見敵必殺、一撃必滅。
呪いの赤槍、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。
一度殺すと決めた相手を、視界に定めた瞬間に、その槍は運命を確定させる。
心臓を撃たれたという結果が決まり、それをトレースするためにこそ、過程の攻撃が行使される。
原因と結果を逆転させる、この槍こそが、あるいは、恐らく――史上最も有名な、因果律兵器と呼べるもの。
そして死翔の赤槍を、携え放つに足る勇士もまた、この男を置いて他にはいない。
卑弥呼の前に姿を現し、立ちはだかった英霊とは、すなわち、そういう存在だった。
◆
赤。
赤い軌跡が、宙を舞う。
ぽたぽたと、赤い雫が落ちる。
左の二の腕を押さえながら、唸りを上げて舞い戻る赤を、卑弥呼は苦々しげに睨んでいた。
「へぇ。こいつは驚いた」
結果として卑弥呼の死の運命は、文字通り決死によって覆された。
未だ五体は満足である。あの時見えなかった未来が、今は現在として視認できている。
結局今の攻撃で、卑弥呼が負ったその傷も、僅か肌を裂いたかすり傷だ。
されど、しかし――そのかすり傷。たとえその程度であったとしても、傷を負ったこと自体が、卑弥呼にとっては既に異常だ。
超高硬度の魔術障壁。加えて万象網羅の魔眼。それら強固なプロテクトが、僅かでも破られることなど、あってはならない異常事態なのだ。
「撃ち落とすならいざ知らず、オレの朱槍を本当に、捻じ曲げてのける奴がいたとはな」
得物の撃ち手は不敵に笑う。
血の色の瞳で卑弥呼を見据える。
青い髪に青いスーツ。清風を思わせる美貌と装束。されどその青一色にあって、燃える瞳と朱色の槍が、獣の獰猛性を主張する。
一見、優男にも見えるが、その容姿は男の本質ではない。魔狼を思わせる男の覇気は、風魔小太郎のそれとは、明らかに次元が一つ異なる。
「呪いの魔槍、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』……よもや、私の目を欺く、ものが」
「おうさ。撃ったからには隠し立てもねぇ。ランサー、クー・フーリン参上……ってな」
クランの猛犬、クー・フーリン。
光の御子と称される、アルスター伝説最強の勇者。
立香が真に切り札として、呼び寄せた男の正体は、正真正銘の大英霊だ。
なるほど確かに、その槍ならば、己が魔眼を突破しうる。
あらゆる事象を度外視し、心臓を潰したという成果を、確実に実現する朱槍の前では、どんな障害を敷こうと無意味だ。
盾はかわされ、壁は崩され、何が何でも懐へ至り、命を奪うが道理だろう。なるほど、彼が立ちはだかるなら、未来が見えなくなるのも道理だ。
「失敗か……!」
『そうでもない。なるほど確かに彼女の力は、宝具の軌道を曲げはした。しかし読み通り、その無茶には、相応の負荷がかかったらしい』
「同じサーヴァントだっていうなら、魔力にも限りってもんがある。初手でしくじりこそしたが、こっからはつまり、根比べってやつだ」
立香の声に応じながら、クー・フーリンが槍を構える。
なるほど確かに、今の回避は、奇跡と言っていい偶然ではあった。
『天照網羅・森羅万象』は、元来、見えもしない事象を、回避するようにはできていないのだ。
加えて、特級の神秘である宝具の、その機能こそを捻じ曲げるとあれば、相応の力を使う必要がある。
同じような回避行動を、二度取れる保障など、どこにもないのだ。
「……いいえ、それはあり得ない。姿を晒したその時点で、未知は既知へと成り下がった」
されどもそれは、あくまでも、つい先程までの理屈でしかない。
既に卑弥呼の両目と意識は、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』の存在を認知した。
因果逆転も把握している。何かも分からないものに対して、闇雲に力を振るった時とは、明らかに状況が違うのだ。
違う、はずなのだと念じながら。女王卑弥呼は青銅鏡に、再び魔力の光を込める。
