これから行われるのは、一度汚泥を被せられた敗残者達の足掻き。
優勝の目を潰された、地を這いずる者同士の潰し合いである。
さぞかし悲壮な、泥沼の様相を呈した殺し合いが始まるのかと思われたが。
「ふんふふふーん」
くるくると直剣を弄びながら、鼻歌を歌う少女がそこに居た。
彼女の名は、禍津鈴。
第一回戦で劇的な敗北をしても、なお健在である飄々とした態度。
それは心象力で発現して扱えば絶大な回避効果をもたらすように、彼女の長所というべき性質であった。
「ふー、しっかし流石に寒いね~」
それもそのはず。
鈴が現在第二試合の戦闘地形としてやってきたのは、蝦夷の雪山。
彼女は現在、洞穴の中で懐炉を手にしているが、それも大した防寒になっていない。
そもそもこんな吹雪の最中にも関わらず、鈴はミニスカ和服で腹部も露出している。
理由は単純。
この服装が好きだから。
鈴は凡その行動において、ノリが基準なのだ。自分がこれが良いと思ったことに関しては、とことん強情なのである。
さて、戦闘開始時刻が過ぎたにも関わらず、鈴がこうして洞穴の中でくつろいでいるのには訳があった。
これも至極単純といえば単純な理由だが。
それは、相手の凍死待ち。
自らこんな寒い中で戦って痛く苦しい思いをするよりも、相手が自分を見つけられずに凍死するのを待つ方が良いという悪辣かつ合理的な考え。
(安定を捨てて賭けに出る――なんて、やっぱ負ける人の考えじゃないかなぁ)
彼女はそう考える。
今彼女はまさに安定した環境の中で温々と過ごしている。
元々、鈴は怠惰な性格なのだ。
それは、鈴の大会参加動機が「大金を手に入れて働かずに過ごしたい」というものであることからも明白。
そして、安定志向は第一回戦での敗北を機に更に強まった。
故に、鈴は雪山探索中に小さな洞穴を見つけた際に、今回はこの方針で行くことに決めたのだ。
問題があるとすれば、相手も同じ様な洞穴を見つけ、同じような戦略を行った時に我慢大会になることだけだ。
だが、そうはならず、また鈴の思惑通りに相手が凍死することもなかった。
何故なら――
「――見ぃーつけた」
地表を覆うような黒い影が洞穴の入り口にやって来ていた。
「あーらら、見つかっちゃったかー」
鈴が気の抜けるような声を出すと同時に、洞穴が下から突き上げられるように崩れた。
地面の影から、巨大な黒い腕が突き出て洞穴の天上にアッパーを仕掛けたのだ。
「お姉ちゃんが、私の対戦相手、だよね?」
影から、どこか幼さを伴った女の子の声がする。
「あはは、多分そうだよ。貴方は楠木纏ちゃんかな?」
「うん、そうだよ。ねぇ、漢字が難しくて読めなかったんだけど、お姉ちゃんの名前はなんていうの?」
「まがつ りん、だよ」
地表の影が徐々に鈴の周りを覆っていく中、鈴はあくまでヘラヘラとした態度で答える。
「まがつ りん」
影から発生する声が、真似をするように発音した。
そして、少女の声はさらなる問いを投げかける。
「ねぇ、どうしてりんお姉ちゃんは、戦わないで洞穴の中に居たの? 私、一生懸命探したんだよ」
「あはは、纏ちゃんも寒い思いをしてると思ったから、一緒に落ち着ける場所を見つけて待ってたんだよ。それにほら、私が洞穴から出ちゃうと誰かに奪われちゃうかもしれないでしょ?」
白々しい鈴の発言に、影は何を思ったのか暫し沈黙し、そして再び発声した。
「今からりんお姉ちゃんに会いにいくね。それまで私の“コロニー”と遊んでて」
そう影が言うや否や、足や腕の形をした黒いものが影から立体的に飛び出てきた。
「あっはは。これと戦うのかぁ。なんか大変そうだねー」
あくまで笑みを浮かべながら、鈴は剣を構えた。
◇◇◇
「うぅ、寒い……でもりんお姉ちゃんのとこまで、あともう少し」
そう、少女が歩きながら呟くと、雪の吹き荒ぶ音の中に別種の音が混じってきた。
それは、金属同士がぶつかり合うような音。
