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[[●天皇制06Ⅲ]]から #contents #comment(vsize=2,nsize=20,size=40) ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *1223 「日々の務め、幸せ感じ」天皇陛下76歳 [読売] 全国から寄せられた記帳簿をご覧になる天皇、皇后両陛下=宮内庁提供 天皇陛下は23日、76歳の誕生日を迎え、これに先立ち1年を振り返っての感想を文書で出された。  この1年は、結婚50年、即位20年の節目が重なった。陛下は、多くの祝意が寄せられたことに感謝の意を表したうえで、「人々が高齢化に対処しつつ、助け合って良い社会をつくるよう努める姿に深い感動を覚えます。国民に支えられ、日々の務めを行っていくことに幸せを感じています」とつづられた。  昨年末に一時体調を崩し、1月以降、一部式典でお言葉をなくすなど負担軽減策が始まったことに関しては、「昨年12月の体調よりは良くなっていますので、来年も皆に心配をかけないようにしたいと思っています」と述べられた。  8月に始まった裁判員裁判についても言及、「今後の様子を期待を込めて見守りたい」と述べ、昨秋からの世界的な金融危機に伴う不況については「住む家を失った人々もあり、心の痛むことでした」と気遣われた。  また、5000人以上の犠牲者を出した伊勢湾台風から50年が経過したことにも触れ、「当時ヘリコプターに乗って、一面水に浸った被災地の光景に接したことが思い起こされます」と振り返ったうえで、防災に対する関心が今後更に高まることを期待された。  陛下の誕生日にあたっては例年記者会見が開かれているが、昨年は体調不良の影響で、今年は結婚50年、即位20年と2回記者会見が行われたため、いずれも文書での感想となった。 (2009年12月23日05時03分 読売新聞) *1214 天皇特例会見に野党反発 首相「間違っていない」 [朝日] 2009年12月14日13時55分  中国の習近平(シー・チンピン)・国家副主席と天皇陛下の会見が鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官らの強い要請で15日に実施されることに対し、野党から異論が相次いだ。一方、首相は問題はないとの認識を示した。  自民党の安倍晋三元首相は14日、記者団に対し、「天皇陛下の政治利用という面で大変大きな禍根を残した」と語った。さらに、民主党の小沢一郎幹事長らが中国を訪問したことを踏まえ、「首相が国益ではなく、自分たちのためにいままで守ってきたルールを破った。天皇陛下を政治利用したと断じざるを得ない。強い憤りを感じる」と強い調子で批判した。  同党の谷垣禎一総裁は13日の記者会見で、「この政権は権力の行使について抑制の感覚を持っているのか。特に、憲法の運用の中でも天皇と政治の関係は極めてデリケートなものだ。いまさら言うことでもないが、天皇の国事行為は極めて限定されている。日本の政治のデリケートな部分に対して権力をどう行使するかという方向感がめちゃくちゃだ」と語った。参院自民党のベテラン議員も14日、「(宮内庁長官の記者会見は)会見というより抗議の会見だ。皇室のルールは簡単に変えてはいけない」と述べ、政府に慎重な対応を求めた。  天皇陛下との会見をめぐっては、1カ月前までに日程調整する慣例があるが、鳩山首相は14日、「(1カ月前ルールを)しゃくし定規に考えるより本当に大事な方であればお会いになって頂く。私は、判断は間違っていなかったと思っている」と述べ、問題はなかったとの認識を示した。首相公邸前で記者団の質問に答えた。 *0303 雅子さま、3年ぶりに取材陣の前で単独公務 [朝日] 2009年3月3日11時28分  皇太子妃雅子さまは3日午前、東京都新宿区の京王百貨店新宿店で開かれている「第42回ちょっとしたアイデア なるほど展」(主催・社団法人婦人発明家協会)を1人で視察した。取材を前提とした単独での公務は、06年3月23日に聖路加国際病院(中央区)の小児総合医療センターを1人で視察して以来、約3年ぶり。  雅子さまは04年7月に「適応障害」の診断を受け、治療を続けている。宮内庁では、05年と比べて「着実に回復している」(東宮職医師団)と見ており、こうした視察成功が自信回復へのステップになると期待している。  「なるほど展」は68年に開始。家事や料理など、日常の暮らしの中で思いついたアイデアを形にした作品を募っている。今年は全国から寄せられた174点から特に優秀な24点を表彰した。  雅子さまはこの日、バターの一昨年来の値上がり事情を背景に、生クリームから手軽にバターを作れるようにした埼玉県の主婦の作品などを観賞。手の不自由な人が手に力を入れなくても文字を書けるようにした木製の筆記補助具は、実際に手に取って書いてみるなどして、生活者の工夫の数々に見入っていた。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030090.html *0107 昭和天皇しのび20年式年祭 東京・武蔵野陵 [朝日] 2009年1月7日11時23分  昭和天皇の死去から20年の節目となる7日、「昭和天皇二十年式年祭の儀」が東京都八王子市の武蔵野陵と、皇居・宮中三殿で行われた。天皇、皇后両陛下は同日午前、昭和天皇が埋葬された武蔵野陵を訪れ、拝礼した。昭和天皇の式年祭は、死去後10年の99年以来となる。  武蔵野陵には、皇族方を始め、麻生首相ら三権の長、閣僚ら約80人が参列。天皇陛下が陵の前で玉串をささげて拝礼し、「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。宮内庁によると、「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」との趣旨だという。  宮中三殿で行われた皇霊殿の儀には、昭和天皇の親族ら約40人が参列し、天皇陛下の名代として皇太子さまが、皇后さまの名代として雅子さまが、それぞれ拝礼した。雅子さまが宮中三殿での祭祀(さいし)に出席したのは、長期療養に入る前の03年9月以来、約5年3カ月ぶり。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY200901070092.html *0529 ネパール議会、王制廃止を決議 国王に王宮退去求める [朝日] 2008年05月29日09時55分  【カトマンズ=小暮哲夫】ネパールの新憲法を起草する制憲議会は28日深夜、1769年以来続いてきた王制を廃止し、共和制に移行する決議を賛成560、反対4の圧倒的多数で可決した。同議会はまた、決議によって「一般人」となったギャネンドラ元国王に、15日以内にカトマンズ中心部の王宮を退去するように指示した。  元国王は、国内にとどまる意向と伝えられており、カトマンズ市内にある私邸に移る可能性が高いとみられている。ただ、王宮内には警護の軍兵士も残っており、仮に退去を拒めば、事態が混乱する懸念も残っている。  主要政党は同日、議会開会前に、国王の代わりに国家元首として儀礼的な大統領を置く方針で合意。