神代間近の時代を生きた、日本最古のキャスターの神秘が、後光の如くオーラを放つ。
「小太郎。マスターの守りは任せた」
「ですがクー・フーリン殿、お一人では……」
「見くびってもらっちゃ困るな。ここらで腕前一つくらい、見せびらかしてやれねぇようじゃ――」
それでもなおも、怯まない。大英霊は恐れはしない。
にやりと犬歯を剥き出しにして、手元の朱槍をこれ見よがしに、ぐるりと大回転してみせる。
空を切り裂き魔力を振りまき、血色の軌跡を円に描いて、眼前の敵を威嚇する。
たとえ古代の女王であろうが、あるいは神代の魔人であろうが。勇者の名を持つ猛犬にとっては、全て等しく狩るべき獲物だ。
「仮にも大英霊と讃えられた、この身の名折れっていうやつよ!」
その覇気が。その勇猛が。
己を相手にしてなおも、微塵も敗北を恐れない、傲岸不遜なる眼差しが。
それこそが女王卑弥呼にとっては、この上なく不快なものとして映った。
◆
あらゆる因果を改竄する、『天照網羅・森羅万象』。
そしてあらゆる因果を突破する、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。
互いに因果律兵器を携え、相対する卑弥呼とクー・フーリンの戦は、文字通り異次元の戦いとなった。
クー・フーリンが槍を手に迫れば、卑弥呼が百の障壁を重ねる。
卑弥呼が通常攻撃を阻めば、クー・フーリンは魔力を練り上げ、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』によって千の死を重ねる。
『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』が放たれるならば、『天照網羅・森羅万象』が、その一万の因果を無力化する。
絶対に当たるという因果と、絶対に捻じ曲がるという因果。
互いの因果改竄の力を、真っ向からぶつけ合う対決は、目視の一合二合の狭間に、千倍の攻防を重ねるほどの、熾烈を極めるものとなった。
「ちょこまかと!」
空が割れる。炎が舞う。
光は白の軌跡となって、天を裂き大地を炎で満たす。
卑弥呼が手繰る銅鏡の群れが、日輪の熱量を放ち迫った。神威を宿す光線の嵐は、忌むべき敵を包囲し焦がす、不可視にして灼熱の檻を成した。
当たるはずだ。避けられないはずだ。これだけの乱撃を見舞ったならば、少なくとも一発は引っかかるはずだ。
「遅い!」
それでもなおも、この男には足りぬ。
卑弥呼が神の炎をもって、男を捉えんとするならば、その男たるクー・フーリンもまた、神速の足を持つ大英霊だ。
白の隙間を、青が駆ける。光も、足場の炎ですらも、縫うようにして隙間を見出す。
疾駆。跳躍。着地して激走。朱槍を構えた蒼衣の魔狼は、文字通り青と赤の光線と化す。
これがランサーだ。クー・フーリンだ。
神の血筋すらその身に宿す、アイルランド最強の勇者だ。
光の御子と生まれたその身が、光の檻に囚われるなど、到底あるはずもなかろうが――と、あざ笑うようにして地を駆け巡る。
「そこです!」
それでも刹那、僅かな隙を、女王卑弥呼は見逃さなかった。
飛び退り、着地し、踏み込む瞬間、神速のクー・フーリンであっても、僅かにその初速が遅れる。
であればそれこそが無二の好機だ。逆に言えば、そこしかないのだ。
決してこの機を逃してなるかと、銅の剣を、三本、放つ。
直撃必至のそのコースは、あの忌々しい優男の顔を、無様な朱色に染めるはず、だった。
「オレにもその手の得物は効かねぇ!」
されども、敵はクランの猛犬。名高きクー・フーリンである。
おくびも怯んだ様子を見せず、男は真正面から飛びかかった。
なればこそ決して的を外さず、射止めるはずだった銅剣は――しかし、虚しく空を切った。
まるでかわされたのではなく、自ら敵を避けたような、不可解ですらある軌道を描いて、背後の木々へと突き刺さったのだ。
これぞ、彼の持つ矢避けの加護。射手を視界に捉える限り、およそ投擲・射撃の類は、クー・フーリンには通用しない。
