――――タケダネットは完全無欠だ。
どこに居ようと行動は監視され、記録され、不正行為の余地などない。
――――と、だいたいの人間はそう思っている。
人が作りし物に「絶対」はない。
鎖国。禁酒法。ベルリンの壁。どんな時でも抜け道はあるものだ。
タケダネットもまた例外ではなく、監視の“穴”が存在する――――。
――――魔人コロシアム『天の磐戸』。
カナガワのどこか。地下深くにひっそりと作られたアンダーグラウンドスポット。
夜な夜な魔人達が集い、タケダネットの支配から解き放たれ、
存分に魔人能力を使って戦うという夢の祭典。
そんな『天の磐戸』の興奮は、今まさに最高潮に達しようとしていた。
「――てやあああああああっっ!」
松姫カナデの蹴りを“J・J”が受け止めた。
空手をベースにアレンジを加えた、お手本のように綺麗な受けだった。
“J・J”はスーツに黒縁眼鏡の美丈夫である。
ジェイ・ジェイ……当然ながら偽名。見た目はお世辞にも強そうに見えない。
どこかのIT企業からふらりと抜け出してきたかのような、冴えない風貌であった。
しかし、この“J・J”。
その実、彼こそが王者。
彼こそが長きに渡って『天の磐戸』の頂点に君臨してきた――『ランク1』の魔人なのだ!
チャンピオンに敗北は許されない。
『敗北を認めないかぎり無限に傷を癒やせる』
という彼の魔人能力は、まるで王者になるべく天から与えられたかのようだった。
事実、いまや“J・J”は地下闘技場の絶対者だ。
誰も逆らえない。
誰も勝てない。
“タケダネットの圧制から自由になる”という名目で立ち上げられたはずの『天の磐戸』は、
もはや彼の私物と化しつつあった。
「松姫。君は何故戦う」
掌底を繰り出しながら“J・J”が問うた。
「2位では不満なのか? すでに十分すぎるほどのファイトマネーを得たはずだ」
掌底はカナデの顎にヒットした。
脳が揺れる。立ち上がれない。
なんとか顔を上げると追い打ちが見えた。蹴りだ。
「うぶっ」
これも回避できずに喰らう。
そのままカナデは仰向けに倒れた。
「君の魔人能力は、私のそれと相性が悪すぎる」
蹴りを叩き込んだ姿勢のまま、“J・J”が淡々と述べた。
死刑執行人のような厳かさすら感じられる口調だった。
「諦めたまえ」
「…………、う…………」
――――松姫カナデは起き上がれない。
仕方がない事だった。
既に60分近く戦っている。無限に傷を癒せる“J・J”ですら疲労を覚えてくる頃だ。
これで12回目のダウン。決着だろう。
「……カナデェェェエー!テメー立てェェェェー!」
金網にしがみついて叫ぶ男がいる。
“ノブ”だ。ランクは11。先月カナデに敗れたばかり。
とことん口が悪い男だが、自分が“これ”と認めた相手に対しては敬意を払う性質ではあった。
ギチギチと金網が掌に食い込み赤い血が流れる。それも気にしていない様子だった。
どうでもよかった。怒りの方が上回っていた。
「テメー俺に勝っといてここで負けンのか! アア!殺すぞ!!」
「もう無理でしょ。よくやったわよ、カナデちゃんは」
「黙ってろ処女厨!殺すぞ!」
「人間の身体には限界ってものがあるのよ。わかってる?」
「黙ってろ!殺すぞ!」
「はあ」
溜息と共にワインを傾ける。
こちらの美女はランク40の“スペクター”。過去に一度カナデを破っている。
魔人能力は『処女にしか通じない幻覚を見せる』という癖の強いものだが、
それゆえにカナデは大いに苦戦し、一度は戦意そのものを喪失した。
それほどに強力な幻覚なのだ。
幻覚だけではなく、格闘能力も卓越したものがある。
スペクターは処女ファイターがランク30台へと挑む際の門番であり、
多くの処女ファイターが幻覚対策を練り、策を弄し、そして破れてきた。
スペクター本人もまた、何度戦おうとカナデに負ける事はないと確信していた。
それが負けた。
カナデは気合と根性だけで幻覚をねじ伏せ、スペクターを圧倒して勝利した。
気合と根性。
策とも呼べぬ策だったが、スペクターにとっては新鮮だった。
真正面からぶつかってくるその心意気が面白いくらいに痛快であった。
それ以来、彼女はカナデを気に入っている。
カナデの底なしな闘争心が好きだ。
何事も根性でなんとかしようとするところが好きだ。
キラキラと輝く金髪が。すらりと伸びた脚が。控えめなバストが好きだ。
ちょっと足りないオツムすら愛嬌のうちと言えた。
「……だから、もう休みなさい。カナデちゃん」
なればこそ。
今のスペクターの声は慈愛に満ちている。
「ほんとに死ぬわよ。あなた」
松姫カナデは起き上がれない。
仕方のない事だ。既に幾度もクリーンヒットを受けている。
“J・J”のような回復能力を備えているわけではない。これ以上の戦闘は命に関わるだろう。
ノブも、スペクターも、リングで向かい合う“J・J”でさえもそう考えていた。
――――それでも。
それでもカナデなら。
わずか半年前に『天の磐戸』にやってきて、若干17歳で破竹の快進撃を続けてきた彼女なら。
きっと立ち上がってくれる。きっと“J・J”に勝てる。
抑圧に負けない、コロシアムの新たな星になってくれる!
