「良かった、マスター。無事合流できて……しかし、なんという格好をしているんですか、マスター?
ああ大変だ、怪我……していますね」
「いっいやぁそんな……そんなに、大したこともないって言うか……!!」
「少しの傷でも見逃せません、感染症にでもかかると大変ですから。
さぁ、見せてください、マスター。この僕が治療しましょう」
「えっ、えっと……わ、わかったけど、ちょっと待って……!!」
オーケイ、オーケイ、状況を整理しよう。
わたしは今、これはきっと、ちょっとばかし危うい状態にある。
はずだ。
推定年代は不明、座標も不確定。かろうじて分かるのはヨーロッパ……イタリアのあたりだということ。
そんな不安定な特異点にレイシフトしたわたしが真っ先に出会ったのは、人はもちろん、モンスターとも形容し難いような……形が崩れた、土人形だった。
それも、とびっきりの敵意むき出しの。
味方も居なくて窮地!ピンチ!そんなところに思わぬ助っ人が現れ、今に至る。
周囲にはすごく大きな茨の生垣。もちろんそれを構成している茨のトゲも大きくて、殺傷力はそれなりだと思う。
痛かったもん。
カルデアとの通信は切れている。
ここに到着した時には確かに繋がっていたはずだけれど、先程の戦闘からぱったりと途絶えてしまった。
目の前には……知ってる彼。わたしの頼れる仲間、異形の怪物に襲われていたわたしを助けてくれたサーヴァント。
いつもの十字をあしらったロングコートに、いつもの表情、いつもの声。
アサシン、シャルル=アンリ・サンソン。
そして、わたしは。
ところどころ破けたカルデアの制服姿で、地面に転がって、彼が捲ろうとするスカートを抑えて抵抗している。
……なんとも第三者の誤解を招く絵面である。
彼、サンソンの名誉の為にも説明しておこう。
確かにわたしは先の戦闘のせいで怪我をしている――それも太ももの辺り、スカートで少し隠れる位置。
それにわたしは治療を受ける気もある、ただ、ただ。
「その、そんなにしなくても、わたし暴れたりしないから!!」
彼にそんな下心なんてないと知っていても。善意の行動であると知っていても。
英霊とは言え男性に押し倒されて、スカートに手をかけられたら、抵抗するなという方が無茶だと思う!
わたしの必死の形相に、サンソンはぱちくりと目を瞬かせて。
「……ああ、これは失礼しました」
無事、わたしの身体は自由を取り戻した。ふう、と安堵のため息が漏れる。
サンソンってこんなに積極的だったっけ……なんて、まだ心臓の鼓動が速いままなのを感じつつも彼のほうを見た時――
「ええ、本当に。あと数秒貴方が退くのが遅かったら、力尽くでも彼女から引き剥がすところでした」
――三人目の、声がした。
◆◆◆
神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は、苦しんで子を産む。
お前は男を求め
彼はお前を支配する。」
――――創世記3:15
◆◆◆
啜り泣きが聞こえる。
ごめんなさい、ごめんなさいと震える声が言う。
あなたを産んでしまったから、あなたが産まれてしまったから。
ごめんなさい、ごめんなさいと声は繰り返す。
「では、産まなければいい」
啜り泣きの主はゆっくりと顔を上げる。
視線の先には、一人の若い男。
どうして。
彼はその問いには答えない。
整った顔を半分覆い隠す、柔らかな前髪をゆらりと揺らして男は微笑む。
その左手には、血のように紅い葡萄酒で満たされた、輝く杯が握られていた。
◆◆◆
「……おや」
「あっ……まくさ……!?」
「はい、貴女のルーラー、天草四郎です。マスター、お元気そうで何よりですね」
三人目――天草四郎はにこやかに笑う。いつから居たの君。
「戦闘を行っている気配があったので、もしやと思って駆けつけたらこの様ですよ。
いえ、マスターの趣味に口を挟む気など毛頭ありませんが、このような敵陣の真っ只中とも言える場所であられもない姿を晒すのはあまりお勧めしませんね……」
「あのね!?違う!違う違うから!!」
「ははは、誰かさんに似てきましたねマスター」
軽口を叩きながらも天草はわたしとサンソンの間に立つ。自然に。
そうそれは不自然なほど、自然に。
わたしが気付くのだ、勿論サンソンもその違和感には気付いたらしい。
「……何の真似だい」
「おや、貴方が一番理解していると思いますが」
警戒心の露わな瞳のサンソンとは対照的に、天草四郎は。
「どこの誰とも知れない輩がマスターに近付いているとなると、黙ってはいられないじゃないですか?」
にっこりと、笑った。
◆◆◆
金の喇叭を撫でる手を止め、少年はゆらり、と顔を上げる。