時に刹那の技にて切り裂き、時に体捌きの妙技でかわす。矢であれ鉄砲玉であれ、放たれた武器であるならば、そうして無為へと成り下がるのだ。
「く……!」
「そらッ!」
遂に懐へ伸びた穂先を、空へと飛び退って回避。
卑弥呼クラスのキャスターであるなら、魔術にて飛行することも可能だ。
だがその刹那。回避に全力を投じた瞬間、卑弥呼には確かに隙が生じた。
その一瞬の意識の狭間を、見逃すクー・フーリンではない。白兵戦の読み合いに関しては、槍を携え立ち回ってきた、この男の方が遥かに上手だ。
「『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』ッ!!」
真名開放。宝具開帳。
この日数度目にも及ぶ、唸りを上げた魔槍の投擲。
煌々と赤く燃え盛る朱槍が、振り向きざまに投げ放たれて、卑弥呼の心臓へと殺到する。
因果を読ませるつもりはない。その前に攻め手を確立させる。それこそを狙った必殺の一矢だ。
「させない――!」
一瞬、しまった、と愚策を呪った。
しかし後悔はそれで終わりだ。次善の手こそが求められるものだ。
卑弥呼は槍を撃ち落とすように、上空から銅剣の嵐を放つ。
無論、止まるはずもない。心臓を穿つという結果を得るまで、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』が止まることは絶対にない。
故にこそ灼熱の閃光は、稲妻のごとき軌跡を描いた。滅茶苦茶な軌道で空を駆け抜け、迫る切っ先をかわし尽くした。
おおよそ無機物とは思えぬ。まして生物の速さにもあらず。
超常を体現した伝説の朱槍は、決して何物にも阻まれることなく、卑弥呼の胸を深々と抉る。
「っ……!」
その、はずだった。
彼女の両目に宿ったものが、『天照網羅・森羅万象』でない限りは。
『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』の速度は確かに速い。しかし迂回を重ねた結果、卑弥呼への到達は一秒だけ遅れた。
その一秒の瞬間にこそ、卑弥呼は因果を書き換えたのだ。
「心臓を潰す」という宝具の因果を、「心臓を撃てなかった」と改竄することで、ギリギリの回避を実現したのだ。
「そうかい!」
それでもこの隙はクー・フーリンにとっても、等しく態勢を立て直す好機。
既に元いた場所を立ち、回り込んでいたクー・フーリンは、槍に呼応するように跳ぶ。
先回りしたその先へと、舞い戻った『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』の刺突が、ほぼノータイムで撃ち放たれる。
それを阻むのは魔力の壁だ。卑弥呼が練り上げたバリアが、クー・フーリンの槍を受け止めてみせた。
「オレの趣味って柄じゃねぇのは、ちっとばかし残念だけどよ! おかげで後腐れなく殺せるってもんよな!」
「弁えなさい。貴方ごとき野蛮の手で、触れることなど許しはしない!」
軽口を叩くクー・フーリンに、怒りの声を上げ卑弥呼が吠えた。
最早優雅を保つ余裕も、残されていない決死線だ。しかしなればこそ、この女王は、本力によって食い下がるのだ。
銅鏡が光る。槍兵を射落とす。対魔力スキルを持つランサーにとって、それだけでは致命傷たり得ない。
それでも後ずさる余裕はできた。物理的レンジはそれそのままに、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』に対応する余力と同義だ。
故にこそ間合いを取った卑弥呼は、再び銅鏡を展開すると、クー・フーリンに向けて光を放った。
『先輩、本当に大丈夫なんですか!?』
「ああ、まだいける……だから頼むぞ、クー・フーリン!」
そして激闘に身を置いているのは、なにもクー・フーリンだけではない。
熾烈な状況下に晒されているのは、後方の藤丸立香も同じだ。
