「私はただ、歌いたかっただけなのに」
「みんなの笑顔が見たかっただけなのに」
「ねえ、教えて」
「歌うことが罪ならば」
「どうして私はこの世界に生まれてきてしまったの?」
アイドル、と呼ばれる職業があった。
きらびやかな衣をその身に纏い、星屑輝く舞台に歌い踊る、絢爛たる職業であった。
人心を掌握する魔術的技能によってアイドル達は、感染症めいて密かに勢力を広げる。
彼等は領土を持たぬ領主である故、封建ベースドアルゴリズムで構築されたタケダネットの思考ルーチンは、当初アイドルを過小評価していた。
先代である十二代目武田信玄が襲名した天驚元年にはアイドルの勢力は猖獗を極めており、石高換算で数百万石相当の勢力を持つ者すら多数存在していたのだ。
史上最も政治工作に長けた武田信玄と嘆ざれる十二代目の対応は素早く狡猾であった。
数多くのアイドルをプロデュースし「いまジャニーさん」と称された近松門左衛門を違法ドラッグ所持の咎で処刑、アイドルすなわち悪の世論を形成した後に、アイドル討伐に動いたのだ。
アイドル事務所は「邪宗」の烙印を押され、幕府軍によって駆逐されていった。
七十年間続いたこの戦いが、天驚の役――いわゆる“メディア破壊戦役”である。
益田ましろは、貧しい農村の生まれであった。
小柄で、非力で、病弱だった彼女は、過酷な農家の暮らしに耐えることはできなかった。
天は彼女に、標準以上の美しさと、たぐいまれなる歌唱力の他には何一つ与えなかったのだ。
たとえ邪宗として迫害されようとも、アイドル事務所マカマカ教の教祖として生きる以外の人生を選ぶことは彼女にはできなかった。
その時の薪屋は、彼女の問いに答えるべき言葉を持ち合わせていなかった。
「――ごめん」
低い声でそう呟き、世界幕府の傭兵である薪屋武人は火縄ライフルのトリガーを引いた。
乾いた銃声が響き、銃弾が狙いあやまたず少女の喉に孔を穿つ。
そして――最後のアイドル、益田ましろは死んだ。
ステンドグラスの聖母マリアが、血を流し倒れた益田ましろと、落涙しながら膝をつく薪屋武人を見つめている。
それでもマリア様の瞳は、変わらぬ慈愛に満ちていた。
【ダンゲロスSSCINDERELLA 二回戦第二試合第五試合「港湾施設」薪屋武人vs弥六】
「ぐっ……見事だ……君の『強い思い』しかと受け止めた……」
薪屋武人は、綺麗な並びの白い歯を見せて爽やかに笑った。
そして、咳き込む。
白い歯の間から、真っ赤な血の混じった泡が漏れる。
強靭な筋肉を大質量が押し潰し、その四肢は折れ曲がり立つことすらできないだろう。
瓦礫の下から辛うじて這い出したが、この深手では薪屋は弥六の元まで辿り着くことできず、コンクリートの上に横たわった。
「まさか、港湾施設のクレーン設備すべてを支配下に置き、エリアごと私を潰すとはな……」
薪屋は清々しい笑顔を崩さない。
限られた資金の中で、本来は人体に繋ぐものではないクレーン制御ユニットを調達して手足に融合し、大規模破壊を成し遂げた対戦相手の弥六を心から称賛しているのだ。
「イギリスも島国っすから。港湾施設での立ち回りには馴れてるんすよ。薪屋さんこそ、メチャクチャ強かったっすよ。これだけやって死なないだけでもびっくりっす」
弥六はそう言いながらも、薪屋に近付こうとはしない。
試合終了のアナウンスがない以上、薪屋はまだ戦闘継続可能なのだろう。
あの筋肉に銃撃は無効。
ならば、農薬散布装置で薬殺するか、消火アタッチメントで酸欠死させるか。
弥六は、薪屋との距離が十分に離れていることによって油断していた。
薪屋が、銃撃よりも早い遠距離攻撃を持っていることを知らなかったのだ。
――そして、“生徒指導”の時間が始まった。
薪屋は素早く、ラジカセの再生ボタンを押した。
破壊不能のラジカセから、世界政府によって封印された禁断の音楽が鳴り響く。
――アイドルの声が!
