◆氷河期のあいだに一代で繁栄を極めたこの油商人は、美濃ェルドーのありとあらゆる人々にとって恐怖の的だった。
その巨体と狂暴な性格が呼び起こした悪夢は数知れない――斎藤道産はまさに、戦国の災厄の象徴だった。
――『美濃ェルドー別羆事件 第四章:氷の文明』より◆
【第一戦 足場を確かにして気を充溢させ、一刀を放つべし】
「イィィイイイイッウ面ェェェェェェェェェエン!!」
『イィィイイイイッウ面ェェェェェェェェェエン!!』
漆黒の木刀と影の剣がぶつかり合う。
激しい衝撃波。斎藤の表情はヘルメットに覆い隠されて見えない が、相手の顔はまるで漆黒だ――その表面がうぞうぞと蠢いている。
影から立ち上がったそれは、何かの群体生物か――斎藤ディーゼルと同じ練度、同じ剣技でもって攻め立てて来る。
場所は港湾。KGBたる斎藤にとっては、違法ウエスギーィングソルトの密売捜査などでも慣れ親しんだ場所だ。
地面もコンクリート敷きで、剣道家たる彼には有り難い。まして、斎藤と同じ姿をした影相手ならば。
「胴! ッコ手ェ! キィエッ! イィェ―――ッ!!」
『胴! ッコ手ェ! キィエッ! イィェ―――ッ!』
引き胴から繋げる動作は、やはり全く同じ。
激しく打ち合う――だが、再びの激突と 共に、斎藤と同じ姿をした影は吹き飛ばされ、地面を転がりコンテナに衝突する。
完全なるコピーに見えるが、いくつか制限があるようだった。
まず、彼らは跳ばない。影から生み出されたゆえに、地面を離れられないのか。
擦り足を主とする剣道のスタイルがそれと噛み合ってしまっているのは、痛し痒しであった。
そして第二に、彼らは身体のどこかが欠けている。
それは、背であったり脇腹であったり胸元であったり、頭部であったりする。
全身を構築する手間を省いているだけかもしれないが、実際、有効打突部位が減るのはなかなか厄介だ。
だがその結果、相手の体格は斎藤より小さく、体重は軽くなっている。
無差別級のスポーツである剣道とはいえ、同じ 技巧ならば体格が大きな方が勝つ。
普段の定石通り、斎藤は倒れた影めがけて、剣をコンパクトに振り下ろす
「いーーーーーーうっ、めーーーーーーーーぇん」
背後から、ふざけたような、しかし斎藤の発音と寸分違わぬ音程の気勢と共に。
がぎゃ、とヘルメットに罅が入れられる。側面からの衝撃。
コンテナの陰から飛び出してくる影に気付いていなければ、脳を揺らされて倒れていたかもしれない。
「グッ……!」
「……ってね。こんばんわ、おさむらいさん、いや――おさむらいさん、じゃないかな?」
砕けたヘルメットを投げ捨てる。
こめかみから血――だが気にするほどのものではない。
眼前に立っているのは、活動的な体操服に身を包んだ青髪 の少女だ。
顔はまだあどけなくも、表情はどこか余裕と、こちらとの壁を感じる笑み。
華奢で小柄ながらも、身体の凹凸はしっかりしていて、こんな場所でもなければ読者モデルでもやっていそうな美少女だ。
片手には、どこかで調達してきたのか、配管が握られている。
「もしかして、警官さん、かな? ……ふふ、いけないんだ、こんなとこで戦って」
口元に指を当てて首を傾げる。凛とした声で笑う、華奢な少女。
その言葉はどこか間延びしているような、しかし詩歌のような心地いいリズムがある。
……KGB装備は、ある程度の偽装はしているものの、構成からして公的なものであるのは丸分かりだ。
これで退いてくれればよし。威圧も兼ねてそのままにしてい る。
「ああ、そうだ。タケダネットの管理外の能力使用は武田家諸法度第四〇七条違反。大人しく投降してくれれば、君のようなお嬢さんを傷つけずに済む」
「きずつけずにすむ」
半ば冗談めかして言ってみたが、全く同じ言葉が帰ってきた。
少女の笑みに、僅かに影が差している――“それ”に見慣れた斎藤でなければ気付けない表情の変化。
タケダネットを、信用しない者の表情だ。
「君の能力はコピーだろう? だが、君も含め二対一でとはいえ、操れる量には限界があるようだ。僕の方に分が――」
「ん。そうだね。でもね、それは、少し早計じゃない、かな?」
少女が指を鳴らす。
ぞぞぞぞぞぞ、と影が動く。
コンテナの、 停泊した黒船の。発電所の電線の影から、斎藤と同じ――僅かに背丈と体重に劣る影が。
自分の理解の甘さを叱咤する。一度に作る量に制限があるだけか。回数には、制限がない。
