一回戦第一試合その1


「……ワッツ?」

きっぽちゃんから送られてきた対戦相手通知のメールを見て、弥六が発した第一声である。

「まってまってまって、なんで将軍様がこんな辻試合にエントリーしてるっすか。
ストレス発散すか。ストレス発散かなんかすか。だからってもうちょっとこう」

落ち着け。

「あ、はい。うろたえてる場合じゃないっすね。将軍様と言えどあたしの野望の前には切り捨てるの……み?」

胡乱な独り言を発し続けていた弥六が、『武田信玄』の前に記されたその単語に気が付いた時、実にメール到着から34秒もの時間が経過していた。

「十四……代目? どういうことっすかね。当代の武田信玄は十三代目、しかもまだ10歳にも満たないお子様のはずっす。隠し子がいたって話は聞かないっすし、いても世襲にはならないはず……」

ぽく、ぽく、ぽく。
思考を平準化させる木魚アプリ(義眼型スマホにインストール。210円)の音が弥六の脳内に響く。
そして、結論。

「なーんだ、僭称してるお馬鹿さんっすか。へっ、びっくりさせやがって。
どんな身の程知らずな侍か知らないっすけど、僭称野郎に負けるイギリスン忍法じゃないっす!」

途端に増長した弥六は、意気揚々と近場のポータルゲートへと歩を進める。
しかし、弥六は一つ見落としていた。
武田信玄の僭称を行った只の身の程知らずが生き残れるほど、このタケダ幕府の治世は甘くないと。
僭称を行って生き残れている以上、その侍の武勇は並外れた域にあると。
そんな事実に弥六が気が付くまで……あと、およそ26分。

  ◆  ◆  ◆

「……」

十四代目武田信玄を名乗る剣士*1が座禅の姿勢を解いた時、世界標準時時計は20時35分を指していた。
傍らに置いた携帯電話の電源を入れる。メール着信1件。きっぽちゃん。ダンゲロス1回戦対戦相手及び対戦個所の連絡。
剣士はそれらを一瞥すると、即座に電源を切り、部屋の隅の背嚢にしまい込む。
場所さえわかればいい。対戦相手は知らぬ名だが、誰であっても同じことだ。
俺が信玄を名乗るのに障害となる存在は、すべて、斬る。
剣士はその誓いを胸に、座禅をしていたインターネット喫茶(ポータルゲート併設。1時間2000円)の代金を支払い、そしてポータルゲートへと向かった。

  ◆  ◆  ◆

大都会ニューヨーク。
かつて経済の大動脈として栄えたこの街は、タケダ幕府が世界の大半を支配した現在においてもなお、混沌とした魅力をたたえている。
そして、その奥底には、タケダネットによってすら見通せない、闇が広がっているのだ。

非合法BAR「NoGunsNoLife」
かの禁酒法の時代から生き延びてきたと言われるこの歴史あるBARは、今宵は怪しい熱気に目を光らせた男女で埋め尽くされている。
そして、その視線の先には。

「……なんでこんな目で見られてるっすかね。忍者がそんなに珍しいっすか」

いや珍しいだろう。
そんなツッコミどころを全力で開示している少女は、誰あろう弥六である。
今日は六波羅探題の忍者の基本的服装である忍び装束に身を包み、装束の隙間からは鎖帷子が覗く。
言うまでもない事であるが、日本本土から遠く離れたこの地に置いては、およそ目にする事の出来ないであろうオリエンタルな装いだ。
そして彼女に相対する位置には、まだ誰の姿もない。

「しかし、遅くないっすか?」

正確にはそこまでではない。
時刻は20時58分である。試合開始前だ。
だが、開始に1秒でも遅参すれば失格となるこの戦いにおいては、確かに悠長と言われても仕方がないかもしれない。
弥六が少々イラつくのも当然と言えた。
時計の長針が進む。20時59分。

