小山田重工本社ビル。
“オフィスビル”と呼称される今回の決戦の舞台である。
ビルといっても地面からそびえる前時代的なそれではない。
この建築物は――なんということでしょう。
江戸の上空、500mに浮遊している!
他社との戦争において重要なのは防御性能。そして防御性能だ。
小山田重工は軍事技術開発によって培った技術を転用し、
本社ビルをそっくりそのまま完全無敵の空中要塞へと改造したのである。
もちろん、火力や核といった公害発電を使うわけもない。
エネルギーは100%エコ。地球に優しいクリーンな人力発電。
常に数百人規模の奴隷人材資源が常駐し、
ぐるぐる回すアレ……労働バー……を回し続ける!
はずだった。
――ギッコン。
――ギッコン、ガッコン!
薄暗い室内。
何人もの下級労働資源が粗末な服を着せられている。
彼らが押しているのは、本社エネルギーの全てを賄う労働バー。
巨大な棒がぐるぐると回るこの大広間こそ、
『労働バー発電室』と呼ばれる奴隷部屋であった。
労働バーは、重い。
百人がかりで押してやっと動くか動かないかというところだ。
それがどういうことだろうか。今はF1カーのホイールもかくやという凄まじい速度で回転している。
スピードに追いつけなくなった労働者が後方から迫る棒で頭を強打し、気絶した。
「ほら頑張って!頑張って!」
「が、頑張ってます……でももう限界で……」
「ええっ!まだまだ全然だよ!
これ、みんなで頑張ればもっとすごい速度で回せるって!」
――ギッコン、ガッコン!ギッコンガッコン!
――ギッコンガッコンギッコンガッコンガガガガガ!
いま、労働バーを回しているのはいったい誰か?
下級労働資源ではない。
たったひとりの少女が回している。
キラキラと輝く金髪ポニーテール。
すらりと伸びた脚。控えめな胸。
あまりに場違いなどこかの女子高の制服。
「あっはははは!たのしい!」
よく通る笑い声を響かせるのは――そう、松姫カナデだ!
たった一人で、あの労働バーを軽々と押している!
松姫カナデには弱点がある。
ひとつはバカな事。
もうひとつは――凄まじくバカな事。
とにかく自分の欲望に素直なのだ。
気になったものがあったら飛びついてしまう、
我慢の出来ない女だった。
ことの起こりは試合開始30分前。
対戦相手が決まると同時にポータルに飛び込んだ彼女は、
まるで子供のようにビル内をくまなく探検した。
そしてこの労働バー発電室を発見した。
「たのしそう!あたしもやる!」
それが第一声だった。
本当に我慢の出来ない女だった。
魔人の力は凄まじい。労働バーは今や信じられない速度で回転している。
果たして時速何kmか。カナデ以外はついていけていない!
「はい、いっちに!いっちに!
みんながんばれー!がんばれー!」
労働バーが唸りをあげる。高速で回転する。
気絶から覚めた下級労働者が頭を上げたが、
直後、高速で回転する労働バーで後頭部を強打し、再び気絶した。
「――もう限界だ!こんなところにいられるか!」
「アンタ一人で回しててくれ!」
「っていうか、この力!アンタ魔人だろ!
付き合ってられるかよ!」
下級人材資源が次々と労働バー発電室から逃走していく。
仕方がないだろう。命あっての物種だ。
このままこのバカと棒を押していたら殺されてしまう。
仕方がないだろう。
「何しにきたって、そりゃあ……えーと……」
労働バーを回し続けながらバカが頭を捻る。
21時。
“オフィスビル”とだけ呼称されるこのビルに、
まだ年若い一人の少女が降り立った。
凛とした表情。
スラリと伸びた四肢。
袴と道着からは歳にそぐわない熟練のオーラが立ち上る。
そう、彼女こそ日内流砲術の次期継承者。
今宵の松姫カナデの対戦相手――日内環奈である!
