05
エレナ・ブラヴァツキー。
十九世紀のオカルト研究家にして、近代神智学の祖である。
北米大陸を舞台とした第五の特異点では、彼女と共に戦ったこともあり、僕は彼女の事をよく知っている。
カルデアにおいても召喚されており、エレナの類まれなる優秀な頭脳は様々な場面で日々役立っている。
幼い少女のような見た目であるものの、有する知識は豊富であり、実に頼れるサーヴァント──それが、僕がエレナ・ブラヴァツキーに抱いているイメージだ。
しかし、彼女がこの南極大陸で颯爽と現れた時、恥ずかしながら僕は警戒してしまった。
その理由は彼女のクラスがキャスターなことにある。
キャスター──それは、先ほどから赤いライダーがカルデアのレイシフトや通信を妨害した下手人として度々口にしていたクラス名だ。
そんな輩と同じクラスのエレナが目の前に現れたのだ。『まさか、彼女こそがあの……⁉』と思ってしまった。
僕の表情からそんな不安げな感情を察したのか、エレナはライダーから僕の方へと顔を向けて、
「あなたがカルデアのマスターね? 安心して。私はこのライダーの敵──つまり、あなたの味方よ」
と言って、ニッコリと笑った。
その幼げな顔に浮かぶ、柴犬の様に愛らしく、純粋な笑顔に、敵意や害意はほんの少しも見受けられない。僕の警戒心は一瞬にして解けた。
一方、ライダーは膝を撃ち抜かれているにも関わらず、なおも悦しげな表情を浮かべ、口を開く。
「貴様はたしか──戦士か」
「ええ、そうよ。数時間前に会ったばかりでしょう?」
「ここで戦うつもりかね?──私の敵として。戦士の味方として」
「もちろん」
ふたりの間には緊張が高まっていた。どれだけ鈍感な者であってもそう察することが出来るであろうほどに、剣呑な雰囲気である。
エレナは空中に五冊の本を浮かばせている──それは彼女の著書である『シークレット・ドクトリン』。
本の浮遊など一見ただの曲芸にしか見えないかもしれないが、彼女の意思一つでそれらから強力な魔力の光線が射出されると説明が加えられれば、そうは見えなくなるだろう。
対して、ライダーは膝を撃ちぬかれたせいで未だ氷の大地に尻餅を着いた格好ではあるものの、右手に掴んだ旧日本軍の軍刀の剣先をエレナの方へと向けていた。赤い刀身は、まるで正面に立つエレナの生き血を求めているかのように、不吉なオーラを纏っている。
「あなたを見逃す道理はなくってよ」
「そうか──」
顔を俯かせるライダー。
膝を撃ちぬかれ、機動力を奪われた状態でエレナの『シークレット・ドクトリン』から放たれる光線を相手にするのは、いくら先ほど赤い集団に鬼神の如き強さで無双したライダーであっても難しいだろう──しかし次の瞬間。
「貴様ならそう選択して私の目の前に現れると、私は信じていたよ戦士」
ライダーが呟いた言葉に、僕は思わず耳を疑った。
まさか、ここでエレナが現れる事が彼の予想通りだったとでも言うのか?
「脚は動かず、周囲には私を狙う武器がズラリと並んでいる──絶体絶命とは、まさにこのような状況を指すのだろうよ──だがッ!」
ライダーは声を一段階大きくし、顔を上げた。
「どれだけ絶望的な窮地でも、どれほど困難なピンチでも、それを当たり前の様に打破する奇跡が起きるのが、『戦争』というものだろう!? 戦士はそうであったではないか!」
ならば!──と。
そう叫び、ライダーは無理矢理立ち上がった。
撃ちぬかれた膝には、依然野球ボール大の穴が開いており、そこから零れる血は彼の衣装をますます真っ赤に染め上げている。軍刀を杖代わりにするという罰当たり極まりない行為をしていなければ、一秒たりとてその姿勢をキープ出来なかろう。
「私は諦めん! 貴様との一対一の戦争から必ずや生き延びて、戦士との戦争を実現させてみせようではないかぁッ!」
喉が割れんばかりの大声で、ライダーは宣言してみせた。
その声に籠められた鋼鉄にして熱血の意思──その凄まじさに、僕は勿論、数秒前までライダーを倒さんと構えていたエレナですら気圧されてしまう。
それほどまでの意志力だった。
ライダーがここまでして僕との戦争を望む理由は何なんだ? 僕と彼の間には、因縁どころか面識すらないはずなんだけど……──僕の思考がそこまで進んだ瞬間。
ズズンッ! と、地面が揺れた。まるで、僕らがいる地点の真下で、巨大な土竜が暴れているかのような揺れだった──否。
