【1】
「ここまで来れば安全だろう」
召喚した使い魔に運ばれ、どうにか逃げおおせたジェロニモと立香。
安全地帯であろう路地に移動した彼等は、これまでを振り返る。
自分達の前に現れた、あの軽薄そうなセイバーの事である。
「何だったんだろう、俺を凄く憎んでたみたいだけど……」
「恐らく君個人への恨みではない。君に流れる血を憎んだのだろう」
「俺に流れる血って……つまり?」
「日本人が憎い、という事さ」
「日本人が憎い」という言葉に、立香は怪訝そうな顔つきを浮かべた。
現代人である彼からすれば、馴染みの薄い言葉であろう。
「日本に祖国を奪われた、あれはそういう英霊なのかもしれない」
「日本人に領土を奪われたって、第二次世界大戦の……?」
「それだけではないさ。今の北海道や沖縄も、元は日本と異なる地だ」
そう、かつて沖縄県は琉球王国であり、北海道はアイヌの地であった。
日本の民は何年も昔に、彼等の国を吸収するかの様に滅ぼしている。
そして第二次世界大戦の頃も、彼等はアジアで略奪を行っていた。
恨まれる筋合いが、決してない訳ではないのだ。
「恨みとは恐ろしく強い力だ。己をも焼き尽くす諸刃の刃だ。
ただの人間を血濡れの鬼にだって変えられる、そういうものなのだよ」
どこか昔を思い出すかの様に、ジェロニモは言った。
彼自身、かつて領土を奪わんとする者達に歯向かった戦士の一人だ。
侵略者に家族を奪われた彼は、文字通り鬼の如き戦いぶりを見せたとされている。
そしてそれ故に、ジェロニモはセイバーに思う所があるのだろう。
侵略者達への憎しみは、かつて彼自身も持ち得ていたものなのだから。
「……ジェロニモはさ、今でもアメリカの人達が憎い?」
「恨みがないと言われれば嘘になる。
だがね、それは本来内に秘めるべきものだ。
あのセイバーの様に、今を生きる君に向けるべきものでは無い」
ジェロニモにとって、アメリカ人は憎むべき侵略者である。
願望器である聖杯の力を用いれば、彼等への復讐も可能であろう。
されど、彼は決してそれを実行に移さないし、元より移すつもりもない。
ジェロニモにとっては、この怒りは既に過去の遺物でしかないからだ。
過去の為に未来を捻じ曲げるのを、彼は良しとしていなかった。
「セイバーにも憎むべき事情があり、恐らくは同情し得るものなのだろう。
だが、それを君に向けるのなら話は別だ。君は間違っていると、彼に突き付けるだろうさ」
「ジェロニモ……」
「過去からの復讐者に未来が屈するなど、在ってはならないのさ。そうだろ?」
それを聞いた立香は、ジェロニモに質問したという事実を深く恥じた。
彼がセイバーの様な恨みを抱える者でない事くらい、分かっていた筈だろうに!
「……そうだね、行こうジェロニモ。他の仲間を探さないと」
「ああ、ここで立ち止まっている訳にはいかないな」
心機一転、立香はジェロニモに移動する旨を告げた。
仲間のサーヴァントとの合流は勿論、此処で何が起きているのかを知りたい。
その為にはまず、街の様子を調べてみるべきだと考えたのである。
【2】
ジェロニモ達が逃げ出した小道は、開けた場所に繋がっていた。
まずは動かねば始まらない、二人はそこに目指して歩き出す。
「あのサーヴァントといつ出くわすか分からない。警戒しておけ、マスター」
「うん……きっとアイツ、万博にいるんだよね」
「その可能性は高いだろう。この騒動に一枚噛んでいるのは間違いない」
「なら今から万博に行くのは危険って事か……」
「そういう事になる、此処は地道に探索を続けるしかないだろう」
そんな会話をしている間に、二人は小道を抜ける。
開けた土地に出た彼等を待っていたのは、巨大な一つの山であった。
「……こんな場所に、山?」
一見すると、確かにそれは山に見えるだろう。
土で造られた普通の山などでは決してない、もっと歪な代物だ。
それには沢山の眼が、耳が、口があった。
腕があり、脚があり、髪があり、性器さえあった。
人が持つべきそれらを、山は文字通り山ほど備えていた。
「……なんだこれは。怪物の類、では……!?」
違う、それは決して山などではない。
無数の何かが積み上げられ、山の形を成しているだけだ。
手足や眼球を持ち、口や耳を有した物の群れなのである。