ここに至るまでの、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』の開放回数は、既に十回にすら迫っている。
いかに魔力消費の少ない宝具でも、これだけの数を連発すれば、消耗が蓄積するのは道理だ。
魔力だけならカルデアから、引き出すことも可能ではある。しかしそれを受け取り続け、送り続ける行為による負荷が、全くのゼロであるはずもない。
それでも、立香はこの作戦を示した。卑弥呼が消耗しきるまで、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』をぶち込みまくるという、異常極まる策を提案したのだ。
現状、カルデアが打つことのできる、最も単純で確実な作戦だ。しかし問題は、立香の身体が、それについていけるかどうか。
「我がマスターながらイカれてやがるな! 普通こんなもん、考えつくかね!」
「まぁ、もう少し頭が回ると、よかったんだけど……!」
振り向き声をかけるクー・フーリンに、苦い笑みを浮かべながらも、言う。
「だがな。無理難題ってのは嫌いじゃねえ。せいぜい応えてやろうじゃねえか!」
それでも、だからこそ気に入ったのだと。
その心意気を示したならば、応じぬ道理などないのだと、クー・フーリンは力強く笑った。
なるほど確かにイカれている。何度か聖杯戦争には招かれたようだが、しかしこれほどの宝具の乱打を、指示したマスターなどいなかったはずだ。
そうまでしてでも勝ちたいと願った。それならば勝ってくれると己を信じた。
それならば、この異常な命令であっても、二つ返事で成し遂げてみせよう。
藤丸立香がくたばる前に、あの高慢な女王様を、この手この槍で撃ち落としてみせよう。
今一度、覚悟を固めたクー・フーリンは、赤き魔槍に誇りを乗せて、敵へと投げ放ったのだった。
「……アサシン! どうせいるのでしょう! 見ているのなら手を貸しなさい!」
再び襲いかかる呪いの槍を、因果で捻じ曲げ卑弥呼が叫ぶ。
しかし応える声も影もない。この場で力を交える者は、以前己と槍兵のみだ。
呼び声が虚しく響く中、槍を引き戻したクー・フーリンは、足を走らせ至近へと至る。
「おらよっ!」
「そうまで主が大事ならば……!」
居留守を決め込むというのなら、最早時間はかけられない。
一合、二合、そして三合。ぶつかり合う魔力と槍捌きが、眩いスパークを放つ中。
苦々しげに唸る卑弥呼は、これ以上の手はかけられぬと、遂にとどめを打ちにかかる。
手元に現れたのは、銅鐸。弥生時代に用いられた、最後の祭具が姿を現す。
凛――と音が奏でられた。音色と共に解き放たれるは、収束された魔力の炸裂。
さながら手榴弾のように、激しい爆発を起こした鐸は、クー・フーリンを見事吹き飛ばした。
後ずさったその場所は、藤丸立香の真正面。神速を誇るクー・フーリンが、足を止めねばならぬ唯一の場所だ。
「諸共に燃え尽きて逝きなさい!」
遂に十連銅鏡が、神威の光を一斉に放った。
小太郎を焼き尽くさんとした、全砲門による収束火砲だ。
「チッ!」
これはまずい。避けてはならない。
いかに俊敏な小太郎といえど、このタイミングでは回避は無理だ。
であれば己がここを動けば、小太郎と立香とがあの光に、真っ向から晒されることになる。
観念したクー・フーリンは槍を構え、ぐるぐると手のひらで回してみせた。円の軌跡を描く赤は、光を凌ぐための盾だ。
果たして最強必殺の矛は、この瞬間には盾となって、卑弥呼の攻撃を受け止める形になった。
「ぐっ、ぉお……!」
「クー・フーリン!」
『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』そのものの強度。加えて、自身の対魔力もある。
されどぶつけられた魔力量は、それで凌ぎきれるだとか、そんな生易しいものではなかった。
指先が焦げる。肉が焼かれる。頬を伝った脂汗が、そのまま蒸発霧散する。
灼熱が陽炎で大気を歪ませ、弾けた光が炎を呼ぶ中、それでもクー・フーリンは懸命に耐えた。