「へぇ、お姉ちゃんは剣士なんだね。格好いいね」
少女はどこか別の場所で喋っているような、別の場所を見ているような不思議な表情と声音でそう呟いた。
楠木纏はコロニーと呼ばれる古細菌使いである。
そして同時に、影使いでもあった。
彼女は影を自在に操れる。その中に人体の一部に擬態したコロニーを潜ませる事ができる。
コロニーの使用できる大きさにはある程度制限があるものの、影を操れる範囲には制限がなかった。
だから彼女は影を際限なく広げた。
影の中に目に擬態したコロニーを潜ませて戦闘フィールドのありとあらゆる地形を探査した。
そして影の中に口に擬態したコロニーを潜ませて鈴に語りかけたのだ。
「あ、いたいた」
そしてようやく、纏は鈴の元に到達する。
鈴は、この時、剣を持った手に擬態したコロニー達と戦っていた。
纏のコロニーは人体にしか擬態できないが、纏は剣も身体の延長戦・一部として認識することでコロニーで剣をも擬態したのである。
そして、纏のコロニーの本領は物真似。
鈴の剣術を吸収するかのように、真似てコロニーが剣を振るう。
「自分の剣術を扱う地面から生えた腕と複数戦う」という状況に鈴は苦戦を強いられるかと纏は、そう予想していたのだが。
「魔人能力……かな?」
鈴の周りには切断された木片が複数浮遊していた。
木片はコロニーの持つ剣を前に、盾という程の役割は果たせていないが、それでも攻撃を逸らせたり遅らせたりする役割は果たせていた。
「あ、纏ちゃんこんにちは。一回戦の録画を見た時も思ったけど、可愛い子だねー。これは魔人能力だけど、魔人能力じゃないよ」
纏の到着に気がついた鈴が、戦いながら纏にそう語りかけた。
鈴が頭に指している、かんざしが少し揺れた。
謎かけのようなことを言う鈴に対して、疑問符を表情に浮かべる纏。
その様子をちらりと見て、鈴は笑いながら正答を教える。
「あはは。これは、心象力っていうんだ」
「心象力……?」
そう、鈴は心象力を用いて切断した木々を浮遊させていたのである。
今回の鈴の心象背景は、一回戦と殆ど同じ。
ヘラヘラとした曖昧な態度を、ふわふわとした浮遊感のある心象を用いたのである。
それを、一回戦とは違い、自分ではなく周りに反映させたのだ。
「うん、そうだ。纏ちゃんにも付与してあげるねー。『エンチャント・心象力!』」
そうして、あっさりと軽いノリで、鈴は纏に心象力を付与した。
◇◇◇
鈴のヘラヘラとした態度、それは生まれつきであった。
幼少期は、可愛がられた。
常に笑みを浮かべていて、泣かなかった。
世話の掛からない、気丈な子だと両親に可愛がられた。
『えへへ……転んじゃった』
『大丈夫? あら、血が出てるじゃない! 手当してあげる。でも、鈴は泣かないでいい子だねー』
『えへへー』
やがて成長し、小学校に通うようになった。
同年代の子達が彼女と関わるようになった。
大多数は、彼女の笑顔を好感が持てると感じていた。一方で、気味が悪いと感じる子も少数居た。
『あの子、またヘラヘラと笑ってる……』
『この間先生に怒られた時も笑ってたよね』
『気持ち悪い……』
そう、笑みがそぐわない状況下でも笑っている鈴は、奇特な存在として受け取られる。
最初は好意的に感じていた人たちも、両親さえも、やがて「彼女はおかしい」と思い始めるようになってきた。
そして鈴が中学二年生の時、父親が交通事故で亡くなったことで、それは表面化する。
『鈴……あの人が……あの人が……あぁ……!!』
『お父さん、死んじゃったんだね……あははは』
『!? 鈴ッ! あの人が死んだのよ!? 何で笑ってられるの!? あなた、やっぱりおかしいんじゃないの!』
『えへへへ』
そして、この一件以来、母親は病んでいく。
病みが深まる中で、それでも鈴はヘラヘラと笑ったまま。母親の心理的病状は加速度的に進行していく。
そして。