新しい大統領は後日、同議会で選出する。  ネパールでは、国王が05年2月に強権的な直接統治を始めたことに国民が反発。06年4月に大規模な抗議運動が起こり、民政に復帰した。その後、新政権が旧憲法上の国王の政治権限をすべて廃止した。今年4月に制憲議会選挙があり、王制廃止派が大多数の議席を獲得した。 URL:http://www.asahi.com/international/update/0529/TKY200805290034.html *0225 天皇陛下の公務軽減へ 骨密度が低下 [朝日] 2008年02月25日12時29分  宮内庁は25日、天皇陛下ががん治療の副作用で、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の状態に近づいているとして、公務を軽減する方向で検討を始めた。  関係者によると、天皇陛下は1月26日、東京都文京区の東京大学医学部付属病院で、03年に摘出した前立腺がんの状態を調べる定期検診を受けた。がんの再発や転移はなかったが、04年7月から続けている、がんを抑え込むためのホルモン(内分泌)療法の副作用で、骨粗鬆症ではないものの、骨密度が下がっているという。  このため、宮内庁は天皇陛下の生活全般を見直す必要があるとして、公務や祭祀(さいし)を軽減する方向で検討を始めた。  天皇陛下は現在74歳。高齢を迎え、前立腺がんの治療が続く天皇陛下の公務について、皇太子さまは「ごゆっくりしていただくことを周囲が考える必要がある」と発言。秋篠宮さまも「負担を減らす必要がある」と述べるなど、見直しを求める声が上がっていた。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY200802250168.html *0223 皇太子さま、48歳に 参内「心掛けて参りたい」 [朝日] 2008年02月23日05時55分  皇太子さまは23日、48歳の誕生日を迎え、これに先立って東京・元赤坂の東宮御所で記者会見した。長女・愛子さまが天皇、皇后両陛下を皇居に訪問する「参内(さんだい)」の少なさに言及した羽毛田(はけた)信吾・宮内庁長官の発言を受けて、「(参内を)できる限り心掛けてまいりたい」と語った。「家族のプライベートな事柄」だとして、それ以上の詳しい説明はなかった。  愛子さまと両陛下の交流については、天皇陛下が06年12月、愛子さまと会う機会が少ないのは「残念なこと」と発言。皇太子さまは昨年2月、「お会いする機会を作っていきたい」と答えた。だが、羽毛田長官は今月13日の会見で、「ご参内の回数は増えていない」「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と異例の指摘をしていた。  会見で皇太子さまは、長官発言への感想を尋ねられた。「両陛下の愛子に対するお心配りは、本当に常にありがたく感謝を申し上げております」と述べるにとどまり、家族内の問題として「立ち入ってお話をするのは差し控えたい」と説明した。  療養中の雅子さまについては、公私を問わず活動の幅を広げるよう努力していると最近の様子を紹介。「今後ともしっかりと支えていきたい」と思いやりを示した。春に小学校に入学する愛子さまには「新しい環境の中での生活を元気に始めてくれることを願っています」と語った。  ■ご一家での訪問、1年間で十数回  羽毛田長官が「苦言」を呈した皇太子ご一家の参内の少なさ。一体どれほどの回数だったのか。  朝日新聞の取材によると、昨年12月までの1年間で、皇太子さまが愛子さまを連れて参内したのは13、14回はある。大半は皇室行事に伴ったり両陛下側が招待したりしたもので、皇太子さまの発意による訪問は1月、3月、8月の3回だった。  一方、年末年始に続いた皇室行事には、雅子さまは体調を考慮して大半を欠席した。「大正天皇例祭の儀」や「元始祭の儀」などの祭儀のほか、「講書始の儀」「歌会始の儀」といった恒例行事は皇太子さまだけが参加した。  元日の「新年祝賀の儀」は午前だけ参加したが、東宮御所に戻った後に両親らを東宮御所に招いたことが報道され、宮内庁内でも批判の声がくすぶった。  私的な外出は活発だった。12月には都内で買い物やイルミネーションの鑑賞、ミシュラン東京版の三つ星レストランで夕食。1月にも東京・高輪の水族館をご一家で楽しんだ。こうした動きは週刊誌やネットで批判的に取り上げられた。  米AP通信は今月初め、都内のレストランでの食事など雅子さまの私的活動に関する記事を配信。英国のインディペンデント紙やタイムズ紙も独自に雅子さまを特集。外国メディアの報道がご一家の動向を世界に発信し、反響が広がった。    ◇ 「愛子さまと会う機会」をめぐる発言 06年12月 天皇陛下「残念なことは、愛子は幼稚園生活を始めたばかりで、風邪を引くことも多く、私どもと会う機会が少ないことです。いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」 07年2月 皇太子さま「天皇陛下の愛子に対するお気持ちを大切に受け止めて、これからも両陛下とお会いする機会を作っていきたいと思います」 08年2月 羽毛田長官「事実としてみます限り、ご参内の回数は増えていない」    ◇  ■もっと語っていただきたい  〈解説〉天皇と皇族方に仕える立場の宮内庁長官が、皇太子さまに、家族関係で苦言を呈するという前代未聞の事態はなぜ起きたのか。  関係者によると、長官は昨年暮れから何度か東宮御所に足を運び、皇太子さまと話し合いを重ねていた。  雅子さまの「適応障害」の療養は5年目。依然として主治医の詳しい説明や見通しは示されない。皇太子さまと雅子さまに厳しい意見が宮内庁に寄せられた。国内の雑誌だけでなく欧米紙でも大きく報じられた。  ここ数年、天皇陛下は皇室の基本的な姿勢について皇太子さまや国民に様々にメッセージを発してきた。しかし皇太子さまからは、納得の行く説明がなく、とりわけ皇太子さまが自身の言葉の重みを感じているのかどうかと心痛は深まるばかりだったという。  皇太子家を支える東宮大夫を飛び越えて、宮内庁の長官が皇太子さまと直接話し合うこと自体が異例だ。それでも、皇太子さまには事態の深刻さが伝わらなかった。天皇陛下の心痛や危機感に思いが届かない様子だったとみられる。異例の「苦言」会見に長官が踏み切ったのは、思いあまってのことだったようだ。  会見で長官は「ご自身のご発言は大切に」「実行が伴うように」と6回繰り返した。真意は「『綸言(りんげん)汗の如(ごと)し』と身を挺(てい)して基本姿勢をいさめることにあった」と複数の関係者は言う。天子の言葉は糸のように細くとも、汗のように二度と取り返しがつかない。中国の古典から生まれた、君主への戒めである。  非難を覚悟の長官発言を受け、今回の誕生日会見は注目を集めたが、皇太子さまは「家族内のこと」と繰り返してコメントを避けた。しかし、問われているのは「皇居と東宮の内輪もめ」といったレベルのことではなく、天皇と皇室のあるべき姿をめぐる根の深い問題である。  皇室内の不協和音を望む人はいないだろう。両陛下とご夫妻で対話が進んでほしい。皇太子さまには今後も誠意ある言葉と行動でこたえ、説明責任を果たし、自らが描く将来の皇室像を積極的に語ることを期待したい。