……微睡みの底から意識が浮上する。
すごく長い時間、眠っていた気がする――わたしは欠伸をしながら、そう思った。
いつも自分を起こしてくれる後輩の声はない。
それどころか、何故かわたしは寝転んで空を見上げる格好になっている。
そこで初めて、事態の異常性に気が付いた――あれ、此処は何処だろう?
辺りに壁らしきものは見当たらず、何かのきっかけでカルデアの外に出てしまったというわけでもないらしい。
よく解らないが、何かが起きたのは確かのようだ。
まだ倦怠感の残る体を持ち上げ、周囲を見回す。
一面、錆色の空が広がっていた。
遠くの方に見えている一際高い建造物は、塔のようなものだろうか。
そして……
「…………」
驚き冷めやらぬわたしのすぐ近くに、女の子座りをしたまま、うつらうつらと船を漕いでいる少女の姿があった。
一言で言うなら、可愛い娘だった。おとぎ話の中から飛び出してきたような少女だった。
肩にピンクのセミロングがよく似合っていて、背丈の小ささも相俟って肩に載せたうさぎのぬいぐるみがわざとらしく見えない。
女王様みたいなドレスもさることながら、右手で握ったままのファンシーなステッキは、昔見た魔法少女もののアニメを彷彿とさせる。
あと、どうしてか不思議な親近感があった。どこかで会ったような、ずっと昔から一緒にいたような。そんな、自分でもよく解らない感覚を覚えてしまう。
――それはともかく、一面に広がる錆色の景色の中で、華やかな彼女の姿はあまりにも浮いていた。……この子が、わたしを呼んだのだろうか。とりあえず起きるまで待ってみようと思った矢先、んん、とその瞼が動いた。
すぐに瞼が上がる。蒼色の、上等な宝石みたいな瞳が顔を出す。目と目が、合う。
「……! あ、あなた! あなた、藤丸立香!? カルデアのマスターで合ってる!?」
「ちょ、ちょっ、落ち着いて! 合ってる、合ってるよ……!」
小さな手で肩を掴んでぐわんぐわんと揺すってくる少女を宥めながら、私は質問に答えた。
――人理継続保障機関、フィニス・カルデア。
わたしは確かに、其処の最後のマスターだ。
いや……正確には"だった"と言うべきか。
多くのサーヴァントと大切な相棒、万能の天才、優しく頼れるドクター、戦う力はなくとも優秀なスタッフ達。
皆の協力あって、わたしは魔術王の人理焼却を阻止することに成功した。
だからもう、厳密には人類最後のマスターではなかったりする。
「よ――」
「よ?」
「よかったああああああ…………! ホント、失敗しちゃってたらどうなるかと思ったよお!!」
……困った。話が見えない。
だけどとりあえず、この子がわたしを呼んだというのは間違いないらしい。
何せこの通り、見るからに剣呑な世界だ。
カルデアの助けが欲しかったとか、カルデアに何かしてほしいことがあるとか、理由は幾らでも想像が付く。
「んーと、きみがわたしを呼んだ……でいいんだよね?」
「えっ? ……ああ、そうそう! わたしが、あなたを呼びました」
胸を張ってみせる姿は愛らしいが、それはそれとして、この状況はあまりよろしいものではない。
わざわざわたしなんかを頼ってくれたことは非常に嬉しいのだが、あくまでもわたしはただのマスターだ。
サーヴァントのように戦うことなんて出来ないし、特異点での戦いだって基本はサーヴァントありきのそれ。
そして今、わたしの傍にカルデアのサーヴァント達の姿はない。
それどころか、カルデアと通信が繋がる様子すらない有様だ。
……居るのは、この女の子。どこか懐かしさと親しみを覚える、ロリっ子サーヴァントだけ。
「初めまして、マスター。
サーヴァントが主人を召喚するだなんておかしなあべこべだけれど、気分を悪くしないでね。
わたしはサーヴァント・キャスター。本当のお名前は……ううん、もうちょっとだけ秘密にさせていただくわ」
ちょっと危険だからね、と女の子……キャスターは肩を竦めてみせる。
予想通り、自分の呼ばれた理由は"そういうこと"らしい。
カルデアの力がなければいけない事情があって、掟破りの逆召喚を行った。
となると、問題となるのはやはり――
「カルデアのサーヴァントがいないのが不安?」
そんなわたしの不安を、キャスターはくすくす笑いながら言い当てる。
少し気圧されながら、わたしはうん、と頷いた。
「ごめんね、それはわたしの落ち度よ。
カルデアは遠いから、あなた一人を召喚するのが精一杯だったの。
――でも、わたしは不安じゃないわ。なんてったってあなたは藤丸立香、人理救済を成し遂げた素敵なマスター!
