時刻は夕方。
斜陽に染まった林道で対峙する二つの影があった。
両者の距離は十メートル程。
「ねぇ、そろそろ観念した方がいいんじゃない? 七篠権兵衛さん」
腹部の出たミニスカ和服という変わった服装の女が、相対する男に語りかける。
権兵衛、と呼ばれた侍のステレオタイプの様な風貌の男は、顔に緊張を滲ませながらも首を横に振る。
「生憎とそれはできねぇな。タケダネットを相手取ってでもやり遂げたいことが俺にはあるんだ」
「そっか。一応抵抗しなければ捕縛してこいって命令だったんだけど、降伏する意思が見えないんじゃあ、仕方ないよね」
スッと鞘から剣を引き抜く女。
彼女の名は、禍津鈴。
タケダネットに雇われた剣士だ。
「チッ、タケダネットの走狗が。しょうがねぇ、叩き潰してやるよ!」
権兵衛も刀を抜いて応戦の意思を見せ、前へと動いた。
彼は時代の覇者であるタケダネットの反逆者。処罰命令が下っており、その尖兵として鈴が派遣されこうして対峙しているというわけだ。
「んじゃいくよー、能力発動!」
一直線へと距離を詰めようとする権兵衛に対して、魔人能力発動の宣言を行う鈴。
そして、権兵衛が鈴の元へと到達する直前――
「ぐぉ――ッ!」
突風が吹き権兵衛を押しとどめる――どころか一瞬バランスを崩す程のけぞらせた。
権兵衛は鈴の魔人能力は、“心象力”と呼ばれる力を付与する能力『エンチャント・心象力』。
鈴は自分に心象力を付与し、発動したのだ。
心象力とは、その時使用者が一番強く抱いている感情や思想などが能力となったものだ。
鈴が今発現した心象力は、吹き荒ぶ突風を引き起こす力。
彼女の激しい戦意が具現化されたものである。
風によって生み出された大きな隙を突く為に一気に踏み込む鈴の表情は、ヘラヘラと笑っているように見える。
しかし、心象力で発現した力は必ず心の内の感情を映し出すもの。
つまり、突風として表現される程の戦意が彼女の内で迸っているということである。
「あれー? 逃しちゃったか」
横薙ぎに払った鈴の剣撃は、しかし権兵衛には届かなかった。
権兵衛が風に煽られた勢いを利用して、後ろに身を反らしたからである。
不満気な表情をする鈴であったが、二発目の突風を使うことは出来なかった。
何故なら、心象力によって発現した力も魔人能力と同等に強すぎる能力には制約が存在することがあるからである。
例えば今回鈴が発現した能力の場合、突風を使う際には一秒間動きを止めて意識を集中させる必要がある。
無論、距離が近くなった今の状況で一秒動きを止めるなどの愚行は、身を危険に晒す可能性が高い。
故、鈴は真っ向から権兵衛へ剣戟勝負を仕掛ける。
彼女は自身の剣術に自信があったからだ。事実、タケダネットに臨時に兵力として雇われる程ではあるから、それなりに強い。
「へぇ。嬢ちゃんそんな細腕でやるじゃねえか。味方だったらかなり頼りになっただろうな」
一方で、対する権兵衛も鈴の剣術に引けを取らなかった。
実は、かつて権兵衛もタケダネットの兵士として働いていた時代がある。故にこそ、反逆した際に危険視されたのだ。
そして、そんな権兵衛は戦術判断も鋭い。
(今のままじゃあ拮抗……いや、下手するとこっちが危ないかも知れねえ。またいつ突風を仕掛けてくるかもわかんないからな)
心象力の使い手である鈴はともかく、権兵衛は鈴の使ってきた能力の詳細を知らない。
制約がどのようなものであるかも分からないから、鈴の突風は権兵衛にとってはいつ使ってきてもおかしくない、警戒に値する技なのである。
こうした思考負担を与える為に突風をすぐさま使用した鈴の判断は、ある程度賢明であったといえるだろう。
もっとも、それによって次の様な展開を招いたことは、愚行であったかもしれないが。
「――悪いが、俺も能力使わせてもらうぜ。『局所的運動厳戒令』!!」
そう、魔人能力の発動。
自分の身が危ないと権兵衛が思わなかったら、使わずに伏せていたかもしれない魔人能力。
そのきっかけを、鈴は自ら作り出してしまったのだ。