だとしてもこのままではいずれ、突破されるであろうことは、誰の目にも明らかだった。
「……ここを頼みます!」
なればこそ、風魔小太郎が動いた。
今更立香を退避させたとしても、クー・フーリンが無傷のままで、脱することは叶わぬだろう。
ならばこの場でなすべきことは、敵の攻勢を崩すこと。あの忌まわしき魔鏡を叩き割ることだ。
槍兵の背後から飛び出した忍は、己が最大戦速をもって疾駆。両手に火薬玉を握り、卑弥呼の懐へと迫る。
否――狙うべきはその目前で、円陣を描く青銅鏡だ。
「ハッ!」
術者と術具、その間隙。それこそを狙うようにして投擲。
炸裂した炎は風を纏い、殴りつけるように円陣を襲う。
砕けは――しない。当初の目論見には至らない。
しかしながら、忍の放った爆薬は、整列した十の鏡の陣を、崩すことには成功した。
煽られ傾き乱れた光が、そこかしこへと乱れ舞う。天幕が焼かれ、木が薙ぎ倒され、卑弥呼軍の本陣は、瞬く間に地獄絵図へと変わる。
「この……!」
「がっ!」
逆上した卑弥呼が、銅剣を放った。
かわしきれずに、小太郎は、肉を突かれ苦悶に喘いだ。
「よくやった!」
しかしそれすらも、この男を前には、付け入る格好の隙となる。
散り散りに乱れた光など、もはや豆鉄砲と大差ない。
アルスター伝説に語り継がれる、真紅の魔槍『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』は、その程度に阻まれるなまくらではない。
振り回す槍で光を弾き、遂にクー・フーリンが駆けた。
砕けた粒子を切り裂いて、撒き散らしながら青が走った。
見るがいい、この身の疾走を。神速と謳われた伝説の姿を。
日ノ本最古が相手であろうと、この手この槍この身も同じく、アイルランド最強の勇者だ。
であれば友が作った好機、みすみす逃してなるものか。光の御子の二つ名を、穢す愚行に及んでなるか。
この一瞬の勝機こそを、掴み取れずに何とするか!
「しま――」
「『刺し穿つ(ゲイ)――死棘の槍(ボルク)』!!」
宝具開放。因果逆転。
死突の赤は炎を纏い、生き血を求めて吠え猛る。
投擲ならぬ、直接刺突。ゼロ秒で放たれる必滅の一矢。世界最高の槍使いが放つ、究極の絶技が牙を剥き叫ぶ。
風が切られた。光が奔った。万物万象を超える神域の速度を、阻めるものなど何一つない。
気づいた時にはもはや遅い。百千の因果を紡げる敵でも、この刹那を捉えることは、不可能。
荒れ狂う獣の一撃は、その余波ですら、全ての鏡を、粉微塵に砕く威力を誇った。
粉々に砕け散る銀の破片が、槍と炎と、血の色を映して、残らず赤々と染まった。
「ぁあああああ――……ッ!!」
遂にクー・フーリンの魔槍は、深秘なる女王・卑弥呼の肉を、深々と刺し貫いたのだった。
◆
戦の音は、霧散し消える。
激音に満ちたその空間は、急速に熱を失って、静寂の淵へと沈んでいく。
「大したもんだ」
沈黙を破ったのは、クー・フーリンだ。
賞賛の言葉を送られた相手は、ごぼ、と赤を吐き出しながらも、確かに命を保っていた。
生きていたのだ。女王卑弥呼は。
猶予など与えなかったつもりだ。ゼロ距離で繰り出した呪いの朱槍は、一切の抵抗を許すことなく、心臓を捉えたつもりだった。
それでも恐るべきは、その魔眼――『天照網羅・森羅万象』。
命中した槍は、心臓ではなく、その僅か下の脇腹を、抉り貫くに留まっていた。
致命傷ではある。これほどの深手を負ったならば、二撃目で即座に死に絶えるだろう。
それでも、即死だけは避けた。卑弥呼の意地が、その結末を、終われるものかと覆したのだ。
「まだ……まだ、です……!」
槍を抜かれ、地に崩れ落ち、それでもなおも立ち上がらんと、卑弥呼は懸命に立たんとした。
優雅な女帝の姿ではない。争いに乱れた邪馬台国で、それこそを一つに束ね上げんと、泥の中足掻いた有様こそを、今まさに見せつけているのか。
歴史に残った女王としての、成熟した姿などでなく――若き日の姿を全盛とした理由が、今ならば立香にも分かる気がした。
