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レイシフトを終えゆっくりと目を開くとそこは応接間のテーブルで、向かいのソファには魔神柱が座っていた。
「身の危険に心を配る必要はない。我におまえをどうにかしようという意思はない」
目玉のこびりついた多肉植物のような人型は僕に話しかけている。
「我はおまえを待っていたのだ」
同行したサーヴァントは誰もいない。カルデアとの通信も全く繋がらない。
「ここは大美術館ポンペイ。我が死地である。時間神殿では世話になった」
恐れていた事態が起こった。いくら自分が強靭なサーヴァントたちのマスターであったとしても、僕自身の身体能力はただの人間である。敵からのちょっとした攻撃ですぐに潰れてしまうだろう。
僕がレイシフトしてくることを想定した攻撃をされると防ぐ手段がない。「出待ち攻撃」を防ぐ手段が全く無いのである。
「我はあの時間神殿にて、おまえとサーヴァントらと戦闘したソロモン七十二柱のひとつである。我が姿を記憶しているか? 既に致命傷を負っている。もう長くはない」
サーヴァントを呼ばなければ。令呪を使う。誰でもいい。来い――!
「我が名はセーレ。ソロモン七十二柱が一柱であり、個を獲得した魔神である」
誰も来ない。おかしい、亜種特異点の修復のため、いつものように護衛のサーヴァント数騎と共にレイシフトをした筈なのに。
落ち着け。この状況が敵の策略にかかった結果だとすれば、勿論サーヴァントを喚ばさせないような細工をするはずである。罠にかかってしまったものはしょうがない。単独で、どうにかして生き延びなければ。ガンドは撃てるだろうか?
「人間は話し合いの場に置いて液体を必要とするのであったな。なにがいいだろう。答えよ」
人形は頭部の裂け目を動かした。もしかして笑いかけようとしているのだろうか。だとしたら下手くそだ。僕は平静を装い、アイスココアを、と注文した。
「アーチャー。用意せよ」
僕の後ろにも一人の男が立っていたのに気づいた。礼服の青年である。サーヴァントだとわかった。部屋には僕と彼と魔人のみである。嫌そうな顔をし、無言で部屋を出ていった。彼がアーチャーなのだろう。
「アーチャーもおまえを脅かす者ではない」
魔神セーレはのそりと立ち上がった。同じ様な見た目をしていたゲーティアやバアルに較べ、彼は随分背が低かった。自分とそう変わらないようにも感じる。人ならざる魔神に遭遇しても、見慣れてしまえば余裕の出るものだなと他人事のように思った。
セーレは窓際にのしのしと歩行し、そこから外を望んだ。僕も彼に従い隣の窓に寄り、それを開いた。風通しがよくなる。久々に呼吸をした気がした。
下は小奇麗な広い中庭であり、気持ちのいい公園のような空間だった。しかし人は誰も見えない。ここは大きな建物の一部なのだろうか? 中庭だけでなく、見渡す限り人の気配はない。
「美術館である。我が最後の力により建設した。見よ、そこに立つスフォルツァ騎馬像はレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作である。その復元だがな。しかし躍動的で美しい。やあ、その左側はマルセル・デュシャンの泉という作品だ。いやはや、難しいものだな。その更に左に続くのはパブリックアートというもので――」
魔神は中庭に配置されたオブジェ、作品群を指し、一つ一つ簡単な解説を僕にしている。僕としては、適当に相槌を打ち愛想を振り撒いておいた方がここを生き延びる可能性は高くなるのだろうか。
先程の礼服のアーチャーが部屋に戻ってきた。湯気の立つカップを一つだけ持ってきている。
「ご苦労である。客人をもてなすとしよう」
ホットココアは上品な味がした。一口啜ってから自分の手が震えていないのに気づいた。肝っ玉の太くなったものだ。頼りのサーヴァントが誰もおらず、知らないサーヴァントと魔神に睨まれているこの状況でも、なんとかなるだろうと冷静になってしまっている。
「時間神殿での戦争の後、我は息絶える前にそこを脱出し、漂流を続けた。そして目指したのがここ、ポンペイである。何故ならば、好きなものに囲まれて死にたいと思ったのだ。
我が力を行使し美術館を建て、ソロモン七十二柱として誕生してから紀元二千十六年までの期間の全ての、人間による芸術を召喚した」
好き勝手やってくれるな。軽いノリで亜種特異点を造るんじゃない。時間神殿にて丁寧に止めを刺しておかなかったのが悔やまれる。脱出し放題ではないか。
「ここには全ての芸術作品がある。絵画も、彫刻も、文学も、音楽もある。これがこのポンペイ大美術館のパンフレットだ。美術館にはパンフレットが必要である。これも我が制作した」
アーチャーが懐から分厚い紙束を取り出した。机に広げると、この建物の全体図であることがわかった。美術館、音楽ホール、図書館、公園、建物群などしっちゃかめっちゃかにくっつけたような巨大な塊だった。そして冗談のように広い。
「全ての作品というのは言葉通り嘘偽りなく、本当に全ての作品である。おまえの赤子のときの落描きなども全て欠かさず召喚した」
この魔神が妙ちきりんな美術館を建設し、それが巨大な亜種特異点となったのだ。
「おまえの鼻歌、暇つぶしの口笛なども全て記録してある。おまえだけでなく、全ての人間のものもだ。ホールにて聞ける。演奏する人はいないため、空より出る音を聞くことになる」

紀元七十九年のポンペイ、それはかの有名なヴェスヴィオ火山の大噴火の年である。
この年、古代都市ポンペイは噴火による火砕流に埋もれ、一夜にして壊滅した。ローマ時代に栄えた高度な商業都市であり、華のある都だったという。
ここに住んでいた人々はどうしたのか、と聞いた。
「追い出した。人間たちに構わずその上から建設してもよいとも考えたが、大きな動きをすれば必ずおまえがやってくるだろうとも思い、適当に脅して立ち退かせた。元から滅びる街だ。埋まってしまえばこの美術館はなかったことになる。おまえも文句は言うまい」
僕は安堵した。この言葉を聞いて、この魔神に少なくとも今の時点では敵意がないと、何となく感じた。史実の上ではポンペイには三万の人々が住んでおり、噴火によりその十分の一が死亡したといわれる。本当に人々を立ち退かせたのなら、三千人の死を回避したこととなる。魔神が人を救けるなんて、少し前までは考えられなかった。
「勘違いをするではない。人間を傷付けたくなかったわけではない。我は単に、おまえが恐ろしかったのだ」
アーチャーが何故不機嫌そうな顔をしているのかわかった。彼は不機嫌なのではなく、僕を信用していなかったのだ。魔神から、僕に加勢してくれたサーヴァントたちを恐ろしいものだと大袈裟に聞いていたのだろう。振り返ると目が合った。少しでも信頼を得るため、微笑むなどしてみた。
ところで僕と共にレイシフトしてきたサーヴァントたちはどうしたのか、カルデアと連絡をとれないのはなぜか、と質問した。
「ここは美術館である。人間ならざるものは芸術作品しか立ち入れない。弾かれ、レイシフトに失敗したのであろう」
それは困る。カルデアでは今頃大騒ぎだろう。今頃といっても二千年ほど未来だが、というのはいいとして。
「二つ目の問いについても、繰り返すが、ここは美術館である。撮影、通話は厳禁なのである」




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最終更新:2017年07月17日 08:21