昼なのか、夜なのか、この街ではそれさえもさだかではない。
暗黒の殻に閉ざされた鋼鉄都市を歩いていると、立香はただそれだけで酷い疲労感に襲われる。
公衆電話と街頭ラジオが立ち並び、近未来的な装いの人々が行き交う都市はこんなにも繁栄しているのに。
(――息苦しい)
それは魔力の濃度が薄いとか、そういうことではない。
押しつぶされそう。押さえつけられて、息ができない。
きっとこの街で待っているのは昨日と同じ今日、今日と同じ明日、明日と同じ未来なのだ。
人はみんなビルから吐き出されて、ビルに飲み込まれて、必要なことをして、帰って、眠る。
生き物の体内に走る血管、その血流に乗って揺蕩う血球たちのように。
この巨大な鋼鉄の脳の中で――永遠に巡回する。
「なんでこんな事になっちゃったのか、アーチャーは知ってる?」
「……俺に説明させンなよ。ったく、先生も人が悪ィぜ」
先を行くアーチャーは、困ったように首を左右へ振った。鉄兜がぐらぐらと揺れる。
どうやら話したくないわけではなく、純粋に説明が面倒なだけらしい。
それなら、まあ良いわけだ。立香は頷いた。話したがらないサーヴァントともいっぱい会ってきた。
「じゃ、街をこんな風にした原因!」
ひょいっとスキップでも踏むように足を伸ばす。
そして傍と気づく――こんなに背丈の差があるのに、追いつくのに苦労しない。
アーチャーは歩幅を合わせてくれているのだ。わかりづらいくらい、ほんのすこしだけだけれど。
「それならわかるでしょ?」
「あー……まァな。見えるか、あそこ」
ずいとアーチャーがその太い腕を摩天楼の向こうに伸ばした。
立香もつられてそこを見ると――このエレクトロポリスのビルの中でも、ひときわ高い建物がそびえ立つ。
装飾はなく、窓ガラスに灯る電気の煌めきだけが外壁を彩っているが、それだけで圧倒される。
あれは、違う。
何かが違う。
アレは――……。
「神経塔――ま、名前は大層だけど、言っちまえば時計塔だ。
アレクサンダー広場だったとこに建ってンだけどな。俺たちは単に"高い城"って呼んでる」
「高い……城? 王様でもいるの?」
「当たりだ。原因って意味じゃ、その"鉄人王"――高い城の男が、このエレクトロポリスの原因だな」
「鉄人王……」
王様。
その言葉で立香が思い描くのは、ローマ皇帝たち、大統領もとい大統王、獅子心王、ファラオ、英雄王――……。
「……絶対一筋縄では行かない人だなぁ」
『ファ、ファイトです先輩! 話しやすい王様もいますよ、えっと、ニトクリスさんとか!』
「フォローになってないよぉ……。そこはせめてブーディカさんを出してよ」
はぁ、と立香は溜息を吐いた。
ここが街中でなくマイルームだったらベッドに飛び込んでゴロゴロしたい気分だった。
「フォーウ!」と鳴いて顔を擦り付けてくれるフォウにありがとうと声をかけつつ、気持ちを切り替える。
「うーん、なんとかして会いに行けないかな」
「会いに行くこたァできるだろ」
「え、ホント?」
あっさり言われた言葉に、立香は思わずひょいとアーチャーの顔を覗き込んだ。
勿論バケツみたいな兜のお陰で顔は見えないのだが、彼は「ああ」と頷いた。
「会えるかどうかは知らねえけど、会いには行けるだろ。ポリ公どもに101号室へ叩き込まれるのがオチだろうが」
「あー……それは確かに」
会いには行ける。それは個人の自由だ。会えるかどうかは当人の努力次第。
アーチャーの言葉は確かにその通りで、うん、と立香は頷いた。
「じゃあ、会うための方法を考えなきゃね」
へぇ。アーチャーが感心したように声を漏らした。
「切り替え早えのな。グズグズ言うか、会いに行けば会えるよ!とか言うかと思ってたけど」
「まあ、そりゃね。色々あったし。病巣は根っこから切除しないとダメだ! って教わったからね」
「は、正しいな」
アーチャーはそう言って、面白くもなさそうにゲラゲラと笑った。立香は苦笑いして頬を指でかく。
婦長が聞いたらなんて言うだろう。きっといつも通りの鉄面皮で「当然です」と言うのだろうか。
「ま、選択肢があるってなァ良いもんだ。手札があるうちに回しちまいな」
「うん……」と立香は頷いて、言われた通りの早さで意識を切り替える。「……それで、『M』っていうのは?」
「『M』ってなぁ……つまり、殺人鬼だ」
「殺人鬼……」
切り裂きジャックみたいな? 立香がそう疑問を口にすると、マシュが『ライブラリには該当ありません』と後輩らしく言う。
