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第十四節:いいよ

 見上げれば永遠の青空。
 見据えるは永久の蒼海。
 船を漕ぐことさえ必要ない。
 波の向かうまま、風の吹くまま船は往く。
 あるかもわからない陸地を目指して。

 私が見つけたのは、そんな少女だった。
 この世の全てを諦めた顔をした、小さな娘。
 希望もなければ絶望もない。
 終わらない旅の中で、心を仮死させてしまった漂流神。
 蛭子命。私にとっては、遠い異国の神。それが、少女の真名であった。

 私を見つけた時、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
 どこまで進んでも何もない水面に突如私のような異形が現れたのだ、至極まっとうな反応といえる。
 もっとも、面食らったのは私も同じ。
 あの戦いで死んだはずの私が、何故こんな場所に流れ着いてしまったのか。
 理屈は結局最後まで判然としなかったが、仮説を立てるのは容易だった。
 我らが等しく持つ切り札。人理焼却を阻む敵を滅却する炎。焼却式――その火力はどうやら私の想像を超えて凄まじいものだったらしい。
 それを真っ向から浴びて消滅するはずだった私は、余りの熱量に時空の狭間とでも呼ぶべき領域にまで追いやられ、この海に流された。
 つまり、そういうことなのだろう。今更考えても仕方のないことではあるのだったが、性分だ。

 というのも、私は既に滅んだ存在なのだ。
 時間神殿で私が犯した"愚行"のツケは大火傷。
 既にこの体は消滅を待つのみとなっていた。
 数時間か、数日か。どれだけ延命に腐心しても一週は保たない、そんな有様。
 さて、残された時間で何をしたものかと私は考えた。
 船に乗った少女神と一緒に水面を揺蕩いながら、私は考えて、考えて――

 語らうことを選んだ。
 何かを成そうなんて気力はなかった。
 私はそれだけ疲れ果てていたし、満足していたからだ。
 己の滅びという結末に。己が成した、生涯最大の愚行に。

 ……ああ、それにしても傑作だったな!
 不倶戴天の敵である我らに救われて生き永らえた、英雄共の顔は。


「ねえひーちゃん。そろそろきいてもいい?」

「いいよ」

「ひーちゃんには、どうしてわたしがひつようなの?」

 わたしたちは歩いていた。
 魔王を倒して、後はトンネルを超えるだけ。
 それで長いようで短かったこの冒険は終わり。
 わたしたちは、人間の町に戻れる。
 でも、まだわからないことがあった。
 ひーちゃんは人間じゃなくて、蛭子という神様らしい。
 それなら、どうしてひーちゃんが人間の町を目指しているのか。
 どうして、ひーちゃんにはわたしが必要なのか。

「りっかは、このくにがどうやってできたかはしってる?」

「あ……うん。おばあちゃんからちょっときいたくらいだけど」

 昔々、男の神様と女の神様がいて。
 二人は大きな矛でぐちゃぐちゃの大地をかき混ぜ、国を作った。
 それから二人はたくさんの神様を産んだ……そんな話だったはずだ。

「くす、よくしってるね。りっかはものしりさんだ」

「えへへ、そうでもないよう」

「でもぼくのことはしらないみたいだね。
 まあ、むりもないかな。ぼくは、こどもにきかせるにはちょっとつごうのわるいかみさまだから」

 ひーちゃんは少し悲しそうな、寂しそうな顔をした。

「ぼくはね、はじまりのふたりの、いちばんさいしょのこどもなんだ」

 えっ、と声が漏れる。
 それはつまり、国を作った二人の長女ってこと?