「――ッ! これは……」
鈴の頭に瞬間的に入ってくる情報。
それは以下の様なものであった。
“『局所的運動厳戒令』:能力発動者が予め指定した身体の部位を激しく動かすことを禁じる能力。これは能力発動者とその半径10メートル以内の他者に適用される。もし、激しく動かしてしまった場合、その場合は使用不可能なほど損壊する。尚、この能力仕様は範囲内の対象となる人物全てが直感的に理解する ちなみに今回指定されたのは左手”
その情報に、ゾッと怖気が走り余裕の笑みを保っていた鈴の表情が苦笑いに変わった。
「……地味にえげつない能力を使ってくるね~」
彼女は振りかぶっていた剣から、左手をゆっくりと外し右手だけで振り下ろす。
鈴の武器は片手剣であるとはいえ、両手で持った方がその分威力が高くなるというのは必然。
鈴の剣術は、そうした両手持ちでの攻撃を行うことも前提で組み上げられている為、左手が使えないというのは少々ぎこちなさを伴ってしまう。
「ははっ、そうだよな。片手使えないのは剣や刀を扱うものにとっては不便だよな。ま、俺は慣れてるけどな」
そう、能力によって権兵衛も左手が使えないはずである。
だが、権兵衛も片手を外した状態で戦っているが、なんら違和感なく戦えているように思えた。
恐らく、自身の能力を有効に活用するために、片手のみの剣術を修練していたのだろう。
先程までの状態は拮抗。
拮抗した状態から何かが崩れればどちらかに傾く。
不慣れな戦闘を強いられている鈴は、少しずつだが押され始め、徐々に後退するようになっていた。
「どうだ? 嬢ちゃん、降参して俺の仲間にならないか?」
権兵衛の誘いに、少し目を丸くした後呆れた笑みを浮かべながら鈴は答える。
「有利になった途端、調子に乗って降伏を迫るって凄く小物っぽくない?」
「なんとでも言え、俺はそれだけ必死なんだ。嬢ちゃんは、なんでタケダネットに与してる?」
「なんでって、そりゃあ雇われたから。タケダネットは他の反逆勢力とかよりも払いがいいんだよね。あと、現在の支配者の傘下に居ることで得られる安心感ってのも大きいしね」
剣と刀が交差する。金属同士がぶつかり合い奏でる音は、夕暮れの林道によく響く。
「成る程、要は稼ぎと保身の為ってところか。だが、本当にそんな日々稼ぎに興じる生活でいいと思ってるのか?」
「……」
鈴は、少し考える。
少し戦闘技能が高いことと、それ以外の才能がまるでなかったことから今の生活に甘んじている訳だが、「このままでいいのか」という掻き立てられるような焦燥感を感じていないと言えば嘘になる。
「その無言、何か思うことがあるみたいだな。一つ忠告してやる、俺の経験上、安定を捨てて賭けに出ないと大きなことは成し遂げられないぜ?」
「タケダネットを裏切る賭けに出て、何も成し遂げられずここで敗北する人に言われても説得力がないなぁ」
自身の内に燻ぶるなんとも言えない焦りや不安を言い当てられたのが癪に障ったのか、鈴は咄嗟にそう煽り返していた。
一瞬、権兵衛は唸るような表情をした後、だがニヤリと笑って。
「へぇ、言うじゃねえか。だが、これでもそんな自信過剰で居られるかな!」
下から斜めに切り上げる権兵衛。
(下からの攻撃――! 丁度振り上げたこの剣をそのまま下に――!)
権兵衛の刀に剣をぶつけて防御しようとする鈴。
だが、思考に割り込んでくる別の言葉。
(“いや、振り上げた剣はそのまま振り下ろさない” ――ッ!?)
当然、剣を振り下ろさなかったらそのまま切られてしまう。
鈴は慌てて、割り込んできた謎の思考を振り払い、ややタイミングが遅れたものの間一髪で剣を振り下ろし防御に成功する。
(今のは、一体……?)
流れるような権兵衛の攻撃を捌きつつ、しばし呆然とする鈴。
「どうした? 剣筋になんだか躊躇いがあったみたいだが?」
ニヤニヤと笑う権兵衛。
その表情から、権兵衛が何かをしたのだと鈴は推測する。
というより、この周りに二人しかいない状況下でそれしか考えられない。
(だけど、一体何を……?)