歳に合わぬ白い髪、遠くを視ているかの様な透き通る青い瞳。
陶器のような雪花石膏の肌に映える、薔薇色の唇が開く。
「来たね」
声が答える。
「あのおねえちゃんはどうかな」
少年の周囲に人影はない。
「きっと味方だよ」
少年は声に笑いかける。
「おねえちゃんはつれていってくれるかな」
また、声。
「ああ……きっと、救ってくれるはずさ」
悲しげな瞳、総てを赦す瞳で、 少年――――アヴェンジャーは微笑んだ。
◆◆◆
「……へぇ」
天草の言葉にサンソンの目が険しくなる。
――けれど、けれど、彼の口元は笑っている。
「おや、否定しないんですね。こういう時は往生際悪く言い訳をして足掻くのがセオリー通りの展開だと思ったんですが」
「はは、ははは」
さも可笑しいと言ったようにサンソンは笑う。笑って、わたしを見る。
見覚えがある。その瞳は。
涼しいはずのサファイアが、違和感を感じるほど、熱を帯びているのは。
そう、それは、あのとき、フランスで。
「肯定も否定もしないよ――だが、安心してほしい。僕はマスターに危害を加えるつもりは毛頭ない。
……まあ、天草四郎、君は随分と僕を警戒しているようだから、こんな言葉では信用するに値しないかもしれませんが」
バーサーク・サーヴァント――――目の前の彼が、あのオルレアンで出会った彼の姿と重なる。
でも、でも。
それとは違うんだと、わたしの感覚が告げる。
「マスター。この刃は貴方の為に振るうと、そう決めたのだから」
わたしの瞳をまっすぐに見つめて、優しく微笑んで、処刑人は言う。
「貴方が望むならば、いえ、望まざろうとも。僕は貴方を守ります。
貴方を守る為ならば、僕はそう――何人でも、殺せるからね、マスター」
ぞくりとした。
「……今、な、んて」
「はぁ、やっと気付きましたか。全く困ったマスターですね」
大人しかった天草が呆れたように言う。黙っていてほしい。
わたしはサンソンを見る。
そんな、そんな、信じたくない。わたしが信じて、わたしに力を捧げると言ってくれたサンソンは、
「ええ、殺せます。殺しましょう。裁きましょう。マスター。貴方の為に、貴方の名の下に。
貴方を害する者には総て、この僕が罰を与えよう」
――――処刑人であって、殺人者ではない。
「……歪むんですよ。此処では」
愕然とするわたしを横目に、天草四郎がぽつりと言う。
「彼のように……抱く思想が人道的であればある程、道徳的であればある程、この永久都市ではズレて、歪むのです。
そしてその産物は最早、別物と呼ぶに相応しい」
天草は続ける。
「そうでしょう、バーサーカー……シャルル=アンリ・サンソン」
サンソンは笑みを絶やさない。
「さぁ、どうだろうね。それに……君こそどうなんだい、天草四郎」
「私ですか?私の願いは世界の恒久的な平和ですからね、それこそ理想的過ぎるが故に歪みようが無かったんでしょう」
天草は両腕を広げて自信満々に笑う。この通りルーラーですからね、と。
サンソンもそれに応えて笑う。傲慢なお方だね、と。
わたしはそんな二人についていけない。
だって、だってそんなの、あまりにも。
あまりにも、酷すぎる。
――『でも、処刑と殺人は違う!否、違わなければならない!』
彼の言葉が蘇る。
悩み、苦悩し、罪なき人間を殺すことを何よりも嫌がったのが、この処刑人――シャルル=アンリ・サンソンではなかったか。
そんな、そんな、サンソンの苦しみを、経験を。
全部全部踏みにじるような仕打ちは。
「ゆるせ、ないよ……っ」
何としてでも、特異点を修正する。
こんなふうに、歪まされて、台無しにされて、踏みにじられているのはサンソンだけではないかもしれない。
「マスター、いかがなさいましたか」
ぐす、と鼻をすすって前を睨むわたしを見てサンソンが困ったように言う。それがまた、つらかった。
わからないのだ。今の彼には。
これがどんなに酷い仕打ちなのかが、わからないのだ。
そして、そんな彼に対してわたしが今すぐにできることも、ないのだ。
「……とにかく、今は、今は、カルデアと連絡をとらなきゃ」
そう、最優先すべきことはこれだ。
通信が途絶えてマシュにもダヴィンチちゃんにも心配をかけているに違いない。
そもそも、なぜ通信が切れているのだろう?
「この生垣のせいですよ」
周囲にそびえ立つ茨を見上げながら天草が言う。
……というか、これ、何?
「詳しくはわかりませんが……おそらくは何者かによる宝具と考えるのが妥当でしょう。
そう、これは唯の生垣ではありません」
マスターに合流するまでにある程度把握しましたが、と天草は一呼吸置いて言い放つ。
「茨で出来た巨大迷路――迷路園です」
最終更新:2017年06月14日 19:54