『アイドルマスター・シンデレラガールズ・スターライトステージ!』
少女の明るい声と共に、SAY☆いっぱい輝く/輝く星たちのインストゥルメンタルが奏でられ、“生徒指導”と名付けられた運命のドアが開かれる。
だが、その声は渋谷凛でも、島村卯月でも、本田未央でもなかった。
いや、シンデレラガールズに登場するいかなるアイドルの声とも異なっていたし、千川ちひろさんでもなかった。
それは、天草四郎時貞の声であった。
シンデレラガールズの音源は、忌まわしきメディア破壊戦役によって全て喪失、ネットワーク上に違法アップロードされた電子データもタケダネットによって完全消去されて残っていない。
薪屋の元にあるのは、全てマカマカ教団によるカヴァーである。
収録された曲のほとんどでは、マカマカ教団の教祖である天草四郎時貞がメインボーカルを務めている。
「これより“生徒指導”を始める! 今から貴様は私の生徒だ。発言する時は台詞の最初と最後に“サー”を付けろ!」
薪屋の口調が鬼軍曹めいたものに変わった。
その形相は厳めしく、悪鬼と呼ぶのが相応しい。
手足の怪我は、いつの間にか治癒している。
筋肉の力で、受けたダメージを回復したのだ。
『ビリーブ・ユア・ハート』は「思いの強さ」を「筋肉量」に変換する。
薪屋武人の筋肉は、その心が折れない限り、無限に復活するのである。
「なななっ!? 何事っすか!? これは何が始まるんすか!?」
「阿呆が! サーを付けろと言ったはずだ!」
「ウギャーッ!」
一瞬で弥六のそばまで移動した薪屋の鉄拳が顔面に炸裂!
“生徒”鼻血を噴出しながら天を仰いで倒れる!
「さ、サー! すみません! 以後気をつけるっす、サー!」
“生徒”は従順にそう答えながらヨロヨロと立ち上がる。
弥六の預金口座にはまだ残高があるのに、どうして防御用サイバネを呼び出さないのか?
なぜ大人しく言うことを聞いているのか?
これが、マカマカ教団の魔力に『ビリーブ・ユア・ハート』を乗せた恐るべき“生徒指導”の効果である!
「思いの強さ」に見合った「筋肉量」を獲得するまで生徒は絶対服従!
つまり「強い思い」を持っている“生徒”ほど長時間の筋トレを受けることになるのだ。
弥六の願いは「大英帝国の復活」。
それも、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた最大版図の大英帝国である。
その思いの強さは、世界征服とほぼ同値だ。
「よし、まずは基本のステップからだ! 難易度は『デビュー』だが甘く見るんじゃないぞ!」
「サー、イエッサー!」
「送り足の引き付けが甘い! リズムにも合ってないぞ! サイバネに頼りすぎで筋肉を疎かにしてるからだ! エブリデイどんな時もキュートハートを持て!」
「サー、イエッサー!」
「よし、その調子だ! 上半身の振り付けも合わせてゆくぞ! 両腕を伸ばして翼のようにぱたぱた羽ばたかせろ! ピンチもサバイバルもクールに越えるんだ!」
「サー、イエッサー!」
「どうした? もうへばって来たのか? 身体の隅々、サイバネの先まで意識を張り巡らせろ! 笑顔を忘れるな! アップデイト! 無敵なパッションでくじけ心を更新しろ!」
「サー、イエッサー!」
「よし、今のターンはナイスだ! 自分にできることだけを重ねていけ!」
「サー、お褒め頂きありがとうっす、サー!」
「阿呆がーッ!!」
「ウギャーッ!?」
再び薪屋の鉄拳が“生徒”の顔面に炸裂!