『映像ライブラリにある近代のフィクションは別として、『M』と名乗った殺人鬼は史実には確認できません』
「うーん……あ、新宿のおじいちゃんとかは? どうだろ?」
『この特異点の魔力濃度から考えると、あまり特殊なサーヴァントは……いえ、逆に特殊な方が現界しやすいのでしょうか……?』
「ま、難しいことはわかんねェけどな」
先輩後輩揃って頭を抱えてしまった悩みを、アーチャーは短い言葉でばっさりと打ち切った。
「とにかく人をぶっ殺して回ってる奴がいんだ。とっ捕まえねえと気に入らねえやな。で、日課のパトロールよ」
「――」
「……んだよ?」
「いや、良い人だなあ、って」
「……あァ?」
凄むまでに今一瞬の間があったなあ。立香はそんなことを考えて、けたけたと笑った。
うん、なんとかなるだろう。今までもそうだったし、これからもそうだ。なんともならなくなるまでは。
根拠のない一般人らしい楽天的な思考でそう結論づけて、立香はくるりと前を――……。
「あ――きゃッ」
「……ッ!?」
瞬間、目の前に黒い影が飛び降りてきた。
どこから? 聳え立ち並ぶ鋼鉄の樹木の上からだ。
そこから、その影は跳んできた、のだ。
「あァ―――――――きゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃッ!!」
「う、わッ……!?」
そして響き渡るその甲高い声。思わず立香は耳を塞いだ。いや、目を閉じるべき――だったのか?
黒い影は、痩せぎすの裸身に襤褸のような外套を纏った少女だった。
その口からは言葉と共に青白い炎が……いや、紡がれる言葉が青白い炎を上げて、目を眩ませるのだ。
「おッねぇ―……さん、こんっばん――わぁっ!!」
「こ、こんばん――うひゃあッ!?」
思わず挨拶を返しかけたその瞬間、ひょうと何かが空を切って立香の前を通り過ぎた。
今までの特異点で多少なり経験していたから辛うじて避けれたのだ。
そうでなければ――少女の右手に噛み付く鎖で繋がれた、鋭い鉤爪が服を切り裂いていたに違いない。
「まァたきやがったか、この糞ガキが……!」
「だッぁ……って、たのっしいッん、だもぉんッ!」
アーチャーが罵声と共に銃を抜き、轟音と共に鉛玉を叩き込む。
それを少女は甲高く跳ねた声同様に跳躍し、くるりとトンボを切って着地しつつ鉤爪で弾き落とす。
「サーヴァント!?」
「そッだ――よォ……! あきゃッ! あきゃきゃッ!!」
少女はけたけた、けたけた、フードの奥で笑い続ける。
そして裸足でアスファルトを蹴って飛び上がり、ごうと鉤爪が音を立てて振り抜かれた。
「いい加減にしやがれ! しまいにゃ泣くまでその薄っペタなケツ引っ叩くぞ!」
「やァ、ってェみっ、なよォ――おにぃ、さァん!!」
それをアーチャーは鋼鉄の鎧で受け止め、弾く。立香を背中に庇い、一歩も退かずにだ。
だから立香は冷静に戦場を観察し、状況を見定める。それこそが彼女の役割なのだ。
「あきゃッ! あきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃッ!!」
「あァ、クソがッ! うるっせぇぞ、テメエ……!!」
少女は何度も何度も何度も何度もアーチャーの周りを飛び跳ねては鉤爪を振るう。
だがその全ては尽くアーチャーの鋼鉄の鎧でもって弾かれ、防がれ、叩き落され、無為に終わる。
そんな事は見ればわかる。少女の攻撃は決してアーチャーに通じない。
「ねえ、マシュ。あの爪って何かの宝具?
『いいえ、先輩。観測データを通してですが、そんな気配は見受けられません』
「うん、じゃあ決まりだ」
立香は頷いた。そして膝に手を突いて身を屈め、飛び跳ねる少女と同じぐらいの目線の高さになり、言った。
「ねえ、きみ。――もしかして、じゃれてるだけ……だよね?」
「あ―――――きゃッ!」
指摘された少女が、フードの奥でにんまりとチェシャ猫のように笑うのが見えた。
だからアーチャーも、少女へ向けて銃を撃つ時は必ず鉤爪に当たるようにしているのだろう。
くるりとアーチャーの胸板を蹴って宙を舞い、着地した彼女へ向けられた銃口は無造作に降ろされる。
「やっぱりね。……じゃあ、『M』はこの子じゃないって事か」
「わァってるよ。……『M』の手口は銃で、このガキの仕業じゃねェからな」
だいたい、その手で銃が撃てるのか?