そんなあなたをこうして呼べたんだから、怖いことなんて何一つないもの!」
「ちょっ、ちょっと――ちょっと待って。
キャスターはそもそも、なんでわたしを此処に呼んだの? 一応、特異点……みたいだけど」
やや不安げな言い回しになってしまったのは、ひとえに此処が特異点だという確証が持てなかったからだ。
上手く言えないけれど、何か……何かすごく、この世界はおぞましい。
今まで歩んできたどの特異点とも違う、気を抜けば自分を見失ってしまいそうな淀んだ空気。
錆色の空はとても地球の空には見えなくて、吹く風は冬でもないのに厭な冷たさを含んでいる。
もっとぶっちゃけて言うと、一分一秒として長居したくない世界だった。
此処はいつの時代で、何が起きているのか。
わたしは何をすればいいのか。
それが解らないことには、カルデアとの通信も出来ない現状、わたしとしても手の出しようがない。
その辺りの疑問に対する答えをわたしは期待していたのだが、キャスターは答えを返すのではなく、その小さくて温かい手でぎゅっとわたしの右手を握ってみせた。
「もちろんちゃんと説明するわ、責任を持って。
でもちょっと長くなるから、歩きながら話してあげる。
ちょうど、説明の一環として付いて来てほしい場所もあるしね。
……ううん、会わせたい子、って言う方が正しいかしら」
「? よく解らないけど……キャスターがそうしたいなら、いいよ」
わたしが承諾すると、キャスターは「にぱっ」という擬音が似合いそうな、花が咲いたような微笑みを浮かべる。
そうして、わたしの手を引いて歩き始めた。
端から見れば姉妹みたいに見えるんだろうなあ、この光景。
後は辺りの景色さえもうちょっと綺麗だったり現代的だったりすれば、完璧なほのぼの日常パートなんだけど……。
……。
………。
…………。
歩く。
歩く、まだ歩く。
枯れた、だとか、滅んだ、だとか、そうした枕詞がよく似合う荒廃した大地を歩く。
自分の足で大地を踏み締め、進めば進むほど、この世界の異常性を犇々と感じることが出来た。
相変わらず確証はないが、此処は多分、ただの特異点ではない。
少なくとも第一から第七までのどの特異点とも違う。
強いて言うなら近いのは第四だろうか――いや、それもあくまで近いだけ。本質は明らかに異なっている。
世界を救ったと言えば聞こえはいいけれど、わたしは相変わらず魔術師としては劣等の部類だ。
そのわたしでも此処まで理解出来るのだから、此処は本当に異常な世界なのだろう。
キャスターには、責任持ってきっちり説明してもらわないといけない。
わたしがこうやって彼女に連れられている今も、カルデアの皆はきっと心配している筈なのだから。
……もしかすると、あちらでは一秒も経っていないだとか、そんなご都合展開が起こっているかもしれないが。
「強いて言うなら、異形特異点――なんて呼ぶのが一番正しいかもね」
キャスターが、不意にそう言った。
どうやら、ようやく説明を始めてくれるらしい。
それにしても……異形、か。
「何しろ此処は、元々"何もなかった"空っぽの空間が一人の英霊の手で編集されまくった異界だもの。
まず特異点の定義からその時点で外れてるし、だから常識なんてものは一切通用しない。
住人は居るには居るけど、全員そいつに作られたホムンクルス。ふふ、終わってるでしょ? この状況」
「終わってるでしょ? じゃあないんだよ」
べし、と思わずキャスターにチョップする。
「あうっ!? いたた~……ちょっと、わたしの豊かで柔軟な想像力が無作法な刺激で失われちゃったらどうするのよっ」
どこの誰だ、その終わってる場所に呼んでくれたのは。
抗議の声は華麗にスルーしつつ、わたしは話の続きを促した。
するとキャスターは、前方を指差してみせる。
何があるのかと視線をそっちに向けてみると、……驚いた。
其処には、なんと都市らしきシルエットが見える。
キャスター曰く"編集されまくった"とのことだが、あの都市もその編集の過程で生み出されたものなのだろうか。
