一回戦第七試合その1


灰被深夜は暗殺者である。
正面戦闘ができないわけではないが、好きではない。
相手はメディア戦役を生き抜いた猛者、薪屋武人。
彼女の技術や能力では、正面から渡り合うのは難しい。
正攻法でだめなら搦め手で行けばいい。彼女はいつもそうやって生きてきた。
彼女は主催者に提供してもらった対魔人銃を構え、彼の隙を伺う。

…何者なんだ。あいつ。

スコープ越しに彼の様子を覗いているが、警戒している様子は一切ない。
何をやっているのかというと、ストレッチをしている。
命の危険はない、とされてはいるが、命のやり取りをする場である。
準備運動など先にやっておけ、という話だ。
灰被は何か得体のしれない感じを抱く。

…あいつに手を出してはいけない。

そう、殺し屋としての本能がささやく。

馬鹿な、何を考えている。これはチャンスだ。ここで殺せれば情報を漏らすことなく勝利を得られる。
俺はこの戦いで優勝しなければならないんだ。ここで勝たなければあの肥溜めからぬけだせない。

自分を奮い立たせ、彼女は引き金を引いた。



薪屋武人は狂人である。
教師になってから殺した人数は三桁にも及ぶ。
その実力と、「江戸湾ウィルダネス」の治安の悪さから教職こそ失っていないが、周りの教師や生徒たちからは避けられている。
そんな彼であるが、生まれた時から狂っていたわけではない。
彼は教師を目指す、心優しき脳筋であった。
彼は子供が好きだった。
子供は、未来と可能性の象徴である。
彼らを守るのは大人として当然だと思っていたし、それに携わるのが夢だった。
そんな彼が傭兵として戦争に参加するのは、ある意味必然だったかもしれない。
戦争は平等に人の命を奪う。
何も知らない赤ん坊も、夢見る若者も。
それを知った彼は、戦争へと飛び込んだ。
しかし現実は残酷で、彼が守れたものは少なかった。
それでも彼は、少しでも多くを救おうと、守ろうとした。
彼は暇なときには近くの村に出向き、教師の真似事をしていた。
脳筋である彼の授業は決して分かりやすいとは言えなかったが、子供たちは彼を慕ってくれた。
それは彼にとって、救いだった
ある時、彼は任務である村へとむかった。
敵対する勢力がその村を占拠したという。
その村は彼が教師をしていた村だった。
彼の舞台がついた時には、手遅れだった。
家の大半は燃え、広場には人間の死体が山となった。
彼は走った。
一人でも多くの人を助けようと。
誰も見つからず、彼が諦めかけた時、彼はようやく見つけ出した。
教え子の一人で、きれいな黒い長髪が特徴の少女。
彼女は血まみれになっていたが、生きていた。
彼が安心させようと、近づくと、彼女は彼に銃を向けた。

お前がいなければ、お前らがここで戦わなければ、こんなことにはならなかった。

そういって彼女は引き金を引いた。
その後のことを、彼はよく覚えていない。


運動前の準備体操は大切である。
彼は教え子によくそう言っている。
準備運動は体を解きほぐし、急に銃弾が降ってきても怪我や筋肉痛にならないために必要である。
彼自身も教育的指導をする前には準備運動は欠かさない。

「ふーん、ふん、ふーん」

ラジカセから流れる音楽に合わせ、調子の外れた鼻歌を歌う。

…さて、私の教え子はどんな子かな。

彼は狂人なので、教え子と対戦相手の区別がついていない。
彼は今回の武道大会を「教育的指導」の一環として理解している。
どちらにしても彼にとっては彼には対して変わらないのではあるが。
彼の相手は大体死ぬか、後遺症を負うのだから。


パン、と音がして、彼は首の後ろに衝撃を感じる。
傭兵の経験から彼はこれが銃声であると理解した。
そして数舜遅れて、自分に弾丸が当たったということを理解した。
彼に銃はあまり有効ではない。
ガトリングでもない限りは、彼の能力『ビリーブ・ユア・ハート』で強化された筋肉の鎧が弾き返してしまう。


…ふむ。この子はなかなかのじゃじゃ馬のようだね。

「さあ、“対話”の時間だ」
そう呟くと、彼は後ろへ振り返った。


銃弾が薪屋に当たった直後、灰被は彼女の直観に従わなかったことを後悔した。

…あいつ。銃弾が効かないのか。

彼女も、身体硬化の能力を持つ敵と戦ったことがないわけではないが、この場合は完全に不意打ちである。
そうなると、薪屋は恒常的に銃弾が効かないような肉体を維持していることとなる。
現在の彼女に彼に有効打を与える手段があるかどうか。
とにかく現在位置を知られているのはまずい。
彼女は駆け出す。

「おい、灰被君。ライフルは校則違反だぞ?」

ぞくり、と悪寒が走ると、とっさに彼女は右へと転がった。
彼女の判断は正しかった。
さっきまで彼女のいた場所に薪屋はラジカセを振り下ろしていた。
何故?撃ってから数秒しかたっていない?
灰被は疑問を浮かべるが、その直後、理解した。
ただ、超脚力でここまで移動しただけだということを。

