《一》
ぽーたるへと向かう道すがら。
ひとりで歩いていると、ふいに寂しくなった。
これから、わたしは闘いに行く。
それはつまり、殺し合いをするということ。
強いものが制する、それが狩りの世界。
もし、わたしが狩られる側だったとしたら……?
いままで仕留めた獲物の姿が脳裏をよぎる。
魔人になったわたしは獣にだって負けないけど、魔人どうしの戦いならば……?
冷や汗が頬を伝う。
心臓の鼓動を感じる。
足は地面にはり付いてしまった。
怖い。
どうしようもなくなってしまったので、早速だけど父から貰った封筒を開けてみる。
せ、戦闘中に手紙読んでるひまなんてないだろうし、余裕あるときに読まなきゃ!
中には一枚の紙。父の細く滑らかな字で、文が書かれている。
「思無邪ニ至リテ生ヲ為ス」
生を為す。
鉄炮は、殺すための道具であり、生きるための道具でもある。
父はわたしにことあるごとにそう教えてくれた。
命のやり取りにおいて、絶対などない。力を付けて、忘れていたのかもしれない。
ああ、今日わたしは、人を殺すのだろうか。
わたしがわたしの生を為すために。
そして、いずれあまたの生をも導くと信じて。
◎◎◎
蝦夷、エベレスト。
世界最高峰を誇る白銀の頂に、少女は降り立った。
紅白を基調とした着物。腰と背に居並ぶは総計七本もの鉄炮。
革靴でざくざくと雪を踏みしめながら、千勢屋香墨は往く。
「……冬山には、慣れてるんだから」
手慣れた様子で袂より鶴の形に折られた紙を取り出せば、たちまちに火が灯る。
吹雪く勢いで消えぬように、そして敵に見つからないように、両の手の中に隠し、ほうっと息をつく。
冬山での狩りにおいて、悴んだ手先では即中即仏の狙いなど付けられない。
それ故の、直火懐炉である。
しばらく歩くと、傾斜が平らになって、広場のようになっていた。
白い雪に紛れる、人の影をみとめた。
近付いてみれば、それは自分よりも幼い女の子のようである。
大きな瞳は黒曜石のように昏く輝き、同色の髪は一つに纏められている。
幼いながらも整った顔立ちで、たいへん可憐。
桃色の地に花々を刺繍した着物が、さらに可愛らしさを引き立てていた。
(えっ、こんな小さい子が……)
想定はしていたが、実際目の前にすると、香墨の胸に去来するものがあった。
こんな子ども相手に鉄炮を向けるのが、わたしの炮術なの?
だが、幸か不幸か、悩んでいる暇は彼女にはなかった。
目を凝らして見てみれば、少女の右腕は半ばで折れ、幾つもの銃口が束になった砲身が覗いていた。
一度、目をごしごしと擦って、再び見る。
やはり右腕の先は変わらず、禍々しく黒光りする砲身。
「聞いたことがあるわ……からくり人形というものね」
一目には、そして近づいてくるまでは判別しようもなかった程に精巧な造り。
さぞ名のある技師の作品なのだろうと香墨は思った。
しかし、これで迷いが晴れた。
如何に人と変わらぬ外見をしていようとも、人形は人形。
鉄炮を構え、戦場へと没入する。
「即中即仏ッ!」
叫びと同時、銃声が轟く。
対するからくり人形の少女・平賀稚器も、先んじて気付き左手を振るう。
左手で握るのは、箸の先が高エネルギーの物質で形作られたビームチョップスティック。
熱閃が銃弾を斬り飛ばす。
「たーげっと確認。行くよ? そ兄ちゃん」
稚器が走り出す。
香墨と違い足元をしっかりと整えていないにもかかわらず、お構いなしの全力疾走。
「っ……!」
迎撃を試みる香墨。
だが、銃声に合わせて鋭く動く左手とビームチョップスティック。
攻撃は届かない。
「あはっ。あははっ!」
稚器が右手を薙ぎ払えば、銃弾の雨が線を描く。
香墨はこれを辛うじて転がって回避。
身を翻しての反撃を切り飛ばし、稚器がさらに踏み込む。
「鬼ごっこだよ、そ兄ちゃん。鬼は、チキねっ」
言葉と共に、左手を振りかぶる。
回避から即射撃を行った香墨はこれ以上機敏に動けまいと判断しての行動か、それは。
果たして血の華が鬼を交代させることはなく。
「えっ」
「即中」
コツン。
生じた小さな音の主は、稚器の胸元に突き付けられた銃口。
「即仏ッ!」
至近より轟音。
次いで、爆炎が辺りの雪を焼いた。
反動でたたらを踏みながら、香墨は手を払い、消し炭にまでなった鶴を捨てた。
それは、探索時にとろ火を熾して懐炉にしていた鶴。
今度はそれを、香墨は最大火力で勢いよく燃え上がらせた。
熱により引き起こされた反射反応が腕を振り上げ、意思による反転が封じられた状況でも過たず銃口を稚器に差し向けた。
(それにしても、すごい爆発)
香墨はやや呆気にとられた表情で、未だ煙の上がる一角を見つめる。
記憶を手繰れば、一部のからくり人形には自爆させる装置が備え付けられていることがあるという。
主に反抗させないためであるとか、敵に鹵獲された際に情報や技術を盗ませないためにだとか。
きっと、それを撃ち抜いたのだろう。
「これでよかったの、これで」
呟く香墨。
だが、胸の内のわだかまりは消えない。
これが、人間だったら。わたしは、人殺しだ。
これが、炮術師になるということなの?