(編集委員・岩井克己) URL:http://www.asahi.com/national/update/0223/TKY200802220342.html *0213 皇太子さまに長官苦言 「両陛下と愛子さま会う機会を」 [朝日] 2008年02月13日23時50分  宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官は13日の定例会見で、皇太子さまに苦言ともとれる異例の指摘をした。皇太子さまは昨年2月の会見で「(長女・愛子さまが)両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と発言したが、実際に会う回数は増えていないと述べ、「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と話した。  長官によると、両陛下も心配しており、この件を長官は皇太子さまに複数回会って直接伝えた。皇太子さまは「努力したい」と話したという。  両陛下と愛子さまの交流については、天皇陛下が06年12月の誕生日会見で、幼稚園生活を始めた愛子さまが風邪を引くことが多いために「会う機会が少ない」と残念がり、「いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」と発言。これを受け、皇太子さまは昨年2月の誕生日会見で「天皇陛下の愛子に対するお気持ちを大切に受け止めたい」と述べ、「(愛子さまは)両陛下にお会いすることをいつも大変楽しみにしております」と話した。  長官によれば、現・天皇陛下が皇太子時代には、昭和天皇のもとを毎週1回訪問するのが定例とされていた。しかし、現在は皇太子さまの発意による訪問は年2、3回にとどまり、昨年も増えていないという。長官は「追及するような話ではない」とし、「殿下ご自身が会見で発言されたことなので、大切になさっていただきたい」と繰り返した。  雅子さまの療養生活は5年目に入り、愛子さまも学齢期という節目を迎える。しかし、皇太子ご一家の現状は見えにくく、両陛下との交流も不十分なままだ。長官の異例の発言は、近く行われる誕生日会見で皇太子さまに納得のいく説明を促す狙いもうかがえる。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0213/TKY200802130288.html *1223 天皇陛下、74歳の誕生日 [朝日] 2007年12月23日05時56分  天皇陛下は23日、74歳の誕生日を迎え、これに先立って皇居・宮殿で記者会見した。一年を振り返る中で年金や社会格差の問題に触れ「みなの協力の中で安心して生活を営むことができるよう願っています」と述べた。  年金問題については「一生懸命まじめに働いてきた人々が高齢になって不安を持つことがないように」と解決を願った。また、社会格差の問題には「健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく、社会に参加していく環境をつくることが大切」とし、差別感を持つことがないような教育が必要とも述べた。  陛下は11月の大津市での式典で、外来魚ブルーギルが琵琶湖で異常繁殖したことに触れ「心を痛めています」と述べた。この発言については、キャッチ・アンド・リリース(釣った魚の再放流)の浸透で外来魚が著しく繁殖するようになったと分析。食材への利用で繁殖を抑え「日本で生活してきた魚が安全に育つことができる環境が整えられることを願っています」と話した。  会見ではご家族についての質問もあったが、陛下は「私は家族がそれぞれに幸せであって欲しいと願っており、それを見守っていきたいと思っています」と述べるにとどまり、それ以上の回答を控えた。陛下は会見で、回答を控えた理由を自ら説明。5月の欧州訪問前に行った記者会見で、皇太子時代の外国訪問に触れた発言が、一部で現・皇太子一家がオランダで静養したことに苦言を呈したものと誤って解釈されたことをあげた。  陛下は「私の意図したところとまったく違っています」と述べ、「このたびの質問にこれ以上お答えしても、また私の意図と違ったように解釈される心配を払拭(ふっしょく)できません」と話した。 URL:http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200712220226.html *1209 雅子さま44歳「復帰できず心苦しい」 [朝日] 2007年12月09日05時55分  皇太子妃雅子さまが9日、44歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じて所感を発表した。「適応障害」の療養に入って5年目。医師の指導を受け「少しずつ活動の幅を広げることができるようになりました」とこの一年を振り返りながらも、「まだ、十分に復帰できないことを心苦しく思います」と心情を記した。  長女・愛子さまについては「幼稚園生活にもすっかり馴染(なじ)んで本当に楽しそうに幼稚園に通っております」と近況を紹介。様々な行事に親子で参加することが多かったとして「たくさんの喜びを見出してきた幼稚園生活が終わりに近づこうとしていることに名残惜しさも感じます」と記した。  愛子さまは来春から学習院初等科に進学するが、「また新しい一歩を元気に踏み出してくれればと思います」と思いやった。  また、皇太子さまが6月の手術後も元気に公務を務めていることに触れ「常に大きな支えになってくださっていることを、心からありがたく存じております」と感謝の言葉をつづった。  雅子さまの誕生日に際し、東宮職医師団が発表した見解は以下の通り。       妃殿下におかれましては、この一年も、依然としてご体調には波がございましたが、前向きに頑張られるお気持ちを強くお持ちになられて、真摯(しんし)に努力を重ねてこられました。そして、愛子内親王殿下の育児を中心に日常のご活動を続けられ、公私を問わず、ご活動にも広がりが出てこられております。ご公務に関しましては、東宮御所や都内でのご活動に加えて、長野県と徳島県の地方行啓にもお出かけになりました。  このようなご活動の積み重ねは、ご快復のために必要な自信につながるものであり、治療的に大きな意味があったと考えております。こうしたご活動の後には依然としてお疲れが残られますが、以前にくらべるとご回復が早くなっていらっしゃいます。  適応障害は、世界的に広く受け入れられているアメリカ精神医学会の基準でも、長く持続することがあるとされているものであり、妃殿下におかれましても、なお治療が必要な状態が続いております。しかし、ご自身のご努力はもちろんのこと、皇太子殿下のお力添えもあり、少しずつ着実に快方に向かっていらっしゃいます。 URL:http://www.asahi.com/national/update/1208/TKY200712080222.html *0905 皇室会議の皇族議員、常陸宮ご夫妻を選出 [朝日] 2007年09月05日23時36分  皇室の重要事項を審議する「皇室会議」の皇族議員(2人)を選ぶ選挙が5日、皇居・宮殿で行われた。16人の成年皇族による互選で、皇族議員に常陸宮ご夫妻が、予備議員には三笠宮妃百合子さまと秋篠宮さまが選ばれた。