事実、僕らの真下──分厚い氷の大地の下では何かが暴れている。
そして時間が経つほど揺れは大きくなってゆく。
「!? これは──ッ!?」
下から、何かが、来る。
そう察したエレナは、後ろへと跳び退いた──次の瞬間。
さっきまで彼女が立っていた地点が爆ぜた。
いや違う──爆発するかのように勢いよく氷の地面を突き破って、『何か』が飛び出てきたのだ。
その『何か』とは──
「『ミサイル』……!?」
それも、一本だけではない──エレナがいた地点を突き破ったそれを皮切りに、二本目、三本目、四本目……何本ものミサイルが、あちこちから次々と姿を現す。それらは高速で天高くまで飛んで行く。
静謐な氷の大地は現在、まるで噴火する火山のような、破滅的な光景へと変じていた。今この場で唯一の安全圏は、僕とライダーがいる直径五メートルにも満たないエリアだけである。
「くっくっくっく!」
ライダーは笑う。おかしそうに──犯しそうに。
この惨状を生み出したのが彼であることは、間違いあるまい。
先ほどの赤い集団との戦闘で、彼は空間に生じた赤黒い亀裂から武器を釣瓶打ちしていたのだ──ならば、地中深くにも亀裂を生み出し、そこからミサイルを発射することだってできるだろう。
「まさか私がこうするとは思わなかったか戦士よ!」
なおも笑い続けるライダー。一方、エレナは次々ともぐら叩きの如く飛び出てくるミサイルの群れを避けるのに精いっぱいである。
「くっくっく! 回避に必死になるのもいいが、まずは戦士を受け取るがいい! 私に腰を着かせた褒賞だ!」
そう言って、ライダーは僕の首根っこをむんずと掴み、エレナ目掛けて放り投げた。
「はぁー!?」
「えぇー!?」
ライダーがとった行動に、僕とエレナは驚きの声を上げる。
突然放り投げられた僕はミサイルの隙間を潜り抜けるように──もちろんライダーはそうなるよう狙って投げたのだろう──空中を飛んで行く。
十代男性の質量が高スピードで飛んでくるも、そこは流石サーヴァントというべきか、エレナは両腕で僕の体を見事にキャッチした。
キャッチの成功を確認した直後、エレナはライダーがいる方角を睨みつける。
「ライダー! あなた、なんてことを──」
彼女の言葉はそこで途切れた。何故なら、睨みつけた先に批難を浴びせるべき対象のライダーが居なかったからである。
一瞬の間の消失に目を見開いて驚くエレナ──彼女の頭上から声が降ってきた。
「ルール説明だ!」
実に愉快気で、元気いっぱいな声だった。
「ああルール! 規則! 秩序!──暴力と破壊が幅を利かせる戦争において、それは不似合いな単語なのかもしれん。だが、戦士は戦争にすらルールを設けられるにまで理性的に成長したのだ! ならば、私もそれに習わぬわけにはいくまいよ!」
現在、ライダーは飛び出たミサイルの一本に掴まり、超スピードで上昇しながら、話していた。
「戦士! 貴様には七日のタイムリミットがある! その間にそこの戦士のように貴様の仲間となるサーヴァントを集め、我ら『心熱き戦士達』と戦争をし、勝利するのだ! くっくっく! 貴様ほど運のいい男ならば、仲間となるサーヴァントを七騎くらいは見つけられるだろうよ!」
高速で飛び上がっているにも関わらず、彼の声は南極の空によく響いている。
ここでエレナと僕は、ライダーが掴まっているものを最後に、ミサイルの連射が止んだ事に気がついた。
「もし七日のタイムリミットの間に私を倒せねば──」
ライダーは一呼吸間を置いて、こう続けた。
「──『擬似太陽』を地に落とし、地球全土を火の海に沈没させる!」
僕は先程ライダーが言おうとしていた『擬似太陽』のもう一つの役割を知った。
それは──最悪の役割だった。
06
「あのまま宇宙の果てまで飛んで星になった──って事はないでしょうね。途中でミサイルから飛び降りて、南極の別地点に着陸した、と見るべきだわ」
ミサイルが飛んで行った空を見上げ、エレナは呟いた。
「絶対にあそこで倒したかったけど……まさかあれほどまでに破壊的な逃走をするだなんて思わなかったわ」
溜息を吐くエレナ。
現在、僕とエレナは彼女が召喚した円盤型飛行物体──俗に言うUFO──に搭乗し、南極上空を飛行していた。
エレナ曰く、この虚無極まりない南極大陸にもベースキャンプとなれる場所があるらしく、この円盤型飛行物体はそこに向かって飛んでいるらしい。
「ねぇ、エレナ」
「ん? 何か質問があるのかしら? カルデアのマスター」