何度も作れれば――その限りではないのか。
「全く、これだから魔人能力は……どれもこれも反則能力だな……!」
「正直なところ、警官は、あまり好きじゃないんだ。運が悪かったって諦めてくれると嬉しい」
「――キィエッ! キェッ! ィィィエ―――――ッ!!」
『『『『キキキキキキキキキ――』』』』
気勢を上げるも、それに数倍するリフレインにかき消される。
真正面からの剣撃を弾くも、直後、左右からの衝撃が胴を揺らす。
ごぶ、と胃の底から込み上げて来るものを感じる 。そのまま放射熱線で前方を蒸発させるが、大して効果があるとは思えない。
剣道は、一対一を前提としているのだ。
あるいは戦国時代から伝わる古流派なら。秘奥に至れれば、そうではないのだろう。だが、非才なる彼に出来ることは一つだけだ――
荒れた野太い、父親の声が、彼の脳裏に響く。
(『次! ――何? これで二十人目だと? それがどうした! 何度でも撃てッ! 残身が何の為にあると思うとるっ!』)
「分かってるよ、親父――イェァッ! イェアッ! 面! 胴! 突ッギィイィイイイイッ!」
袋叩きにされながら、少しずつ数を減らして行く。
胴。一体。面。一体。放射熱線。五十体。小手。一体――いや、砕いた手が再生した。零体。
突き 。喉を外した。放射熱線。三十体。次の相手へ――
「な――」
遠くから少女の声。眼前の敵にだけ集中しているため、内容までは分からない。武骨な戦いしか出来ない彼を、嘲笑っているのかもしれない。
一度に一人しか斬れなかろうと、それを繰り返せば、いつかは終わる。
加賀百万獄卒の伝説でもない限り、無限の兵などありえない。
コンテナを背にする。眼前からは三体――囲まれては駄目だ。擦り足で下がる。気付けば、見える範囲に影は一つだけだ。
なんだ、俺にも出来るじゃないか。
「キェアッ! ――面ェェェェエエエエッ!」
体当たりし、態勢が崩したところを、撃つ!
頭部を確実に捉えた。影が倒れたところを確認するため、残身し――
< br>「――お兄さん」
白く細い腕が、視界を塞いだ。
まるで影から抜け出したかのように、まるで気配を――人間味を感じさせない声で。
相手の少女が、背に絡みついていた。耳元で、脳を痺れさせるような声。
「お疲れ様。とんでもない魔人能力を……持ってるんだね」
それは、目立った能力のない自分に対する、ひどい皮肉だったのだろうか。
それとも、自分の剣技が、立ち回りが、相手には魔人能力に見えていたのだろうか。
だとしたら口が上手いことだ。今時の少女は、大人の扱いを心得ているらしい。
「それ、もらおうかな」
ぞっとするような妖艶な声だった。
ぬるりと、額の傷を舐め上げられた。
――斬り散らし、周辺に散ったはずの影の 群れが、瞬く間に鳴動する。
何か、周囲の、おそろしいものが、猛烈な勢いで高まっていくのを感じた。
「あ……ぎっ!?」
そして、悲鳴と、驚愕が同時に巻き起った。
~~~~~~~~~~~~~~
「あなた、人間じゃないでしょ」
あの日、私を助けたオカマは、彼女特有の甘ったるく野太い声でそう言い放った。
同じベッドの中で、少女は――楠木纏の背に指を沿わせる。
性的接触ではもちろんない。この街の冬はひどく冷え込み、彼女らは暖房設備に恵まれるほど裕福ではなかっただけだ。
「ニイガタ? それともエゾ?」
「最初のほう……かな。うん、否定はしないよ」
どういう経緯でそうなったのか、楠木は知らない。
生まれた 時から、少女は超越を身につけていた。
だが、それは普段の生活を送るには、大して役に立つものではなかった――
たとえば年を取らないとか、成長が明らかに鈍いとか。
それでも腹は空くし、殴られれば痛いし、陵辱されれば、陵辱されただけの感覚がある。
せいぜい、不清潔な環境でも身体を洗わなくてもいいくらいだ。
「それで、どうする? 追い出したいって言うなら、望むようにするけれど、ここは君の家だからね」
「馬鹿ね」
ぎゅっと、背中側から抱き締められる。互いの体温を感じる。
いや、あるのは桃子の体温だけだ。纏のそれは、桃子のそれを真似て作り出したに過ぎない。
「人間かどうかなんて。アタシだって、世間から見たら似たようなものよ 。ミルキーレディ以来、この国にオカマの住む場所なんてない」
「…………」
「家族を追いだす人間がどこにいるのよ」
「物好きだね。いつか、身を滅ぼすと思う」
