一回戦第七試合その2


見渡す限りのゴミの山。
テレビ、洗濯機、自動車、船舶、航空機。
それらが、片付けられない女巨人の寝床の如く、乱雑に積み上げられている。
その隙間を、奇妙な形の蟲たちがカサカサと這い回る。
ゴキブリに似ているが、違う。
その脚は明らかに六本よりも多く、紫色や緑色の吐き気を催す色彩をしている。
不法に投棄された汚染物質の影響か、あるいは新潟側から渡って来た異界生物か。

灰色のパーカーを着た女が、異形のゴギブリを一匹、機械の左足で踏み潰した。
彼女の真っ直ぐな黒髪は長く美しい。
そして、彼女の容貌もまた、美少女と言って差し支えない。
だが、潰れた蟲を見下ろすその瞳は、周囲のゴミに劣らず濁っていた。

「ふふ、私にお似合いの場所じゃないか」

パーカーの女、灰被深夜(はいかぶりみよ)は自嘲的にひとりごちると、近くのゴミの山を登りだした。
不安定な足場を、着実な足取りで登ってゆく。
見た目の華奢な印象とは異なり、意外と体力はあるようだ。
彼女の右腕と左脚は、機械製の義肢である。
汎用サイバネ義肢だが、電気代とメンテナンス費用に目をつぶれば悪いものではない。
むしろ、生身の肉体よりも出力は大きく疲れないので有用な面もある。

高さ五メートルほどの小さなゴミ山の頂点まで登った深夜は、周囲を見渡す。
やはり、見渡す限りのゴミの山。
彼女の心をそのまま映し出したように、空はどんよりと灰色に濁っている。
遠く。はるか遠くの雲の隙間から太陽の光が地上に差し込んでいるのが見えた。
反対側を振り返ると、空は徐々にどす黒く濁ってゆき、異常に渦巻く雲と稲光が見えた。
あちらの方面が新潟だろう。
そして、深夜は一人の男の姿を発見した。

一目見て、嫌悪感が深夜の心を満たした。
百八十センチを越える……いや、二メートルあるかもしれない巨体。
その体は筋肉で太く盛り上がり、人間というより怪物に近かった。
似ていた。あいつに似ていた。
失った右腕と左脚が、幻肢痛(ファントムペイン)を訴えていた。
深夜は、痛みの命じるままに「腕」を伸ばし始めた。

男の服装は、紺色のジャージ姿。
学校の体育教師が、体育の授業からそのまま抜けてきたような服装だ。
肩に、巨大な機械を担いでいる。
深夜が知るはずもないが、それは『ラジカセ』と呼ばれるいにしえの電化製品である。
ひょっとしたら、このスクラップ置き場にも、ラジカセの仲間が眠っているかもしれない。
ジャージの男、薪屋武人(まきやたけひと)は深夜の姿を認め、真っ直ぐに向かってきている。

「近づくな!」

自分の立つゴミ山の麓まで武人が近づいた時、深夜は警告の声を発した。
右腕のパーカーをまくり上げ、機械の腕を相手に向けて誇示する。
ロケットパンチでも撃ちそうな構えだが、もちろん彼女の義手にそんな機能はない。

「お前が、薪屋武人だな?」

「ああ。君は灰被深夜だね」

二人は、ゴミ山の上と下で睨み合った。
武人は深夜の機械の腕を観察する。
深夜は真っ直ぐに目を逸らさず、武人のことを見る。
――背後に「腕」を回り込ませていることを悟らせぬように。

数秒間の睨み合いの後、深夜の見えざる「腕」が前触れなく動いた。
五メートル下に見下ろした敵の背後に忍ばせた「腕」にはナイフが握られていた。
ナイフは錆び付いていて、無数のゴミにまぎれて武人には気付かれていなかった。
武人の足を狙い、地面を這うようにナイフが飛ぶ。

「――ッ!!」

だが、武人はスクラップの中に紛れた自動車のミラーにナイフの影が映るのに気付いた。
巨体に似合わぬ素早い動きで前方に飛んで回避する。
錆びたナイフは標的のかかとを掠めたが、軽い擦り傷を作っただけであった。
深夜は「腕」を引き戻して解除し、機械の腕で錆びたナイフをキャッチした。

武人はニヤリと笑って言う。
「その義手に、攻撃機能が無いのは見てわかったよ」

深夜もニヤリと笑って答えた。
「やるもんだね。避けられるかもしれないとは思っていたけど」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、武人の巨体がぐらりと揺らぎ膝をついた。
クスクスと笑いながら深夜はナイフをもてあそぶ。
そのナイフには、致死性の毒が塗ってあったのだ。

なんて凄い戦いだ……。
背後からの奇襲に気付いた武人もすごいが、避けられる可能性を考慮してナイフに毒を塗っていた灰被深夜も凄い。
これがハンター試験受験者同士の戦い……!