「何か事情があったのかもしれないが…。校則違反は校則違反だ。おとなしく罰を受けてくれ。…その後でならいくらでも相談に乗ろう。」

そういうと、彼は再びラジカセを振り落とす。
この姿勢では避けられない、そう悟った彼女は、「腕」を発現させ、自分を放り投げた。
ラジカセは再び空を切る。
自分の移動とともに、彼女は「腕」も移動させ、空中でもう一度自分を放り投げる。
薪屋が彼女の方を向いたとき、彼女は彼の手の届かないところに移動していた。


「撒いたか」
灰被は廃工場内の一室で、通信機に向けて言った。
『一応な。ただ時間はねえぞ。』
通信機越しに声が返ってくる。
彼女の協力者。赤時雨ゴドーである。
彼は廃工場内の監視カメラをハッキングし、薪屋の位置を監視している。
彼の協力なしには、最初に奇襲もなしえなかっただろう。
『…あいつ、工場内の部屋を壁ぶち抜きながら荒らしまわってやがる。あと精々十分くらいじゃねえの?』
あのパワー。時間的余裕。こちらの体力。すべてを考慮すると、手段は一つしかない。
灰被は大きく、息を吐いた。
『…なあ、マジでやるのか。』
「それしかねえだろ。」
うげえ、とゴドーは呻く。
「見たくなきゃ見なきゃいいだろ。」
『うるせえ。俺の勝手だろ。』
灰被は笑う。
どれだけお人よしなのだ。この男。
根が善人であるくせに、悪ぶろうとする。
何もできないから、と少しでもこちらの負担を背負おうとする男が悪人になれるはずなんてないのに。
『…何だよ』
不満げな声が漏れる。
「なんでもねえよ」
そういうと、彼女は再び大きく息を吐く。
「…いくぞ」
彼女はそう言うと、右手でナイフを振り落とした。



早く教育的指導をしなければ、灰被君が死んでしまう。

薪屋武人がその部屋に入った時、彼はそう思った。
灰被深夜は左腕と右腕から大きく血を流し、その先が失われている。
呼吸で体が動いているが、瀕死の状態なのはわかる。
彼はその超脚力で彼女の元へと向かおうとする。
右手に持ったラジカセを振り落とすために。
だが、彼はその場所から一歩も動けなかった。
灰被の不可視の「腕」が薪屋の首元をつかんでいたから。
…もちろん、通常時ならば彼女の力で薪屋を止めることはできなかっただろう。
しかし、彼女の力にはある特性がある。
四肢が不自由になるほど、力が強くなるという特性が。
生身の左腕と、右足を切断した今、彼女の力は今までにないほど高まっている。
薪屋の首にかかる力は徐々に力を強まっていく。


灰被の「腕」により、首が絞められ、薪屋の意識は既に朦朧としている。
命の危険にさらされているためか、彼には過去の記憶を追体験していた。
彼が正気であった最後の記憶。
記憶の中の少女と、灰被が重なる。
なんの因果か、いや、奇跡といっていいのかもしれない。
彼の心は一時的に正気を取り戻していた。
ただの優しい教師志望としての心を

…今度こそ。俺が…。

彼は朦朧とした意識で前へと歩き出した。


灰被も薪屋と同じように過去の記憶を思い出していた。
彼女の生き方が変わった日のことを。

…あの時と同じだ。

片手と片足を失い、死がそこまで迫っている。
薪屋にダメージを与えられてはいるが、こちらがくたばるほうが早い。
薪屋の装甲は想像以上に厚かった。まだこちらを殺そうと歩いて来ている。
こちらは片足を失い、歩くこともできない。

死にたくない。死ぬのは嫌だ。怖い。
まだ私は何も成していないのに。
クズどもに利用されてばかりで、殺し屋になってもそれは変わってなくて。
それでも信頼できる奴ができて。
そいつはお人好しで、私みたいなクズも気にかけてくれて。
人生をやり直すチャンスをやっと掴めたのに。
ここでそれを失うのか。

…私は、ただ、幸せになりたいだけなのに。

朦朧とした意識の中で、彼女は薪屋が歩くのを見ている。

…もう一本「腕」があれば。
「腕」が、あそこに届く「腕」さえあれば、私は…。

灰被が幼き日のように願うと、失った左腕から「腕」が飛び出し、薪屋の体を突き破った。



第一回戦 灰被深夜VS薪屋武人
勝者 灰被深夜




























…花畑に、一人の大柄な青年と黒髪の少女が隣り合って座っている。

「ああ、これは夢かな。」

青年は呟く。

「そうね。夢だわ。」

少女は答える。

「…ごめんね」

青年は悲しそうな顔をして、言った。

「なんで謝るの?あなたは銃で撃たれても、私を助けようとしてくれたじゃない。…結局無駄だったけど。」

少女は笑う。

「…」

青年は言葉を返せない。

「貴方は今ままで色んな悪いことをしたわ。…それは決して許されることじゃない。他ならぬあなたがそう思っている。…それでも、夢の中くらいは。」

…幸せになってもいいじゃない。

少女の言葉を聞くと、青年は涙を流した。
最終更新:2016年07月02日 23:32