「松姫ー!負けるなー!」
誰かが叫んだ。
「立て!クソッタレの帝王をブッ倒せ!」
違う誰かが叫んだ。
「松姫カナデなら勝てる!そう信じたからアンタにベットしたんだ!」
また違う誰かが叫んだ。
もはや周囲は総立ちだった。
すべての観客が一人の名前を叫んでいた。
「カナデ!」
「松姫!」
「カナデ!」
「松姫!」
「カナデ!」
「カナデ!」
「カナデ!」
「「「 がんばれ! カナデ! 」」」
「が」
「ん」
「ばる!!」
――――“J・J”の無表情が初めて崩れた。
つい先程まで瀕死だったはずのランク2が。松姫カナデが。
立ち上がっている。
……笑っている。
「なぜ立てる」
なんとかそれだけを絞り出した。
深い動揺に満ちた声だった。
返答は、すぐ。
単純明快であった。
「楽しいんだ!」
ガツンと頭を殴られたような衝撃があった。
「たの……しい」
「うん!」
ぐいと鼻血を拭って松姫カナデは笑う。
小さくステップを刻みだす。
トレードマークの金髪ポニーテールが元気に跳ね、キラキラと輝いた。
「ここにいればタケダネットの監視から自由になれる」
「魔人能力を好きなだけ使える。みんなが応援してくれる」
「なにより、あなたと――――」
「――――あなたと戦える!“J・J”!」
カナデが地面を蹴ったのが見えた。
カナデの “黒髪” が視界の端で翻った。
つまり、彼女の能力が発動している。
つまり、既に懐に入られている。
つまり、反応が遅れた。
拳が迫っている。
(しまっ、)「うご……ッ!」
強烈なアッパーが顎に打ち込まれた。
“J・J”の能力が発動し、回復。脳震盪をギリギリで回避する。
「ノブとか、スペクターとか」
「強い人といっぱい戦える!」
次は蹴りだ。強烈なハイキックが腕に打ち込まれる。
ガードした部分の肉が裂け、骨がバキバキと砕けた。
馬鹿げた威力だ。カナデの魔人能力が発動している。“J・J”の能力が発動し、裂傷と複雑骨折を完治させる。
「言ったよね!あたしは頭がおかしいのかも、って!」
「強い人と戦いたくて戦いたくて、戦いたくて戦いたくて戦いたくて、仕方がないんだ!」
――――今のカナデは先程までの姿と全く異なっていた。
キラキラと輝いていた金髪のポニーテールは、あらゆる光を吸い込む漆黒に。
控えめだったはずのバストは、今や胸元のボタンを弾き飛ばさんばかり。
全身から大人の女の魅力が漂う。
積み重ねてきた歴史を感じさせる。
動きのキレが違う。
技の冴えが違う。
攻撃の威力が違う。
これが松姫カナデの魔人能力。
『全盛期の業前』
『未来の最高到達点』
『生涯の中で最強の戦闘力』
それを、3分間だけ、今ここに、コピー&ペーストする――――
「――――『サンドリヨン・ゴーヴァン』!」
「イエス!」
貫手。頭突き。飛び蹴り。肘打ち。
足刀。回し蹴り。掌底、正拳突き。正拳突き、正拳突き、正拳突き!
絶対王者が、チャンピオンが、“J・J”が押されていく。
壁際に追い込まれていく。
「ワアアアアアア!」
「カ・ナ・デ!」
「カ・ナ・デ!」
「監視されて、がんじがらめにされて、何の自由もない生活に比べたら!」
黒髪の美女がめいっぱい身を沈めた。
「こうして貴方にボコボコにされるのすら――――」
“J・J”は何らかの攻撃に備えようとした。
衝撃は来なかった。
直後、声が移動した。
“上”に。
「――――超! たのしい!」
跳躍!
