた。
彼は幸せだった。
優しい家族と、愛する恋人に囲まれ、将来への不安もない。
この幸せが永遠に続くと無根拠に信じ込んでいたのだ。
何回目かのデートで、彼は事故に巻き込まれた。
遊園地のアトラクションの倒壊事故で、犠牲者33人に対し、生存者魔人に覚醒した高校生1名。
彼女の死に顔を彼は忘れられないでいる。
魔人に覚醒した後、彼の幸せな人生は終わりを告げた。
精神の均衡を徐々に失っていき、彼の見ていないところで弟に対して暴力を振るうようになった。
彼は薄々それに気づいていながらも、決定的な場面は見ないようにしていた。
自分が家族を崩壊させたという事実を認めたくなかったのだ。
ある日、彼が学校から帰ってくると、両親の死体の前で弟が呆然と立ち尽くしていた。
両親の死体は人間の力では不可能な程破壊され、着ていた服から辛うじて両親だと判別できた。
「兄ちゃん。」
弟は彼の顔を見ると言った。
彼は弟と一緒に蝦夷へと移住した。
彼には弟を見捨てることができなかった。
それは純粋な愛情からか、彼から目を逸らし続けてきた罪悪感によるものなのかはわからない。
蝦夷に逃げ、冒険者ギルドに入ってきた後も不幸は続く。
弟は壊れてしまっていた。
一緒に仕事をした冒険者をミスを装って殺しだしたのだ。
彼が上手く隠蔽したために処罰はされなかったが、「彼らと仕事をすると命を落とす」という噂が広がる。
死の危険が隣合わせの職業の常として、冒険者はジンクスや噂をとても重視する。
彼らは異常者揃いの冒険者の中でも敬遠されていった。
ある時、ふとした弾みから弟はギルドマスターを殺害する。
こうして彼らはススキノへと逃走する羽目となった。
あまりにも急な逃走だったので、資金も道具も何もかも足りない。
あらかじめ準備はしていたのだが、今回はそれを回収する時間もなかった。
一応資金確保のアテはないこともないのだが、ギリギリなのに変わりはない。
とりあえずの拠点として確保した廃工場の中で、彼は弟の帰りを待っていた。
ギルドマスターを殺害した以上は、必ず誰かが報復に来る。
彼と弟の顔は手配されていると思った方がいい。
買い出しには、身体変化能力を持つ弟が行くこととなった。
弟が出て行ってから二時間。
ここから市街まで弟の足なら十分。
そろそろ戻ってきてもいいころだ。
弟が何かトラブルを起こしていないか、心配になる。
そんなことを考えていると、弟が帰ってきた。
「遅いぞ。」
「ごめんよ、兄ちゃん。」
壊れて以降も弟は昔のように彼を「頼りになる兄」として扱ってくる。
買ってきたものを確認しようと近づくと、弟が灰色の物体を肩に背負ってくるのに気付いた。
「ん?これ?拾った。」
弟は彼の視線に気づくと、肩からものを降ろした。
灰色の服を着た少女だった。
顔ははれ上がり、意識があるようには見えない。
服装はきれいだが、色気がまるでない。
ススキノに来た観光客だろうか。
「何かするなら先に相談しろ。」
「ごめんよ。兄ちゃん。」
弟は項垂れた。
面倒を増やしやがって、と舌打ちをする。
街中で暴れるよりはましではあるか。
どちらにせよ殺すのだから、今のうちに発散させるのも悪くはない。
「…好きにしろ。」
「ありがとう!兄ちゃん!」
弟はうれしそうな顔をして、少女の方へ向き直る。
ススキノは歓楽街という性質上、観光客が多い。
遊郭を仕切っているヤクザよりは、観光客のほうが、リスクは少ないだろう。
これからは弟に観光客を狩らせて適度に発散させる方がいいかもしれない。
「何処からがいーかな。迷うなー。…うん、まずは左足にしよう。」
そういうと、弟は左足を叩き潰した。
骨がつぶれ、血が飛び出る。
凄惨な光景。
今更そんなものを見ても、彼の心は動かない。
弟の行動を意識の外へと追いやり、今後の方針を考える。
資金のアテとしてあったのは、彼に届いたある招待状。
希望崎学園主催の魔人能力者による武道会。
…参加してみるか。
一回三百万、優勝すれば二億。
ギルドの連中に居場所が割れるリスクはあるにしても、リターンがあまりに多い。
うまくすればススキノのポータルからまた別の場所に逃げられる。
最悪勝てなくても、「外」の人間とコネクションを結べれば、何か光明が見えてくるかもしれない。
参加するなら少しでも情報を集めなくては。
グキ。
骨を折る音が聞こえる。
微かに感じる違和感が彼の思考を中断させる。
何かあったのかと周りを見渡すと、弟の首があらぬ方向に曲がっていた。
「な…。」
思わず口から言葉が出てしまう。
能力者による襲撃か。
いくらなんでも早すぎる。
逃げ出してからまだ一日しか経っていない。