問われた少女はニヤニヤケラケラ笑いながら、わきわきと鉤爪を動かして、がしゃりと篭手の中に引っ込める。
それはまるでネコが爪を出し入れするようで、彼女は鋼鉄の密林を生きる子供のヒョウのようだと、立香は思った。
「その癖、ぴょんぴょこ出てきては飛び跳ねやがる。鬱陶しくて仕方ねェ」
「そッ、だよォ! あたしィはねェ、そォんな、頭――文字っじゃ、ないッんだ、ァなぁ!」
少女は心底面白いという様子であきゃきゃきゃと中身の無い笑い声を木霊させ、くるりと踊るようにターンして見せる。
「んッっと、ねェ! だぁれ、っだろォねぇ! わっかーんなァい! あきゃッ! あきゃきゃッ!
今ァ、は――キャスッ、タァ! キャァスター……の、バネ脚ィッ! ジャァーックッ!!」
――バネ脚ジャック。
その名前は、立香も聞いたことがあった。いや、読んだことが、というべきか。マンガで知ってる。
「跳ねる者(スプリンガルド)――?」
『はい、先輩。バネ脚ジャックは19世紀末ロンドンに出現した怪人……都市伝説です。
驚異的な跳躍力、口から火を噴き、手にしたナイフか鉤爪で服を破き、人を驚かせ、高笑いと共に消える。
ジャックさん――アサシンのジャックさんとは違い、その、なんといいますか……』
「ようは悪戯好きのガキだろ」
そう、そうなのだ。
世間を騒がせるという意味では迷惑なのだが、端的に言って人畜無害も良いところ。
アーチャーがバッサリと纏めた一言にバネ脚ジャック、キャスターは「あきゃきゃ」と喉を鳴らした。
「でも、キャスターっていうのが謎だね」
『まあ佐々木小次郎さんがアサシンで召喚されたりしますから……正直、今更ですけれど。
スカサハさんが実際に披露してくださったように、霊基への細やかな変化でも、適正があればクラスは変わります。
ジャックさん……バネ脚ジャックさんには、何らかの理由でキャスター適正があったのだと思いますよ』
ふぅん。立香は興味深くキャスターの顔を覗き込むと、彼女はけらけらと声を上げて笑う。
その可愛らしい唇からは笑い声の都度、青白い炎のように燃えながら言葉が紡がれていた。
これこそが彼女の"魔術"なのだろう事は明白だ。
(呪歌――ってやつかな? エリちゃんの音波ブレスとはちょっと違うし……)
その時だった。
不意に立香は、奇妙な音を聞いた気がして耳を澄ませた。
「音楽――?」
街頭ラジオから聞こえるのだろうか。軽快で、弾むような音色。
『山の魔王の宮殿にて。ペール・ギュントの曲でしょうか。これは――……』
いや、いや……これは――これは、口笛だ!
「みィ、っつけったァーッ!!」
瞬間、キャスターが高々と跳躍した。
彼女は空中でくるりとトンボを切って、今まさに建物の影からふらりと現れた男めがけて飛びかかる。
男は何処にでもいる平凡な人物のように思えた。実際、そうだった。立香は今の今まで気づかなかったのだ。
男が黒い頭巾を被って、手に銃を持っているなんて――……!