美女が重力を振りきって高く飛んだ。
その場の全員が息を呑んで見上げた。
血と汗と砂でボロボロになった純白の女子校制服が、コロシアムのライトを受けて輝いた。
絹のような黒髪は既に半ばまでが金髪に戻っていた。魔人能力のタイムリミット。
「ファイトマネーとかどうでもいいよ!」
空中でくるくると回転した。
「もっともっと貴方と戦いたい」
カナデの視界で、天と地が反転した。
「だから、立って、戦える!それだけだよ!」
“天井”に着地した。そして、蹴った。
流星のように松姫カナデが降ってくる。
致命的な一撃が迫る。
“J・J”は思案した。この一撃への対処法を。
(受け止めるか)
(私の能力なら――――)
(――――いや)
(避ければいいだけだ)(バカな奴)(付き合うと思っているのか)
(その勢いのまま地面に激突しろ)(自滅か)(つまらない幕引きだったな)
(今度こそお前の負けだ、松姫)
一歩下がろうとした。
瞬間、カナデと目が合った。
……魔人能力で姿が大人になっても、変わらない部分がある。
それが目だ。
冬の夜空のように澄んだ瞳。
夏の太陽のように燃え盛る闘志を宿した瞳。
あれは純粋な娘だ。タケダネットからの解放を願んだ。
束縛を嫌い、自分が自分らしく生きることを願った。
一時の自由を手にするため。戦うためだけにコロシアムにやってきた。
“J・J”も以前はそうだった。自由が欲しくてコロシアムに来た愚か者だった。
カネも権力も要らなかった。タケダネットの目を離れて魔人能力を使えるのが嬉しかった。
どこに行っても認めて貰えなかった魔人能力をフル活用して戦いに勝った時、
“此処こそが自分の居場所なのだ”
――と感じた。
それが、ああ、いつからだろうか。
チャンピオンになった頃からだ。
自由の喜びを忘れていた。
他者と競い合う悦びを忘れていた。
頂点を守らなければ“ならない”。
他者に勝たなければ“ならない”。
それだけに憑かれ、何年もそうしてきた。
高みに立った者にしか分からない呪いだった。
「“J・J”!」
(……俺は)
「“J・J”ィィィィ!」
「俺は……!」
「勝、負、だああああああっ!」
「――――――俺は“J・J”! チャンピオンだッ!」
「逃げるものかッ、カナデェェェェッ!」
“J・J”は呪いを振り切り、帝王の誇りと共に拳を繰り出した。
カナデもまた、流星のようなパンチを叩きつけた。
拳と拳が激突した。
「――――それでは、松姫カナデ君のランク1到達を記念して」
「かんぱーい」
「かんぱーい!」
魔人コロシアム、『天の磐戸』内のバー。
カツンとグラスを打ち付け、四人が思い思いにドリンクをあおる。
「カナデよう、テメーマジで殺すぞ? ア?」
飲み干したジョッキをテーブルに叩きつける。“ノブ”だ。
「なにが?」
「ヒヤヒヤしただろうが! 心配させンじゃねェよ!」
「あっ、心配してくれたんだ。ありがとう!」
口元をビールの泡だらけにしながら笑うのは、新チャンピオン。
コロシアムの『ランク1』 ……松姫カナデ。
“スペクター”が赤ワインのグラスを置く。
「心配するわよ。“J・J”相手にあそこまで粘った人、はじめてだったし」
ニヤニヤと底意地の悪そうな笑みを浮かべ、隣に座る偉丈夫にちらりと目線を送った。
スーツに黒縁眼鏡。
“J・J”。
「ね? 元ランク1?」
「そうだな。前例がない……嫌な対戦相手だった」
言葉とは裏腹に“J・J”の顔つきは晴れやかだった。
「だが、楽しかったよ。松姫カナデ」
「楽しかった?ほんと?」
「本当だとも」
「そっかあー」
へへへへ、とくすぐったそうにカナデが笑う。
「あたしも楽しかった。ありがとう、チャンピオン!」
「もうチャンピオンじゃない」
笑いながらオレンジジュースをちびちびと飲む。
呪いは解けていた。“J・J”が何年ぶりかに見せる、心の底からの笑顔だった。
「ンでよォ、これからどうするんだ?ア?」
「どうって?」
「もうカナデちゃんはチャンピオンになっちゃったでしょ。
これまでみたいに“ガンガン勝ち上がる”っていうのは出来ない……。
戦う機会、少なくなると思うわよ」
「そうだな」
“J・J”も首肯した。
「もちろん私もリベンジするつもりだが、その前にもう少し手頃な……そう、
ノブ君あたりと戦って自分を鍛え直すつもりだ」
ノブが露骨にしかめっ面を浮かべたが、彼が不満を述べる事は叶わなかった。
それよりも早く、新チャンピオンが心底絶望した声を上げた。
「ええっ!今日とか明日とか、すぐにリベンジしてくれるワケじゃないの!?」