だが。
香墨は異なる形で己の甘さを噛みしめることになる。
立ちこめる煙の向こうに見える影。
少女の背丈をした異形は、未だに動きを止めていなかった。
《二》
鉄炮の試射場。
新しく届いた兵器の動作を確認している俺を、眼を輝かせて見つめる妹。
「お兄ちゃんっ! もう一回、もう一回やってっ!」
妹にせがまれて、俺は苦笑しながら構えを直す。
呼吸を整え、一瞬。
大きな破裂音を響かせ、一町ほど先の的に穴が増える。
「やったあ! かわいい! すごい、お兄ちゃん!」
何がそんなに面白いのか、妹は俺の腰にまとわりついてくる。
まるで相撲の立ち合いのようだ、なんて言ったら妹はプンプン怒り出すだろう。
実際、そのあまりの元気さに俺は少しよろけてしまった。
いつの間にこんなに大きくなったのか。近頃は、戦と政にかまけ過ぎていたかもしれない。
「がっははは! 大将にあんな顔させるのは妹様くらいよ!」
「違いない、違いない」
おい、そこ、笑うな。
俺が腕を振り上げるふりをすれば、仲間たちはもう一度笑って退散してゆく。
「あはは! かわいいね、お兄ちゃん!」
やれやれ。可愛いのはお前だよ、まったく。
◎◎◎
煙が晴れ、稚器の姿がはっきりと見える。
香墨はあまりの変容ぶりに、一寸の間、自らの記憶を疑った。
人と見紛うほどだった肌は焼け爛れ、可愛らしかった着物もすっかり灰塵に。
露わになった兵器は先ほどまで使われていたものの他、刃物や鈍器など、まるで武器庫のよう。
口から煙を吐きながら、何事か音声を発している。
「武田に報いを、武田の世の者に死を。武田に報いを、武田の世の者に死を。タケダにムクいを。タケダのヨのモノに死を。タケダニムクイヲ。タケダノヨノモノニ死ヲ。タケダタケダタケダムクイムクイタケダタケダタケダタケダ死死死死死死死死死死死」
怖い……。
江戸の見世物小屋で見た怪奇人形があんなかんじだったと思い出しつつ、目前に迫る脅威への対処を考える。
もっと、やるしかない。
鉄炮を両手に構えなおす。
「死を! 死を! シヲシヲシヲシヲシヲ!!」
右肘からは刃が伸び、左膝からは不気味に回転する丸鋸。
生え揃っていた可愛らしい歯も鋭い棘と化して、暴走するからくり人形が襲い来る。
香墨はそれを、紙一重で躱し続ける。
刃には銃身を沿わせて勢いを逸らし、丸鋸には触れぬよう足を払って転ばせる。
足元を狙って噛みついてきた一撃は、ふわりと跳んで回避。
近接での体捌きも一定以上の水準を誇るのは、かつて習ってきた剣術や柔術、おどりの稽古の賜物だ。
移ろう現代日本の荒波に負けぬよう仕込んでくれた母の愛は、叡智の結晶たる稚器の兵器の数々に対抗していた。
「武田ニ、死ヲ!」
腹から発射された砲弾を伏せて躱す。
寝そべった姿勢から鉄炮を構え、もう一度、自爆装置のあった胸を穿つ。
「む! クイ、ヲッ!」
だが、稚器は意にも介さず、眼球より光線を放つ。
「あっ……!」
転がるも、一瞬遅し。
左手を射抜かれ、香墨は鉄炮を取り落す。
まなじりに涙の滴が浮かぶが、それでも闘志と残された右手の握りは緩まず。
振り下ろされる刃を右の銃撃で弾き、一歩下がって袖を破いて傷口を縛る。
これで、まだ戦える。
千歳流砲術は、まだこれから。
「タケダニ、シヲ! ムクイヲッ!」
「即中、即仏ッ!」
さらなる武装の数々。
撃っては増え、増えては撃つ。
「ソレガ、かわいい! かわいいハ、正義! 正義正義正義正義……!」
攻防と言葉を纏いながら、稚器の残された火力の全てが、遂に鎌首をもたげる。
絹のようだった柔肌のすべてが鈍色の銃身、銃口、砲塔へと換装されてゆく。
痛む左手で鉄炮を握り直した香墨も、この悪相には攻め気を転じさせる他なかった。
「セイ、ギッ!!」
これまでで最も激しい砲撃が、稚器の全身から繰り出される。
轟く爆音。
一発でも当たれば重傷は避けられない。必死で回避。
掠り傷は増えていくが、なんとかしのげるか。
刹那、重々しい異質な音が響く。
大地が震える。
「ま、まさか……」
香墨の頬を、冷たい冷たい汗が伝う。
足が震えているが、揺れは地面からきている。
一度だけ、地元の山でも遭遇したことがある。あの時は本当に死ぬかと思った。
よりによってこんなときに。いや、激しくどんぱちしてるいまだからこそ――?
