一回戦第五試合その1




一回戦第五試合:平方 カイ vs 古太刀 六郎 廃工場




ポータルの先には、今まで少女がいたジャングルとはまるで違う光景が広がっていた。
「これは、ヒメのあの箱……より、ずっと大きい」
見渡す限りの機械。どうやら動いてはいないようだが、ジャングルから出ることなく過ごしていたカイにとっては未知の世界であった。

――英国・某工場。
サイバネ技術の粋を集めたEU圏最大の工場であったここは、世界中のサイバネ技師から発注を受けるほどの巨大工場であった。
だがイギリスのEU卒業というスキャンダルにより工場の株は急下落。MI6という最大の顧客を失い凋落した結果、今ではかつての繁栄も見る影がないありさまであった。
……もちろん、そんなことはカイには知る由もない。

カイはしかし取り乱した様子もなく、『イプシロンノート』をその手に取り、警戒しながら歩みを進める。
手のひらの上の白紙の束が、風にあおられた草木のようにざわめいた。
数学者は未知なるものをおそれてはならない。
ただ定義し、演繹し、証明せよ。それが父の教えだった。
それこそが自分と、そしてこのノートの役目であると。

「……っとぉ!?ここは……んということで……」
カイの耳にその男の声が聞こえてきたのはその直後であった。





「おおっとぉ!?ここは廃工場……でしょうか!なんということでしょう!この古太刀六郎、謎のポータルを潜り抜けたその先で、まさに驚くべき体験をしております!」

男、古太刀六郎はあたかもそうするのが自然であるかのように、自分の身に起きたことを実況していた。
これはVRではない。間違いなく現実である!その感覚が、六郎の実況者魂に火を点ける。

「皆様にも見えますでしょうか……今は動きを止めておりますが、あたかも数日前まで稼動していたかのような保存状態であります!私の眼前にはいくつものベルトコンベアーが並んでおり、今にも動き出さんばかりであります!」

六郎がそう実況した瞬間、目の前のベルトコンベアが動き出す。
『パニック・ステーション』!これが魔人・古太刀六郎の魔人能力である!
彼の実況の前では、打ち捨てられた廃工場でさえも稼働中の工場となんら変わりはない!

「……!見てください!まさに回転寿司のレーンのごとく動き出したベルトコンベアー!いったい何をこの私の前に運んでこようというのか!……あーっと!これは……人形、でしょうか?まるで生きた人間のごとき完成度!奥からどんどんと、まるでネギトロ軍艦のように大量に運ばれてきます!果たしてこの工場ではいったい何を作っていたというのか!この古太刀六郎、やや恐ろしくなってまいりました!」

そこまで一息で「実況」した古太刀であったが、目の前の状況に一瞬言葉を失う。
「まるで生きた人間のごとき」廃サイバネ人形が次々と動き出すではないか!
果たして、それは古太刀の実況のせいであろうか。

「……これは大変な状況になってまいりました。これは対戦相手の罠でしょうか?この古太刀六郎、対戦相手の顔を見ずして敗北してしまうのかーッ!?」

機械人形は意思のない空虚な眼で六郎を見つめ、無造作に歩を進める。
万事休すか!?と思ったその瞬間、廃サイバネ人形の動きが突如として止まった!

「ああっと!!これは……糸……で、しょうか!?」

埃が舞う廃工場の中、差し込む日の光に浮かび上がるそれは、たしかに細く白い糸のような何かであった。
壁からまっすぐに伸びる線が廃サイバネ人形の関節のいたるところに絡みつき、その動きを封じている。
だがその糸に、細く引き伸ばされた奇妙な赤い紋様が描かれているのを、実況者の目は見逃さなかった。

「『補助線』」

凍り付く六郎の背後から声をかけたのは、小柄な少女であった。

「危なかったな、オマエ」

「……なんということでしょう。謎の機械人形に襲われあわやリタイアか!と思われたこの私を救ったのは……年端もいかぬ少女であります!黒い肌に得体の知れぬ文様!まさか彼女がこの武闘会の対戦相手だというのでしょうか!」

「……オマエ、変なやつ。何でそんなに喋る」

「どうやら意思の疎通は可能であります!だがこの状況はこの古太刀にとって実に不利!命を救ってくれた少女に対して攻撃を加えるのはいかに対戦相手だとしても心が痛むものであります!……そんな逡巡をしている間にもベルトコンベアはゴウンゴウンと不穏な音を立てております。また何か恐ろしいモンスターが登場するのでありましょうか、戦慄を禁じえません!」

「そこのヤツなら、カイが『証明』したぞ。まだ何か来るか?」

古太刀の言葉通りに稼動し続けるベルトコンベア。
その奥から現れたのは、まさに化け物であった。
3メートルはあろうかという鋼鉄の体に、肩から生える腕は3対ずつ。
それどころか、体中の可動部のいたるところから不器用に接続された戦闘義手が覗いている。
幾重にもサイバネ人形が重なり合い、異形の姿と化した恐ろしいモンスターであった。

「……すごいな、オマエ。予言者か」

「これは大変なことになってまいりましたァァァァァァ!!!!このままでは我々二人ともあの化け物の手によって無残な肉塊と化してしまうでしょう!ここから逃げ出す手立てはあるのでしょうか!」

「任せろ。あれくらいの『命題(えもの)』なら、いくらでも『証明(しとめ)』てきた」

「……なんと頼もしいことでしょう。よもや年下の少女にこれほどの安心感を覚えるとは!これが俗に言う「バブみ」でしょうかッ!」

語彙力がやや低下気味の古太刀を背に、カイは巨大な化け物人形と相対する。
しかしそれでもなお、実況者たる古太刀の弁舌は止まろうとはしない。

「互いに相まみえる両者……まさに一触即発という状態であります。そしてこの廃工場に響き渡る不気味な駆動音。まるで地獄のプレス機のよう。我々をひき肉に変えるべくその牙を磨いているかのようであります!!」