『あはは。お母さん、死んじゃった……えへへ、あはは、あはははははは!』
母親の自殺。
最後の家族が居なくなったという最悪の事態を目の前にしても、彼女は笑うことしかしなかった。
狂ったのではなく、それが本質であった。
けれど、彼女は決して無感ではなかった。
人から嫌われれば、心が傷つく。
好きな人が死ねば、どうしようもなく悲しくなる。
それでも笑った表情を、ヘラヘラとした態度を崩さなかったのは、それ以外の感情表現を知らなかったからだ。
生まれつき、それしかできなかったのだ。
だから、鈴はなんとかして感情を表に出したいと思った。
そう願った結果の賜物か、発現したのが「エンチャント・心象力!」。
鈴はこの魔人能力をとても気に入っている。
心の内に秘めたものを吐き出せるから。
感情を力として振るえるから。
そして、この能力にはもう一つ鈴が気に入っているところがあって――――
◇◇◇
「これ、は……あはは、面白そう」
能力仕様により、直感的に理解した心象力。
それを、纏は早速使ってみる。
「ね? 面白いでしょ? っと、わわっ!」
対する鈴は笑った後、異常に気がつく。
ぐいっ、と纏の方に引っ張られたのだ。
姿勢が崩れたことにより、今まで拮抗していたコロニーとの戦闘状態が崩れ、剣撃を食らう。
纏が発現したのは、有り体に言えば引力だ。
自分という中心に向かって、対象を引っ張る引力。
その心象背景は如何なるものであろうか?
「成る程。なるほどねー。やっぱり、纏ちゃんはそういう子かー。じゃあ、取るべき行動は一つ!」
纏の心情に、何か心当たりがあるのか。鈴は、纏の予期せぬ行動に出る。
それは、影の行動を掻い潜り、纏の元へと引力に引かれるままに向かうこと。
「りんお姉ちゃん……!?」
いや、それだけならば対して驚きはしなかった。
本体を叩けばコロニーが収まると考えるのは至極自然な発想であったから。
纏が驚いたのは、その行動に付随する或る行動。
「なんで、剣を捨てたの……!?」
そう、鈴は剣を捨て、鞘を捨てて纏の元に向かったのだ。
「あはは。安心して、攻撃しに向かってる訳じゃないから」
柔らかい微笑を浮かべて、纏の元へと走る鈴。
何故か、何故かその時纏は鈴への攻撃が出来なかった。
鈴の言葉が気になった――というのもある。
鈴が攻撃手段を自ら破棄した為に、脅威に感じなかった――というのもある。
だが、それだけではないはずだ。どうして自分は鈴に攻撃できない?
そこで、ふと思い至る。
「心象力……」
そう、心象力の付与。
何故か、敵であるはずの纏に対して鈴が心象力を使ったこと。
普通は心象力は戦闘に使えるもの。
だから、心象力を相手に使えば鈴は大抵不利になる。
だけど、鈴はあえて使った。
その理由を知りたいと思い、鈴の行動を妨げようと思えなかったのだ。
「つーかまえた。それー!」
そして、鈴は更に敵対する者に対して凡そ取るものではない行動を取った。
「りん、お姉ちゃん……?」
抱擁。
力強く、しかし苦しくない程度に優しく、ぎゅっと纏を抱きしめたのだ。
纏が困惑し、なんと言おうか迷っている内に、それを遮るかのように鈴が語りかける。
「人に愛されたい――でしょ?」
「……!!」
それは、纏にとっての軸を、心象を、ズバリと言い当てていた。
「心象力で引力が発現するっていうのは、大体誰かに見て欲しい、近づいてほしいという欲求の現れなんだよー」
鈴は、経験則から知っているとでもいう様に、そう話した。
それは、まるで自分もそうなったことがあるとでもいうように……。
何も言えず、しかし不思議な心地よさを感じている纏に、鈴は続ける。
「一回戦の録画を見た時、不思議に思ったんだ。なんで、この子、あの時手を伸ばしたんだろうって」
――『無意識のうちに。ぬくもりを求めた少女は、助けを求めるように、斎藤めがけて手を伸ばした。』