「――ここが戦場か」
ぽつりと呟き周囲を見渡す。人影はない。
対戦相手は松姫カナデという女らしい。
松姫カナデ。女。
それ以外の情報は一切持っていない。
正確にはあの日、二人組から奪った小さな板に何かしらの情報が送られてきていた“らしい”。
日内環奈がその情報を確認する事は叶わなかった。
現代文明に馴染んでいない彼女にとって、
小さな板――スマートフォンは文字通り未知の装置。
言ってみればチベットスナギツネに原子力空母を与えるようなものである。
操作方法すらろくに分からず、現代の叡智の塊たるスマートフォンはただの板きれと化した。
今回の“ポータル”にしてもギリギリまで利用方法がわからず、
遅刻になるすれすれでオフィスビルに乗り込めた形である。
そもそも試合開始時刻が21時というのが悪い。わかりやすく『戌三つ時』と書けば良いものを。
溜息をつき、改めて周囲を見渡す。
対戦相手となる松姫カナデらしき人影は、見当たらない。
「まさか、不戦勝――――」
興ざめも甚だしい。
そう口にしようとしたところで、目の前の扉が勢い良く開いた。
「もう限界だ!こんなところにいられるか!」
「アンタ一人で回しててくれ!」
無数の労働者が室内から飛び出してくる。
何気なく室内を覗き込む。
そこに居たのは、場違いな程に爽やかな笑みを浮かべた制服姿の少女だった。
「……あ!こんばんは!」
――ズシン!
高速回転する労働バーを片手で止め、松姫カナデが深々とお辞儀した。
日内環奈も同様に一礼を返す。
礼には礼を以って返すべし――日内流の教えだ。
「うむ、良い夜だな。
何をしているのか知らないが、ここはこれから戦場になる。
お前も早急に立ち去るといい」
「そういうわけにもいかないんだ!
あたし、ここで人を探さないといけないから……!」
「そうか。私も人を探している」
二人の視線が絡まった。
“奇遇だね”とお互いの目が語っていた。
そして、二人同時に口を開いた。
「日内環奈っていう人なんだけど」
「松姫カナデという女子なのだが」
短い沈黙がその場を支配した。
双方がおもむろに口を開いた。
「日内環奈っていう……」「松姫カナデという……」
沈黙がその場を支配した。
「――――日内流師範代、日内環奈! 参る!」
「松姫カナデです!よろしくおねがいします!」
決戦の火蓋が、いま切られた!
「――せいッ!」
凄まじい勢いで長銃の銃床が叩きつけられる。
カナデは受けずに避ける。
銃床がコンクリートの壁にめり込み、そのまま粉砕した。
「すっごい威力!」
「当たり前だ!これが日内流だ!」
日内流の極意その一。
“銃床を剣とし、銃床を槌とせよ”。
日内流の門下生は一日一万回の銃床素振りを怠らない。
銃床による殴打。それこそが基本にして究極の奥義である事を自覚しているからだ。
免許皆伝レベルにまで到達した環奈の銃床攻撃は、もはや単なる『殴打』ではない。
例えれば、一撃一撃が戦車の砲撃と同じ威力!
当たれば即座に骨が砕け、頭に喰らいでもすれば即死は間違いないだろう。
それを分かってか、カナデも防戦一方になっている。
打撃を避け、避け、後退を続ける。単調な動きだ。
だが、日内環奈の真の恐ろしさは銃床による打撃ではない。
日内環奈が更に距離を詰め、動いた!
砲の間合いではない。どころか、棍の間合いでもない。
打撃の間合いでない。近すぎる。
つまりは、組み技の間合い。
――大外刈り!
カナデの脚が絡めるように払われ、体が宙に浮いた!
日内環奈の間合いはここだ。
彼女の能力、《飛鳥落地穿》は浮いているものを対象とする。
運動エネルギーの悉くを奪い去り、遥かに高負荷の重力を押し付ける。
凡人であれば“飛び道具を無効化する”のが関の山だろう。
だが日内環奈は違う。それを殺人術にまで昇華している。
どんな相手だろうと、空中に浮かせさえしてしまえば――高重力で地に叩きつけることができる。
足払いと投げに特化した異形の格闘術。それこそが彼女の最大の武器であった!
「魔人同士の武闘会。
どの程度かと思ったが、期待はずれだったな――」
カナデの体が宙に浮く。日内環奈の能力が発動している。
刹那、カナデは猛烈な勢いで地面へと叩きつけられた。
そのまま銃床の一撃を見舞う。狙いは頭部。
文字通り一撃でケリをつける構えだ。
「修行が、」
打撃!
「足り―――― !?」
ガ キ ン !
……必殺の一撃が止められた。
目の前の女が、しっかりと銃床を掴んで離さない。
その時点で、日内環奈はようやく気付く。
姿が違う。松姫カナデが、大人の女性になっている。
3分間、己の全盛期の姿となるカナデの魔人能力。
あらゆる身体能力を大幅に向上させる《サンドリヨン・ゴーヴァン》。
強化した動体視力と身体能力で、当たれば致命傷確定の一撃を見切ってみせた!