鼻血を出して天を仰いで倒れる弥六!
何故殴られたのか理解できない!
「ナイス評価で浮かれるな! ナイスなぞ『クソよりはマシ』程度の意味だ!」
「さ……サー、イエッサー!」
自分で誉めておいてなんたる理不尽な仕打ち!
だが、この過酷さがアイドルの世界なのだ。
「喜ぶ資格があるのはグレート以上だけだ! 貴様にリアルなスキルはあるのか!」
「サー、巡るミラクル信じるっす、サー!」
その意気だ! 目指せフルコンボ!
もともと、薪屋武人の『ビリーブ・ユア・ハート』は自己の筋力を増強するだけの単純な身体強化能力であった。
だが、メディア破壊戦役の中で手にいれた音楽の力と合わせることによって、他者に筋トレを強制的に行わせる能力へと変化したのだ。
天草四郎時貞の魔人能力『&(plz look @ me!){どこを見てるの?}』は、歌声によってオーディエンスを惹き付けて支配する操作能力。
薪屋武人の“生徒指導”を通して、天草四郎は新たなファンを獲得し続けていると言っても良いだろう。
アイドルは、その肉体が滅びたとしても死ぬことはない。
アイドルが死ぬのは、その歌がみんなの心から忘れ去られた時である。
だから、最後のアイドル天草四郎時貞は――歌うことを愛し、ファンを愛した可憐な少女、益田ましろは――薪屋のラジカセの中に今でも生きているのだ。
特訓は、765時間……1ヶ月以上も続いた。
弥六の持つ「思いの強さ」は尋常なものでなく、それに見合う「筋肉量」を得るのには『ビリーブ・ユア・ハート』をもってしても極めて長い時間が必要であった。
既に今回の“生徒”の身体は全身これ筋肉の塊。
上背こそないものの、筋肉量だけならば“教官”である薪屋武人すらも上回っているかもしれない。
アイドルとしての腕前は既に薪屋を越えて、完全熟達すら狙える域に達していた。
スターライトステージの難易度は、易しい方から「デビュー」「レギュラー」「プロ」「マスター」の四段階である。
最難関「マスター」の難易度は「プロ」までの三つとは次元が全く異なる。
無数に流れてくるノートは弾幕さながら。
まるでベトナム戦争の如くに恐ろしき難易度が「マスター」なのである。
薪屋の“生徒指導”でマスター難易度まで進む者はほとんどいない。
多くの者は、そこまでの「強い思い」を持っていないか、そこまで辿り着く前に死ぬかのいずれかだからだ。
マスター難易度のフルコンボが狙える域まで辿り着いた“生徒”は、今回が初めてである。
弥六が、いかに忍者として高い能力を持っているかが判る。
「ジェロニモ!」
「ジェロニモ!」
“教官”と“生徒”は聖なるワードを唱えながら、ナムの地獄めいたマスター筋トレを繰り返してきた。
ちなみに、ジェロニモとは天草四郎の洗礼名である。
「……これより最終試練を行う」
薪屋が、神託のようなおごそかさで告げた。
「サー……イエス、サー」
“生徒”は真剣な顔でうなづく。
「課題は……これだ!」
薪屋は、両腕を高く掲げる。
その拳は緩く握られ、手首は急角度に曲げられていた。
――『猫の構え』。
「サー、『おねだり Shall We ~?』っすね、サー」
「いや、その曲ではない」
薪屋が首を横に振り、構えを変えた。
左手を肩の横に掲げ、手首を返す。
その指は何かを押さえるような複雑な配置で緊張感を持って丸められている。
右手は腰より少し高い位置で、摘まむような形。
――『ギターの構え』。
「Ø……『ØωØver!!』」
前川みくと多田李衣菜によるシンデレラプロジェクト最終ユニット『*(Asterisk)』の伝説的楽曲である!
