佐賀県呼子町(現:唐津市)出身。
1980年、アニメ下請け制作会社のにしこプロダクションに入社。
廣川集一の下でアニメの演出を勉強し、同年の「宇宙戦士バルディオス」で初演出。
1984年、にしこプロを退社し、活動の拠点をスタジオディーンに置いた。初監督作は、翌年ディーン制作協力の「プロゴルファー猿」。途中90年代末期頃まではスタジオZ5に所属し、Z5唯一の所属演出家として本橋秀之・亀垣一らと活動を共にしていた。
押井守とは麻雀をする仲。麻雀をしているときに仕事が欲しいといったらプロダクションI.Gに呼ばれて「風人物語」の監督に選ばれたという。
その「風人物語」の監督インタビューを見ていたP.A.WORKSの堀川社長がP.A一作目の監督はこの人にしようということで「true tears」の監督に決めらしい。
ハーモニー処理を現在でもよく使用する。
安藤真裕監督作品の「花咲くいろは」では17話を除いて西村回にはハーモニー禁止令が出ていた。
2006年の監督作「シムーン」以降では脚本を担当する際、西村ジュンジ名義を用いている。