チャンピオンになれば挑戦者がひっきりなしにやってくる。
すなわち、たくさん戦える。
たくさん勝って、たくさん負けて、夜は酒場でいっしょに乾杯。
夢想していた楽しい日々を打ち砕かれ、ピュアな戦闘狂の顔は大いに曇った。
「チャンピオンの戦いは一大イベントなんだよボケ。クソブス。死ね」
「まあ、一週間に一度戦えればいいくらいじゃない?」
「いっ………………………………」
「……いーやーだー!それじゃあ、全然、戦えないよー!!」
「戦いたいよーーー!」
「うああああーんあんあんあんあん!」
ノブもスペクターも“J・J”も、一様に肩をすくめた。
まったく手のかかるチャンピオンだ。
三人とも苦笑している。最初に切り出したのは、ノブだった。
「だからなァ、お前にプレゼントがあるんだよ」
「ひぐっ……プレゼント?」
顔を上げる。
ノブの携帯端末が目の前に突きつけられていた。
動画が再生されている。
写っているのは、能力を駆使して戦う二人の魔人の姿。
見慣れた『天の磐戸』のランカー対戦ではない。
かわりに『希望崎学園』のロゴが画面隅に入っている。
「なに?これ」
「コロシアムと同じだ。タケダネットの監視を潜り抜けて行われる武闘会……と、」
動画の再生が終わる。
メール文面が表示される。
「その招待状」
メールの差出人は匿名掲示板『希望崎学園』の管理人、きっぽちゃん。
本文欄にはこのように記されていた。
あまりにも簡潔すぎる文面だった。
参加者募集!魔人の力を存分にふるってみませんか?
・これはタケダネットの監視を潜り抜けて行われる、3時間だけの武闘会です。
・一勝すれば賞金300万円。
・優勝者には賞金2億円。
・敗北したとしても、貴方はこの世界では得難い“自由”を味わうことができます。
・諦めていた“自由”を、この武闘会で手に入れてみませんか。
「カナデよォ、お前、これに参加しろよ?ア?」
「エントリーは明日の朝6時に〆切ですって。
抽選は厳しいけど、コロシアムで1人分の優先参加枠を確保してあるの」
「私が……チャンピオンが参加する予定だったのだがな。
ここは新チャンピオンが行くべきだろう」
カナデの涙は止まっていた。かわりに、違う涙が溢れてくる。
「あたし、行っていいの?」
「いいわよ。みんなが納得してる……いっぱい戦ってきなさい」
スペクターがカナデの髪を撫でた。
「あなたの優先枠じゃないの?」
「今となっては君のものだ。お嬢さん」
“J・J”が苦笑する。
「さっさと行けや!ブス!」
ノブがカナデの尻を蹴飛ばした。
「んでさっさと負けてこい!死ね!」
カナデは泣いている。
嬉し泣きだ。
かつて戦った相手がかけがえのない友になり、こうして送り出してくれている。
タケダネットの監視下では絶対に得られなかったであろう関係。
コロシアムの自由がもたらした友情。
ぶんぶんと首を縦に振ると、涙が飛び散った。
「うん。……うん!うん!」
「あたし、行ってくる!絶対優勝するからね!」
タケダネットは完全無欠だ。
どこに居ようと行動は監視され、記録され、不正行為の余地などない。
――と、だいたいの人間はそう思っている。
人が作りし物に「絶対」はない。
鎖国。禁酒法。ベルリンの壁。どんな時でも抜け道はあるものだ。
タケダネットもまた例外ではなく、監視の“穴”が存在する――――。
「――まってろ、希望崎学園!」
「いっぱい戦って!いっぱい勝つぞーっ!」
「うおおおおおーっ!」
――――松姫カナデ、17歳。女子高生。
得意科目は体育。
トレードマークは金髪ポニーテール。
好きな食べ物はチョコレートパフェ。
一番目に好きな事はいろいろな人と喧嘩すること(法律違反)。
二番目に好きな事は喧嘩した人と一緒にお酒を飲む事(法律違反)。
魔人能力は3分間だけ身体能力を爆上げする、『サンドリヨン・ゴーヴァン』(法律違反ではない)。
すべては“自分の好きな事をして生きる”ために。
純粋な闘争心の赴くままに。
次の戦場、希望崎学園に向かって、彼女は走る。
ザザッ。
ザリザリザリ。
『――――これが松姫カナデ容疑者(17)の最後の足取りです』
『違法退廃暴力施設は摘発され、関係者の99.8%は逮捕されましたが』
『松姫カナデ容疑者は未だに市街に潜伏しているものと思われます』
【ただちに通報】 【五人組制度を守ろう】 【魔人に要注意】
『彼女には違法風営格闘、未成年者飲酒、全世界模範ヘアカラー法違反の疑いで逮捕状が出ています』
『資源の皆様の通報が、毎日の明るい資源生活を――――』