「すごい! ひーちゃんはおねえちゃんなんだね、このくにのみんなの!」

「そうなるね、たしかに。でもぼくは、おとうとやいもうととあったことはないよ」

 ぼくは、出来が悪かったから。
 ひーちゃんの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
 同時にわたしは腹が立った。
 出来が悪い。それだけの理由で、自分の子供を捨てるなんて。
 最低だ。ひどすぎる。そんなわたしの心を見透かしてか、ひーちゃんは苦笑する。

「しかたないよ、ぼくにはてもあしもなかったんだ。
 くにをよくすることは、とうじのぼくにはどうやったってできなかった」

「え……でも、いまのひーちゃんは」

「いちおうはかみさまだからね。
 ぼくはおかあさまとおとうさまに、ふねにのせてうみへとながされた。
 ずっと、ずっと。きがとおくなるようなじかん、なにもないところをさまよってた。
 さんびゃくねんくらいですがただけはまともになったよ。ちゃんとうごけるようになるまで、ごひゃくねんくらいだったかな」

 事もなげに言うひーちゃんにわたしは頭がくらくらしてしまう。
 三百年。五百年。とてもじゃないけど、気軽に言っていい年数じゃない。
 気が遠くなるどころじゃない。正直、想像がつかないレベルの時間。

「それからもっとずっとながいじかんがたって。
 ぼくのまえに、ふしぎなともだちがあらわれた」

 あ、もしかするとそれが……。

「そう。さっきじょろうぐもにいった、オロバスさ」

 オロバス――日本人じゃないみたいだけど、妖怪なのかな?
 ひーちゃんの友達。ひーちゃんを助けてくれた誰か。 
 オロバスさんについて話す時、ひーちゃんは……とても楽しそうだった。
 でもわたしには、なんとなくわかってしまう。
 多分、オロバスさんとひーちゃんは、もう二度と会うことができないんだろう、と。
 ひーちゃんの目を見るだけで、わかってしまう。


 私は残された時間の全てを、少女との対話に使うことにした。
 少女の知能は遅れていたが物覚えはよかったので、二日もすれば会話に何ら支障はなくなった。
 とはいっても、もっぱら語るのは私の方だったが。

 少女は外の世界の話や歴史を聞きたがった。
 私が何か語って聞かせるたび、新鮮に驚いて目を輝かせた。
 私に言わせればあくびが出るほどつまらない話でさえ、少女にとっては未知のそれ。
 楽しい時間だった。これまでに過ごしたどんな時間よりも、安らげる数日間だった。
 だからこそ憎らしくて堪らなかった――少女と共に永遠を生きられない、この死に体が。

 その時は無情に迫っていた。
 私は、じきに死ぬ。そう告げた時の少女の顔を、私は何があっても忘れられないだろう。
 この世の全てに見放されたような顔だった。
 いや、事実。彼女にとっては、そうに等しいのだ。
 久遠の時の中に現れた自分以外の"誰か"が消えてなくなれば、また無限の孤独に逆戻りする羽目になるのだから。

 そして私は、彼女を救うことにした。
 この身はすぐに消えてなくなるが、まだ燃料くらいの役割は果たせる。
 目の前の少女はいたいけでか弱いが、それでも神だ。
 ならば……人理介入(レイシフト)の真似事程度、造作もないだろう。

 ……しかし。


「オロバスはぼくにおしえてくれたんだ。おかあさまのところにいくほうほうを」

 ひーちゃんのお母さん。
 わたしたちが暮らす日本を作った神様。
 ひーちゃんを海に流した張本人。
 それでもひーちゃんにとっては、大好きなお母さんのようで。

「ぼくはしんでしまったオロバスのちからをつかって、このきさらぎにやってきた」

 如月でなければいけない理由があったの、とわたしが問うと、ひーちゃんは静かに頷いてみせる。
 そりゃそうだよなと思った。
 理由がなかったら、こんな怖いところを選んだりはしないだろう。
 ひーちゃんはオロバスさんから、お母さんのところに行く方法を教えてもらったと言った。
 じゃあつまり、この如月は……そこまで考えて、わたしははっとする。
 わかった――そういうことか(・・・・・・・)

「……ひーちゃんのおかあさんは、となりまちにいるの?」

「うん。そうだよ」

 話しながら歩いていると、とうとうトンネルが見えてきた。
 伊佐貫トンネル。わたしたちがずっと目指してきた目的地。
 あの先に待つ《かたす》に逃れるため、たくさん怖い思いをしてきた。
 いろんな妖怪に出会って。いろんなものと戦って。
 死ぬ思いをしながら、ここまで来た。ここまで来れた。

「ぼくのおかあさまは、このむこうにいる」

 ……あれ。
 そういえば、国を産んだ二人の神様は。
 その後、どうなったんだっけ?