この曲は前川と多田によって作詞されたものであり、ユニット結成から『ØωØver!!』発表までを描いたアニメ第11話『Can you hear my voice from the heart?』は本当に良い話なので見たことない人は機会があったら是非観てください! おすすめです!
まったくタイプの違う二人が組み合わされた予想外のユニットで、これはアニメ放映当時には視聴者を大変驚かせました。
今ではすっかりお馴染みのコンビですが、二人の持ち味がチグハグで噛み合ってないところが逆にベストマッチでとっても魅力的ですよね!
薪屋の持つマカマカ教バージョンでは、前川みくパートを天草四郎時貞(芸名)、多田李衣菜パートを邪神アンブロジア(芸名)が歌っている。
楽曲Lvは『おねシャル』よりもひとつ高い26だが……イントロ部が極めて難関であり、フルコンボはまだ不可能だと“生徒”は感じていた。
「無理でござる」と言いかけたその時!
二人の少女が現れた!
――首にヘッドホンを掛けた少女がクールに言った。
「オーバーヒートのデッドラインを決めつけきゃつまんないぜ? 君の熱いハートをクールに燃やしてみなよ?」
――頭に猫耳を付けた少女がキュートに言った。
「疑うより信じるにゃ。あなたのポテンシャルを自分で舐めちゃダメにゃ!」
1ヶ月にわたる過酷な筋トレによって、弥六の脳内には複数のアイドルが住み着く事態となっているのだ!
正直言ってかなり危険な状態だと思う。
だが、二人の妄想アイドルの言葉が勇気をくれた。
ビリーブ・ユア・ハート! 自分の心を信じるんだ!
弥六は両手を挙げ、手首をくいっと曲げた――『猫の構え』!
「ゆくぞ、ミュージックスタート! まずは猫シャウトだ!」
「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」
「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」
左右にステップを踏み、猫招きムーブしながら“生徒”と“教官”は魂の限り叫ぶ!
キュートな猫の鳴き声を! 前川みくの声を! 天草四郎時貞の声を! 益田ましろの歌声を!
滑り出しは順調だ!
「エアギターっ!」
「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」
二人の筋肉に力がみなぎる。
左手が虚空に弦を押さえ、右手が幻想のピックを摘まむ。
上腕マッスルが激しいビートを刻み律動!
ここまではパーフェクトだ!
「「うぅーーーー、にゃーーーっ!」」
逞しい腕を雄々しく振り上げる!
決まった!
獄殺弾幕めいたイントロをノーミス・ノーバット・ ノーナイスで突破した!!
「それじゃあ!」
薪屋が“生徒”を見て呼び掛ける。
「いっくよー!」
弥六が“教官”に笑顔を返す。
「「せーのっ、……『ØωØver!!』」」
\わーーーーっ!/
歓声が沸き上がる!
初めて見るこのユニットに戸惑っていたオーディエンスの心を、パーフェクトなイントロで掴んだ!
全身筋肉の塊で巨体を持つ薪屋武人。
全身サイバネの塊で小さな身体の対戦相手。
まるで前川みくと多田李衣菜のようにアンバランスな二人だったが、こうして一ヶ月の筋トレを経た今では、二人とも並び立つに相応しいマッスルボディだ!
まったく異なる個性と個性がぶつかり合い、高め合う。
これが音楽の力だ! これがアイドルだ! これこそがダンゲロスSSの醍醐味だ!
聞こえるだろう!
高森奈津美と青木瑠璃子のLyricが!
前川みくと多田李衣菜のMusicが!
天草四郎時貞と邪神アンブロジア(熊本出身)のVoiceが!
薪屋武人と弥六のMuscleが!
遥かあなたにもっと届けたいから……!!
「よし、ラストだ! 最後まで気を抜くな!」
「にゃー、イエッにゃー!」
「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」
「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」「にゃあ!」
最終弾幕も切り抜けた!
さあフィニッシュを決めろ!
「センキュー!」
薪屋武人がポージングを決める!
両腕を掲げてガッツポーズ!
