姫宮マリプロローグ
「アン」前へ一歩踏み出す。
「ドゥ」前脚を上げる。
「トロワ!」振り下ろす。義足の切っ先で圧縮された空気が破裂し、窓ガラスを震わせた。
こうしてただ独り、ひたすら特訓していると、先生の言葉を思い出す。
「私はときどき空恐ろしい。あなたは一体、何を目指しているの?」愚問だと思った。
「アン」踵を上げる。
「ドゥ」前傾姿勢。脱力。体幹に芯を通す。
「トロワ!」後方宙返り。着地。義足が床に刺さるが、ジャンプで引き抜く。
今の私に帰る場所は無い。バレエ界は生身の肉体を信奉する。
人のあるがままの美を尊ぶ――というのは建前。
サイバネを肯定し、アンドロイドにさえ躍らせるアイドル業界に対抗心を燃やしているのだ。
「アン」跳躍と同時に蹴り上げ。
「ドゥ」後ろ足で追撃。
「トロワ」続く回し蹴り。着地は美しく、次の構えに繋がる。
未練は無い。無いはずだけど、迷う時がある。
私は何の為に舞うのか。高みを目指す為のはずだ。私だけが辿り着けるバレエの頂きを。
けれど本当は、ただ皆に観て、褒めてほしくて――。
「アン」前脚を伸ばし、後脚の踵を上げる。
「ドゥ」体を折り畳む。
「トロワ!」バネを解く。回転――義足が折れた。バランスを失う。
倒れて仰向けになった私の眼前に、リハビリ室の無機質な天井が広がった。
壁に掛かった時計の方に目をやる。10時。もうこんな時間。シャワーを浴びて、今日はもう寝よう。
上体を振り起こし、車椅子まで片足で跳ねて行く。椅子に置いていたタブレットを拾う。
1時間前にメールが1通着ていたらしい。気づかなかった。
送り主を確認する。きっぽちゃん。”希望崎”の管理人と同じ名前だ。
もしかして、何かマズい書き込みでもしてしまっていたか。焦りとともにメールを開く。
メールは招待状だった。
添付された動画を開く。そこに写っていたのは、能力を駆使して戦う、二人の魔人の姿。
それはあり得ない光景だった。
タケダネットは魔人能力の行使を禁止している。
破れば重罪。人権を剥奪されて、人外魔境と名高い蝦夷や新潟に送られるという。
動悸がする。
もし、これが本当なら、私はまた踊れる。
また観てもらえる。
また褒めてもらえる。
いや、褒めなければ――ならない。
私の美しさを、技を称えること。それが有象無象の凡人に許された唯一の存在意義。
ノブレス・オブリージュ。神から与えらた才能を発揮することは天才の義務。
メールに返信した。今日はもまだ眠れそうにない。
最終更新:2016年06月27日 19:32