「ごめんね、りっか」

 ? なんで謝るの?
 わたしがひーちゃんの顔を見ると、ひーちゃんは――唇を噛み締めて、苦い顔をしていた。
 まるで、すごく悪いことをした、とでも言いたげな顔。
 あと少しでその《かたす》に着くのに、なんでそんな顔をするんだろう?
 不思議に思いながら、わたしはトンネルの中に一歩踏み入った。

「このさきはね、にんげんのまちなんかじゃないんだ」

 その時ひーちゃんは、そんなことを言った。

 ――え? それは、どういう。

「このさきは、《根之堅州国》」

 ねの、かたすくに。
 かたす、というのは略していただけだったらしい。
 わたしには聞き覚えのない名前だったけれど、ひーちゃんの口振りからするに、どうやら有名な町? 国? のようだ。

「ぼくのおかあさんは、あるかみさまをうんだときにしんでしまった。
 それから、このさきのくににすむことになったんだよ」

 ……あ。
 思い出した。
 国を作った神様は、別れてしまうんだ。
 死んでしまった奥さんを追いかけた旦那さんが、おそろしい姿になった奥さんから逃げ出して。
 奥さんは毎日これだけ人を殺すと呪いをかけ、旦那さんはじゃあそれよりこれだけ多く人を生むと切り返したんだっけ。

 死んでしまった、神様。
 おそろしい姿になってしまった、神様。
 ひーちゃんのお母さんが、あの神様だというのなら。
 じゃあ、この先にあるのはひーちゃんの言う通り、人間の町なんかじゃなくて――

「このさきは、しんだいのちがむかうばしょ」

 ひーちゃんが足を止めた。
 とん、と後ろに一歩下がる。
 振り向くと、ひーちゃんはわたしの後ろを塞ぐように立っていて。

「……ひーちゃん」

「うん。ごめんね、りっか」

 ……ああ。やっぱり、そういうことなんだ。

「ぼくといっしょに、しんでほしいんだ」

 ひーちゃんの声は淡々としていた。
 淡々と、そんなことを言った。

「このトンネルをぬけるとね、いきているものはしんでしまう。
 いきたにんげんのきみもそうなるし、しんだことのないぼくもそうなる。
 ……ぼくひとりじゃ、トンネルはこえられない」

 一人で逝けるならよかったんだけどね。
 ひーちゃんは言う。あの魔王みたいに、冷たい声で。

「ぼくは、りくにいるべきでないかみさまだから。
 ぼくひとりでここをとおりぬけようとすると、はじかれてしまうんだ」

 通るには、生贄が必要だった。
 わたしの後ろからひーちゃんの声がする。
 つまり、最初からそういうつもりだったんだ。
 ひーちゃんは、わたしを騙していた。
 多分、わたしをここに迷い込ませたのもひーちゃんなんだろう。
 死の国に行くために。
 そして、お母さんに会うために。

「ごめん。ほんとうに、ごめん」

「ひーちゃん……」

「ぼくは」

 夜の闇に。灯りのないトンネルの中に、二人の声だけが反響している。

「ぼくは、もう、ひとりはいやなんだ」

 声はいつしか絞り出すようなものになっていた。
 せめて、せめてと装っていた平静が崩れていく。
 ひーちゃんは神様だ。その力を、わたしも見てきた。
 けれどひーちゃんは決して大人じゃない。
 長い時間を生きているだけで、心も体も成長していない一人の子供。
 ずっと一人きりだったひーちゃんは、オロバスさんとの出会いで知ってしまった。

「だから、きみをつれていく」

 ……一人じゃないことの、喜びを。

「ともだちのきみをつれて、ぼくはしぬんだ」

 ひーちゃんの手がわたしの背中を押す。
 優しく、それでいてしっかりと。
 後ろに回ったのはきっと逃げられないようにするためだ。
 もし逃げられたら、わたし一人捕まえられないくらい……今のひーちゃんは疲れ切っているのか。