かの中国の女帝と同じく、その戦乱にもがいた姿こそが、戦う者として招かれた卑弥呼の、真なる本質であったのだ。
「――否。これで終わりだ、旧き女王よ」
それこそを、制止する者がいる。
蹄の音を高らかに鳴らし、空気を揺さぶるその姿こそは、赤を纏いし女武者だ。
風林火山、赤鉄猛虎。躑躅ヶ崎の主たる、武田信玄の姿だ。
「信玄……何故、ここまで……!?」
「自惚れるなと言っただろう。我らは戦国乱世の兵。頭を失った雑兵風情に、押しとどめられると思うたか」
尋ねる卑弥呼に、信玄が答える。
あれで止められると思ったことが、そもそもの間違いであったのだと。
信玄は固く信じていた。立香達が卑弥呼と戦い、その意識を目前に縫い付けてくれれば、必ずや勝利することができると。
弥生時代の戦士達と、戦国時代の戦士達では、戦のノウハウがまるで違う。
たとえ初撃の自然攻撃で、どれほどかき乱されたとしても、指揮系統を失ったならば、その先が続くはずもない。
であれば、信玄にアグラヴェイン――乱世を生き抜いた勇将を、二人も擁する武田軍にこそ、絶対の優位が存在する。
それを信じ、折れることなく、真っ向から受けて立った成果こそが、この勝利という形で実を結んだのだ。
「だと、しても、私は……!」
「そんなに聖杯が……この国が欲しいのか、貴方は」
「私は……何も遺せなった!」
藤丸立香の問いかけに、遂に卑弥呼は絶叫した。
泥に美貌を汚しながら、血反吐を吐くような勢いで、己が胸中を曝け出したのだ。
「私が果てた後の国は、再び動乱へ巻き戻った! 私が至らなかったばかりに、同じ過ちを性懲りもなく、娘に押し付けてしまった!」
それは立香も知っている。歴史の教科書にも載っている。
卑弥呼の娘――女王壱与は、すぐさま後を継いだわけではない。先に指名されたのは、男性の王だったのだそうだ。
しかし彼が統治した国には、再び争いが蔓延った。それを食い止めるためにこそ、卑弥呼の血を引く正統な女王が、玉座につく他なかったのだ。
「その先にはもう何もない……何も知ることすらできない! 愚かな私に力があれば……未来を遺すことが叶えばッ!」
嗚呼、あまりにもままならない。
こんな結末で終わるのならば、この目にどれほどの価値がある。
未来を決められる力など、死んでしまえばまるで無価値だ。死後の未来すらも見通せる力こそ、本当に必要だったというのに。
未来を見ることさえ叶えば、娘を導いてやることができた。
未来を知ることさえ叶えば、滅びを食い止めることだってできた。
邪馬台国という名前が、人理から消え失せることもなく、未来永劫の栄華を極め、千年を約束されたはずだったのだ。
無力な己は、愛する娘に、それすらも遺してやれなかった。
愚かな己は、過酷ばかりを、子孫に押し付けてしまった。
高潔孤高と謳われた女王の、唯一胸中に秘めた無念だ。泥のように濁った後悔を、鮮血と共に吐き出しながら、卑弥呼はもがき、呻いたのだ。
「……分からんでもないよ。そなたの念は」
信玄の顔色が僅か変わる。
威圧するような形相が消え、鋭い瞳には憐憫が浮かぶ。
愛馬の背中から降りると、具足を鳴らして焼けた地を進み、卑弥呼の元へと歩み寄る。
「何を……!」
「わしも母だ。それも至らぬ母であった。驕りが故に過酷ばかりを、息子に押し付けて逝った身だ」
片膝をつき、顔を近づけ。
目を見開いた卑弥呼へと、武田信玄は告白する。
武田の繁栄を終わらせた息子――武田勝頼を滅ぼしたのは、己の不徳であったのだと。
「しかし、それを詫びはせぬ。それは奴の戦いの否定だ。恐らくそれは、そなたの娘にも、同じく言えることではないのか」
だとしても、不徳を詫びる気はない。
ましてそのやり直しを、聖杯に願おうなどとは思わない。
武田滅亡の理由の全てが、己にあったのだと認めてしまえば、それは武田勝頼の否定だ。
極論、信玄さえ間違えなければ、跡取りが誰であったとしても、未来は約束されていた――そんな暴論で片付けることは、断じて許されることではないのだ。
