ゆらゆら。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
外は一面の雪景色。
白い床をこつこつと叩く音。
風に揺らめく尾と、狐の如き耳。
ぶらぶらと揺れる、猫の如き腕。
その瞳には生気は無く、足取りは夢遊病患者のように覚束ない。
虚ろな瞳に、定まらない視線。
まるで糸を切られた操り人形のよう。
唇は珍しく閉ざされており、戯けた言葉を吐くこともない。
ただただ、ゆっくりと歩いていく。
そして。
ぴたり、と。二つの影が、脚を止める。
青い球体。
…人類の豊かな繁栄を示す、カルデアス。
激闘の果てに取り戻した未来。
これからも成長を確定させている、人類史。
その前で、ぴたりと歩みを止めた。
―――いかなきゃ。
―――呼んでる。わたしが、呼んでる。
直後。
カルデアスがひとりでに。
本来複数人で制御するべき装置が、誰の手も借りずに動き出す。
二騎のサーヴァントを過去に送ろうと、単独で起動する。
目映い光が辺りを包む。
さながら、海岸から見つめる朝日のように。
それが収まるころには。
何処から現れたのか―――一本のススキを残して、一切の人影を残さず、消えていた。
「―――これが、監視カメラに記録された最後の映像だよ」
極彩色の服を纏う、理知的な女性。
此処が街中であるならば百人中百人は振り返るであろうその美貌。
長くすらりと伸びた指は組むだけである種の芸術性を醸し出し、豊満な胸囲はあるだけで男の視線を釘付けにする。
その唇は軽く微笑むだけで男女問わず骨抜きにしてしまうだろう。
正に"黄金率"。
完全なる調律が取れた、人体の完成形。
美しさという一点ならば―――この身体は女神にすら匹敵するだろう。
…これが、元は男だというのだから、驚きだ。
いや、男だからこそ完璧なる女性…モナ・リザを作り出せたのではないか―――という話は、またの機会に取っておこう。
サーヴァント、キャスター。
己がサーヴァントとして召喚されるにあたって己を"理想の姿"―――『モナ・リザ』に再設計した人類史有数の天才。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。その人である。
今は人理継続保障機関"カルデア"のブレインを担う重要人物だ。
「これは…玉藻の前さんとタマモキャットさんですか?」
大きな液晶に写し出された映像を見ながら、少女が問う。
盾の少女。
紫陽花柄の髪を持つあなたの後輩、マシュ・キリエライトである。
「そうとも。見る限り、ね」
「この二名が無断でカルデアの機能を利用し過去へと飛んだ―――つまり『レイシフト』した、ということですか?」
「そうなるね」
ふむふむ、と顎を撫でながらダ・ヴィンチは肯定する。
そこに二人を貶めてやろうなどという陳腐な悪意は存在しない。
ただ、客観的な事実を述べていた。
「それは…無理です。レイシフトにも過去へと時代が重なるにつれ必要な魔力も電力も膨大なものになります。
それらが消費されたという記録もありませんし…そもそも、幾らサーヴァントとは言えカルデアの皆さんの助力無しに」
「そ。皆まで言いなさんな。それは私が痛いほど理解している」
レイシフト―――過去及び平行世界に人間の魂をデータ化、投射するその技術は凡人の理解を遥かに越えている。
事象記録電脳魔・ラプラス。
近未来観測レンズ・シバ。
守護英霊召喚システム・フェイト。
霊子演算装置・トリスメギストス。
疑似地球環境モデル・カルデアス。
などなど多くの人類、そして魔術師と科学の叡智を極めた機器たちが寸分の狂いもなく正確に操作し、専門の知識を修めたスタッフたちが精神と睡眠を削ってようやく過去の時代へと人間を投射できるのだ。
いくらサーヴァント―――その大元が神霊級の存在と言えど、格落ちした者が扱えるほど用意な代物ではない。
「つまり。分かることは二つ。
『キャスター"玉藻の前"、及びバーサーカー"タマモキャット"はカルデアの助力無しでレイシフトを行った。』
