その日は、午前10時に目が覚めた。
明らかな寝坊である。
カルデアに来てから、こんなに遅く目覚めたのは数えるほどしかない。
普段は休みの日だとしても少し寝坊すればバイタルチェックも兼ねて部屋へやって来るというのに、今日は彼女も寝坊だろうか。
眠い目を擦って、ベッドから起き上がる。
顔を洗って寝巻きから着替え、そのまま自室を出た。
ちょうど通路を、職員の一人が通りかかっているところに出くわした。
挨拶がてら会話する。
「おや、今日は寝坊かい? まあ、普段から激務だからね、休日仕方ないか。
誰か生活管理をやってくれる子がいればいいんだが、なにしろ人理修復してからは別の意味で忙しいからなあ」
……どことなく違和感を感じる物言いだ。
だが、朝で頭が回りきらないのもあって普通に返事をする。
「……あまり思い出させたくないコトではあるけれど、Dr.ロマンがいなくなってしまった以上、新しいオペレーターも選ばなければならないしね。
新規のレイシフトは国連の許可が必要だが、緊急事態が起こらないとも限らないし、それに特異点の残滓も残っている」
──うん?
頭が回ってきたのか、それとも違和感が許容範囲を超えたのか。
今度の言葉には反応できた。
おかしい。
ドクターのいなくなった後のオペレーター補佐、ダヴィンチちゃんのサポートはすでにいる。
「……うん?
もう新しいオペレーター候補は決まってる? そんなはずはない。
今のカルデアに余分な人員はいないんだ。オペレーターの仕事を増やしたりすれば過労で倒れてしまう」
いや、だから。
終局特異点の後、戦うことが何故かできなくなった彼女が──自分のことを先輩と呼ぶ彼女が、戦う代わりにオペレーター補佐を務めることになっていたはず。
「なにを言っているんだ、キミは?
サーヴァントたちと戦える職員なんて、マスターである君を除けば存在しないよ。
だいたいキミの後輩なんて、このカルデアにはいるはずがないだろう?」
怪訝な顔で、こちらを見つめてくるカルデアの職員。
その様子に、言いようのない不安を覚えた。
一年を100人足らずの職員で乗り切ったカルデアだ、知らない職員などいるはずもなく、カルデア職員もまた彼女のことを知っていないはずもない。
目の前の相手はこんな意味もない冗談を言う人ではなかったと記憶しているし、嘘を吐いているような様子もない。
──おそるおそる、質問してみる。
自分はいったい誰と、人理の修復を行なったのか。
「誰と? たった一人でだろう?
いや、確かに現地のサーヴァントや、召喚したサーヴァントと共に歩んだ道のりだった。
けれど、カルデアの人間として戦ったのは君ひとりだった。賞賛に値するよ」
――上手く誤魔化せたか、自信がない。
とにかく掻き乱される内心を抑えて、作り笑顔で別れの挨拶をしてその場を離れた。
自分でも蒼白な顔をしている自覚をしながら、出会った者全てにそれとなく彼女の話を聞こうと試みる。
「キミの隣にいた少女?
いや、そんな職員はこのカルデアにはいないんじゃないかな」
「シールダー……? そんなサーヴァントは、カルデアにはいなかったと記憶しているけれど……」
「特異点で出会った時、常にマスターの隣にいて守護していたサーヴァント……?
覚えがないな。戦闘時に召喚していたサーヴァントはともかく、それ以外でマスターはサーヴァントを表に出していなかったと思うが。
……デミ・サーヴァント?
なんのことだ?」
カルデア職員だけではない。サーヴァントでさえも、彼女のことを覚えていなかった。
彼女の名前を口には出していない。いや、言葉に出せなかった。
出せば不安が現実になってしまう気がした。
それとも、現実から離れていっているのは──自分なのか。
「――ああ、ここにいたか!」
目眩に頭を抱えそうになったちょうどその時に通路の向こうから走って来た姿に、いよいよ現実離れしてきたなと苦笑した。
花の魔術師、マーリン。
第七の特異点で共に戦った冠位のキャスター。
世界の果ての理想郷の物見の塔にいるはずの彼が、何故ここにいるのか。
「僕が何故ここにいるのかは、究極的にはどうでもいい。
それこそ"縁が合って"実はここに留まっていたのでもいいし、この事件を告げるためにここまで走ってきたのでも構わない。
今問題なのは、この事態を解決することだ」
この事件。この事態。
何の話かなど言うまでもない。今起こっている事件なんて、ひとつしかない。
そしてそれを認識できるということは、つまり。
──マーリンは、彼女のことを覚えている?