「まあ、来ないで勝てるならこっちも楽っすけど」
「……御免」
「ですよねー」

超高速のフラグ回収であった。いや、そんなことはどうでもいい。
入口につけられたベルを鳴らして入ってきたのは、いかにも侍然としたいでたちの剣士であった。
弥六は即座に悟る。この男が武田信玄を僭称した男、対戦相手であると。

店内の男女が息をひそめる。
剣士が静かに歩を進め、弥六に相対する場所に立つ。
弥六が言う。

「自己紹介は必要っすか? 弥六っす。今日はよろしくっすよ、剣士さん」
「……十四代目、武田信玄」
「そっすか。あくまでその名乗りで行くなら、まあ止めないっすけど……いいんすかね。あなたは」
『時間です。始めてください』

不意に、弥六でも剣士でもない第三者の声が割り込む。
弥六は、そして剣士も即座に理解する。
きっぽちゃんだ。そして、試合開始の合図だ。

「……おしゃべりはこの辺にするっす。じゃ、行くっすよ」
「……推して、参る」

二人の戦士、忍者と剣士が、動く。
二人が認識していたかどうか。彼らの試合は、この戦いの第一試合と銘打たれていた。
つまり、タケダネットの支配の中で、彼と彼女が、戦いに挑む最初の一組、だったのである。

  ◆  ◆  ◆

一回戦第一試合

十四代目武田信玄
 vs
弥六

at:ニューヨーク非合法BAR「NoGunsNoLife」

  ◆  ◆  ◆

最初に間合いに踏み込んだのは弥六であった。
いや、弥六が間合いと認識していたかどうか。
試合開始直前に戦場に到着した剣士は未だ抜刀しておらず、剣の長さは弥六から推し量るのは難しい。
対する弥六も、武器を持っていなかった。手を貫手の形で構えていたことから、おそらくはゼロ距離での格闘戦を指向していたのだろう。
それが慢心、油断であった。
己の得意分野であれば、相手の得意分野に劣るところはないという、自信。それは容易に慢心となる。

抜刀、一閃。

どちゃり。

「……うっぷす」

最後の呟きは弥六の物だ。
そして、生暖かい音を立てて床に落下したのも、弥六の右手だ。
悲鳴こそ上げないものの、弥六の顔は信じられない物を見るときのそれであった。
それが、隙。

一閃、一閃、さらに返しで一閃。

弥六の残る左手と、両足が体から切り離される。
どちゃ、と、支えるものがなくなった弥六の体がBARの床に落ちる。

「……」

剣士は何も言わない。
つまらぬものを切ってしまった、とでも言いたげな顔ではあったが。
ただ、地面に落ちた弥六の体を睨み付ける。

相手が油断していたとは思えない。
ただ、この少女はあまりにも弱かった。それだけだ。

それが慢心、油断であった。
己の得意分野であれば、相手の得意分野に劣るところはないという、自信。それは容易に慢心となる。

どん、と。何かが剣士の足元にぶつかった。
一瞬遅れて、剣士は自らが吹き飛ばされているのを知覚した。
何故。

周囲の状況を知覚する。
驚いた表情の観客。
驚いた表情のバーテンダー。
さきほどより少しだけ場所が動いた弥六の体……その両足首に、銀色の何かが光る。

「……業務用ローラーダッシュ型サイバネブーツ『烈安怒豪』(19万8000円(両足セット価格))」

女の声の呟き。これは、先ほど弥六と名乗ったあの女の声だ。

「高いんすよこれぇー!」

弥六の体が、地面に倒れたままの姿勢から跳躍する。
足のばね? いや、両手を見よ。そこにもまた、銀色に輝く何かがついている。
これは……両足についているものとほぼ同系の金属製ブーツ。それが手についている!

これこそが弥六の持つ魔人能力「人体の調和」の発現である。
弥六は、ホームセンター「石垣商店」で取り扱っているサイバネであれば、どのような物であってもその身に即座に具現化し、取り付ける事が出来るのだ。
それは、本来は手に付けるにはオプションパーツと独自の訓練が必要となっているサイバーブーツでも例外ではない!