任期は9月16日から4年間で、3日以内に辞退の申し出がなければ確定する。  皇室会議は皇族男子の結婚などを審議するもので、皇族のほか首相や衆参両院の議長・副議長などで構成される。互選は1人が投票用紙に4人の名前を記載し、得票数の多い順に2人が皇族議員に、続く2人が予備議員に選ばれる。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY200709050376.html *0904 和歌御用掛に岡井隆氏 皇室の相談役 [朝日] 2007年09月04日00時03分  宮内庁は3日、天皇、皇族方の和歌の相談役として、歌人の岡井隆氏(79)に同庁御用掛を委嘱したと発表した。83年から約24年間務めた岡野弘彦・国学院大名誉教授(83)が8月31日付で退任しており、その後任。  岡井氏は内科医で、歌誌「未来」編集・発行人。迢空賞選考委員。長年、宮中歌会始の選者を務めている。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0903/TKY200709030390.html *0802 陵墓公開へ一歩前進 宮内庁、学会立ち入り容認 [朝日] 2007年08月02日12時36分  歴代の天皇や皇族の墓「陵墓」として宮内庁が管理する古墳のうち、奈良市の神功皇后陵(五社神(ごさし)古墳・全長267メートル)で、歴史・考古学系学会の代表らが今年度中に立ち入り調査をする可能性が高まっている。宮内庁が、研究者からの要望があった場合、古墳の墳丘1段目までの立ち入りを認めるという方針を打ち出したためだ。一般公開へ向けた第一歩となるだろうか。  7月13日、陵墓を管理する宮内庁書陵部の担当者と歴史系16学会の代表が懇談した。学会側は五社神古墳と、伏見城跡がある京都市の明治天皇陵敷地内への立ち入りを要請。書陵部は庁内で検討し、秋以降に回答すると答えた。予算が認められれば年明けにも実現する可能性が高い。  宮内庁は昨年、陵墓への研究者の立ち入りについての庁内の指針を見直した。79年に作られた指針では、研究者から申請があれば古墳を囲む堀の堤などの外周部まで立ち入りを認めるとしていたが、新しい指針は最下段までとはいえ、墳丘への立ち入りを認めた。  陵墓の管理を担当する宮内庁書陵部の福尾正彦・陵墓調査官は「これまでも、陵墓の修理に先立つ発掘調査を学会関係者が見学する際、安全上必要なら墳丘の最下段に上がることを認めていた。今回の指針も、こうした実態に合わせただけだ」と説明する。  宮内庁は陵墓指定された古墳について、「御霊の安寧と静謐(せいひつ)を守るため」として一般の立ち入りを原則的に禁止している。これらの古墳には考古学的に重要なものが多く、歴史系の学会は70年代から公開を要求。宮内庁は79年から年に1、2回、書陵部が修理のために発掘調査している陵墓で、各学会の代表の見学を認めてきた。  しかし、研究者らが調べたい古墳と、宮内庁が発掘する古墳は必ずしも一致しない。05年7月、学会側は11の陵墓を指定し、墳丘への立ち入りを認めるよう要請した。今回の指針見直しは、こうした学会の求めに応えたとみられる。  「宮内庁は最近、陵墓の『情報公開』に積極的になっている」。多くの研究者がこう指摘する。97年には陵墓の可能性があるとして同庁が管理する「陵墓参考地」の宮崎県西都市・男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)両古墳に、県教委が入って測量調査することを許可した。陵墓の修理前に実施する発掘調査の報告は、毎年「書陵部紀要」に掲載されるが、72年度に20ページ弱だったものが、03年度は約80ページに。内容も各教育委員会が刊行する発掘調査報告書と変わらないほど詳細になっている。  16学会の陵墓への立ち入りは研究者16人に限って認められ、報道関係者の同行は認められない見通しだ。専門家が墳丘に上がって観察するだけでも、古墳の年代や形状についての情報を得ることが期待できる。学会側の窓口となっている日本考古学協会理事の高橋浩二・富山大准教授は「調査で判明した事実についてはマスコミに公表し、一般向けの報告会も開きたい」と話している。 URL:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200708020140.html *0808 両陛下、中越沖地震の被災地を訪問 [朝日] 2007年08月08日13時12分  天皇、皇后両陛下は8日午前、新潟県中越沖地震の被災者を見舞うため、自衛隊機で新潟県に到着した。両陛下は中越地震発生後の04年11月にも長岡市の避難所などを見舞っている。今回の訪問も両陛下の希望で、現地の復興・支援に支障がないよう随員や警備を最小限にし、日帰りで避難所などを回る。  両陛下は新潟空港で自衛隊ヘリに乗り換え、上空から大きな土砂崩れのあった柏崎市の青海川駅周辺や地震で被害を受けた原子力発電所などを視察。機中で泉田裕彦知事から被災状況の説明を受けた。  昼過ぎには84人が避難生活を送る柏崎小学校を訪れ、被災者を激励した。小学校の入り口には200人が集まった。  ボランティアで炊き出しをしているという小学生の女児に天皇陛下は「大事な仕事だから頑張ってね」、皇后さまは「これからもよろしくお願いします」と声をかけた。家が半壊し、不安でいっぱいだという女性には、天皇陛下は「体に気をつけて元気を出して頑張ってね」と気遣った。  午後には刈羽村に入り、避難所を訪問する。  また、両陛下はこの日、宮内庁長官を通じて、被災した高齢者のために同県に金一封を送った。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200708080155.html *0622 寛仁親王殿下:アルコール依存症で長期入院へ [毎日]  宮内庁は22日、寛仁親王殿下(61)がアルコール依存症のため、今後1カ月以上、宮内庁病院に入院すると発表した。久里浜アルコール症センター(神奈川県横須賀市)の樋口進副院長を中心とした医療チームが治療にあたる。  同庁によると、寛仁親王殿下は、重度の不眠や、物が飲み込めないなどの状態が続いているという。これまで宮内庁病院に度々入院して点滴などを受けており、予定していた公務を取りやめることもあった。今回も19日夜から同病院に入院し治療を受けていたが、樋口医師らが長期入院が必要と判断した。【真鍋光之】 毎日新聞 2007年6月22日 11時48分 (最終更新時間 6月22日 13時24分) URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070622k0000e040036000c.html *[[●天皇制06Ⅱ]] より続く