「てやああッ!」
カナデが攻勢に転じた。めまぐるしいスピードでラッシュをかける。
「貴様……!奥の手を残していたか!」
一撃一撃を丁寧にいなしながら環奈が呻く。
パワーもスピードも先ほどより遥かに上だ。
一撃でもクリーンヒットしたならその時点で戦闘不能になりかねない。
「うん!3分間しか続かないんだけど、すっごい強くなれるんだ!」
「……」
「この3分で! 貴方を絶対! 倒してみせるからねーっ!」
「そうか」
日内環奈がくるりと背を向けた。
全速力で走り出す。
「良いことを聞いた。
なら、3分経つのを待ってからお前を倒すとしよう」
……逃走!
それはそうだ。3分しか持続しないと聞いて律儀に付き合うバカはいない!
「ええっ!? そんな!」
全力逃走する日内環奈を松姫カナデが追いかける。
当然、肉体強化されているカナデがあっという間に距離を詰める。
「嫌だー!戦ってよー!」
「断る」
……カナデがあっという間に距離を詰める。
「あ、あれ?」
あっという間に距離を詰め……られない。
2メートルの差が、いつまで経っても縮まらない!
「な、なんで?!」
カナデが混乱するのも無理は無い。
すべては一瞬の出来事だ。
カナデが走り出し、
足が地面から離れ、
環奈の2メートル圏内に入り、
地面から離れた足が不自然な角度で下に落ちた。
浮いている物体の運動エネルギーを消滅させる能力。
これこそ日内環奈の魔人能力――――《飛鳥落地穿》の真骨頂!
飛来する弾丸を殺すのはもちろん、逃走にも使用可能な能力なのだ!
追いつけているのに、追いつけない!
まさにアキレスと亀のパラドックス!
「“必勝の機を逃すな”――これが日内流の教えだ!」
日内環奈は小さく、しかし誇らしげに呟いた。
「ち、ちくしょ……うぶっ!」
ついにバランスを崩したカナデが転倒する。
環奈はそのまま距離を離し、逃走に成功!
階段を駆け上がり上層階に辿り着いた。
「……成程」
フロア一面を見渡す。
木々が生い茂っている。
大きな池がある。
オフィスビルにはあまりにも不似合いな自然。
……そう、小山田重工本社ビルは地上500mを浮遊する。
つまり自然と触れ合う機会がない。
人間は土に根を張り、風と共に生きる存在である。
自然がなければリフレッシュもままならず、良い仕事はできない。ならばどうするか?
簡単な事だ。“社内に自然を作ってしまえば良い”。
この空間こそ、幹部社員専用のビオトープフロアなのだ!
「成程」
再度つぶやく。背後の階段からはカナデが追ってくる音。
このまま身を隠し、相手の能力切れを待つか?
――否。より手っ取り早い方法を見つけた。
「水場があるとは重畳。すぐに決着をつけてやろう」
「どりゃああああ!」
10秒後。カナデがビオトープフロアに乗り込んできた時、
日内環奈は理想的なポジション取りを終えていた。
それはつまり、池のど真ん中。
いくつか配置された飛び石。その一つに立っている。
「気が変わった、相手をしてやろう。
ただし――――」
ニヤリと笑い、あからさまな挑発をかける。
「貴様がここまでこれたら、の話だが」
「これる!!!」
当然、カナデは挑発に乗るタイプのバカである。
日内環奈の言葉を聞くや否や、ロケットの如く飛び出した。
《サンドリヨン・ゴーヴァン》の効果時間は残り30秒!
日内環奈の能力の正体はわからないが、おそらく『走っても走っても追いつけない』能力だとカナデは判断していた。
ならば今が好機!足を止めてくれている今こそ全力で叩くべし!
