【静岡県姓氏家系大辞典 (静岡県姓氏家系大辞典 編纂委員会) 角川書店 平成7年12月8日 抜粋】



P294~

石谷政清 いしがやまさきよ (一五〇三~七四) 戦国期の武将。通称十郎右衛門。二階堂清長の子。遠江国佐野郡西郷の石谷(掛川市)に住み、石谷を称したという。今川義元・氏真に仕え、永禄十二年に徳川家康に従った。居城したという石谷城跡は掛川市上西郷美人ヶ谷にある。


P454~

石貝 いしがい 駿河国足久保(静岡市)に、平安末期の寿永年間ごろから住むという土豪の石貝氏がある。永禄年間には石貝弥兵衛が安倍七騎の一人に数えられている。


P455~

石谷・石ヶ谷 いしがや 遠江国佐野郡西郷石谷(掛川市)に由来する石谷氏がある。藤原為憲流で、二階堂行清が外祖父の西郷氏を称し、子の清長が二階堂氏に復し、その子政清が遠江国石谷に住んで石谷氏を称したという。また、西郷に住んだことから行清が西郷氏を称し、徳川家康に仕えた政清が西郷局に憚って石谷氏に改めたともいう。政清は、今川義元、氏真に仕えたのち、永禄十二年徳川家康から遠江国飛鳥郷一色(掛川市)を与えられた。子孫は旗本として続く(寛政譜)。同国佐野郡上西郷村(掛川市)に石ヶ谷明神があり、石谷十蔵の氏神という(遠淡海地志)。
■駿河国安倍郡足久保村(静岡市)に、戦国期の安倍七騎の一つに数えられた石谷氏がある。遠江石谷氏と同族という。今川氏に仕えたが、重郎左衛門は今川氏滅亡後に武田氏に仕え、のち徳川家康に仕えた。
■駿河国庵原郡袖師(清水市)に、石谷政清の五男清重を祖とする石谷氏がある。清重は海野又太郎と称して幕臣となり、のち一族の住む足久保に閑居した。その孫の清勝の次男清升は朽木氏家臣となるが病を得て駿河に戻り、子孫は袖師に永住したと伝えられる(静岡県の名字)。
■現在、石谷姓は静岡市、小笠郡大東町、石ヶ谷姓は清水市に多い。




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最終更新:2013年11月24日 10:46