[[●天皇制06Ⅲ]]から #contents #comment(vsize=2,nsize=20,size=40) ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *0107 王制廃止のネパール、元国王に公共料金など2億円請求 [朝日]  【ニューデリー=武石英史郎】ネパールからの情報によると、同国政府は5日の閣議で、2008年5月の王制廃止以降、元王族が滞納している公共料金や税金など計2億ルピー(約2億5千万円)について、ギャネンドラ元国王に請求することを決めた。  滞納しているのは、電気代、電話代、水道代、固定資産税など。王族はぜいたく品の輸入関税を含むあらゆる税金の支払いが免除され、公共料金も無料だった。首相府の当局者は「王制廃止で一般市民になった以上、納付義務があるのは当然」と話している。  元国王は退位後、国内8カ所の宮殿などを国有化された。しかし、自動車販売や、たばこ生産販売、ホテル経営などのビジネスを手がけ、支払い能力はあるとみられている。ただ、政治混乱の影響で新憲法制定にめどが立たず、元国王の財産に関する法令が未整備で、司法関係者の間では、元国王に支払いを強制するのは難しいとの見方もある。 *1223 「日々の務め、幸せ感じ」天皇陛下76歳 [読売] 全国から寄せられた記帳簿をご覧になる天皇、皇后両陛下=宮内庁提供 天皇陛下は23日、76歳の誕生日を迎え、これに先立ち1年を振り返っての感想を文書で出された。  この1年は、結婚50年、即位20年の節目が重なった。陛下は、多くの祝意が寄せられたことに感謝の意を表したうえで、「人々が高齢化に対処しつつ、助け合って良い社会をつくるよう努める姿に深い感動を覚えます。国民に支えられ、日々の務めを行っていくことに幸せを感じています」とつづられた。  昨年末に一時体調を崩し、1月以降、一部式典でお言葉をなくすなど負担軽減策が始まったことに関しては、「昨年12月の体調よりは良くなっていますので、来年も皆に心配をかけないようにしたいと思っています」と述べられた。  8月に始まった裁判員裁判についても言及、「今後の様子を期待を込めて見守りたい」と述べ、昨秋からの世界的な金融危機に伴う不況については「住む家を失った人々もあり、心の痛むことでした」と気遣われた。  また、5000人以上の犠牲者を出した伊勢湾台風から50年が経過したことにも触れ、「当時ヘリコプターに乗って、一面水に浸った被災地の光景に接したことが思い起こされます」と振り返ったうえで、防災に対する関心が今後更に高まることを期待された。  陛下の誕生日にあたっては例年記者会見が開かれているが、昨年は体調不良の影響で、今年は結婚50年、即位20年と2回記者会見が行われたため、いずれも文書での感想となった。 (2009年12月23日05時03分 読売新聞) *1214 天皇特例会見に野党反発 首相「間違っていない」 [朝日] 2009年12月14日13時55分  中国の習近平(シー・チンピン)・国家副主席と天皇陛下の会見が鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官らの強い要請で15日に実施されることに対し、野党から異論が相次いだ。一方、首相は問題はないとの認識を示した。  自民党の安倍晋三元首相は14日、記者団に対し、「天皇陛下の政治利用という面で大変大きな禍根を残した」と語った。さらに、民主党の小沢一郎幹事長らが中国を訪問したことを踏まえ、「首相が国益ではなく、自分たちのためにいままで守ってきたルールを破った。天皇陛下を政治利用したと断じざるを得ない。強い憤りを感じる」と強い調子で批判した。  同党の谷垣禎一総裁は13日の記者会見で、「この政権は権力の行使について抑制の感覚を持っているのか。特に、憲法の運用の中でも天皇と政治の関係は極めてデリケートなものだ。いまさら言うことでもないが、天皇の国事行為は極めて限定されている。日本の政治のデリケートな部分に対して権力をどう行使するかという方向感がめちゃくちゃだ」と語った。参院自民党のベテラン議員も14日、「(宮内庁長官の記者会見は)会見というより抗議の会見だ。皇室のルールは簡単に変えてはいけない」と述べ、政府に慎重な対応を求めた。  天皇陛下との会見をめぐっては、1カ月前までに日程調整する慣例があるが、鳩山首相は14日、「(1カ月前ルールを)しゃくし定規に考えるより本当に大事な方であればお会いになって頂く。私は、判断は間違っていなかったと思っている」と述べ、問題はなかったとの認識を示した。首相公邸前で記者団の質問に答えた。 *0303 雅子さま、3年ぶりに取材陣の前で単独公務 [朝日] 2009年3月3日11時28分  皇太子妃雅子さまは3日午前、東京都新宿区の京王百貨店新宿店で開かれている「第42回ちょっとしたアイデア なるほど展」(主催・社団法人婦人発明家協会)を1人で視察した。取材を前提とした単独での公務は、06年3月23日に聖路加国際病院(中央区)の小児総合医療センターを1人で視察して以来、約3年ぶり。  雅子さまは04年7月に「適応障害」の診断を受け、治療を続けている。宮内庁では、05年と比べて「着実に回復している」(東宮職医師団)と見ており、こうした視察成功が自信回復へのステップになると期待している。  「なるほど展」は68年に開始。家事や料理など、日常の暮らしの中で思いついたアイデアを形にした作品を募っている。今年は全国から寄せられた174点から特に優秀な24点を表彰した。  雅子さまはこの日、バターの一昨年来の値上がり事情を背景に、生クリームから手軽にバターを作れるようにした埼玉県の主婦の作品などを観賞。手の不自由な人が手に力を入れなくても文字を書けるようにした木製の筆記補助具は、実際に手に取って書いてみるなどして、生活者の工夫の数々に見入っていた。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200903030090.html *0107 昭和天皇しのび20年式年祭 東京・武蔵野陵 [朝日] 2009年1月7日11時23分  昭和天皇の死去から20年の節目となる7日、「昭和天皇二十年式年祭の儀」が東京都八王子市の武蔵野陵と、皇居・宮中三殿で行われた。天皇、皇后両陛下は同日午前、昭和天皇が埋葬された武蔵野陵を訪れ、拝礼した。昭和天皇の式年祭は、死去後10年の99年以来となる。  武蔵野陵には、皇族方を始め、麻生首相ら三権の長、閣僚ら約80人が参列。天皇陛下が陵の前で玉串をささげて拝礼し、「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。宮内庁によると、「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」との趣旨だという。  宮中三殿で行われた皇霊殿の儀には、昭和天皇の親族ら約40人が参列し、天皇陛下の名代として皇太子さまが、皇后さまの名代として雅子さまが、それぞれ拝礼した。雅子さまが宮中三殿での祭祀(さいし)に出席したのは、長期療養に入る前の03年9月以来、約5年3カ月ぶり。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY200901070092.html *0529 ネパール議会、王制廃止を決議 国王に王宮退去求める [朝日] 2008年05月29日09時55分  【カトマンズ=小暮哲夫】ネパールの新憲法を起草する制憲議会は28日深夜、1769年以来続いてきた王制を廃止し、共和制に移行する決議を賛成560、反対4の圧倒的多数で可決した。同議会はまた、決議によって「一般人」となったギャネンドラ元国王に、15日以内にカトマンズ中心部の王宮を退去するように指示した。  