一回戦第八試合その2


「我々も戦場整備の一環として、万全を期して準備を致しましたが……」

選手控室に開かれたオフィスビル転送用ポータルに入る彼女に、係員が極めて事務的な口調でカナデに言った。

「オフィスビル内に万が一社員が残っていた場合、口封じのために殺害が推奨されます」
「……何も知らない、一般人なんでしょ?」

反抗的な口調で確認を取るカナデに対し、係員は「ご健闘をお祈りします」とだけ答え、転送スイッチを押した。

転送ポータルの光が身体を包み込んでいく中、カナデは目を閉じ、自らの意思を確認する。

松姫カナデは戦いが好きだ。何よりも、何より好きだ。
だが戦いとは、対戦相手と分かり合うための手段である。
無関係な人物を一方的に害 するためのものでは、断じてない。

それならば私が取るべき行動は……。

再び目を開いた時、彼女はオフィスビル1階に立っていた。

「まあ、誰もいないに越したことはないんだけどねっ!」

彼女は一人呟くと、トレードマークの金髪ポニーテールを揺らし、非常灯だけが照らす薄暗い受付ホールを駆け出す。
なんと伝えれば、残業中の社員に怪しまれずに帰ってもらえるだろうか。
そんなことを考えながら。
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「変わった造りの家だな……」

辺りを見回しつつも油断なく得物の長銃を構え、日内環奈は階段を降りる。
現代社会から隔絶された隠れ里で生まれ育った環奈にとって、今回の戦場であるオフィスビルはまさに異空間であった。

「……ん?」

フロアの一画が、蛍光灯の光により煌々と照らし出されている。
開け放たれたドアの向こうから、何事か話している人間の声がはっきりと環奈の耳に届いた。

『社員が残っていた場合』

転送直前、係員が環奈に伝えた注意事項がリフレインする。

「口封じのために殺害が推奨される」

そう呟くと、環奈は長銃の銃身を軽く握る。
そして、カタカタとキーボードを叩く音がするオフィスビルの一画に躊躇なく足を踏み入れた。

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「12階、異常なしっと」

敵のアンブッシュを警戒しつつ、1フロアずつ居残り社員の存否を確認する作業は、思った以上に時間のかかるものだった。

12階から13階へと続く階段を登るカナデの鼻孔を、ツンとした鉄の匂いが 刺激した。
地下格闘コロシアム 『天の磐戸』で観戦した、有刺鉄線デスマッチでの光景が脳裏をよぎる。
針金が格闘家たちの肉を切り裂き、そこから噴き出る赤い液体。
それを彷彿とさせるこの匂いは

「まさか!」

3段飛ばしで階段を駆け上る。
20メートルほど続く廊下の突き当り。13階のフロアの一画から光が漏れている。

「……ッ!!」

金髪のポニーテールを揺らしながら廊下をダッシュするカナデ。
彼女の嗅覚を刺激する鉄、否、血の匂いは、一歩進むごとにその濃さを増していく。

開け放たれたドアの向こう、名も知らぬ企業のオフィスに広がる光景を見て、カナデの呼吸が止まった。

フロアに広がる血溜まりに、白い書類が舞い落ち、紅に染まっていく。
そしてその血溜まりを作っている 、つい数分前まで生きていた者は3人、4人。
反応する余裕もなかったのだろう。一人は椅子に座った状態で事切れていた。

「まだ居たか」

カナデの存在に気づかないのか、長銃の銃身を握った少女が事務所の真ん中に立っていた。
銃床から、血が滴り落ちている。
そして彼女の目線の先には

「ヒッ、やだ、やだやだ!」

隠れていたデスクの下から、一人のOLが這うようにして出てきた。
カナデの存在に一縷の望みを託したのか、カナデの方へ移動しようとしている。
そして、デスクの合間を滑るようにすり抜け、腰が抜けた女性社員に高速接近する道着袴の少女。

「たっ……助けっ」

目を見開き、カナデに助けを求めて手を伸ばすOLの頭蓋骨が、振り下ろされた銃床に よって、脳天から叩き潰された。

「……ふう」

少女は、一仕事終えたとでも言わんばかりに軽く息を吐く。
手にした鉄砲が振るわれると、白い床にベシャリと赤い模様が描かれた。

「む、貴殿が私の対戦相手か」

流れるような動きで、長銃を構える少女。
黒目がちな目が、まっすぐにカナデを捉える。

『天の磐戸』で戦った誰とも違う、無機質な殺意の奔流。

(こんなの、こんなことって)
「日内流砲術師範代、日内環奈。いざ尋常に」

身体が、強張る。いけない ダメだ このままだと でも 

「勝負!」

摺足で高速接近する、血まみれの長銃を構える少女。
そんな日内環奈に対し、カナデは

『サンドリヨン・ゴーヴァン』

キラキラと輝 く金髪が、黒へと変わる。
素早い跳躍により距離を取ると、環奈に背を向けて全力で走りだした。

身体能力を限界を遥かに超えて爆発的に跳ね上げる、彼女の魔人能力。
強者と戦う為に得たこの能力を、強者に勝つ為に得たこの能力を。
彼女は生まれて初めて、逃げるために使った。
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階段を一気に飛び降り、目についた事務所に逃げ込む。
息が荒い。胃から何かが上がって来る。

「落ち着いて、深呼吸」

身体にこびりついた死の匂いが、少し薄らいたような気がする。
心拍数も少しだが落ち着いてきた。

(能力切れまで、あと1分半……)

思案を巡らせる。
残された時間は短い。
あの少女を確実に倒す方法はないだろうか。

( おびき出して、強烈な一撃に賭けるしかない)

フロアの電気をオンにする。
小奇麗に整理された事務所が、蛍光灯に照らし出される。

(能力切れまで、あと40秒……)

静寂が支配するオフィスに、鉄砲少女の足音が響く。

(あと15秒……)

近づく足音が、カナデがいる事務所のドアの前まで来て止まった。

カナデはドアから少し離れて拳を構える。
環奈がドアを開いた瞬間、全力で拳を叩き込むのだ。

(あと5秒!)

ドアが軽く叩かれる。

(……3秒……2秒……)

そして次の瞬間

ドゴーーーーーーン!!!

爆音と共にドア周辺のコンクリート壁が破壊される。
虚を突かれたカナデを、ひん曲がったドアや崩れたコンクリート塊が大砲のように 襲う。

日内流砲術道場のある隠れ里に、ドアノブを回して開く扉は存在しない。
出入り口であることは何となく理解できたものの、開き方が分からない扉。
それならば周囲ごと破壊して吹き飛ばしてしまえば良い、という環奈の単純な思考回路によってもたらされた行為。
そしてそんな環奈の思考と行動は、現代社会で生まれ育ったカナデには、今扉の下敷きになっている"金髪の"少女には、予想のできないものだった。

「……るせない……」

瓦礫から這い出る。
先ほど見た血溜まりが再び脳裏を支配する。

「許せない……!」

ふらつく脚で立ち上がり、拳を構える。
自分に助けを求めるOLの姿が蘇る。

「私は、絶対に……!」

格闘家として。
戦いの中で友と なり、語らい合うことを是とする者として。

「貴女みたいな奴に!」

カナデの拳が環奈を捉える。
そんな環奈は得物の銃を肩に乗せ、能力使用の反動で致命的に身体能力が低下したカナデの弱々しい突きを、胸で受ける。
カナデに対戦相手としての興味を失った環奈が、息を吐いた。

「……ふん」

涙を溜めた目で環奈を睨みつける金髪少女の頭に、環奈は銃床を振り下ろした。
最終更新:2016年07月03日 00:08