楠木纏は、こうして一つのベッドに入る時、背を向けて眠る。
普段は余裕と自信家の殻に隠しているが、自分が実は、涙脆いことに自覚的だったからだ。
……鬼ヶ島桃子には、一つの夢があった。
長崎。デジマ。そこから行く和蘭陀なる国に、オカマたちの楽園があるのだと。
だがそこは厳重に封鎖されている。
迫害されている鬼ヶ島桃子が辿りつくには、金が必要だ――アルバイトでは到底足りない、膨大な金が。
自分ならば有効に戦えるだろう。
かつて彼女を買おうとし、罵声とともに追 い返した官僚の男は言った。
ニイガタヒトモドキ、と。
その呪われし出生が、極限の戦いの中ではきっと有効に働くだろうと。
そう信じていた。
~~~~~~~~~~~~~~
「あ、あ、あう……」
楠木纏は、巨大な影の中に、磔にされていた。
ぎくっぎくっと、危険な痙攣を繰り返す。力が入らない。身体が熱い。穴という穴から、体液が漏れ出している感覚。
役に立つはず――それが、まさか。
彼女の能力限界では、一度に作り出せる影の分体の限界値は160センチ、40キログラム。
だが、今の彼女を覆う姿は違った。
――巨大な胴が、コンテナを引き潰す。
――振り降ろした尻尾が、黒船を半ばから断ち割る。
――それは まさに、かつて戦国に存在した斎藤道産の生き写し。
――《美濃の蝦夷羆》と呼ばれていた、その異様である。
『ギィィイ――――――シャァァアアアア―――――――!』
警官だと名乗った男は、とうに逃亡し、見えなくなった。
間違いなく、もうすぐ彼女が生み出したこの怪物によって潰されるだろう。
斎藤ディーゼルが保有する、ごくごくありふれた不滅細胞――D細胞。
またの名を、斎藤道産由来の遺伝構造体、オルガナイザーD3が、偶然、ニイガタヒトモドキと共鳴反応を起こしてしまったのだ。
怪物――仮称を斎藤2000ミレニアムとでも呼ぼうか。
「あっ! うぅん……ひぅ!」
分裂限界を越えた能力行使から、身体の隅々が拒絶反応を訴 えて来る。
ニイガタヒトモドキと、《美濃の蝦夷羆》の末裔たるD細胞。
どちらが強いかに関しては、諸説を待つところだが――通常の精神構造をした少女に耐えられるものではないのは共通するところだろう。
普段は余裕と自信の笑みを湛えている彼女は、今や全身を真っ赤に火照らせ、狂い悶えている。
彼女の身体が限界を迎えるか、斎藤ディーゼルが逃げのびるか。
勝負はそこに終着していた。
~~~~~~~~~~~~~~
「ゼェッ! ゼェッ! ハァ……!」
身体を半身に。刀を右から背後に流し、正面の相手から刃渡りが見えないようにする。
『脇構え』は、非実用的だとして使われずにいるが、ディーゼルは実戦のなかで使い道を見出してい た。
「――胴ォォォオォオオッ!」
逆胴で、目前の金網を切り払う。
それは、構えた状態での高速疾走に適しているという点だ。
更に言えば、そこから遠心力を以て放つ逆胴は、読まれやすいものの下手な上段よりも威力がある。
「……ここしかない」
ずぅん、ずぅぅん……。
地響きが聞こえる。あの怪物が近づいているのだろう。
やはり魔人というのは規格外だ。
しょうもない剣道、武道、それに少々の放射熱線しかないような彼のような者の方が珍しいのだ。
(……ただ)
発動の瞬間、あの少女は、はっきりと苦しんでいたように思う。
自らの身体を掻き抱き、コンクリートに倒れて、そしてあの怪物が出現した。
警官としての勘が告 げる。あれはもしや、暴走状態にあるのかもしれない。
だとすれば尚更、急がなければ。
たとえ違法戦闘大会に属す犯罪者だとしても――能力を暴走させた哀れな少女を、KGBである彼が止めない理由はない。
「スゥ―――――ッ……ハァ――――――……」
呼吸を整える。
大方の人間ならば失笑することだろう。彼はまだ、諦めていなかった。
それはニイガタヒトモドキの干渉によって高まっているD細胞のせい――かといえば、そんなことはない。
そもそも斎藤はそんなものの存在を知らないし、全身がそれである楠木とは、影響力も全く違う。
細く眼を見開く。
広々としたコンクリートの床。傍らには四号機。一号機、二号機は既に斎藤2000ミレニ アムに破壊し尽くされている。
復水ポンプ、橋型クレーン、背にはサプレッション・プール。
「背水の陣、ってわけじゃないが……」
親父の教えが蘇る。
(『己を斬るのが剣道だ! 相手は己を高めてくれる相手だ!