もちろん、このような解説は空中で吹き飛ばされている剣士の心中にいかなる影響も与える事はなかった。
彼はただ、空中で体勢を取り直し、壁に両足をつけて踏ん張ろうとするだけだ。
店外に出てしまってはリングアウト負けだ。その程度を考える余裕は剣士にもあった。
壁に飛ばされる速度は、弥六より剣士の方が速い。壁につくまではそちらに思考を専念して問題ないだろう。
空中の剣士は思考を整える。壁に足がつくまでコンマ0.3秒、0.2、0.……

「!!」

殺気! 即座に刀を閃かせ、飛んでくるものを斬りおとす。
それは銃弾! タケダのご時世に置いてはめったに目にすることはないが、それでもまともに食らえば隙を作る程度の役には立つであろうそれが、剣士の体を狙っていた。
それ自体は剣士の剣閃の防御を貫くほどではないが、壁に足を突こうとしていた余裕を崩すには十分である。
即座に剣士は刀を振るい、その反動をもって壁への軌道を無理やりに変更! コンマ0.05秒を短縮し、即座に壁を駆ける。

一拍遅れて銃声が響く。が、剣士には悠長にそれを聞いている余裕はない。
なぜなら、銃声の到達と時を同じくして、剣士の先ほどまでいた壁に取りついた弥六から銃弾が連続して放たれたからである。
先ほどまで足になっていた両手は、今度は銃……サブマシンガンと言われるそれに姿を変えており、剣士の足取りを追って銃弾の雨を降らせていたのだ。
「人体の調和」の能力をもってすれば、先ほどまで足になっていた手を銃*2に変えるなど造作もない事である!
遅れて湧き起こる歓声! 悲鳴! 跳弾した銃弾は店内のスキモノ達を次々に傷つけていくが、これは大した問題ではない!

壁を駆ける剣士! 追いかける銃弾! 死にかけたり死んだりする観客!
さりげなく床に降りてきて、高速機動で発射地点を移動させる弥六!

一連の銃撃が収まった時、試合開始からまだ14分しか経過していないことを気に留めた誰かはいたのだろうか。
店内には半死、あるいは全死の観客だったものが転がり、店内にはただ二人の人影が立つのみだ。

かたや、女忍者弥六。その両腕は打ちすぎて銃身が曲がったサブマシンガンサイバネアームから、通常の腕型サイバネアーム(4万8000円(両腕セット))に変わっている。
かたや、剣士、十四代目武田信玄。長距離の回避を強いられ、少々息が上がり、体にはあちこちに銃創が刻まれていた。

「……見くびってたのは謝るっすよ」
口を開く弥六。
「でも、すべての能力を加味すればあたしの方が上っす。あんたに勝ち目はないっすよ、剣士さん」

「……かもしれぬな」
応じる剣士。
「俺だけの力であれば、今の全力のお主を上回れるかどうかはあやしい。
剣技だけならいざ知らず、そちらが手を選ばぬのであればな」

「あら、思ったより殊勝っすね」
笑う弥六。
「だったら、降参してくれると楽なんすけど」

「そうもいかぬ。俺にも目的はあるのだ」
苦笑いする剣士。
「ああ……降参はせぬが、一つ謝らなければならぬことはある」

「……はい?」
理解できない弥六。何を謝るというのか。
「このアメリカンな人々の事だったら、別に気にしてないっすけど」

「そうではない」
笑う剣士。その笑みの色が変わる。
「『10秒以内に100m移動してしまった』。残念だ。ここからはもう、俺だけの戦ではない」

「俺一人としてお前と戦う事が出来ず、すまぬな」

  ◆  ◆  ◆

十四代目武田信玄を名乗る剣士の魔人能力……『信玄顕現』!!
1時間以内に4種類の特定の動作を行うことで、自らの身体に歴代『武田信玄』のうち一人を降臨させることができる! 武田信玄とは言うまでもなく当時最強の侍であり、その戦闘力は絶大!
4種類の動作の内、3つをこの剣士は試合前に終えていた! そして、最後の一つである『100m走で10秒を切る』……すなわち『10秒以内で100m移動する』がたった今、達成されたのである!