強化された脚力で思い切り地面を蹴る。
走り幅跳びのように池を飛び越え、
そのまま環奈に強烈なジャンプパンチを――――
叩きこめなかった。
日内環奈の2m圏内に入ると同時に、松姫カナデは勢い良く落下した。
カエルのような姿勢で推定水深1メートルの池に落下した。
「……!? がぼがぼ、がぼッ……!?」
「決着だ。松姫カナデとやら」
飛び石に立ったまま、日内環奈は悠々と告げた。
日内流の教え――『自然と共にあれ』。
本来は『自然からの恵みに感謝せよ』という程度の意味だったが、
環奈にとっては違っていた。
あらゆる存在の運動エネルギーを殺し、超重力を加え、
どんな飛来物も高速で地面に激突させる――
環奈の前で一度平伏せば、誰もが起き上がれない。
その真価は水上でこそ発揮される。
「一尺だ」
「たったそれだけの深さがあれば、お前を溺死させられる。
これが私の能力――《飛鳥落地穿》。
冥土の土産に覚えておけ」
「……ガボ……!」
カナデの黒髪が金髪に戻る。
《サンドリヨン・ゴーヴァン》が解除された。
こうなれば、もはや溺死を待つのみ。
日内環奈の勝利は確定した。
「……」
1分が経過した。日内環奈は動かない。
手負いの獣は追いつめられてからが怖い。
確実な死を観測するまで動くべきではない。
「……」
3分が経過した。日内環奈はまだ動かない。
松姫カナデの動きはとうの昔に止まっている。
溺死したか。だが、念には念を。
「……ふむ。死んだか」
10分が経過し、日内環奈がついに動いた。
松姫カナデは溺死した。だがしかし、念には念を入れなければならない。
日内流の教え――『死体にもトドメを刺せ』。
日内環奈は《飛鳥落地穿》を解除し、動かなくなったカナデにゆっくりと近づいていく。
ぷかりとカナデが水面に浮かび上がった。無防備な後頭部が晒される。
「――エエエエエエイッ!」
無慈悲な破砕槌が振り下ろされ、カナデの後頭部が砕け散――らない!
「ガボッ、でやああああッ!」
「ぐばッ!?」
銃床を弾き飛ばす軌道の鋭い蹴りが、そのまま環奈の顎にめり込んだ!
松姫カナデ!
溺死していない――生きている!だが、一体何故!
その姿は先ほどと同じ大人の女性のものだ。《サンドリヨン・ゴーヴァン》で凌いだのか?
「き、貴様――物の怪の類か!?
なぜ生きている!」
ふらつく足を抑えながら環奈が問う。
「ランク17、“チョーカー”だよ!」
「なに?」
「だから、ランク17!窒息させてくる奴と戦った事があるんだ!」
うっとりとカナデが思い出話をはじめる。
「あの時は本当に辛かった……
一時間息を止められるようになるまで、三日も修行しなきゃいけなかったんだ」
そう、松姫カナデはバカである。
バカだが――しかし――その身体能力は本物だ!
三日修行したくらいで一時間も息を止められるなら、水泳選手は苦労しない!
「そッ……そんな無法が罷り通るものかッ!この物の怪め!」
環奈が再度逃げを打つ。
こいつは人間ではない。おそらく魔人でもない。本物の物の怪だ。
となれば、弱点を突くべし。再度逃走し、時間を稼ぎ、
身体能力が落ちたところを殴殺すべし!
「悪いが、私は逃げるぞ!追いつけるかな!」
「ううん。鬼ごっこはもう終わりだよ!」
カナデは追わなかった。かわりに、跳んだ!
壁にヒビを入れながら駆け上がる!
柱を粉微塵に砕きながら更に跳ぶ!
《サンドリヨン・ゴーヴァン》で強化された、
カナデの拳が天井に突き刺さった。
天井にヒビが入る。
壁のヒビが大きくなる。
柱は既に粉々に砕けている。
「逃げ道!全部!」
「ふさいでやるううううううッ!」
……カナデがせいいっぱい絞った知恵だった!
よくわからないけど、逃げ道をなくせばいいのだろう。
ならばフロア全体の崩落に巻き込めばいい!
全くもって見当違いの推理だったが、
天井から降ってくる膨大な瓦礫を
《飛鳥落地穿》で無効化する事は――不可能だ。
「ぬかっ、た――――!」
日内環奈と松姫カナデ。
二人の少女がフロアの倒壊に呑み込まれた。
――ガ ゴ ン !
「ぷはーっ!」
中から出てきたのはただ一人。
キラキラと輝く金髪ポニーテール。
すらりと伸びた脚。控えめな胸。
あまりに場違いなどこかの女子高の制服。
「あー、楽しかった!」
よく通る笑い声を響かせる、松姫カナデただ一人だった。
「日内環奈さーん!これから助けるからねー!
あとで一緒に、おさけ飲もうねーーー!」