勝頼が弱かった。信玄の過ちを正しきれなかった。
その結論は残酷だろうが、それでも息子が足掻いたことは、確かな評価として残る。
誰でもよかったなどと言わないでくれ。足掻きをなかったことにはしないでくれ。
きっと武田勝頼であれば――この信玄の息子であれば、彼はそう言ったはずだろうと。
「それは、貴方の理屈です……貴方がそうであっても、私は……!」
「おやめください、卑弥呼様!」
それでも己は認めないのだと、立ち上がらんとする卑弥呼の背に、新たな声が投げかけられる。
慌てて駆け寄ってきたのは、邪馬台国の兵の生き残り達だ。
そして先頭を行く者の中に、あの美豆良頭の男――卑弥呼の側近の姿もあった。
「止めるな! 私はまだ――!」
「無念は承知しております。しかし壱与様は……ご息女なれば、貴方が傷つくことこそを、真に悔み涙するはず」
「……!」
「姉上、もう終わりにしましょう……貴方はよくぞ戦われた。それだけで、もう、十分なのです」
それは女王を姉と呼ぶ男の、彼自身の胸にもあった、切なる願いであったのだろう。
たとえどれほどの繁栄であっても、取り逃がしてしまった栄華であっても、それが血の上に成り立つならば、そんな残酷を喜びはしない。
肉親が命を懸けて欲し、傷つき無惨を晒した上で、残されてしまったものであるなら、それはもはや祝福ではなく、呪縛だ。
想ってくれた。悔やんでくれた。ならばそれだけで十分なのだ。
それ以上は望みはしない。傷つくことを喜びはしない――壱与ならば、そう言うはずなのだと。
語り聞かせる側近の言葉は、彼自身の意志でもあるのだと、立香には理解することができた。
「……く……!」
顔を俯かせ、小さく呻く。
若き少女王の顔が、如何なる様を示しているのか。それは想像に難くない。
故にそれを問う野暮を、犯す者は、この場にはいない。
「卑弥呼よ。共に戦えと言ったな。なればその言葉を今一度、わしの方からそなたに返そう」
立ち上がりながら、信玄が言う。
全て終わったというのなら、その先を見据えるべきなのだと、敢えて厳然たる口調に戻って。
「わしと共に来い。兵達の殺生はそのために、最小に抑えこんでおる。かの魔人を打ち倒すため、そなたの力が必要だ」
セイバーと戦ったことはない。
しかしこれまでに得た情報の全てが、奴を侮ってはならないと、特大の警告を発している。
なればこそ、力が必要なのだと。卑弥呼が判断したように、武田信玄も同じように、助力を欲しているのだと。
故にこそ、再び信玄は、同盟の話を持ちかけたのだった。
「……一つだけ、貴方に教えておきます」
答えは、この場では返らなかった。
否定こそはしなかったものの、弟に肩を借り立ち上がった卑弥呼は、首を縦には振らなかった。
その詫びのつもりだったのか。それでも卑弥呼は最後に一つ、信玄と立香に、彼女が握る、情報を残したのだった。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの真名……それを私に教えたのは、残るアサシンのサーヴァントです。奴は貴方達の陣中に、息を潜めて忍び込んでいる」
「……!」
腹いせであったのかもしれない。
あるいは、協力の意志だったのかもしれない。
いずれにしても、卑弥呼はその秘を、武田信玄へと明かした。
どこからか卑弥呼の陣営に漏れた、天才ダ・ヴィンチの真名。
未だ姿を現さない、最後のサーヴァントの所在。
二つの謎が一つに重なり、真実の扉を開く鍵を成す。
今更、虚言など吐くまい。誰もがそのことは理解していた。
なればこそ、突きつけられた事実は、重く大きなものとして、誰もにのしかかったのだった。
◆
「どうやら、終わったようですね」
戦場を、見下ろす者がいる。
高い小山の上に立ち、一切を見下ろしていた影がある。
それは二つ。超常が二つ。
黒髪の魔剣士・セイバーと、翡翠の輝きを放つキングゥ。
今やこの日ノ本において、最強の陣営となった両者が、この争いを見下ろしていたのだ。