「あ、きゃきゃきゃきゃッ!!」
「――――!」
男のピストルが火を噴くが、それをキャスターは軽々と回避してのける。
アーチャーが舌打ちをしながら自身の銃を構え、そのトリガーを絞る。
「野郎、嫌がったな……テメェが『M』か!!」
しかし銃弾は男がスッと自然な動作で――消えるように身を隠した事ですり抜け、建物の外壁に弾痕を刻むに留まる。
サーヴァントの攻撃を回避できるものは、サーヴァント以外にありえない。
間違いない、あれは――……。
「アサシンのサーヴァント……!」
『先輩、警戒を!』
「うん――ごめん、アーチャー! あたしを守ってくれるかな?」
「しゃあねェな」
アーチャーは舌打ちをしながら、壁を背にした立香の前に立った。
鋼鉄の鎧兜だ。今はそれが何よりも頼もしい。
「死なれちゃ気分が悪ィ。俺ァ、ガキに死なれんのは嫌だからな……」
「それと……キャスター、あのアサシン、見つけられる?」
「たァっぶん……ねェ?」
キャスターは立香の頼みにも、けたけたと笑いながら頷く。
立香は「じゃあ、お願いして良いかな」と丁寧な口調で続けた。
「あのアサシンを見つけてくれる?」
「いッいよォッ! じゃァ、おにィーさん、おねェッさんッを――よろッしく、ねェッ!」
ひょうと風を切り裂いてキャスターが跳ぶ。
彼女の腕に噛み付く鉤爪が、音を立てて広がって、少女の身体に不釣り合いな大きさへと形を変える。
それで何もいないような空間を切り裂けば――!
「……!?」
「そこ、だぁっ!!」
たまらず飛び出してくる黒い影。
すかさず立香はカルデア戦闘服によって強化された回路へ魔力を通し、呪弾(ガンド)を叩き込む。
本当に細やかな、取るに足らない魔術だ。ダメージなんか与えられた試しはない。
だけどほんの一瞬、たった一手だけでも相手の行動を阻害できる。それで十分!
「アーチャー!」
「おうッ!!」
指示変更(オーダーチェンジ)。
立香を守るために仁王立ちしていた
鋼鉄のアーチャーは、速やかに指示を理解して銃を構え、思い切りぶっ放した。
鉛玉は次々とアサシンへ叩き込まれ、黒い頭巾を被った男は仰け反るようにして血を噴き出し、鋼鉄神経都市の路上へと崩れ落ちた。
「――ひゅう。なんとか仕留められたな。なんでェ、嬢ちゃん。指示出し上手ェじゃねえか」
「えへへ……。まあ、これだけが取り柄みたいなもんだから。アーチャー、ありがとう。キャスターもおつかれ!」
「うッまくでェきたっかなァ? あきゃっ! あきゃきゃきゃきゃッ!」
ひらりと飛び降りてきたキャスターも、にこにこと笑顔。
うん。やっぱりこの子も良い子だ。というより可愛くて小さい子に悪い子はいない。
「でも、何だったんだろう、あのアサシン」
「喋らねェんじゃな」
『そうですね。ライブラリで検索をかけてみますけれど、さすがに特徴がありませんし……』
シャドウサーヴァントの類だったのかもしれない。
何にせよ街を脅かしていた殺人鬼『M』を倒せたのなら、それで良いだろう。
一歩前進。ちょっと全身。立香はぐっと拳を握りしめた。特異点調査としては順調のはずだ。
「とりあえず一旦師父の病院へ戻って、報告しよう。それから"高い城"の鉄人王に会うための方法を考えて――」
――ジリリリンと公衆電話のベルが鳴ったのは、その時だった。
立香は、アーチャーは、そして恐らくキャスターでさえ、凍りついたようにその公衆電話を見やった。
三人揃って顔を見合わせる。キャスターが受話器に手を伸ばしたのを、アーチャーが制した。
そしてアーチャーが手を伸ばしたのを遮って、立香が受話器を掴んだ。
「も、もしもし――……?」
『やあ、見事な采配だったね、藤丸立香くん。さすがに人理を修復した最新最後のマスターは違う』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、酷くしゃがれた、けれど静かに落ち着いた声だった。
立香は唾を飲む。得体が知れない――そう思わせる、正体不明の、曖昧模糊とした何かと喋っている気がした。
「……。あなたは、誰ですか?」
『ははははは。それはまあ当然の疑問だが、些か意味がない。顔を隠して名を告げない相手に『誰』と聞いてもね。
けれどそれを聞くことは君の善性の証明でもあるな。そういう意味で、良い質問だと思うよ』
だから、そう問うたのは完全な直感だ。かの諮問探偵なら渋い顔をするだろう。推理なんて何も無い。
「――『M』?」
電話の向こうの相手が、一瞬黙り込んだ。それは紛れもなく、正解を示すサインだった。
『いや……いささか、悪ふざけが過ぎたかもしれないな。許してくれたまえ。
一つ訂正しよう。
『M』とは『Morder』の略称だ。その呼び名は興味深く、私を示し、喜んで拝借していたが、私の名前ではない』
『 ――――私はゾディアックだ 』
次の瞬間、立香は背に三発の銃弾を受けて、悲鳴すらあげられず自らの血溜まりに沈んだ。
最終更新:2017年05月15日 16:25