元国王は、国内にとどまる意向と伝えられており、カトマンズ市内にある私邸に移る可能性が高いとみられている。ただ、王宮内には警護の軍兵士も残っており、仮に退去を拒めば、事態が混乱する懸念も残っている。  主要政党は同日、議会開会前に、国王の代わりに国家元首として儀礼的な大統領を置く方針で合意。新しい大統領は後日、同議会で選出する。  ネパールでは、国王が05年2月に強権的な直接統治を始めたことに国民が反発。06年4月に大規模な抗議運動が起こり、民政に復帰した。その後、新政権が旧憲法上の国王の政治権限をすべて廃止した。今年4月に制憲議会選挙があり、王制廃止派が大多数の議席を獲得した。 URL:http://www.asahi.com/international/update/0529/TKY200805290034.html *0225 天皇陛下の公務軽減へ 骨密度が低下 [朝日] 2008年02月25日12時29分  宮内庁は25日、天皇陛下ががん治療の副作用で、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の状態に近づいているとして、公務を軽減する方向で検討を始めた。  関係者によると、天皇陛下は1月26日、東京都文京区の東京大学医学部付属病院で、03年に摘出した前立腺がんの状態を調べる定期検診を受けた。がんの再発や転移はなかったが、04年7月から続けている、がんを抑え込むためのホルモン(内分泌)療法の副作用で、骨粗鬆症ではないものの、骨密度が下がっているという。  このため、宮内庁は天皇陛下の生活全般を見直す必要があるとして、公務や祭祀(さいし)を軽減する方向で検討を始めた。  天皇陛下は現在74歳。高齢を迎え、前立腺がんの治療が続く天皇陛下の公務について、皇太子さまは「ごゆっくりしていただくことを周囲が考える必要がある」と発言。秋篠宮さまも「負担を減らす必要がある」と述べるなど、見直しを求める声が上がっていた。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY200802250168.html *0223 皇太子さま、48歳に 参内「心掛けて参りたい」 [朝日] 2008年02月23日05時55分  皇太子さまは23日、48歳の誕生日を迎え、これに先立って東京・元赤坂の東宮御所で記者会見した。長女・愛子さまが天皇、皇后両陛下を皇居に訪問する「参内(さんだい)」の少なさに言及した羽毛田(はけた)信吾・宮内庁長官の発言を受けて、「(参内を)できる限り心掛けてまいりたい」と語った。「家族のプライベートな事柄」だとして、それ以上の詳しい説明はなかった。  愛子さまと両陛下の交流については、天皇陛下が06年12月、愛子さまと会う機会が少ないのは「残念なこと」と発言。皇太子さまは昨年2月、「お会いする機会を作っていきたい」と答えた。だが、羽毛田長官は今月13日の会見で、「ご参内の回数は増えていない」「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と異例の指摘をしていた。  会見で皇太子さまは、長官発言への感想を尋ねられた。「両陛下の愛子に対するお心配りは、本当に常にありがたく感謝を申し上げております」と述べるにとどまり、家族内の問題として「立ち入ってお話をするのは差し控えたい」と説明した。  療養中の雅子さまについては、公私を問わず活動の幅を広げるよう努力していると最近の様子を紹介。「今後ともしっかりと支えていきたい」と思いやりを示した。春に小学校に入学する愛子さまには「新しい環境の中での生活を元気に始めてくれることを願っています」と語った。  ■ご一家での訪問、1年間で十数回  羽毛田長官が「苦言」を呈した皇太子ご一家の参内の少なさ。一体どれほどの回数だったのか。  朝日新聞の取材によると、昨年12月までの1年間で、皇太子さまが愛子さまを連れて参内したのは13、14回はある。大半は皇室行事に伴ったり両陛下側が招待したりしたもので、皇太子さまの発意による訪問は1月、3月、8月の3回だった。  一方、年末年始に続いた皇室行事には、雅子さまは体調を考慮して大半を欠席した。「大正天皇例祭の儀」や「元始祭の儀」などの祭儀のほか、「講書始の儀」「歌会始の儀」といった恒例行事は皇太子さまだけが参加した。  元日の「新年祝賀の儀」は午前だけ参加したが、東宮御所に戻った後に両親らを東宮御所に招いたことが報道され、宮内庁内でも批判の声がくすぶった。  私的な外出は活発だった。12月には都内で買い物やイルミネーションの鑑賞、ミシュラン東京版の三つ星レストランで夕食。1月にも東京・高輪の水族館をご一家で楽しんだ。こうした動きは週刊誌やネットで批判的に取り上げられた。  米AP通信は今月初め、都内のレストランでの食事など雅子さまの私的活動に関する記事を配信。英国のインディペンデント紙やタイムズ紙も独自に雅子さまを特集。外国メディアの報道がご一家の動向を世界に発信し、反響が広がった。    ◇ 「愛子さまと会う機会」をめぐる発言 06年12月 天皇陛下「残念なことは、愛子は幼稚園生活を始めたばかりで、風邪を引くことも多く、私どもと会う機会が少ないことです。いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」 07年2月 皇太子さま「天皇陛下の愛子に対するお気持ちを大切に受け止めて、これからも両陛下とお会いする機会を作っていきたいと思います」 08年2月 羽毛田長官「事実としてみます限り、ご参内の回数は増えていない」    ◇  ■もっと語っていただきたい  〈解説〉天皇と皇族方に仕える立場の宮内庁長官が、皇太子さまに、家族関係で苦言を呈するという前代未聞の事態はなぜ起きたのか。  関係者によると、長官は昨年暮れから何度か東宮御所に足を運び、皇太子さまと話し合いを重ねていた。  雅子さまの「適応障害」の療養は5年目。依然として主治医の詳しい説明や見通しは示されない。皇太子さまと雅子さまに厳しい意見が宮内庁に寄せられた。国内の雑誌だけでなく欧米紙でも大きく報じられた。  ここ数年、天皇陛下は皇室の基本的な姿勢について皇太子さまや国民に様々にメッセージを発してきた。しかし皇太子さまからは、納得の行く説明がなく、とりわけ皇太子さまが自身の言葉の重みを感じているのかどうかと心痛は深まるばかりだったという。  皇太子家を支える東宮大夫を飛び越えて、宮内庁の長官が皇太子さまと直接話し合うこと自体が異例だ。それでも、皇太子さまには事態の深刻さが伝わらなかった。天皇陛下の心痛や危機感に思いが届かない様子だったとみられる。異例の「苦言」会見に長官が踏み切ったのは、思いあまってのことだったようだ。  会見で長官は「ご自身のご発言は大切に」「実行が伴うように」と6回繰り返した。真意は「『綸言(りんげん)汗の如(ごと)し』と身を挺(てい)して基本姿勢をいさめることにあった」と複数の関係者は言う。天子の言葉は糸のように細くとも、汗のように二度と取り返しがつかない。中国の古典から生まれた、君主への戒めである。  非難を覚悟の長官発言を受け、今回の誕生日会見は注目を集めたが、皇太子さまは「家族内のこと」と繰り返してコメントを避けた。