剣士が選択した武田信玄は、二代目信玄……『史上最も多くの血を流した武田信玄』!!


  ◆  ◆  ◆

「……まじっすか」

弥六は戦慄していた。

信玄を僭称する男だとばかり、思っていた。
よしんば腕前が信玄を名乗るにふさわしいとしても、それが信玄に直結する能力を持っているとは考えていなかった。
それがどうだ。眼前の男の放つこの恐ろしい気配! 圧倒的カリスマ力! そしてなにより……恐るべき殺気!
間違いない。疑えない。眼前の男に降りてきているのは……武田信玄、その一人!

『……恐れよ』

しわがれた老人のような声で、剣士が喋る。

『我は武田信玄。すなわち最強。汝の血こそ我が糧である』
「断るっす」

即答であった。

「あたしの血は女王陛下に捧げてるっす。あんたみたいな爺さんに渡す血は、一滴だって残ってないすよ」
『女王……? ……おお、英吉利のあばずれめか。彼奴も気性は荒かったと聞くが、主もそれは同じかのう』

ひ、ひ、と不気味な声で笑う剣士……信玄。

『よかろう。なれば斬る』

斬られたと知覚する一瞬前に、弥六はその身を高速で後退させていた。
ローラーダッシュサイバーブーツはまだ健在である。
その速度で回避しなければ、実際に斬られると確信していた。

同時に、六波羅探題の基本装備である煙玉をばらまき、着火。
視界を塞ぎ、少しでも戦いを有利に運ぼうとする狙いである。

充満する煙。それでも、信玄は迷うことなく歩を進める。
まるで見えているかのようだ。いや……。

「(……多分っすけど、実際には見えてないっす)」

弥六は思考を働かせる。

「(体はあくまであの剣士っすね。そっちは老いるわけでもないっす。
なら、意識だけを降ろしている状態……生物学的に何らかの探査能力は持っていない!
だから、多分……)」

弥六は策を練り始めた。
  ◆  ◆  ◆
『無駄なかくれんぼじゃのう……』

信玄はクックッと含み笑いを浮かべていた。
この信玄。確かに恐るべき剣士ではあるが、血を好む悪癖があった。
離れているなら遠距離からの剣閃で攻撃すればいいだけだが、返り血を浴びたいがためにそれをしないのだ。
それこそが、『最も多くの血を流した信玄』と畏怖される所以である。

ふと、何かが高速で動く気配を感じる。
さては先ほどの小娘か!
野獣の如く追いすがり、刀を振う。

壁の崩れる音。流れ出る煙。
目に飛び込む……苦悶に満ちた……バーテンダーの顔!
種を明かせば弥六が半生のバーテンダーの体を投擲したものであるが、それは信玄の知ったことではない!

「っ……だあああああっ!」

背後からの奇襲! こちらが弥六である!
何もかもを捨てたかのような高速の体当たりに、思わず信玄がたたらを踏む!

『……何をしたいのじゃ』
「別に。ちょっと外に出てほしかっただけっすよ。あとは存分に斬りあうっす。……といっても」

弥六の笑み。

「素直に出てくれたから助かったっす。300万円いただくっすよ」

その言葉の意味は、信玄にはよく分からなかった。

  ◆  ◆  ◆
一回戦第一試合

●十四代目武田信玄
 vs(30分17秒、リングアウト)
○弥六

~次の試合へ~
最終更新:2016年07月03日 00:09

*1 毎回記述すると煩雑となるため、以降はただ『剣士』と呼称する

*2 警備員用銃器搭載サイバーアーム「ナンブテッコ」(21万4000円(両腕セット)