場所の特定すらもできていないはずだ。
襲撃に対応するため、頭を回転させる。
いくら能力者でもここまで迅速な襲撃は不可能。
自分と弟以外にこの場所を知っているものとなると…。
「うう…」
うめき声が聞こえる。
弟が連れてきた少女だ。
少女はこちらを見ると、手を伸ばし、何かを呟こうとしている。
反射的に能力を発動させる。
がきり、という音がした。目に見えない何かが障壁へとぶつかる。
そのまま障壁を動かし弟の死体ごと、少女を押しつぶす。
ぐしゃり。
嫌な音とともに血や臓物が周囲へとまき散らされた。
自分や弟のように、極限状態で覚醒するものは少なくない。
少女もまた、その一人だったのだろう。
猟奇殺人犯から身を守るために、能力に覚醒したのだ。
障壁を操作し、彼女がきちんと死んでいることを確認する。
殺人直後に特有の高揚感もなく、喪失感が胸を満たしていた。
今までの人生の大半は、弟のために費やしてきた。
唯一の肉親も失い、自分は何のために生きていけばいいのだろう。
二人の死体を処理しよう、と思うと、首元に衝撃を感じた。
後ろから誰かが彼の首をつかんでいる。
誰の気配も感じない。少女は殺した。ここには自分しかいないはずなのに。
疑問を感じるが、答えは出ない。
障壁を振り回してもそれは止まらない。力は徐々に強まっていく。
ぽきり。
何かが折れる音を聞くと、彼は地面に転がり落ちていた。
…まあ、こうなるよな。
死に際の彼の心に満ちていたものは、憎悪でも悲しみもなく、諦念にも似た納得であった。
俺はクズなのだから死んで当然なのだ、と。
銀次郎の意識が失われると、そこに一人の人間が近づいてくる。
長い髪に、薄いながらも膨らんだ胸。整った顔をしていて、灰色のパーカーを着ている。
その女性は銀次郎の死体の近くでしゃがみ込み、何かを探している様子だ。
しばらくすると、銀次郎の死体から、財布を見つけ、中身を確認した。
逃走用の資金だったのだろう。財布にはそこそこの量の金が入っていた。
女はそれを確認すると自分のポケットの中へと移した。
それから十数分、彼らの荷物を物色し、金目の物を回収する。
回収が終わると、立ち上がり、出口へと歩き出す。
歩く途中で、思い出したように少女の死体を一瞥する。
それを眺めると、辛そうな、泣きだしそうな表情をする。
暫くすると、少女の死体から目を逸らし、女は再び歩き出した。
☆
赤時雨ゴドーが目を覚ますと、チャイムが連打される音が聞こえた。
寝ぼけた頭で布団からでて、誰だろうか、と考えている。
この部屋を知っている人間は数人しかいない。同居人は鍵を持っている。
その上、こんな非常識な時間となると、自然に一人に限定される。
その一人の顔を思い浮かべると、頭が急激に冴える。
彼女がこの時間にやってくるということは面倒ごとを引き込んでくるということに等しい。
彼はため息を吐いて、玄関へと急ぐ。扉まで壊されたらたまらない。
扉を開けると、灰色のパーカーを着た女、灰被深夜が立っていた。
「遅い。」
灰被はそう言うと、返事も待たずに上がってくる。
そのまま我が物顔で廊下を突き進み、リビングのソファーへと座った。
ゴドーはそれを追いかけ、彼女と向き合うように座る。
灰被は足を揺らし、目つきはいつもより鋭い。
愛想の良い方ではないが、いつもより機嫌が悪いように見える。
「何かあったのか。今日の仕事は終わったんだろ。」
灰被はガシガシと髪をかきむしる。
「あー。そういんじゃない。…ちょっと昔のこと思い出しただけだ。気にすんな。」
そう言うと、息を吐き、少し落ち着きを取り戻す。
ゴドーが彼女について知っていることはほとんどない。
彼は情報屋である。街の有力者の専属の殺し屋である彼女とは商売上の関係に過ぎない。
過去に何かがあったということはぼんやりと理解している。
調べればわかることなのだろうが、それを調べることも、本人に聞くことも躊躇われる。
「薫﨑は寝てんのか。」
「多分な。」
「多分て。一緒に寝てんじゃねえのかよ。」
「誰があのマッド女と一緒に寝るか。」
「マッドだろうが何だろうがテメエの女だろ。」
「別にアイツは俺の女じゃねえよ。…ただの腐れ縁だ。」
それを聞くと、灰被は足を揺するのをやめ、ニヤリと笑った。
「へえ。いいこと聞いた。」
「何がだ。」
「俺にもチャンスがあるってことだろ。」
「何言ってんだよ。アホか。」
「お前にだったら抱かれてもいい。…初めてじゃなくて悪いが。」
「アホが。処女かどうか以前に、ガキに興味はねえよ。」
「年そんな変わんねえだろ。」
「年の問題じゃねえ。色気の問題だ。」