その言葉が終わらか終わらないかのうちに、天井から二人のもとへと重厚なプレス機が襲来した。
巨大な質量を支える鉄鎖が錆びて砕け散ったのだ!
それと同時に、怪物のサイバネアームが高出力レーザー光線を放つ!
数式を綴っている時間はない!
カイは咄嗟にノートから大量の白紙をちぎりとり、その上を雪山のように滑った。
古太刀の手を取り間一髪大質量を免れたが、その先は行き止まりであった。

「……!なんという運命のいたずらか!まさに絶体絶命、万事休すか……!このままでは私も、この少女も廃工場の壁の染みとなってしまうことでしょう。ですが窮鼠猫を噛むという言葉もあります!ここから逆転の一手を……!」

そこで古太刀は、たったいま己を助けた少女が肩に受けた生々しい傷跡を見た。

古太刀は気づいていた。
この少女は自分を助けようとしていること。
そして、その少女を苛んでいるものが、まさに自らの実況であることを。
しかしそれでも、古太刀の舌は止まらなかった。
古太刀は己を呪った。
実況者としての己の血、そしてただ一握りの矜持がそれを許さないのだ。

「知ってるぞ」
「は……」

そのいっときだけ、実況者の言葉が途切れた。

「オマエも戦ってる。『モーダストレンス』、否定による肯定。後ろに行くことは、逃げることじゃない」

そして少女は再び数理の構えをとった。
周囲にまき散らされた白紙の紙片が、風と共に舞い上がり、竜巻のように数学者の周囲を舞った。

「『中心極限定理』『はさみうちの定理』」

吹きすさぶ嵐の中、宙を飛び交う白紙のノートに自らの血を刻んでいく。
「証明をあたえる」
その決断的な言葉とともに、モンスターの足元、頭上にそれぞれ紙束の波が飛来する!

「ああっと……?あれは、ノート、でしょうか?少女の手からなにやら紙切れのようなものが怪物の元へと飛び立って行きます。まるで水面から飛び立つ白鳥のごとく美しい光景!」

ノートの第一陣、モンスターの足元を襲ったそれは、巨大なトラバサミと化した。

「あれは……トラバサミだーっ!無慈悲な鉄の顎が怪物の足にガッチリ食らいついて離さない!これではもはや一歩も動くことはできないでしょう!」

古太刀の実況にも熱が入る。
それに呼応するように、定理はより強力に、巨大に、モンスターに食らいつく!

そして動けないモンスターの頭上に、いくつもの紙片が集まっていく!
独立に見えた個々の紙片の分布は寄り集まり、次第にひとつの巨大な正規分布へと収束していく……これが『中心極限定理』!

「ここで釣鐘だ!これはいかに強大なモンスターといえどひとたまりもない!動けない巨人の頭上に、巨大な鉄塊が……入ったァァァァァ!!!!クリーンヒット!!!!この攻撃を受けて立っていられるモンスターはいないでしょう!そして……崩れ落ちた!モンスターが工場全体を揺るがす地響きとともに、今、倒れたァァァァァァ!我々の勝利ですッ!」

その言葉のとおり、巨大なモンスターは大きな地響きとともに倒れた。
少女は静かに目を閉じ、証明の終わりを告げた。

「くおど・えらと・でぇもんすとらんだむ」

それは神への祈りにも似ていた。


「今、少女が……おお、なにやら呟いております。彼女の部族に伝わるチャントでしょうか……おや?これは……」

安堵する古太刀であったが、彼の能力『パニック・ステーション』の効果は未だ続いていた。
モンスターが倒れた際の「工場全体を揺るがす地響き」……それが、大いなる破壊となって二人を襲う!天井が落ちる!工場が……崩れる!

「なんということでしょう!一難去ってまた一難!油断大敵!勝って兜の緒を締めよーーーッ!」

「む。これは、まずい」

証明を終えたばかりの少女は、再びそのノートに定理を綴る。

「『ハイネ・ボレルの被覆定理』」





「……ゲホッ。信じられません。古太刀六郎、生存しております……!」

「よかった。間に合ったな」

二人の周囲には瓦礫が積み重なっている。
だがしかし、少女が手を掲げるそこには、紅き数式を描かれた紙片がドーム状の盾となって二人を覆っていた。
「無限の被覆で有界閉集合を覆えたならば……有限で十分。もう、大丈夫だ」

「なるほど。工場崩落の瞬間、この少女が大きな盾のようなもので我々二人を守ったということでしょうか。……一度ならず何度も命を救われたという事実に、私、涙を禁じ得ません。……この勝負、降参いたします。わたくし古太刀六郎、目の前の少女の広い心に完全敗北いたしました!」

「ん。オレの勝ち?でもまだ『証明』してないぞ」

少女が手を放すと、二人を救った被覆は無数の紙片へと戻り、夕暮れに赤く照らされる廃墟の空を舞った。

「いえ、この美しい光景が、何よりこの古太刀六郎があなたの勝利を『証明』いたしております!」

「そうか。ありがとな、ロクロー」

そして実況者、古太刀六郎は、高らかに自らの試合の終わりをこう締めくくった。

「身に余るお言葉!この私、あなたの戦いを実況することができてよかったと感じております!それでは時間も押してまいりましたので今回の試合はこれまでとさせていただきます。皆様またの機会にお会いいたしましょう!実況は私、古太刀六郎でお送りいたしました。ハバナイスデイ!」

おわり
最終更新:2016年07月02日 23:41