フロントダブルバイセプス!
上腕二頭筋をアピールする基本ポージングだ!
「やったにゃ!」
弥六もポージング!
両腕を頭の後ろに回し、悩ましげに下腹部を軽く前にせり出す!
放課後キャンパ……もとい、アブドミナル&サイ!
腹筋と脚の仕上がりが一目で判る誤魔化しの効かないポージングを見事に決めた!
\☆ F U L L ☆ C O M B O ☆/
決まったーっ! フルコンボだーっ!
一ヶ月の筋トレの末、遂に弥六はその強い思いに相応しい筋肉を手にいれたのだ……!
その時。二人の脳内に共通のヴィジョンが到来した。
それは、真っ暗な夜のイメージであった。
真夜中の訪れを告げる鐘の音が鳴り響く。
ガラスの時計の文字盤の、ガラスの針が時を刻む。
カチリ。カチリ。
長いガラスの針と、短いガラスの針が文字盤の頂点、「ⅩⅡ」の文字に近づいてゆき――重なった。
まばゆい光が溢れ出す!
この光は、SAY☆いっぱい輝くアイドルの星たちが持つ光……!!
光を放っているのは『ビリーブ・ユア・ハート』の特訓を終えた弥六自身であった!
そして光は収束し、フリルめいた形へと変わり弥六の身体にまとわりつき……おお、なんということだ!
弥六の身体を、きらびやかなアイドル装束が包み込んでいるではないか!
忍者装束のラインを基本にしながらも沢山のフリルをあしらい、所々にタータンチェック等のイギリスンな柄をあしらったパッション感溢れる衣装であった。
胸元とお腹の部分は大胆に開いており、鍛え上げられた胸筋と腹筋を惜しげもなく晒し出すセクシーな衣装であった。
おめでとう! 特訓によって弥六は弥六+に進化した!
弥六+ |
全身サイバネ化してるあたしが筋トレなんて、最初は馬鹿げてるって思ってた。でも、&(プロデューサー){薪屋プロデューサー}のお陰でサイバネにも筋肉を付けられることに気付けたっす。これから、いっぱいお礼するから、覚悟するっすよ、プロデューサー! |
『ビリーブ・ユア・ハート』&『どこを見てるの?』の発動シークエンスは完了し、弥六+はその思いに相応しい筋肉を得た。
これ以上、薪屋の能力による強制筋トレの支配を受けることはない。
つまり……戦闘再開である!
「ぬうううーん!!」
弥六+が全身の筋肉に力を込めると、アイドル装束が千々に引き裂け中から逞しいマッスルボディが姿を表す!
「ヌハハハハ! 貴様自身が指導し鍛え上げた我が筋肉で死ぬがいいっす!」
「ふふふ、望むところだよ。果たして君に私が倒せるかな?」
バリィッ!
薪屋武人の着ていたジャージも引き裂け中からマッスルボディが!
「死ぬがいいっす! ウオオオオーッ!」
「ヌアアアアーッ!」
鍛え上げた筋肉と筋肉のぶつかり合い!
ドギャアアアーンッ!!
全身の筋肉の力を全て込めた鉄拳が、お互いの顔面に炸裂する!
当たりは互角か?
「――パイルッ・バンカァァーッ!!」
薪屋の頬にめり込んだ弥六の腕が、巨大な杭打ち機械に入れ替わった!
『人体の調和』!
石垣商店に置かれている建築用機械(85万円)である!
その破壊力は、至近距離ならばサイバネ富士以上!
「ブレェェェイク!!」
パイルバンカーの超伝導コイルによる加速機構と、鍛え抜かれた弥六の筋肉が、太く強靭な杭を射出する。
この杭こそが、大英帝国復活の最初の礎となるのだ!
弥六の熱いハートとマッスルを載せた杭は、薪屋の強靭な頭部を粉砕した!