武人の筋肉が紫色に変色してゆき、体を丸めてうずくまる。
ゲエエエエエエ。血の混じった胃の内容物を嘔吐する。
その様子を眺めた深夜は、満足そうに微笑んでいた。
やがて武人はビクビクと痙攣し、動きを止めた。

「……ふぅ。いやぁ、こいつはヤバかったな」
そして、武人は大きく溜息をつきながら立ち上がった。

「なっ、馬鹿な!? エゾヒグマでも死ぬほどの猛毒だぞ!?」
狼狽する深夜。

「――なあ君、『致死量』って知ってるかい?」
これは! 能力バトルを彩るスパイス“専門用語”だ!

「基本的に『致死量』は対象の『体重』によって変化する」

「それは知っている。だが、お前より――エゾヒグマは重いはず!!」

「しかし『体重』よりも『致死量』に大きく影響するものがある」

「何!? それは一体何だ!?」

「それは――『筋肉量』だ!!」

武人が、巨大ラジカセを大きく振り上げ、筋肉の力でゴミの山に叩き込む。
ラジカセが撃ち込まれた周囲のゴミが大きく削れた。
そして、バランスを失ったゴミの山は雪崩をうって崩壊する。
山頂に立っていた深夜は、砂山崩しゲームの棒のように宙に投げ出され、落下した。

(まずい……「腕」を……!!)

空中で、深夜は「腕」を全速力で伸ばした。
このまま真っ直ぐに奴の元に落ちていくのはまずい。
近くにある潰れた自動車の残骸を「腕」で掴み、自分の身体を引き寄せ――

「遅い」

深夜が「腕」の引き寄せを行おうとした瞬間、その胴体に激痛が走った。
敵は、のんびりと深夜が落ちてくるのを待ってはくれなかった。
素早くジャンプし、深夜の腹をラジカセで殴ったのだ。

痛みで「腕」が消滅する。
深夜は空中で軌道を変えて弾き飛ばされ、隣のゴミの山に頭から突っ込み、埋まった。

ゴミの山に包まれ、深夜は思った。
(はは……やっぱりここは、私にお似合いの場所か……)

ゴミの中で、思い出す。
今までのクソみたいな人生を。
奪われ、傷つけられ、もがき、苦しみ……結局はゴミの中で終わる人生を。

(――そんな人生、まっぴら御免だ!!)

深夜はゴミの中でもがいた。
無我夢中で「腕」を伸ばし、ゴミの中をまさぐった。
そして……見つけた。

それは自動車の部品だった。
まだガソリンが満タンに詰まった、自動車のタンクであった。

(こいつで……てめぇも道連れだ!)

伸ばした「腕」でタンクに孔をあける。
ガソリンがゴボゴボと音を立てて漏れ出す。
そして深夜は――「腕」を使って自分の機械化された左腕をへし折り――
バチバチと電気ショートの火花を散らす左腕を、ガソリンに押し当てた。



ズドオォォォン!!



スクラップ置き場に大爆発が轟く。
真っ赤な炎が噴き上がり、ゴミ山がひとつ吹き飛んだ。

だが、深夜は無傷であった。
そのことに一番驚いたのは、他ならない深夜自身である。

「ふぅ……まったく、無茶なことをするもんだ」

対戦相手である薪屋武人が、深夜を庇うように覆いかぶさり守ったのだ。
武人の背中は、爆風により黒く焼け焦げてたが……筋肉のお陰で命に別状はない!

「だが、君の『思いの強さ』は確かに感じたよ」

そう言って武人は、綺麗に並んだ真っ白な歯を光らせて爽やかに笑った。
武人は深夜のことを抱き上げ、ゴミ山の合間の開けた場所へと運んでいった。
そして、深夜を地面に下ろす。

「君は、今から僕の“生徒”だ。これより“生徒指導”を開始する」

ラジカセの再生ボタンが押される。
新潟との狭間にあるスクラップ場の汚染された大地に、世界政府によって封印された禁断の音楽が鳴り響き……
薪屋武人の“生徒指導”が始まった。














音楽がしばらく流れ、試合の決着がようやくついた。
武人の能力『ビリーブ・ユア・ハート』によってもたらされる過酷な筋トレによって、灰被深夜は疲労し、もはや指一本動かせない状態であった。
明日には、彼女の強い想いに見合った、逞しいマッスルボディを手に入れていることだろう。
変わり果てた姿となって帰還した彼女を見て、赤時雨ゴドーや薫崎香織はどのように思うだろうか。

(次の試合では、マッスルボディで臨んでもいいですし、優秀な医療スタッフによってマッスルを解除してもらってもOKです)
最終更新:2016年07月02日 23:34