魔人能力は一人に一つの能力がほぼ原則と言っていい。
今片手を使えなくしている『局所的運動厳戒令』が権兵衛の魔人能力であるはずだ。故に、今の現象がどのように引き起こされたのかが鈴には理解できない。
今度はなるべく思考せず、身体に馴染んだ勘と経験で戦うことにする。
「これは、厄介だなぁ……!」
しかし、流れ込んでくる思考はまるで今までの経験がそう語っているかのように、鈴の行動を阻害してくる。
そして更に、経験則で戦おうとするとつい左手を使いたくなってしまい、ぎこちなさが増していく。
不利な状況により段々押され後退していく鈴。
そして防ぎれぬ攻撃も増えていき、致命的な傷は負わないまでも、身体や服に傷を刻まれていく。
「このままお前さんを斬り殺してしまいそうだが、降伏しなくて良いのか?」
「んー、しないかなー」
「そうか。なら、そろそろおさらばだな」
そうして激しさを増していく権兵衛の攻撃。
苦境の中、鈴は必死に思いを巡らす。
(魔人能力は二つしか持てないという原則に照らすならば、どちらかの能力は魔人能力ではないはず。ならば、どういう原理で……? いや、そもそも――)
そこでふと、ある可能性に思い至る。
(この一見二つに見える能力が、元々一つの魔人能力によって引き起こされたのだったら?)
鈴がそう思い至った瞬間、権兵衛が鈴の隙をついて、突きを放とうとする。
丁度心臓の辺りを狙った突き。
権兵衛はこれで決着をつけようとしているのか、その攻撃には渾身の力が篭っていた。
事実、ほぼ詰みと言っていい状況に鈴は追い込まれていた。
当然、絶妙な隙をついているので躱すことは不可能だ。
そして両手持ちができる状態ならいざしらず、権兵衛の能力によって片手で剣を持つしかない今の鈴では、防ぐことも難しいだろう。
何故なら片手で持った状態では勢いを殺しきれないからだ。
(ならば――)
そう、ならば。
(両手で持てば良い――!!)
左手を添え剣を両手で持った状態で、権兵衛の突き技を弾く鈴。
権兵衛の突きは渾身であったが故に、弾かれれば大きな隙が生じる。
そこを、今度は鈴が突きを繰り出し――――
「――ぐっ! ははっ、負け……かぁ」
鈴の直剣が突き刺さり、権兵衛の胸元が朱に染まっていく。
これで決着。
権兵衛の命の灯火が消えかかっているのは一目瞭然だった。
「両手で持ったっていうことは、気づかれちまったか……」
鈴の左手は激しく動かしたにも関わらず、損壊していなかった。
これは権兵衛の能力『局所的運動厳戒令』が何らかの理由で発動しなかった、というわけではなく――
「元々、そんな能力は存在してなかったってことでしょ? 貴方の本当の能力はただ相手の脳内に情報を刷り込むだけの能力ってところかな」
「概ね正解……だ……最後に……完全回答を教えてやる……」
権兵衛からの最後となるであろう情報を鈴は脳内で受け取る。
“能力名:『瞬間ラーニング』
視界にいる他者に対してあらかじめ脳内で決めた言葉、或いは文章の内容を瞬時に認識・記憶させる能力。
この能力によって記憶させられた言葉や文章は、何回も反復して学んだ様に馴染んで記憶される。“
「……なるほどねー」
ずるり、と剣を引き抜くとそのまま権兵衛は音を立てて倒れた。
鈴は無感動にそれを見て、剣を鞘に収めた。
そして電話で任務終了を伝え、メールをチェックしていると。
「『武闘会の招待状』……?」
そのメールには、魔人が戦う動画と“武闘会”というものの詳細があった。
中でも目を引いたのが、優勝賞金の2億円という額。
そこで物言わぬ死体となった権兵衛を、もう一度見て鈴は呟く。
「安定を捨てて賭けにでないと……か」
痛い思いを何度もするかもしれないが、それでも悪くはない条件だ。
決して感化された訳ではないと自分に言い聞かせながら、権兵衛の考えに乗ってみるのも悪くはない、と思い。
「参加してみるか~」
禍津鈴のノリは軽い。
故に、こういう時は即断即決なのだ。
【禍津 鈴プロローグ END】