「正解。この特異点にはね、ああいう都市が三つあるの。もちろん全部、ごてごてと後付けされた人工の街だけど」
「確か……住人は全員ホムンクルスなんだっけ?」
「そうよ。わざわざ人間もどきを偽物の街に暮らさせて何がしたいのかは知らないけど、まあ、何か意味があるんでしょうね」
あいつは、意味のないことはしないから。
そう独り言のように付け足したキャスターの声色には、複雑な感情が見え隠れしていた。
「そして三つの都市のちょうど中心部にある城塞塔。
――それが、伏魔殿。始まりの一騎がコソコソ隠れて何かやってる最重要拠点。
本当のところ、パンデモニウムってのは都市そのもののことを指すんだけど……分かりやすい名前があるってのはいいことなのよ? "城塞塔"なんて名前で呼んでたら、どうも締まらないし……。だからその辺りは気にしないこと!」
「わたし一言も指摘してないんだけど?」
「分かってないわね。こういうワードを不用意に作中に出すと、どこからともなく○○警察が湧いてくるものなのよ。
突っ込まれないように理由付けを作中で描写しておくのは、作家の基本スキルなのだわ」
「へえ……って、キャスターって作家サーヴァントなんだ」
閑話休題。
こほんという咳払いであらぬ方向に向かい出した話を、元の軌道へと修正する。
「伏魔殿の周囲には何千、何万という魔物が彷徨いてて、おまけに塔の入口には三重の頑丈な結界があってね。
結界は、それぞれさっき言った三つの都市を任されてる三体のサーヴァントの霊核と同期されてる。
――で、もうお分かりだと思うけど、わたしがやろうとしてるのは伏魔殿の攻略。
だから、まず都市を全部制覇しなきゃいけないの」
伏魔殿を護る結界の鍵となる、三体のサーヴァント。
彼らはキャスターの話によれば各都市を支配しており、それを撃破しなければ、彼女の目的は遂げられないのだという。
なんとも難儀な話だけど、流石にこの程度じゃ頭が痛くならないくらいにはわたしも成長した。
むしろ、やることが分かりやすくて助かるくらいだ。
「一つ、冒涜都市。支配するのは悪魔みたいなライダー。
一つ、戦乱都市。支配するのは獅子王の名を持つアーチャー。
そして、今わたし達が向かおうとしてるあの街ね。支配するのは、食いしん坊のバーサーカーよ」
冒涜。
戦乱。
どっちも、物騒なことこの上ない名前だなあ。
ふむ、じゃあわたし達が向かってる街はなんて名前なんだろう。
「あの街はなんていうの?」
「殺戮都市」
「あの………………」
前途多難という次元じゃないし、一番物騒な名前が飛んできたものだから思わず言葉を失う。
しかも待つのは確実に話の通じない、如何にも凶暴そうな特徴を持つバーサーカーと来た。
作家系キャスターと基本礼装頼みのわたしの二人で、果たして生きて越えられるのだろうか。
"やることが分かりやすくて助かるくらいだ"なんて言ってた数十秒前のわたしを殴りたい。
それはそうと。
そもそもどうにか出来るのだろうかこれ、という問題は置いとくとして、わたしには一つ気になることがあった。
「ところでキャスター、この"異形特異点"をこんな風にした"始まりのサーヴァント"って……どんなやつなの?」
何もなかった頃のこの空間に紛れ込み、一から此処まで世界を編集したという原初の一騎。
件のサーヴァントは今、伏魔殿の中で何かやっているらしいが、いずれ戦わなければならないのは間違いないだろう。
心構えを作り始めるにはやや早いけれど、やっぱり最後にぶつかる相手のことは知っておきたい。単純に、興味がある。
わたしの問い掛けに、キャスターは苦い顔をしながら答えた。
「アヴェンジャーのサーヴァント」
そこで、彼女は足を止める。
それから、わたしの目をじっと見つめた。
やがて何か迷ったように口を開きかけては閉じ、を繰り返し。
意を決したように――言う。
「藤丸立香の、最大の敵よ」
――。
思考が、凍った。
心臓を握られたような気分になった。
それは、どういう。
問いを投げようとした矢先、タイミング悪くキャスターが近付いてきた街並みを指差す。