そして『カルデアには監視カメラの記録以外、その痕跡は無い』。
…本来、レイシフトに必要な電力や魔力の消費すらね。ということは、どういうことかわかるかい?」
まさか、と。
マシュの息を飲む感覚が伝わってくる。
「つまり玉藻の前さんたちは召喚―――『何者かによってカルデアから過去に呼び出された』ということですか…?」
外部の犯行。
カルデアの機能を通さず、『過去と繋がっている』という因果のみを通じて玉藻の前とタマモキャットを引きずり込んだ―――ということである。
それは、あり得ない。
カルデアの機能すらない過去の時代から無理矢理因果のみを通じて此方へ干渉するなど、それこそ魔術に長けたキャスターのクラスでも最上位の―――冠位"グランド"を持つ者でも難しい偉業である。
「…認めたくないことだけどね。万能の天才であるこのダ・ヴィンチちゃんでも道理を曲げることはできない。
二騎のサーヴァントを連れ去った輩は、それすら可能にする魔術と魔力を有しているということさ」
カルデアの室内が、沈黙に包まれる。
それもそうだ。
人理焼却事件の黒幕。
ゲーティアと同格の冠位を持つ者の犯行の可能性が現れたのだから。
そして。
それを見通したのか、ダ・ヴィンチがぱんぱん、と手を叩く。
「と言っても、カルデアスに異常はない。
時空の揺らぎを観測したという訳でもない。何処かの時代が特異点に成りかけている、という訳でもない。
ただサーヴァントが二騎消えただけ―――戦力としては大きな痛手ではあるけれど、カバーできないほどじゃない。
特に、気にするほどでもないんだ。この技術局を預かる者として、一応の報告をしておいただけさ」
その声は、いつもと変わらない。
飄々としたようで。
だが、芯は通っていて。
その瞳は、真っ直ぐと此方を見据えていて。
「だから、この件はキミに預けようと思う。サーヴァントたちはキミと縁を結んだ者たちだからね。私が判断できることじゃない。
調査に踏み込むも経過観察でも、なかったことにするでも自由だ。
キミ―――『藤丸立香』はどうしたい?」
そうして。
その声は、わたしに問いかける。
どうしたいのか。
わたしの心が、何を望むのか。
…そんなこと決まっている。
「タマモたちを…このまま見捨てることなんて、できない」
わたしは、そう宣言した。
逃げたいと思う。
怖くないと言えば、嘘になる。
それでも―――共にあの人理焼却事件を乗り越えてきたサーヴァントたちをなかったことにして見ないようにするなんて、できない。
「先輩…!」
「いよぅし!それでこそ世界を救った女の子だ!」
マシュとダ・ヴィンチの笑顔が咲き誇る。
それだけで、自分は間違ったことはしていないのだと実感できた。
きゅ、と。
胸のベルトを更にきつく締め、心を引き締める。
「それじゃ、早速説明と行こう。
スタッフ達の尽力により、無断で行われたレイシフト、その大体の時代は判別できた。
時代は平安時代の1150年、日本。那須野と呼ばれる地域の何処かだ」
1150年。那須野。
疎い日本史の知識で申し訳ないのだが、その頃は誰がその地域を修めていたのだろうか。。
そのような疑問を浮かべていると、マシュが後ろから顔を覗かせ、
「1150年は、そうですね。鳥羽上皇という方が収めていました。諸説ありますが1103年生まれで1156年に亡くなった天皇です。
玉藻の前さんの伝説にも縁深い人物でその幼名、藻女(みくずめ)と名乗っていた頃に燃えるような恋をしたと言われています。
最終的にはあの安倍晴明が藻女の正体を見破り、玉藻の前は多くの矢を受け絶命し、巨大な毒石となった―――らしいです」
と。ご丁寧に解説をしてくれた。
マシュの一時的なデミ・サーヴァントとしての能力の消失。
それが訪れてから、彼女はその知識と献身的なサポートで穴を埋めようと努力してくれている。
…有難いことだ。自分はつくづく幸せ者だと実感する。
…それは、それとして。
私は一人で那須野に向かわなければならないのだろうか?