しかし、問われているのは「皇居と東宮の内輪もめ」といったレベルのことではなく、天皇と皇室のあるべき姿をめぐる根の深い問題である。  皇室内の不協和音を望む人はいないだろう。両陛下とご夫妻で対話が進んでほしい。皇太子さまには今後も誠意ある言葉と行動でこたえ、説明責任を果たし、自らが描く将来の皇室像を積極的に語ることを期待したい。(編集委員・岩井克己) URL:http://www.asahi.com/national/update/0223/TKY200802220342.html *0213 皇太子さまに長官苦言 「両陛下と愛子さま会う機会を」 [朝日] 2008年02月13日23時50分  宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官は13日の定例会見で、皇太子さまに苦言ともとれる異例の指摘をした。皇太子さまは昨年2月の会見で「(長女・愛子さまが)両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と発言したが、実際に会う回数は増えていないと述べ、「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と話した。  長官によると、両陛下も心配しており、この件を長官は皇太子さまに複数回会って直接伝えた。皇太子さまは「努力したい」と話したという。  両陛下と愛子さまの交流については、天皇陛下が06年12月の誕生日会見で、幼稚園生活を始めた愛子さまが風邪を引くことが多いために「会う機会が少ない」と残念がり、「いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」と発言。これを受け、皇太子さまは昨年2月の誕生日会見で「天皇陛下の愛子に対するお気持ちを大切に受け止めたい」と述べ、「(愛子さまは)両陛下にお会いすることをいつも大変楽しみにしております」と話した。  長官によれば、現・天皇陛下が皇太子時代には、昭和天皇のもとを毎週1回訪問するのが定例とされていた。しかし、現在は皇太子さまの発意による訪問は年2、3回にとどまり、昨年も増えていないという。長官は「追及するような話ではない」とし、「殿下ご自身が会見で発言されたことなので、大切になさっていただきたい」と繰り返した。  雅子さまの療養生活は5年目に入り、愛子さまも学齢期という節目を迎える。しかし、皇太子ご一家の現状は見えにくく、両陛下との交流も不十分なままだ。長官の異例の発言は、近く行われる誕生日会見で皇太子さまに納得のいく説明を促す狙いもうかがえる。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0213/TKY200802130288.html *1223 天皇陛下、74歳の誕生日 [朝日] 2007年12月23日05時56分  天皇陛下は23日、74歳の誕生日を迎え、これに先立って皇居・宮殿で記者会見した。一年を振り返る中で年金や社会格差の問題に触れ「みなの協力の中で安心して生活を営むことができるよう願っています」と述べた。  年金問題については「一生懸命まじめに働いてきた人々が高齢になって不安を持つことがないように」と解決を願った。また、社会格差の問題には「健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく、社会に参加していく環境をつくることが大切」とし、差別感を持つことがないような教育が必要とも述べた。  陛下は11月の大津市での式典で、外来魚ブルーギルが琵琶湖で異常繁殖したことに触れ「心を痛めています」と述べた。この発言については、キャッチ・アンド・リリース(釣った魚の再放流)の浸透で外来魚が著しく繁殖するようになったと分析。食材への利用で繁殖を抑え「日本で生活してきた魚が安全に育つことができる環境が整えられることを願っています」と話した。  会見ではご家族についての質問もあったが、陛下は「私は家族がそれぞれに幸せであって欲しいと願っており、それを見守っていきたいと思っています」と述べるにとどまり、それ以上の回答を控えた。陛下は会見で、回答を控えた理由を自ら説明。5月の欧州訪問前に行った記者会見で、皇太子時代の外国訪問に触れた発言が、一部で現・皇太子一家がオランダで静養したことに苦言を呈したものと誤って解釈されたことをあげた。  陛下は「私の意図したところとまったく違っています」と述べ、「このたびの質問にこれ以上お答えしても、また私の意図と違ったように解釈される心配を払拭(ふっしょく)できません」と話した。 URL:http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200712220226.html *1209 雅子さま44歳「復帰できず心苦しい」 [朝日] 2007年12月09日05時55分  皇太子妃雅子さまが9日、44歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じて所感を発表した。「適応障害」の療養に入って5年目。医師の指導を受け「少しずつ活動の幅を広げることができるようになりました」とこの一年を振り返りながらも、「まだ、十分に復帰できないことを心苦しく思います」と心情を記した。  長女・愛子さまについては「幼稚園生活にもすっかり馴染(なじ)んで本当に楽しそうに幼稚園に通っております」と近況を紹介。様々な行事に親子で参加することが多かったとして「たくさんの喜びを見出してきた幼稚園生活が終わりに近づこうとしていることに名残惜しさも感じます」と記した。  愛子さまは来春から学習院初等科に進学するが、「また新しい一歩を元気に踏み出してくれればと思います」と思いやった。  また、皇太子さまが6月の手術後も元気に公務を務めていることに触れ「常に大きな支えになってくださっていることを、心からありがたく存じております」と感謝の言葉をつづった。  雅子さまの誕生日に際し、東宮職医師団が発表した見解は以下の通り。       妃殿下におかれましては、この一年も、依然としてご体調には波がございましたが、前向きに頑張られるお気持ちを強くお持ちになられて、真摯(しんし)に努力を重ねてこられました。そして、愛子内親王殿下の育児を中心に日常のご活動を続けられ、公私を問わず、ご活動にも広がりが出てこられております。ご公務に関しましては、東宮御所や都内でのご活動に加えて、長野県と徳島県の地方行啓にもお出かけになりました。  このようなご活動の積み重ねは、ご快復のために必要な自信につながるものであり、治療的に大きな意味があったと考えております。こうしたご活動の後には依然としてお疲れが残られますが、以前にくらべるとご回復が早くなっていらっしゃいます。  適応障害は、世界的に広く受け入れられているアメリカ精神医学会の基準でも、長く持続することがあるとされているものであり、妃殿下におかれましても、なお治療が必要な状態が続いております。しかし、ご自身のご努力はもちろんのこと、皇太子殿下のお力添えもあり、少しずつ着実に快方に向かっていらっしゃいます。 