ゴドーはため息を吐く。灰被の相手をすると調子が狂う。
薫崎とは違い、こちらをからかっているというわけではない。
彼女は常に虚勢を張っている。強い自分を演じ続けている。
まるでそうしなければ壊れてしまうというように。
彼女を見ていると、放っておけないという気にさせられる。
それがゴドーは嫌だった。
これ以上捨てられないものを増やしたくはない。
「薫﨑といい、お前といい、そんなに俺が好きか?」
「好きだぜ。チョロいし。」
俺の評価点そこだけかよ、とゴドーは呟く。
彼も自分の半端な人の好さを理解しているが、他人に指摘されると気が滅入る。
人に頼られるのが好きで、表面上は嫌そうなそぶりをしながらもつい動いてしまう。
それが見抜かれていること、そしてそれに付け込まれることに拒否感を覚えない自分が嫌だった。
「そこまで卑下するこたねえよ。本土だとどうだか知らねえが、ここじゃ貴重だ。」
「貴重だからって役に立つとは限らんだろ。」
「一発ヤれば無料で言うこと聞いてくれそうなやつは、俺の役に立つ」
灰被は笑い、それを見てゴドーは更に顔を渋くする。
「…早く要件を言え。こんな話をしに来たんじゃねえだろ?」
「ああ。そうだったな。」
灰被はポケットの中から紙切れを取り出し、ゴドーに差し出す。
「ポータルのチケットか。こんなものどうした?…ああ、盗ってきたのか。」
「おう。今日の戦利品だ。」
「これがどうしたってんだ。俺は換金なんて出来んぞ。」
「ちげーよ。誰がテメーにそんなこと頼むか。いいか、今日の獲物が持ってたんだぞ。つまり…」
「…ああ、そういうことか。」
「おい、説明させろよ。」
灰被は不機嫌そうに言った。
今日のコイツの獲物はギルマス殺しの犯人。
計画的な犯行ではない以上、逃亡用にポータルチケットを買う金があるのは不自然だ。
そもそもポータルのチケットを買う金があるなら蝦夷からとっくに逃げ出しているはずである。
つまりは、どこかに協力者がいて、何らかの事情でポータルのチケットをもらい、また何かの事情ですぐには使用できなかったということだろう。
「協力者も可能なら殺せって話だ。報酬も別によこして下さるとよ。で?なんかわかるか?」
「あー。心当たりは一つあんな。」
「どこだよ。言って殺さなきゃいけないから早くしろ。」
「希望崎学園って知ってるか?」
「知らねえよ。」
ゴドーは端末を操作し、灰被に見せた。
「ネット掲示板だよ。」
「それがどうした?なんでネット掲示板がクズ野郎にチケット渡すんだよ。」
「それはだな…」
ピロリン
「ちょっと待て。」
灰被は携帯を取り出した。
画面を見ると一瞬驚いたような表情をし、すぐに笑みを浮かべた。
「もうその説明は良い。私のところに招待状が来た。」
「は?なんでだよ?お前さっきまで希望崎学園のことも知らなかったじゃねえかよ!」
「『掲示板を視認すること』がトリガーになっているのかもな。…まあ細かい話は良い。俺は参加する。協力しろ。」
「参加するのか?」
「するに決まってんだろ!二億だぞ!二億!チンケな殺し屋じゃあ手の届かない額!そんだけあったらあのクソ金貸しの契約書から解放される!」
「…よく考えろ。どう考えても怪しいだろ、こんなの。本当に金が払われるのかもわからねえぞ。」
「こんなチャンス二度とあるかわかんねえ。乗る以外ねえだろ。お前も金は必要だろ?」
「…だけどなあ。」
「ごちゃごちゃうるせえ。俺はやる。お前がなんて言おうと。乗るのか乗らないのか。どっちだ。」
ゴドーはしばらく考えるようなそぶりをして、言った。
「…いいぜ。受ける。ただし…」
☆
あるところに一人の少女がいた。
物心ついたころには既に両親がいなかったが、周りの人たちは彼女を大切に育てた。
ある時、彼女は自分が何のために育てられているのか知った。
金持ちに提供され、金を生みだすための道具。
そうなるために実の両親から買われたのだと。
それを知った時、彼女は不思議と動揺しなかった。
ああ、そういうことだったのか、と納得すらしていた。
いいじゃないか。たとえ道具だったとしても、死ぬよりはましだ。
そう自分に言い聞かせながら彼女は生きていた。
そんな彼女の人生に転機が訪れたのは、客を取り始めてから一年ほどのこと。
その日、彼女にあてがわれた客は正真正銘の異常者だった。
右手と左足を奪われ、首を絞められた。
彼女は死の危険に際して強く思った。
こんなクズ共の道具として死ぬのは嫌だ、と。
その時から彼女の戦いは始まった。
自分の人生を勝ち取るために。
彼女の未来に何が待ち受けているのか、まだ誰も知らない。