挑みかかるのはどちらなのかと。この刃にて切り捨てる敵は、果たしていずれになるのかと。
「今から攻めるつもりかい。今ならば万一も過つことなく、首を落とせるだろうけど」
「いいえ、それは同じこと。同じ芥を片付けるなら、せめて持てる抵抗を、全て示してくれなければ」
でなければ、あまりに面白くないと。
微塵も勝利を疑わぬ剣士は、なればこそ僅かでも楽しむために、この場を黙って見送るのだと。
くすりと笑んだセイバーは、キングゥからの問いかけに、今は捨て置くと返したのだった。
信玄には何か奥の手がある。だからこそ、あのランサーの居城に、何らかの改築を施したのだろう。
それこそを見せてくれなければ、やりがいもないのだと、そう言ったのだ。
「そう」
いたぶる愉悦を理解はするが、どうやら方向が違うらしい。
短く返したキングゥの言葉に、おおよそ共感という念は、何一つ宿されていなかった。
そんな余分は捨ててしまえと、そう吐き捨てるような返答だった。
「とはいえ、遠からず決着はつきましょう。その時は無論、貴方にも、腕を振るってもらいますよ」
これで用事は終わりだと、そう言わんばかりにセイバーが告げ、黒髪を揺らして背を向けた。
鎧姿と白い衣が、キングゥの脇をすり抜ける。
同盟者に一瞥もくれることなく、散歩のように気軽な歩みで、小山を下らんと馬に近づく。
「……一つ、聞いておきたいことがある」
そのまま、立ち去らせてはいけないと思った。
間もなく終わるというのなら、このあたりでこの胸の疑問を、一つ、晴らさねばならないと思った。
キングゥは馬に跨る前の、セイバーの背中へと問いかける。
自分が知っているものと、同じはずでありながら、あまりに変わり果てたその背中へと。
何でしょう、と問い返すセイバーに、一瞬の間をおいたあとで、キングゥは、その口を開く。
「オマエ、アイツは――■■はどうした?」
その問いが、瞳を見開かせた。
何を考えているのかも知れない、剣の魔人の鉄面皮に、初めて動揺の色が浮かんだ。
それは小さな驚きかもしれない。だとしても、それすらもキングゥにとっては、初めて目の当たりにした揺らぎだ。
「……ああ。■■。いや、■■でしょうか? そういえばこの関ヶ原では、とんと姿を見ていませんが……それが何か?」
しかしそれは、触れられることを、拒むが故の緊張ではなく。
心底からどうでもいいことを、今更問いただされたことへの、ささやかな驚きでしかなかったらしい。
確信に迫るはずの問いを、それが何だというのだと、心からそう思いながら、セイバーが問いを投げ返す。
「いや……それなら、いい」
その程度にしか思っていないなら、この問いかけには意味がないと。
キングゥがそう答える様を見届けると、セイバーは今度こそ愛馬に跨り、静かにその場を立ち去った。
ああ、そうか。そうなのかと。
もはや感慨も何もなく、驚きの感想すら消えた背中を、見送りながらキングゥは思う。
この問いにそう答えたのならば、やはりあの者は、そうなのだ。
これまで抱いていた違和感や疑念が、あるいはそうなのではと感じていた思いが、いよいよ確信として固まったのを感じた。
お前が奴の存在に対して、斯様な認識を抱いているなら。
かの地でも供として従えていた、あの男の存在を、その程度の言葉で切り捨てられるなら。
(やはり、オマエは――)
かの第七特異点にて、一度だけ相対した女と、彼女とは――
◆
「――そう。これにて幕開けは終わる」
そして、戦の只中にあって、もう一つ見守る眼差しがあった。
それはセイバーとアーチャーのように、高みから見下ろすものではなく。
怒号の戦場のその最中から、間近で見渡していた者の目だった。
「そして、これより始まるのだ――望まれるべき終焉が」
くつくつと。
静かに笑うその声を、聞いたものは、誰もいない。
たった一人の宣言に、気付いた者は誰一人なく。
未だ現れぬ最後の役者は――しかし最初から演壇の上に、確かに立っていたその者の声は、今はまだ、誰にも届かなかった。
最終更新:2018年02月12日 17:52