第三節:焔煌く獅子の王(1)


 彷徨う夢の中で、わたしは揺蕩う。
 眩しかった。視界を埋め尽くすのは昼色の陽光。
 辺りを見渡せば、絵の具で采色したみたいな鮮やかな緑の草原。
 遠くの方にはどこまで続いているのかも判らない深い森が見えていて、吹く風に混じる青臭い香りが心地よい。

 どこだろう、此処は。
 何も解らない。情報が出て来ない。
 なのに、わたしは不思議な確信を持っていた。
 この場所を、わたしは知っている。昼色の光に満ちた草原を、知っている。

 その時不意に脳裏を過ぎったのは、あの子のことだった。
 サーヴァント・キャスター。真名を、ルイス・キャロル。
 ……マスターは、時々使役している英霊の生前の記憶を夢で垣間見ることがある。
 多分これはそれなのだろうと、わたしはそう解釈することにした。

 だってこの景色は、あまりにもあの子らしいから。
 夢と幻想で満たされた昼色の世界。ワンダー・ランドへの入口。
 此処には何もないけれど、何にでもなれる可能性が満ちている。
 不思議の国のアリス。その、原風景。

 不意に足を止めて、ごろりと緑の絨毯に寝転んだ。
 あったかい。背中や手足を通じてじんわりと自然の暖かみが伝わってきて、意識がうつらうつらと揺らぎ出す。
 夢の中で眠気に襲われるというのも妙な話だけれど、眠くなったんだから仕方がない。

 ――この世界は、一体どこまで続いているんだろう。

 子供の頃は、よくそんなことを考えていた。
 特に、こういう広大な自然の中に立つと尚更。
 もちろん現実には無限に続く世界なんてものはありえないが、それを夢見られるのは子供の特権だ。

 いつから、人は幻想を捨ててしまうのだろう。
 年を取り現実を知るにつれて、人は夢見る心をなくしてしまう。
 それが必ずしも誰かをつまらなくしてしまうという訳ではないけれど、心の何かを変えてしまうことは確かな筈だ。

 生涯ずっと子供の姿と心を持っていたというキャロルは、きっと何も失わなかったのだ。
 幼い日の夢も憧憬も探究心も、何一つなくさないまま歳を重ねて、その心象を描き出し続けた。
 そうして完成したのが不思議の国と鏡の国。今も世界中の子供達の心を豊かにしている、世界で最も有名な童話。
 童話の神様という異名も、あながち誇張とはいえないだろう。

 ……意識が、沈んでゆく。
 夢の底から現の底へ。音もなく、静やかに。
 その最中、ずっと忘れていた大切な何かを思い出しそうになって――

 耳を劈くような激しい轟音に、思い出しかけた何かもろとも、優しい夢の世界が掻き消された。




「灼き尽くせ、獅子の眼光よ」

 空が燃えていた。
 地が焦げていた。
 押し寄せる熱波が、織田の城を直炙りにする。
 常人が相対すれば一瞬で重度の熱中症を引き起こして昏倒するか、最悪その場で死体に変わる程の熱量。
 その只中に立ちながら眉一つ動かさず、氷が如き鉄面皮と揺るがぬ足取りで城へ前進する女の姿がそこにある。

「勝利の凱歌を天地に刻め。そして吠えるのだ、我らは此処に居ると」

 露出の多い服装は滑稽に映って然るべきである筈なのに、彼女が纏えば神々の化身でも降り立ったかのように見える。
 総じて、現実離れした――もとい、人間離れした女であった。
 故にこそかつて人は、彼女を指してこう評したのだ。
 "獅子王"、と。聖槍担いし女神が獅子の如き高潔さを持つ王ならば、戦乱都市の彼女は獅子の獰猛さを持つ王である。

 焔の獅子王は神に非ず。
 焔の獅子王は魔に非ず。
 焔の獅子王は星に非ず。
 彼女は産声をあげ、戦場で果てるその時まで、一度として人以外の何かに成った試しはない。

 ……だが、彼女が人に生まれるべきでなかったことだけは確かだろう。

「――さあ。応報に来たぞ、第六天魔王」

 獅子の足が止まる。
 その繊手が、ぱちんと指を鳴らした。
 その時火花が散った風に見えたのは、果たして幻覚だろうか。
 次の瞬間、獅子王の背後、紛れもなく虚空である筈の空間より、あり得ないものが顔を出した。

 火砲(・・)だ。

 それだけではない。
 野戦砲、大砲、銃器、etcetc――
 彼女の時代に存在していたのだろうあらゆる重火器が、一切の法則を無視して出現する。 
 戦場の王に命ぜられたならそうするのが道理と、その挙動はある種忠臣めいてさえいた。

 これぞ紅蓮なる獅子王の第一宝具。
 名を、『三兵式大隊(スウェーデン・ムスペルヘイムバタリオン)』。
 単騎にして千の軍勢にも匹敵する火力を実現する、尽きることない砲撃という戦場の理想像。
 一度火を噴いたなら、織田城は少し焼ける程度では済まないだろう。
 砂の城に枝を大量に突き刺して崩壊させるように、貫通力と破壊力の前に織田の居城は脆くも儚く燃え落ちる筈だ。

 だからこそ、それを解っているから魔軍の長も黙ってはいられない。
 少なく見積もって百は超えるであろう砲口の全てに、凄まじい破裂音と共に神秘を帯びた弾丸が打ち込まれた。
 銃撃の主など、一人しか居ない。
 辟易したように苦笑しながら、自分の時代に似合わない軍服をはためかせ、獅子の宿敵が姿を現した。