その動作はまるで、敵についてこれ以上話したくない風にも見えた。
「見て。この街、覚えがあるでしょ?」
「え?」
そんなわけがない。
わたしは此処に来たばかりだし、何も知らないからこそ彼女に色々と教えてもらっていたのだから。
そう思いながら見上げた街並みに――わたしは絶句する。
ああ、確かに見覚えがある。
忘れるわけがない、この街を。
だって此処は、あの恐ろしい魔術王と初めて邂逅した……
「ロンドン……?」
魔霧の覆う倫敦、そのものじゃないか。
「正確には再現された街並みだけど、寸分違わずあなたの通った第四と同じに出来てる筈よ」
キャスターの言う通り、景色は記憶の中の第四特異点と完全に一致していた。
一歩足を踏み入れると、あの湿ったような、独特の空気が肌に触れる。
見れば、そこかしこにあの時のような霧も確認出来る。
まさか――魔霧まで再現されているのか。
「大丈夫、"あれは"ただの霧だから」
「……例外が、あるの?」
「うん。この街で最も恐れるべき"悪霧"は、多分あなたの対毒抵抗力も貫通する。
近付いてきたら教えてあげるけど、何としてでも触れないように善処してね。
一応わたしは回復使えるとはいえ、所詮気休め程度のものだから」
魔霧ならぬ悪霧。
何としても触れるなというキャスターの忠告は、決して言い過ぎではないんだろうと思う。
……それにしても、また此処に来ることになるなんて思いもしなかった。
本当は違うとはいえ、見た目が同じなら、それはもう同じ場所のようなものなんだから。
暫く進むにつれて、風に乗って厭な臭いが鼻を擽った。
覚えのある臭いだ。この一年で何度も嗅いだ――何度嗅いでもなれるということのない、本当に厭な臭い。
臭いの発生源を推理するまでもなく、それらは路上にぶち撒けられていた。
「……っ」
元は人間だったのだろう――臓器と肉と骨とその他諸々の混合物。
徹底的に解体され尽くした死体が、そこら中に散乱している。
悲惨、陰惨、そんな陳腐な言葉では最早形容しきれない。
ああ、まさしくこういう景色をこそ、地獄絵図というのだろう。
「しっかりして」
一歩後退りしたわたしの右手を握る、彼女の力が強くなる。
名前も知らない、なのにどうしてだかとても親しみを感じるキャスター。
一人きりで呼ばれた今は、面倒の発端である筈の彼女の存在がとてもありがたかった。
「これは全部ホムンクルス、言ってしまえば人間もどきよ。
こんな光景、この世界にはそれこそ幾らでもある。特に、この街にはね。
心を強く持てとは言わないけど、負い目だけは感じたりしないように。
あなたがどんなに急いでも、彼らは絶対に救えなかった。
出来ることと出来ないこと、救えるものと救えないもの。世の中には何事も二通りあるって、知ってるでしょ?」
――そう、だ。
それを、自分は知っている。
深呼吸して、自分の頬をびしんと叩き。
改めて目の前の光景を、わたしは見た。
……負い目を全く感じるなというのは難しいけど、少しでも善処しよう。
ホムンクルスとはいえ命と心を持っていて、それを無慈悲に奪われた彼らの為にも。
「よし、いい目になったわね。それでこそ、藤丸立香よ」
「うん――ありがとう、キャスター。ところでさ……このやり方、もしかして」
倫敦と、解体殺人。
この二つのキーワードから浮かび上がる存在なんて、わたしの知る限り一つだけだ。
第四特異点でも戦った幼く、哀しい殺人鬼。
あの子が、この殺戮をやったのだろうか。
しかし、予想に反してキャスターは首を横に振った。
「合ってるけど、少し違うわ。模範解答ではあるけど真実じゃない」
「……どういうこと?」
「此処の支配者は確かに霧夜の殺人者……ジャック・ザ・リッパーその人よ。けどね」
くるんと、その場で身を翻して。
いたずらっぽい微笑みを浮かべながら、キャスターはわたしに言った。
「会わせたい子がいるって言ったでしょ? その仔もね、ジャック・ザ・リッパーっていうの」
あなたの知ってる、アサシンのね。
最後に、そう付け足した。
最終更新:2017年06月03日 21:35