「……ひーちゃん」

「……なに、りっか」

「わたしは、"いけにえ"なんだよね」

 そうだよ、とひーちゃんは答える。 

「さいしょから、そのつもりでわたしとともだちになったんだよね?」

 もう一度。
 そうだよ、とひーちゃんは答える。

「じゃあ、なんで……」

 わたしは、振り返らない。
 ひーちゃんの方を、如月の方を振り返らない。 
 ひーちゃんは多分、今の自分を見られたくないだろうから。
 見られたくない顔をしてることが、後ろを向いててもわかるから。

「なんで、そんなにつらそうなの……?」

「っ、そんなこと!」

「そんなこと、あるよ」

 わたしを騙して生贄にする。
 それがひーちゃんの企みだったはず。
 ようやくそれが叶おうとしているんだから、笑い声の一つもあげたっていいはずだ。
 なのに今のひーちゃんは、どこまでも辛そうで、痛々しくさえあった。
 そんな辛そうな姿が、でも、わたしにとってはとっても嬉しい。
 だって、それは。

「……ありがとね、ひーちゃん」

 ひーちゃんが、わたしのことを本気で友達と思ってくれている証だから。
 ひーちゃんは今苦しんでいる。苦しんでくれている。
 わたしという友達を自分に付き合わせることを、申し訳なく思ってる。
 多分最初は、嘘の友達だったんだ。
 けど……この一夜でいろんなことがあった。


 何度も死ぬかと思った。
 そのたび一緒に乗り越えた。
 奇跡だって起こして、みんなの力で最後の壁も壊してやった。
 わたしは最初から、ひーちゃんのことを友達だと思っていたけれど。
 ひーちゃんも、一緒に過ごす内に……わたしのことを本当の友達だと思うようになってくれた。
 わたしたちはそうやって、本当の友達になれたんだと思う。
 お互い、こういう状況にならないと自覚しないくらい自然な流れで。


 思い出す。
 わたしを育ててくれたお母さんとお父さん。
 いろんなことを教えてくれたおばあちゃん。ぶっきらぼうだけど優しかったおじいちゃん。
 クラスのみんなと遊んだ時間はとてもとても楽しくて、退屈だった学校の授業も今はまた受けたくてたまらない。
 小さかったわたしが小学校を卒業して、どんどん上の学校に行って、大人になって社会に出ていく。
 みんながそれを楽しみにしてくれているだろう。
 あれこれ考えて、夢を見て、ここまで出来の悪いわたしを育ててくれた。


 そしてわたしも、死にたくなんてない。
 もっと遊びたい。もっと学びたい。もっと、お母さんたちと一緒にいたい。
 まだ行ったことのないところに行きたい。立派なお姉さんになって活躍したい。
 こんなヘンな町だってあるんだから、もしかしたらそのうち、世界を救うために戦うなんてマンガみたいなこともあるのかもしれない。
 死んでしまったら、そういうことは全部できなくなる。
 少なくとも、わたしの大好きなみんなとは――もう二度と。


 ……多分ひーちゃんは、迷ってる。
 わたしを連れて行く、本当にそれでいいのかって。
 だからわたしが泣いて暴れたら、きっと諦めてくれるだろう。
 ひーちゃんは優しいから。どんなに悪ぶったって、根は心優しくて面倒見のいい女の子だから。
 けれど――諦めた先は今度こそない。今の疲れきったひーちゃんじゃ、もう一度伊佐貫まで冒険するのは無理だ。
 場所は変わっても、また永遠の孤独が待っている。今度こそ、ずっと一人。"もしも"は二度とない。


 だから――、


「いいよ」


 わたしは、そう答えた。


「……え」

「いいよ。ひーちゃんといっしょにいく」

 死にたくない。
 生きていたい。
 わたしを育ててくれたみんな(・・・)のために。
 わたしと友達になってくれたみんな(・・・)のために。
 生きて、大人になりたい。
 でもそうしたなら、わたしは目の前の大切なひとり(・・・)を絶対に助けられない。

「ひーちゃんのおかあさんがいるところなんでしょ?
 ちょっとこわいけど……へへ、いってみたらいがいといいところかもしれないし」

「な……なん、で。そんな……」

 わたしは決めた。
 ここでひーちゃんを見捨てたら、わたしはきっと永遠に後悔する。そう、永遠に。
 おとなになっても、おばあちゃんになっても、死ぬ時まで悔やみ続けるだろう。