頭部を失った薪屋の胴体が、ぐらりと傾き、倒れる。
もはや、筋肉再生も不可能である。
薪屋武人――戦闘継続不能。
筋肉によって強化された弥六+のサイバネのが、薪屋の筋肉を上回ったのか?
いや、そうとは限らない。
『ビリーブ・ユア・ハート』は“教官”である薪屋自身の負荷も多大なのだ。
1ヶ月も能力を継続して発動し続けた薪屋は、何日も前にオーバーヒートのデッドラインを越えていたのである……。
「……&(プロデューサー){薪屋プロデューサー}、御指導ありがとうっす、サー!」
弥六+は薪屋武人に一礼し、強大な筋肉を手に入れた自分の身体を見た。
そして、この筋肉で大英帝国の為に何がでこるのかを、考え始めた。
試合を終え、薪屋武人は自宅の最寄りポータルに帰還した。
武人は、ポータルステーションにで彼を待っている女性を見つけた。
背丈は低いが、均整の取れた筋肉を持つ、健康的で美しい女性だ。
武人の妻である。
『まったくもう、1ヶ月も留守にして! 待ってる私の身にもなってよね!』
彼女は、怒りのこもった手話で武人を叱責した。
怒りの内訳は、心配した分が3割、ほっとかれて寂しかったのが7割といったところか。
人工声帯が普及した現在でも、手話を使う者はそれなりに多い。
貧困のためサイバネ手術を受けられない者。
体質的にサイバネが適合しない者。
先天的な聾により音声コミュニケーションを習得することができなかった者。
薪屋の妻はそのいずれでもなく、人工音声で喋るのは嫌なのでサイバネ手術を拒んでいるのだった。
ある意味、宗教的理由と言ってもいいかもしれない。
「――ごめん」
低い声で武人はそう呟いた。
そして、自分は妻にいつも謝ってばかりだな、と思った。
『まあ、いいよ。帰ってご飯にしましょ。1ヶ月、まともな食事してないんでしょ?』
彼女は優しく笑って、武人の太く逞しい腕にじゃれつき、帰路を促した。
――世界幕府の傭兵として各地を転戦した武人は、タケダネットが必ずしも全ての者に幸福をもたらすわけでない実例を無数に見届けてきた。
そして、武人は傭兵を辞め、タケダネットの網から零れた者を救うために自分にできることをしようと決めた。
多くの不幸は、必要な筋肉が足りないことによって引き起こされる。
薪屋は、筋肉を与えることによって不幸な者を救いたいと考え、体育教師となったのであった。
(そんな貴方だから、好きなんだけどね……)
「ん? 何か言ったか?」
『ううん、何でもない』
手の平を横に振って、否定する。
危ない危ない。
サイバネ声帯を付けてたら、うっかり口に出してたかもしれない。
そんなこと言ったら、ますます調子に乗ってあちこちに“生徒”を救いに行ってしまうに違いないんだから。
本当は、私だけを見て欲しいのに。
アンチアイドル声帯破壊弾によって、天草四郎時貞としてのアイドル生命は奪われてしまったけれども。
自分は普通の主婦として結構幸せだと、薪屋ましろは思っている。
――ポータルステーションから立ち去る武人の姿を見た者は、すぐに関わってはいけない人間であると判っただろう。
武人は、その側に誰か別の人物がいるかのようにブツブツと独りで話しているのだから。
だが、武人の表情は穏やかで楽しげであった。
「…それでも、夢の中くらいは。…幸せになってもいいじゃない」
スクラップ置き場で見た夢の中で、少女の言葉が武人のことを救ってくれた。
武人は、あれ以来、ずっと夢の中にいる。
救いたかった、救えなかった、自らの手で殺した、妄想のアイドルと共に過ごす幸せな夢を、武人は昼夜の別なく見続けているのだ。
【ダンゲロスSSCINDERELLA 二回戦SS おわり】
●試合結果
勝者……薪屋武人
決まり手……時間切れによる判定勝ち
判定詳細……三時間経過時点で弥六が操作能力の支配下にあったため、薪屋が優勢であると判断された