異界・信州 その1

カルデアのマスター、藤丸立香が最初に見た光景は、人の手が加わっていない森林内部であった。鼻には土と植物の香りが、耳には鳥の囀りと風に揺れ葉を擦り会わせる音が。そして時折木々の隙間を縫って零れ落ちる日の光が、心を溶かす。そののどかな光景に藤丸は、随分前にレイシフトした平安の桜を思い出す。

「いやあ、分かります。沖田さんにもマスターの今の気持ちが十二分に分かりますとも。これが特異点でなければ、のんびり出来たことでしょう」

あさぎ色にダンダラ模様をあしらった陣羽織を着た銀に近い白髪のサーヴァント、沖田総司はそうマスターに語りかける。その言葉に思わず首肯を返しそうになるが、今度はそこへドスの利いた男の言葉が飛んできた。

「沖田。何を寝惚けたことをぬかしてやがる。特異点である以上、ここは既に戦場。気を抜いているようならば―――」
「分かってますよ、土方さん。いつ何時敵が襲ってくるとも分からぬ以上、気を抜くような真似はしません。そんなことをすれば、マスターも危険に晒すことになります」
「分かってるならそれでいい」

西洋風の意匠の服を纏い、腰には刀とホルスターに差した火縄銃が特徴のサーヴァント、土方歳三が放った背筋に氷柱を突っ込まれるような言葉を平然と受け流していく沖田。流石は誠の旗に集った新撰組であると、そのやり取りから改めて思い知る藤丸であった。
と、そこでカルデアからの通信が入った。

「テステス。藤丸君。こちらの声は届いてるかな?」
「ダ・ヴィンチちゃん。こちらは問題なく聞こえてますよ。映像も見えてます」
「こちらからも先輩達の姿が確認とれました。通信状況は良好のようです、ダ・ヴィンチちゃん」
「よし、今回のレイシフトは異常なし、と。お供の二人の反応も有るし、一安心と言ったところかな」

カルデアの通信から、限カルデアの代理管轄者にしてキャスターのサーヴァント、レオナルド・ダ・ヴィンチと、円卓の騎士の力を宿した(今は何故かその力が使えない状態ではあるが)デミサーヴァントにして藤丸の頼れる後輩、マシュ・キリエライトの声が届く。自身が生きている時代から遠く離れた場所ではあるが、その声を聞くだけでも心がスッと落ち着いていくのを藤丸は感じていた。

「では次はそちらの情報だね。三人とも、こちらに映像として確認がとれるもの以外で、異常は見られるかな?」
「沖田さん、何かあるかな?」
「と言われましても、人影なし、敵意や悪意なし、強力な魔術的気配もない状態です」
「何でも構わないよ。事前に説明した通り、この特異点は、文字通り突然その時代に出現している。それも我々が知り得る当時の信州の一角から大きく変質した状態で、だ。加えてどういうわけか、こちらの機器でそこら一帯をスキャンしてみても殆どがアンノウンとなっている。だから本当に何でもいいんだ。それが手掛かりになるかもしれないからね」

ダ・ヴィンチの言葉を受け、藤丸は改めて周りを見渡す。信州の一角、その中でもスタッフの事前調査で極めて安全性の高い場所へレイシフトを行っている。だから危険性や異常の見られないこの場所はそれで正しいと感じた。が、沖田と土方はまた違う意見を伝えた。

「強いて言うなら、やはりこの静かさが異常だと思いますけど」
「安全な状態が異常、ですか? それは何故です、沖田さん」
「敵は此方の調査の妨害を行っているんだろう? つまりこっちの事を把握してるってことだ。にも拘らず、何故安全な場所を残し、且つそこを中心に俺達を奇襲する配置をしていねえのか、ってことさ嬢ちゃん」

その言葉に納得するマシュ。それとは対照的にダ・ヴィンチは眉をしかめて静かに唸っていた。

「どうした、何か引っ掛かることでもあったのか?」
「いや、引っ掛かることなら今は山程あるとも。しかし現状では君の言う通りかもしれない」
「じゃあ、ここに留まっているのは危ないってことだね、ダ・ヴィンチちゃん」
「その通りだ。というわけで、現在地から最も近くに有るとされる村への移動を開始してくれ。この異界内部の周辺調査はこちらでも行うけれど、今回は君達の直感や経験に頼る場面も出てくるだろう。何かあれば即座に行動してくれ」
「言われずとも、我々新撰組はマスターの安全を第一に行動しますので、ご安心を!」

そう言って沖田は刀を構える。土方は特に何かを言うことはなかったが、沖田同様刀を抜き藤丸の前を先に進み始めた。

「ところでダ・ヴィンチちゃん。一つ質問してもよろしいでしょうか」
「引っ掛かってることについて、かな?」

通信を一時終えたマシュはその返しに静かに首肯した。ダ・ヴィンチは一考した後に、モニターのデータを睨みながら答えた。

「特異点内の情報を魔術的に防衛し、安全な地帯のみをこちらへ開示する。確かにその点のみで語るならば土方君の見方は間違いではない」
「では、他の可能性があるということなのですね」
「勿論。さっきも藤丸くん達に言ったけれど、ここは信州であって信州ではない、異界のような場所になっている。これ程の変質を一切観測させずに行うのは至難だ。それこそ人利焼却位の計画性を必要とするだろう」

マシュは静かにダ・ヴィンチの言葉に耳を傾ける。先輩と敬愛する藤丸を直接守ることは出来ない。だが、手助けになるならばどのような情報も聞き漏らさない、そんな気迫に満ちていた。

「だから、私は二つの可能性を考えているんだ。準備が完了したため隠す必要がなくなったのか、何か不足の事態が発生し防衛機構に穴が出来たか、だ。」



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序章 羽化 山間妖魔戦線 信州  

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最終更新:2017年07月05日 09:36