それは、港湾施設での斎藤ディーゼルとの戦闘に自然と起こした纏の行動。
「今回、心象力を使ってみて分かったよ。やっぱり、誰かに愛して欲しかったんだよね?」
「……」
無言であった纏は、鈴による抱擁の中、小さく頷いた。
「うん……!」
鈴が『エンチャント・心象力』を好きな理由。
自分の感情を表に出せる事以外のもう一つの理由は、他者にも付与できることであった。
心象力は自分に使ってもそうであるように、相手に使っても面白いぐらい明確に心象を反映した能力が発現する。
すなわち、相手の心情を理解しやすくなる。
相手の心情を理解できるというのは、相手と心を通わせられることにつながっていく。
そういうところが、鈴は好きなのだ。
そして、優しく、優しく微笑んで、鈴は言う。
「だったら、私が家族になってあげる」
「え……?」
それは、今日纏にとって何度目になるか分からない、予期せぬ事。
家族。
その言葉に思いを馳せる。
とても温かく幸せな言葉に思えた。
鬼ヶ島桃子は、家族というものとは、少し違う。
桃子は、傷の舐めあいをする、「仲間」という感じである。
家族でも傷の舐めあいはするだろうが、「仲間」という言葉がしっくり来た。
だから、鈴が家族になってくれるのならば、久々に纏に家族ができることになる。
「ほんとに……なってくれるの? でも、なんで?」
「あはは、何でってこんな可愛い子を放って置けないからだよー。あとね、私も今、家族居ないんだ」
「そっか……」
本当に突然の話だが、それでもこの明るそうな人が家族になってくれるならば、幸せになれるだろうと、纏は思う。
家族の居ない者同士、支えあって生きていけると思う。
「あー、でも、私お金そんなにないから、纒ちゃんには不便かけちゃうかもしれないけどね」
「あはは。それでも良いよ」
纏は、鈴の顔を見上げて笑う。
鈴は、照れくさそうに後頭部を左手で掻いていた。
嬉しかった。
とても嬉しかった。
こんなに自然に笑えたのは、初めてかも知れないと思う。
思ったから――――
「りん、お姉ちゃん……?」
その喜びに水を差す様な首の痛みに、疑問しか浮かばなかった。
「あはは。ごめんねー」
数瞬おくれて、はらり、と鈴の後ろ髪が解ける。
後頭部を手で掻いたふりをして、そのまま手を下ろし、かんざしで首を刺したのだ。
少しだけ、ほんの少しだけ、申し訳無さそうに、鈴は謝りながら、かんざしをそのまま線を引く用に動かす。
「りんお姉ちゃん……」
それで終わり。
纏は、首から血飛沫を上げて、雪山の地表を朱に染めたのだ。
鈴は、最初からこれが狙いだった。
心象力を付与して、纏が本当に願うものが愛情だと確信を得ること。
そして、武器がないものと安心させてかんざしで殺すこと。
全て計算ずくで、家族になるなどと甘言を放ったのだ。
◇◇◇
あぁ――
倒れながら、意識が消えゆく中、纏は思う。
鈴の家族になるという発言、それは嘘だったかもしれない。
垣間見えた愛情のようなものも、嘘だったかもしれない。
だけど、だけど、あの抱擁の温かみは嘘じゃなかった。
それだけで幸せな気分だった。
そして、私の真の感情を見つけて汲み取ってくれる人が居るのも嬉しかったから。
きっと、離れて戦えばよかったのに、近づいたのも、他者と触れ合ってみたかったからなんだろう。
そして――
許すよ。りんお姉ちゃん。
――だって、りんお姉ちゃんは私の中では、家族だから。
そう、例えまやかしでも、一瞬家族を得たのだ。
“人間の”家族を得られたのだ。
辛かったけど、生きてて、本当に、良かった……!
あの幸福は、永遠に胸に刻みつけよう。
ねぇ、桃子。
私、あの時だけは“人間”に、“人間“の家族になれたかな……?
『そんなハナから決まってるじゃない。くだらないこと言ってないで、早くいくわよ。纏!』
そう、聞こえた気がしたから。
『うん――!』
そう答えて、私は意識を手放したのだ。
【END】