この南極のエレナはカルデアに召喚されているエレナとは別人であるとは言え、慣れ親しんだ人物から『カルデアのマスター』と他人行儀な呼び方をされるのは何だか不思議な気分になるが、それはともかく、僕は「うん、そう」と言葉を続ける──エレナの予想通り、僕は彼女に聞きたい事があったのだ。
「エレナはあのライダーと面識があるの?」
「あるにはあるけど、私が彼と初めて会ったのはたった数時間前よ」
そういえばさっきそんな事を言っていた気がする。
「私はいつのまにかこの大陸に召喚されていたわ。召喚主も召喚された理由も分からずに彷徨っていた私の前に、あの『南極のライダー』は現れたの」
そして、エレナを見たライダーは
『ふむ。キャスタークラスのサーヴァントは『心熱き戦士達』に既にいるのだが……まあ良い。
なあ、戦士──『戦士』よ。私と共に、人理を救ったカルデアの戦士を相手に戦争をしないか?』
と問うたらしい。
「もちろん断ったわ。カルデアのマスターと戦う理由なんてなかったし、そもそも私のクラスどころか真名すら出会ってすぐに言い当てたライダーからは、なんというか、不気味な雰囲気を感じたの。そしたらあの男──」
『ならば貴様を戦士とするまでよッ!』
「と言って、腰に提げた刀を抜いて、何もない空間から銃弾や刀剣を飛ばして来たわ。あまりにも威勢の良い大声で宣言してから攻撃してきたから、回避が間に合って、それで致命傷を負う事にはならなかったけど──ほら」
エレナはそこで上着をべろりとめくる。
露わになった彼女の腹には、肉を抉られた痕が痛々しく残っていた。
「飛んで来た武器の一つは避けられずに、脇腹を持っていかれたわ」
「…………っ!」
そのあまりにもグロテスクな傷痕に、僕は絶句する。
……成る程。つまり、エレナがライダーの膝を撃ち抜いたのは、これの仕返しという意味もあったのだろうか?
「まぁ、そうとも言えるわね。……で、そのまましばらくライダーと戦ったんだけど──今思えば、彼を相手に脇腹を抉られただけで済んだのは奇跡ね──、何回目かの攻撃を避けた時」
ライダーは武器を打つのを止め、
『──待てよ?あのハプニングが人の形をした男、戦士の事だ。その上この南極にはあの戦士もいる……サーヴァントを一人も連れられずにレイシフトしてくるかもしれん……』
と小声で呟いた。
その後、エレナに我妙案得たりと言った得意げな顔を向けて、
『なあ戦士よ。私の仲間にならぬつもりならば、貴様は私の敵となり──カルデアの戦士の味方となりたまえ。うむ、我ながら妙案だ! くっくっくっ!』
と勝手に喋り散らした後、何処かへと消えたらしい。
その後、エレナは回復に専念し、数時間後に再びライダーと再会して、今に至るというわけだ。
つまり、ライダーは『エレナを敵にする』という思いつきの所為で先程は絶体絶命のピンチに追い込まれていたのか。マッチポンプすぎる。
「なんていうか……思いつきのままに動く、自分勝手な子供を相手にしたような感じだったわ。だからこそ隙が多くて、不意打ちが可能だったんでしょうけど」
ライダーとの出会いを思い出し、改めて感じたのだろう。エレナはライダーの人物像をそう評した。
「さっきの質問を返す形になるけど……カルデアのマスター。あなたは『
南極のライダー』と面識は?」
「それが全くもってないんだよね……」
僕の記憶を隅から隅まで探しても、あのライダーに関する記憶は、先程の邂逅以前にほんの少しも存在しない。
見た目とキャラクターにあれほどまでのインパクトを持つ男を一度見た後に忘れるなんて事は不可能だろうし、忘れているって事はないはずなんだけど。
「…………」
ふと、円盤型飛行物体の透明な外壁越しに、空を見上げる。
そこには二つの赤い太陽があった。まるで、地上を見下ろす巨人の両目みたいだった。
「七日間……」
先程ライダーがルール説明で口にした言葉を思い出す。
それは赤いライダーが僕との『戦争』に設けたデッドライン。
もしその期間内にライダーを倒せなければ──
「『擬似太陽』を地に落とす、か──」
それは火の海から修復された地上を再び炎の底に落とす行為。
文字通り、人理焼却の焼き直しだ。
そんな事は──タイムアウトのペナルティ感覚でさせて良いものでは絶対にない。
未だ分からない事だらけの南極特異点だが、それだけは確かな事実だった。
最終更新:2017年10月19日 23:01