「―――ああ、安心しな。俺っちが付いていってやる」
わしゃ、っと。
大きな掌が頭の上に着地する。
撫で回す、というには少し乱暴だった。
心無しかバチバチと静電気が髪の中で乱雑に踊っている。
ゴールデン、と。その名を呼ぶと、彼は満足そうにニヤリと笑った。
―――バーサーカー。その真名を坂田金時。
通称"ゴールデン"。
雷神である赤龍の子であり、怪物の力を継ぎ、人の道を歩んだ男。
確かに日本を舞台とした、妖怪の一種とも言われる玉藻の前の救出にはうってつけの人物かもしれない。
しれない。
しれない、が。
「あのぅ…何故貴女も…?」
「嫌やわぁ。京の舞台やないけど、小僧連れていくのにうちだけ退けモンとか泣きとうなるわ。
ま、お役目は果たしたるから、そないな怯えんとって」
「いや…俺っちが付いていくって言ったらヨ…その…ついてきて…」
白い肌に、肉体を隠すという役目すら放棄した布切れ。
声色に混じる果実の酒気。
見ているだけで、聞いているだけで蕩けそうになるその理性。
―――アサシン、酒呑童子。
大江山に城を構えた、鬼の頭領。
金時と同じく龍の因子を持つ、血と酒と裏切りに濡れた鬼。
「何が起きるかわからないんだ。戦力は少しでも多い方がいいだろう?
緊急事態でもない為、そこまで戦力は割けないがサーヴァント二騎もいれば十分さ。ゴールデンくんもいることだしね」
此方に軽くウインクを放つダ・ヴィンチ。
軽々しく言ってくれる。
まあ金時がいる限り酒呑童子もそう横暴に出ることはないだろうが、危険は危険である。
…まあ、ダ・ヴィンチのことだから安全と判断してのことだろうが。
その辺りは、信頼を寄せている。
「さ、お話はそこまでだ。既にレイシフトは準備万全さ。
後はキミがコフィンに入るだけ。まあ軽い任務だし、散歩してさっくり帰ってくるだけでもいい。
何、超手際いいさすが天才ダ・ヴィンチちゃん抱いてと言いたいところだろうけど、そこはグッと抑えてくれ。」
「貴女の後輩、マシュ・キリエライト!同伴できないのは悲しいですが、ここで精一杯サポートします!」
カシュ、と。
コフィン―――こう見ると、まるで冷凍保存される死体みたいだ―――に収納されながら、ダ・ヴィンチと頼れる後輩、マシュ・キリエライトの言葉を聞く。
共にコフィンに入ろうとしたフォウはマシュに抱えられた。
それが少し可笑しくて、笑った。
目的は玉藻の前・タマモキャットの救出。
何、特異点に望むわけでもないのだ。
ダ・ヴィンチの言う通り、軽い気持ちで望めば良い。
だから。
わたしは、いつも通り手を振り、言った。
「行ってきます」
―――だから、後から思えば、仕方なかったのだと思う。
情報が。知識が。心構えが。準備が。
何もかも、足りなかったのだ。
これは、乙女の心へ降りる螺旋階段。
その根底へと至る、物語。
―――ERROR ERROR ERROR ERROR
レイシフト強制終了───失敗。電力遮断、失敗。魔力遮断、失敗。
『ほいほい餌に引かれてよう参った―――来たからには、帰すわけにはいかんなぁ?
行きは良い良い帰りは怖い…存分に、味わってもらおうか』
.
最終更新:2017年05月22日 20:55