 ――あの時、ひーちゃんの手を握ってあげられればよかった。
 そう思うことが、わかるんだ。だからわたしは、ここで間違う。
 ひーちゃんについていくという間違ったことをする。みんなじゃなくて、ひとりを選ぶ。

「しんじゃうんだよ? りっかのだいじなひとたちのところには、ずっとかえれないんだよ?」

「……それはちょっとだけいやだけどさ」

「なら、どうして……!」

「ひーちゃんだって、だいじなひとだよ」

 ひーちゃんが息を呑む、音。
 そこでわたしは、手を後ろに伸ばした。
 わたしの背中に触れていた、ひーちゃんの手。
 それをぎゅっと、ぎゅっと、力強く握り締める。

「わたしは、きみをたすけたい」

 にぱっと、笑顔で。
 恐怖も迷いも蹴飛ばした。

「いままで、たすけられてばっかりだったしね。
 こんどはわたしがひーちゃんをたすけてあげる。
 これでおあいこだよ。むこうにいったら、かしかりなし」

 言い終えるや、否や。
 わたしの背中に、ぎゅっと温かい感覚が押し付けられる。
 ひーちゃんが、わたしの背中を抱きしめている。
 そして、嗚咽を漏らしていた。
 堪えていたものが決壊したみたいに。

「っ、えぐっ、ごめん、ごめん。ごめん、なさい、ごめんなさい……!!」

「……よし、よし。いいんだよ、がんばったね、ひーちゃん……」

 ずっと小さい子供にそうするみたいに、わたしもひーちゃんを抱きしめて背中をさする。
 初めて、本当のひーちゃんを見た気がした。
 ひとりぼっちは、もういやだ。
 ひーちゃんはその為に頑張って、頑張って、頑張ってここまで来たんだろう。
 ……でも、ひーちゃんは優しい子だから。
 こんな風に泣いてしまう。生贄のわたしに、申し訳ないって思ってしまう。
 そんな子が、これから先ずっとずっと一人きりで永遠を生き続けなきゃいけないなんて、絶対間違ってる。
 だからわたしはひーちゃんを助ける。絶対後悔しないって、胸を張って断言できる。


 ……どれくらいそうしていただろう。

 わたしたちはまた、二人並んで歩き出していた。
 今度はもう、止まることはしない。
 目指すはトンネルの出口、その向こう。
 死んだ人の魂が集う《根之堅州国》。
 これから、わたしたちは――死ぬ。

「いこ、ひーちゃん」

「うん」

「いっしょだよ」

「うん」

 わたしたちの靴音が、かつかつと響く。
 一歩前に進む度に、漂う空気の質が変わっていくのがわかった。
 悪くなっているとか、淀んでいるとかじゃなく。
 純粋に、ここから先は生きては入れないところなんだな、と教えてくれる。
 変な話だけど、このトンネルはずいぶん親切みたいだ。
 ここから先に進むと死んでしまうよと、これだけ丁寧に忠告してくれるんだから。

 さあ、出口もだいぶ近付いてきた。
 これからわたしたちの向かう場所は、どんな景色が広がってるんだろう。
 目を凝らして――そこで、わたしは気付く。ひーちゃんに目を向けると、ひーちゃんも気付いたようだった。

 出口から三メートルくらい前のところに、誰かが立っている。
 人間じゃない。その姿を正確に認識しなくても、気配だけでそうわかる。
 もっと近付いて……わたしたちは、それが誰かを理解した。


 そして、心の底から絶望した。


「……うそ、でしょ……」


 ―――水面色の剣妖。

 数時間前にひーちゃんを打ちのめした、恐ろしく強い妖怪。
 あいつが……ここから先には通さぬと、体と同じ色合いをした剣を片手に立っていた。


 戦える、わけがない。 
 勝てる、わけがない。
 ひーちゃんにもわたしにも、もう余力なんてまったく残ってないのに。
 妖怪は、わたしたちに斬りかかってはこない。
 ただ、道を塞いでいるだけだ。
 その「塞いでいるだけ」が、わたしたちにとってあまりにも絶望的だった。