「ジェロニモ……これ、人間だ。全部、全部、人間の死体だ!」
土気色をしたそれは、人の屍骸の塊だった。
先程まで命だった筈の物が、ただ無造作に積み上げられている。
まるで塵か何かの様に、命の抜け殻が捨てられていたのだ。
そしてそれらは、その悉くが日本人であった。
老若男女問わず、あらゆる日本の民が死んでいた。
この地で生まれた人間が、悉く死に絶えていたのである。
悍ましい激臭に鼻腔を刺され、立香はようやく理解した。
この世界はもう、立派な異界へと変異している事を。
特異点という名の地獄は、既に顕在していたのだ。
「事態は我々の想像を遥かに上回っているようだ。
急ぐぞマスター、私の見立てが正しいなら、彼女が危ない」
「日本人……そうか!マズいぞキャスター、一刻も早く見つけないと!」
【3】
「奴等は死なねばならない」
アヴェンジャーが紡いだのは、憎悪の言葉であった。
ただ一つの民族へ向けた、混じり気の無い憎しみである。
そしてその感情を、付近にいるセイバーは黙して受け止める。
「あれらはそれだけの罪を犯した。清算の時がようやくやって来たのよ」
セイバーはやはり黙ったまま、一つ頷いてみせた。
彼自身もまた、晴らさねばならない恨みを抱えている。
日本人に裏切られた憎しみが、彼を狂乱に駆り立てるのだ。
「今こそ3000年の恨みを今こそ晴らす時。異論は無いわね、セイバー?」
「勿論だとも。元より俺達は、その為に召喚されたんだから」
そう言ってセイバーは、軽薄そうに笑ってみせた。
いや、歪んでいるのは口元だけで、瞳はまるで笑っていない。
依然彼の眼には、憎しみの劫火が揺らめいていた。
「何百何千何万死のうが構わないさ。こんな劣等共」
「そう、まだ憎み足りないのね。偉いわ」
そう言ってアヴェンジャーは、くすくすと笑ってみせた。
以前ライダーにも見せた、心からの歓喜の印である。
彼女はセイバーの憎しみを垣間見て、喜びを隠せないでいたのだ。
「ならば行きましょう、蕾が開く日は近いわ。
後はキャスターを捕え、カルデアのマスターを始末するだけ……」
「やっぱり必要不可欠なのかい、あの男は?」
「ええ、あの子無しでは始まらないもの」
二人は踵を返し、拠点である万博に移動を始める。
特異点と化した昭和の街並みを、彼等は歩きだした。
歩く彼等の横を、一頭の馬が通り抜けた。
立派な毛並みをしたそれには、一人の兵士が騎乗している。
中世の鎧を纏ったその兵士は、昭和の風景とは恐ろしく似合わない。
駆け抜ける馬に追走するのは、一人の日本人であった。
駿馬に縄で繋がれ、引き摺られ続けているのである。
何時間も地を擦っていたのだろう、穴だらけの服からは、生々しい傷が見え隠れしている。
それを尻目に、二人は他愛のない話を続けている。
歩く彼等の左を見れば、若い女が兵士に犯されていた。
女の方はやはり日本人で、兵士は馬に乗っていた者と同じ装備をしている。
泣き叫ぶ彼女を殴りながら、男がただただ腰を振っていた。
「やめてください」と女が啼く度に、兵が彼女の頬を殴りつける。
女の股からは血が流れ出ているが、兵士はまるで気にも留めていない。
それどころか、「もっと喘げ豚め」などと口走っている始末だった。
それを尻目に、二人は他愛のない話を続けている。
歩く彼等の右を見れば、何人もの兵士が一人の少年を解体していた。
少年は十七歳程度の年頃で、兵士達は先の兵と同じで、時代錯誤な鎧を纏っていた。
皆が剣を片手に、一人ずつ少年の身体を切断していた。
痛い痛いと、少年は絶え間なく泣き叫び続けている。
そんな少年の様子を見て、兵士達はケラケラと笑っている。
まるでそれを至高の娯楽と言わんばかりに、彼等は拷問を続けていた。
それを尻目に、二人は他愛のない話を続けている。
二人にとっては、これらは全て日常茶飯事だった。
日本人が虐殺され続けるのは、日常風景と化しているからだ。
この世界において、最早彼等は人ではない。ただの犬畜生と同類である。
日本を憎む者にとって、この世界は紛れもなく楽園である。
されど、日本に住まう者にとって、この世界は間違いなく地獄であった。
大和、死すべし。
誰かが、憎々しげに呟いた。
最終更新:2017年11月14日 03:10