それを相手の方が強いから、勝てないからと! 温いわ! 万の感謝を以て立ち向かえ!
一歩でも恐れて引けば、その瞬間に儂がたたっ切ってくれる!』)
最後の一戦を、ここ――ヨコハマ原子力発電所を選んだことには、大きな理由はない。
ただ、退けない状況を作りたかったことと。障害物をなるべく多くし、敵が近付いてくる時間を稼ぎたかった。
また、破壊された原子力発電所から漏れ出した莫大量のエネルギーが全て彼の背骨に収束し てきているのもあるが、それはちょっとしたおまけ程度だ。
……何よりも時間。
自分と向き合う時間が必要だった。
「斬り捨てろ。驚、懼、疑、惑」
何を驚く。
――敵の能力が規格外だったこと。
何を懼れる。
――己が弱いこと。
何を疑う。
――これまでの己の積み上げてきたことを。
何を惑う。
――己の、剣の道を。
「よし」
それは彼の儀式だった。
自分の迷いを言語化することで、向き合う。
向き合えれば、叩き斬ることもできる。
派手な異能も、超人的な体術もない彼にとって唯一の長所。さながら使い古された武骨な石刃を、何度も削り直すように。
「全て斬り捨てた。それじゃあ、来い。クリー チャー」
たとえどんな規格外を相手にしても。
無謀な剣一本で、立ち向かう。
勝算がないわけではない。たとえ化け物でも、あの構築素材は少女の影だ。さほどの強度はない。
ならば相手に潰されるより早く体表を貫き、核となっている少女にさえ届けば。
『ギギギギギィィィィィ―――――――ァァアアアアアアアアッ!』
壁が崩壊される。
蒼く輝く鱗を持つ巨大な蝮が、姿を現した。
「デェェエェエエエエアアアッツッッツェエェェエエエエ――――――!!」
脇構えのまま、彼は正面から突進する。
気は十分。覚悟も十分。無数のパイプも壁の破片も、今や彼の眼には入らない。
――脇構え。またの名を金の構え、陽の構え。
それは最速 の構えだ。己を光が如く、一直線に。
牽制として放射熱線を吐く。ニイガタヒトモドキの干渉で励起した道産細胞。
破壊された原子力発電所のエネルギーを吸収したことで、赤く螺旋状の光線となったそれが、蝮の口から侵入。
口から尾の先までを貫通し、道産2000ミレニアムは一撃で死んだ。
「あ――」
奇跡的な幸運によってその軌道を逸れた少女が、宙に投げ出される。
泣き腫らした瞳が、自分目掛けて真っ直ぐに走ってくる斎藤に気付く。
無意識のうちに。ぬくもりを求めた少女は、助けを求めるように、斎藤めがけて手を伸ばした。
それを、斎藤は感覚でなく知覚する。
(―――――今だ!)
「胴ォオオオオオォオォオオォォオオオッ ―――――――!」
「こっはぁあああああああああッ!?」
縦軌道に落ちる少女の胴に、改心の逆胴を浴びせる。
ずっ、どだん、と少女は軒並み左側の肋骨を砕かれ、くの字に折れまがって壁に叩きつけられる。
「――ぐっ!」
だが苦悶の声を漏らしたのは斎藤の方だった。
(入りが――甘い!)
ただでさえ逆胴は一本を取られにくいのだ。
上から落ちて来る相手を捕えるには、斎藤の練度では駄目だった。
「~~、ヒュ、~~~~~ッ、――――」
壁にもたれたまま動けない楠木めがけ、斎藤は剣を振るう!
何故なら剣道とは己を向き合う競技だからだ! 常にありがとう対戦相手だ!
そして――KGBとして、能力を暴走させた 魔人を止めない理由は、斎藤にはない!
「あう、や、や、め」
「面ェェェェエッェェェェエエェェェッェエェェッェェッ!!」
【一回戦 第二試合 斎藤ディーゼル VS 楠木纏 港湾施設】
【勝者 斎藤ディーゼル 面あり一本】