「相変わらず派手好きじゃのう、そなたは」
「被った泥は倍にして返せ、が信条でね」

 第六天魔王――織田信長。
 数多の敵を紅蓮の炎に包んできた彼女が、焔纏う獅子の王と相対する事になったのは何の因果か。
 奇襲も同然の急な侵攻であったにも関わらず、信長は予め知っていたかのように余裕綽々の態度を崩さない。
 ……いや、事実襲撃は予見していた。何度も何度も勝った負けたを繰り返していれば、流石に相手の気性くらい覚える。

 そう、獅子王は負けず嫌いなのだ(・・・・・・・・・・・・)
 自分の軍が負ければ必ず報復とばかりに打って出て、派手な損害を織田に齎していく傍迷惑な馬鹿女。
 何より質が悪いのは、彼女が将である信長と非常に相性の悪い相手である事だろう。
 何しろ獅子は神秘が薄い。魔王の神秘殺し、神性殺しも、彼女相手では良くて四割程度しかその本分を発揮しない。

「自慢の手駒を打ち負かされたのが余程頭に来たようじゃの。
 全く、その短気でよくも将など出来たものじゃ。
 そなたのそれに付き合っていては、只人どもの身が保つまいに」
「私に合わせられないのなら、それまでだ」
「典型的なうつけの思考じゃな。……ま、わしが言うのもなんじゃが」
「私に言わせれば、無様な敗北に何か価値を見出そうとする連中の方が余程うつけに見えるがね」

 獅子と魔王は、互いに笑みを浮かべながら語らっていた。
 にも関わらず、周囲の空気がひび割れそうなほど張り詰めているのは何故か。
 答えは、明快である。笑顔とは何も、友好の意思を示すのみが能ではない。
 敵対の意思、絶対に滅ぼしてくれるという感情を乗せた微笑みというのが、戦の場には存在する。

「で、だ。そんなことはどうでもいい」
「ああ。瑣末じゃな」

 くつくつと笑いながら、二人はどちらともなく一歩ずつ後退した。
 そして――


「――いい加減に死ねよ、魔王。瑞典の焔に抱かれ、六天の底で寝息でも立てていろ」

「――お互い様じゃ。獅子だかなんだか知らぬが、所詮は獣。狩り殺すのに、微塵の呵責も覚えん」

「吠えたな」

「そなたこそ、な」


 では、仕方ない。
 結論の分かり切った茶番じみたやり取りは、双方の眼光が鋭い戦意を湛える事で幕引きとなった。
 信長が銃を至近の獅子王の頭蓋へと向け、獅子王は背後の火砲に焔を収束させる。
 魔王対獅子王――王と王、(ケダモノ)(ケモノ)の殺し合いが、当然のように開幕した。




 目が覚めた時、わたしは風魔小太郎に抱えられていた。
 何故か城の中はものすごく暑くて、火事か何か起きているのかと寝惚けた頭で錯覚してしまう。
 そんなわたしの問いに、小太郎は「間違ってはいません」と煮え切らない答え。
 けれどその顔は真剣そのもので、何かただならざる事態が起こったことをわたしに悟らせた。

「いつものことです。アーチャーが獅子王の兵を撃破した事で、かの王が報復にやって来ました」
「それが――この騒ぎなの!?」
「ええ……何分、獅子王はこと戦闘においては華美な性分のようでして。
 奴の全力を目にした事は僕もまだ有りませんが、そうなれば、城は柱一本も残らないでしょう。
 故に、早急に脱出する必要があります。それに――今回は、貴方達のお力も必要になる筈ですから」

 そういえば、キャロル達の姿が見えない。
 今の小太郎の言葉から察するに、もう獅子王軍の迎撃に動き出しているのだろうか。
 然しながら、わたしはどこか余裕を保つ事が出来ていた。
 その理由は勿論、信長という大きな戦力がいるからに他ならない。

 これまで何度か獅子王を負かしているという信長。
 昨日実際に矛を交えてみても、彼女の強さは圧倒的なものだった。
 普段どれだけふざけていても、第六天魔王の肩書は伊達じゃない。
 それを思い知ると同時に、殺戮都市の時のような深刻さが心の中から少し抜け落ちた。
 怠慢だと自分でも思うけれど、それが正直な事実だ。

 そんなわたしの心を読んでか、或いはそんなこと関係なしの発言なのか。
 小太郎はわたしを抱えて走りながら、ゆっくりと口を開いた。
 その顔色は。やはり、芳しくない。

「これは僕の勝手な憶測ですが。……恐らく、獅子王は貴女達が都市に入った事を既に感知している。
 となればこれまでに輪をかけて、全力で此方を潰しに来る筈です。くれぐれも、油断だけはなさらぬよう」
「解ったよ、小太郎。でも、少し安心だよね。ノッブはほら、獅子王を倒した事があるみたいだし――」
いえ(・・)それは違います(・・・・・・・)

 小太郎は足を止めて、わたしの顔を見下ろした。
 前髪に隠れて普段は見えない筈の目は、紛れもなく数多の鉄火場を超えてきた者のそれ。
 そして、これからまた鉄火場に挑もうとしている者のそれであった。

「アーチャーは獅子王"軍"を敗走に追い込んだ事は何度かありますが、"獅子王"は別です。
 ――僕らはこれまで一度として、あの王が膝を突く姿を見ていない。疵を負った姿も、見た事がない」
「え……」
カルデアのマスター(・・・・・・・・・)
 もしも貴女の中に、あの獅子を侮る心が少しでもあるのなら、今の内に全て捨て去って下さい」

 苦虫を噛み潰したような顔で、風魔の忍は吐き捨てる。

「あれは、人として生まれてしまった怪物です」



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最終更新:2017年08月15日 21:58