「雪崩だッ!!」
雪が一面、押し寄せてくる。
猛烈な勢いが突風になって二人の体勢を崩す。
いまから逃げるのではとても間に合わない。
香墨は反射的に稚器の前に両手を広げて立ちふさがった。
「!? そ兄ちゃん、なぜ」
稚器の音声は、香墨の耳に届いただろうか。
雪があっけなく二人を覆い隠す。
静まりかえる雪山。
まるでだれも踏み込んだことのないように、まっさらな白が広がる。
《三》
半刻ほど経っただろうか。
雪原の一角に突然赤く火が灯ったかと思うと、ぼこん! と音を立てて少女が顔を出した。
「ぷはっ!」
『朱鶴拵篝玉章』の火は、紙が燃え尽きるまでは消えない。
香墨は火を少しずつ融かしながら、埋もれた雪から脱出したのだが――
「そ兄ちゃん、どうしてチキを助けたの?」
目の前には、全身兵器人形こと平賀稚器が、まったく変わらぬ姿で立っていた。
そう、稚器は今日の対戦相手だし、それ以前に機械なのだ。
雪崩からも雪を掘削したり吹きとばしたりして脱出したのだろう。
本来なら、助けてやる必要なんてなかったのだ。
それなのに、どうして香墨は稚器を庇おうとしたのだろうか。
「だって。山では助け合いなさいって、お父様も、お母様も、言ってたから……」
自然の力を前にして、人間のできることは少ない。
だから、山で何かあったら、お互い様だと思って、力を貸し借りすればいい。
両親の教えである。
それをたやすく無視できるほど、香墨は非情になれなかった。
「そっか」
稚器が右手だった銃を向ける。
香墨も腰の鉄炮をとる。
だが、火種となる紙はかなり使ってしまった。補充するにも隙がない。
残りでどう戦うか?
考えを巡らす香墨だったが、稚器の思考はちがった。
「チキの負け。ほら、立って」
きょとんとする香墨。
どうやら手を差し伸べてくれていたらしい。
とりあえず握って立ちあがる。
その瞬間、花火が打ち上がり、大音声が響き渡る。
〈試合終了!! 千勢屋香墨選手の勝利です!〉
だーかーら! 雪崩がまた起きたらどうすんの! と噛みつかんばかりの香墨。
だが、とりあえず勝負は付いたようだ。
空から帰りの券がひらひらと落ちてくる。
「ほ、本当に勝ったんだ……。でも、稚器ちゃん、どうして?」
「もうチキの中に弾薬はないの。近接兵器じゃ勝てないのは、先刻までの切り結びから判るし、それに……」
「それに?」
「そ兄ちゃん……ううん、お姉ちゃんは、チキを助けてくれたから」
見れば確かに弾はないようだった。
でも、助けたからっていって負けでいいなんて? と、疑問に思う香墨。
当然のことをしただけのつもりだったが、稚器には予定されていない行動だったのだ。
そして、チキの自立脳の奥底、今は失われた記憶の中。
鉄炮を握り、自分を護ってくれた温かな背中の存在。
それがチキの無意識に働きかけた影響を、二人は知る由もなかったが。
「チキ、お姉ちゃんの家の子になりたい」
香墨の腰に稚器が纏わりついてくる。
わずかに残る可愛らしい人間の顔が、庇護欲を強調する。
「ち、稚器ちゃん可愛い……じゃなくて! その、いいの? 稚器ちゃんの家の人とか」
「家の人はもういないよ。チキはお金が必要。お姉ちゃん、お金持ちでしょ?」
「そ、そういうことか……。別にうちはお金持ちじゃないけど、稚器ちゃんご飯食べないし、うちや町の人のお手伝いしてくれるなら、まあ……」
「ほんと? やったあ!」
ぎゅーっとしがみついてくる。
だ、だめだ。うちに来るなら、これだけは言っておかなくては。
「そうそう、わたし以外の人も危ない目に遭わせちゃだめだよ?」
「善処するね!」
「善処じゃなくて! お姉ちゃんとの約束、ね?」
「お姉ちゃんとのなら……約束するっ!」
子どもの相手をすることに、香墨は慣れていた。
ほら大丈夫、機械だけど稚器ちゃんも言ったら聞いてくれる子だよ。
実際は稚器の人工知能に命令として加えられただけだ。
が、お姉ちゃんと認めた香墨だから言うことを聞いてくれたともいえる。
「医療班? に元通りに直してもらったら、一緒に帰ろうね」
「うん! ……zzz」
眠りにつく稚器。電源の限界だろうか。
頬を撫で、そっと見守る香墨。
その顔は、母親のそれによく似ていた。
[了]