「そうとも。キミの知っている通り僕には千里眼があるし、それに彼女に宿っていた英霊……円卓の騎士とは、元からの繋がりがあるからね。
だから、まだ覚えていられる」
思わず、溜息を吐く。
――ようやく、事態を分かち合える人間と出会えた。
自分が間違っていないことを、確認できた。
「彼女の名前は憶えているね? でも、だとしても言葉にしない方がいい。
それは最後にとっておきなさい」
頷く。
こうなってしまった以上、頼りになるのは彼だけだ。
腐っても冠位の資格を持つキャスター、その実力は第七の特異点でしっかりと知っている。
……人格的には少し、いや結構アレな人ではあるけれど!
「はっはっは、なんだか失礼なコトを思われた気がするけれど、其処は置いておこう。
さて、気を取り直してまずは事態の確認から行こうか。
本日、このカルデアから――ひいてはこの世界から、君の相方、シールダーのデミ・サーヴァントは消失した。
同時に、この人類史からも忘却されつつある。
カルデアの資料室には彼女の記録はまだ残っているかもしれないけれど、少なくとも職員と大半のサーヴァントの記憶からは彼女の存在は消えているだろう。
この影響は計り知れない。
何故なら君の旅は、彼女と常に共にあったものだからね。
今は職員やサーヴァントの記憶では"君一人で旅をした"ということになっているけれど、それが可能かどうかで言えば難しいだろう。
カルデアの召喚サークルも、彼女の盾を使ったものだ。
彼女が完全に消失して、それが人理に遡って適用された時、なにが起こるかわからない──というか、はっきり言うと人理修復は"失敗した"ことになると思う」
マーリンの言っていることはよくわかる。
彼女無しで、人理修復を成し遂げることは不可能だった。
もしも彼女が傍に居なかったとしたら、自分は燃え盛る冬木の街すら抜けられなかっただろう。
このまま遡れば、人理が危ないというのは理解できる。
――しかし、何故こんなことが起きたのか。
ただ彼女が命を失っただけならば、認めたくはないが理解はできる。
けれど人々の記憶からも、さらには人類史からも消え去ってしまうなんて、これではまるで――。
「……君も気付いたかな。
そう、特異点だ。今このカルデアは、特異点になりかけている」
――特異点。
それしか有り得ない、という思いと、まさかという思いを同時に得る。
カルデアが特異点と化すなんて、今までに一度も無かったことだ。
人理を守るための、最終防衛拠点であったカルデア。それが特異点の魔の手に落ちたならば、もはや対抗する手段はほとんどない。
――それでも、まだ望みはある。
これが特異点だというならば、どこかに核――聖杯があるはず。
「うん、その意気だ。
だけど君、どこに行くべきかはわかっているのかい?」
問いかけてくるマーリンに、確信を持って頷く。
このカルデアが特異点となり、そしてその中心――異常の発端となった場所があるならば、それはひとつ。
「……そうだね。
なるほど確かに、このカルデアで"もっとも最初にこの事件が始まった"場所はそこだ。
特異点の核そのものではなくとも、何らかの手がかりは残っている可能性が高い」
マーリンを引き連れて、目的の場所へと向かう。
行く先はカルデアの職員住居区画、その部屋のひとつ。
"彼女"のものだった部屋。
「この先は異変の中心。おそらくは今まで踏破した特異点と同じく、歴史から切り離されたひとつの世界となっているだろう。
準備はいいね?」
マーリンの言葉に、しっかりと答えを返す。
――絶対に、彼女を取り戻してみせる。
その決意と共に、自動ドアが開いた瞬間――意識は闇へと落ちていった。
最終更新:2017年05月17日 23:42