「……どいて」

 ひーちゃんの手に水が湧く。
 けれどそれは、もう槍にすらならないで地面に落ちる。
 妖怪は、無言だった。
 無言のまま、微動だにしない。
 ……どく気はない、ということなのは明らかだ。

「……どいて!!」

 ひーちゃんが駆け出す。
 それを、妖怪は武器も構えずに受け止めた。
 ひーちゃんにこれを力ずくでどうにかする腕力はない。

「どいて! どいてよ!!」

 ひーちゃんは頭がいい。
 だからわたしとは違って、あの魔王との戦いの中でもこれの存在を覚えていたんだと思う。
 その上で、割り切った。魔王も倒してこっちも倒すなんてのはどうやっても無理だから、目の前の敵だけを確実に倒すことにしたんだ。
 あの戦いの最中もずっと姿を現さなかったし、賭ける価値は確かにあった。
 でも、蓋を開けてみればこれだ。
 割り切ったハードルは、ゴールの手前で待っていた。
 わたしたちにはもう、ジャンプの一回をする力もない。
 気付けば、わたしも駆け出していた。

「こ、のおおおおお!!」

 叩く。
 びくともしない。
 蹴る。
 びくともしない。
 何をしても、まったく抵抗しないのに――何をしても、どかせない。
 ひーちゃんの手を引いて回り込もうとしてみる。
 今回は倒す必要はない。ただ、トンネルさえ抜けられればそれでいい。
 《根之堅州国》に二人で入る、それさえできれば……!

「ぅぐ……!」

 そんな希望さえ。
 最後の妖怪は、許してくれなかった。
 足払い。それだけで終わりだ。
 わたしたちは不格好に地面を転がるしかない。

「ぐ……ううう!」

 それでもわたしは立ち上がる。
 わたしたちは、頑張るしかない。
 膝を擦りむいても、体中痛くても。
 馬鹿みたいに何度でも、こいつに向かっていくしかない。
 だってそうしないと――全部、意味がなくなっちゃうんだから!

 オロバスさんがひーちゃんに残した知識も。
 ひーちゃんとわたしが出会った意味も。
 これまでの冒険も……何もかもが無意味に終わる。
 そんなの許せない。許せるわけない!

「うあああああああああああ!!」

 わたしたちは戦う。
 戦って、戦って、戦って。
 戦って、戦って……
 ………………。
 …………。
 ……。


 もう動けない。
 煤だらけのトンネルの中に横たわって、水面色の剣妖を見上げるしかできない。
 体中が痛くて傷だらけだった。
 敵がやったのは、せいぜい足をかけて転ばせたくらいなのに。
 わたしたちはそれだけで、ボロ雑巾のようになっていた。
 ……どうやっても、勝てない。
 ただの現実だけがそこにあった。

「▅▆▅▆▆▅▆▅▅▇▃」

 妖怪が何かを言う。
 意味わかんないよ。
 それに、うるさいから黙ってて。
 おまえなんかに、何も言われたくない。

「っ……もう、すぐそこなのに……っ」

 ひーちゃんの悲痛な声が弱々しく響く。
 このままじゃ、終わってしまう。
 わたしたちは負けておしまいでした、なんて絶対にイヤだ。
 考えないと。なにか、なにかないか。
 わたしたちが勝つ方法。
 勝って、二人であそこを抜ける手段。

 舌でも噛む?
 いやだめだ。
 わたしだけ死んだって、ひーちゃんが抜けられない。
 ひーちゃんと一緒にそれをやる?
 無理がある。
 合図している段階で、目の前の妖怪に気付かれてしまう。
 あれもダメ、これもダメ。
 いろんなアイデアが浮かんでは消えていく。
 全部、全部――この妖怪さえいなかったら済む話なのに!!