URL:http://www.asahi.com/national/update/1208/TKY200712080222.html *0905 皇室会議の皇族議員、常陸宮ご夫妻を選出 [朝日] 2007年09月05日23時36分  皇室の重要事項を審議する「皇室会議」の皇族議員(2人)を選ぶ選挙が5日、皇居・宮殿で行われた。16人の成年皇族による互選で、皇族議員に常陸宮ご夫妻が、予備議員には三笠宮妃百合子さまと秋篠宮さまが選ばれた。任期は9月16日から4年間で、3日以内に辞退の申し出がなければ確定する。  皇室会議は皇族男子の結婚などを審議するもので、皇族のほか首相や衆参両院の議長・副議長などで構成される。互選は1人が投票用紙に4人の名前を記載し、得票数の多い順に2人が皇族議員に、続く2人が予備議員に選ばれる。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY200709050376.html *0904 和歌御用掛に岡井隆氏 皇室の相談役 [朝日] 2007年09月04日00時03分  宮内庁は3日、天皇、皇族方の和歌の相談役として、歌人の岡井隆氏(79)に同庁御用掛を委嘱したと発表した。83年から約24年間務めた岡野弘彦・国学院大名誉教授(83)が8月31日付で退任しており、その後任。  岡井氏は内科医で、歌誌「未来」編集・発行人。迢空賞選考委員。長年、宮中歌会始の選者を務めている。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0903/TKY200709030390.html *0802 陵墓公開へ一歩前進 宮内庁、学会立ち入り容認 [朝日] 2007年08月02日12時36分  歴代の天皇や皇族の墓「陵墓」として宮内庁が管理する古墳のうち、奈良市の神功皇后陵(五社神(ごさし)古墳・全長267メートル)で、歴史・考古学系学会の代表らが今年度中に立ち入り調査をする可能性が高まっている。宮内庁が、研究者からの要望があった場合、古墳の墳丘1段目までの立ち入りを認めるという方針を打ち出したためだ。一般公開へ向けた第一歩となるだろうか。  7月13日、陵墓を管理する宮内庁書陵部の担当者と歴史系16学会の代表が懇談した。学会側は五社神古墳と、伏見城跡がある京都市の明治天皇陵敷地内への立ち入りを要請。書陵部は庁内で検討し、秋以降に回答すると答えた。予算が認められれば年明けにも実現する可能性が高い。  宮内庁は昨年、陵墓への研究者の立ち入りについての庁内の指針を見直した。79年に作られた指針では、研究者から申請があれば古墳を囲む堀の堤などの外周部まで立ち入りを認めるとしていたが、新しい指針は最下段までとはいえ、墳丘への立ち入りを認めた。  陵墓の管理を担当する宮内庁書陵部の福尾正彦・陵墓調査官は「これまでも、陵墓の修理に先立つ発掘調査を学会関係者が見学する際、安全上必要なら墳丘の最下段に上がることを認めていた。今回の指針も、こうした実態に合わせただけだ」と説明する。  宮内庁は陵墓指定された古墳について、「御霊の安寧と静謐(せいひつ)を守るため」として一般の立ち入りを原則的に禁止している。これらの古墳には考古学的に重要なものが多く、歴史系の学会は70年代から公開を要求。宮内庁は79年から年に1、2回、書陵部が修理のために発掘調査している陵墓で、各学会の代表の見学を認めてきた。  しかし、研究者らが調べたい古墳と、宮内庁が発掘する古墳は必ずしも一致しない。05年7月、学会側は11の陵墓を指定し、墳丘への立ち入りを認めるよう要請した。今回の指針見直しは、こうした学会の求めに応えたとみられる。  「宮内庁は最近、陵墓の『情報公開』に積極的になっている」。多くの研究者がこう指摘する。97年には陵墓の可能性があるとして同庁が管理する「陵墓参考地」の宮崎県西都市・男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)両古墳に、県教委が入って測量調査することを許可した。陵墓の修理前に実施する発掘調査の報告は、毎年「書陵部紀要」に掲載されるが、72年度に20ページ弱だったものが、03年度は約80ページに。内容も各教育委員会が刊行する発掘調査報告書と変わらないほど詳細になっている。  16学会の陵墓への立ち入りは研究者16人に限って認められ、報道関係者の同行は認められない見通しだ。専門家が墳丘に上がって観察するだけでも、古墳の年代や形状についての情報を得ることが期待できる。学会側の窓口となっている日本考古学協会理事の高橋浩二・富山大准教授は「調査で判明した事実についてはマスコミに公表し、一般向けの報告会も開きたい」と話している。 URL:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200708020140.html *0808 両陛下、中越沖地震の被災地を訪問 [朝日] 2007年08月08日13時12分  天皇、皇后両陛下は8日午前、新潟県中越沖地震の被災者を見舞うため、自衛隊機で新潟県に到着した。両陛下は中越地震発生後の04年11月にも長岡市の避難所などを見舞っている。今回の訪問も両陛下の希望で、現地の復興・支援に支障がないよう随員や警備を最小限にし、日帰りで避難所などを回る。  両陛下は新潟空港で自衛隊ヘリに乗り換え、上空から大きな土砂崩れのあった柏崎市の青海川駅周辺や地震で被害を受けた原子力発電所などを視察。機中で泉田裕彦知事から被災状況の説明を受けた。  昼過ぎには84人が避難生活を送る柏崎小学校を訪れ、被災者を激励した。小学校の入り口には200人が集まった。  ボランティアで炊き出しをしているという小学生の女児に天皇陛下は「大事な仕事だから頑張ってね」、皇后さまは「これからもよろしくお願いします」と声をかけた。家が半壊し、不安でいっぱいだという女性には、天皇陛下は「体に気をつけて元気を出して頑張ってね」と気遣った。  午後には刈羽村に入り、避難所を訪問する。  また、両陛下はこの日、宮内庁長官を通じて、被災した高齢者のために同県に金一封を送った。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200708080155.html *0622 寛仁親王殿下:アルコール依存症で長期入院へ [毎日]  宮内庁は22日、寛仁親王殿下(61)がアルコール依存症のため、今後1カ月以上、宮内庁病院に入院すると発表した。久里浜アルコール症センター(神奈川県横須賀市)の樋口進副院長を中心とした医療チームが治療にあたる。  同庁によると、寛仁親王殿下は、重度の不眠や、物が飲み込めないなどの状態が続いているという。これまで宮内庁病院に度々入院して点滴などを受けており、予定していた公務を取りやめることもあった。今回も19日夜から同病院に入院し治療を受けていたが、樋口医師らが長期入院が必要と判断した。【真鍋光之】 毎日新聞 2007年6月22日 11時48分 (最終更新時間 6月22日 13時24分) URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070622k0000e040036000c.html *[[●天皇制06Ⅱ]] より続く

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