「……っ、う」

 気付けば、目から透明な液体が溢れ出していた。

「うぅぅ、ああああああああああ……!!」

「りっか……」

「えぐっ、ひっ、うあああああああああああっ」

 あとほんの少し。
 本当に、ちょっとだけ進めればいいのに。
 それが叶わない。どうやっても、進めない。
 それが悔しくてやるせなくて、申し訳なくて。
 堰を切ったように、わたしは涙を流して泣き叫ぶ。
 今まで我慢してきたぶん、全部が爆発した。
 自分でも止められない。まるで、赤ん坊に戻ったみたいに。

「ごめん、ひー、ぐしゅ、ちゃん、わたしっ、わたしっ……!!」

 そんなわたしを、ひーちゃんは寂しそうに見つめていた。
 涙で歪んだ視界の中、そんなひーちゃんの表情が変わるのが見える。
 寂しそうな顔から、なにか悟ったような微笑みに。
 諦めた、というのとも違う。吹っ切れたような、笑顔に。

「……ありがとう、りっか。でもね」

 ぽん、とひーちゃんは、擦り傷だらけの手をわたしの頭に置いた。
 そしで左右に、ぎこちなく動かす。何かを撫でることには慣れてないらしい。

「もう、いいよ」

「え……だ、だめ! だめだよ!! だって……だってそれじゃ、ひーちゃんが!!」

 なんてことを言うんだと思った。
 そんなこと、冗談でも言うものじゃない。
 もういいって、だって、それは。
 ひーちゃんの全てを諦めることと一緒だ。
 ひーちゃんは――あんなに、お母さんに会いたがってたのに。

「そうだね……だいしっぱいだ。
 ぼくは、きさらぎのまちをさまようことになるとおもう」

「そんなの!!」

「……でもね。ぼくにちえをさずけてくれたオロバスは、さいごにこうもいってたんだ。
 ぼくにはずっと、そのいみがわからなかった。なんでそんなことをいったのか、ぜんぜんりかいできなかった。
 けど、いまならわかる」

 ぎゅっと、今度はひーちゃんが。
 泣きじゃくるわたしを、抱きしめた。

「ともだちは、だいじにしないとね」


 ……しかし、物事はそう容易くは運ばない。
 何せ三千年の熱量と執念を束ね、類稀なる智慧を以って挑んだ我らが統括局ですら仕損じるのだ。
 他者とのふれあいも悪巧みも、何もかも初心者の君だ。
 きっとこの計画は上手くいかないだろう。
 未来を見通す力など機能しなくなって久しいが、見ずともわかる。
 君は失敗する。計画を粉々に砕かれて、無念のままに敗れ去る。

 されど、敗北は必ずしも無意味ではない。
 敗北から学ぶことも、敗北から転じることもある。
 私が最後に託した力は必ずや、君という命を立派に成長させるはずだ。
 あとは君がどう選び、どう進んでいくか、だが。
 そうだ……ひとつ、助言を授けるならば。

『友は、大切にしたまえよ』

 これでいい。
 ほぼ受け売りに等しい文句だが、初めてにしては上等だろう。
 君が紡いだ絆は、君の行く先がどこであろうと無為とはならない。
 極天に流星雨を降らせた彼女が如く、素晴らしい奇跡を引き寄せてくれる。


 ……ああ、もう時間がない。

 惜しいな。
 もっと、君と話したかった。
 もっと、君と居たかった。
 私の持つ知識を全て授けられるのではと、らしくもない夢を見たりもしたが……所詮は魔神も一個の命か。死の定めには、敵わないらしい。

 私と同じ愚行に辿り着いたアロケルめは、さて何をしているやら。
 無価値に滅び去ったか? それとも、私のように何処かへ漂流したか?
 あれは悪運が強い。ひょっとすると私とは違い、まだ動ける状態で流れ着いたやもしれんな。
 いっそ、神威の喰らい合う極限の戦場にでも飛ばされてしまえ。彼方より眺める座興としては、上等なものになりそうだ。

 存在が消えるのがわかる。
 私の中の生が消えていく。

 ……いや、しかし。存外に、良いものだな。
 誰かを教え、導いて、消え果てるというのは……


 我らの愚かな王、ソロモンよ。あなたも、こんな心地であったのか―――




「かえろ、りっか」

「ひー、ちゃん……」

「これいじょう、きみがきずだらけになるのはみたくないよ。ともだちだから、ね」

 そう言って、ひーちゃんはわたしに肩を貸すようにして立ち上がった。
 自分もぼろぼろなのに、弱音一つ吐かないで。
 自分が一番夢見ていただろう、伊佐貫トンネルの出口に背を向けて。
 よろよろと、歩き出す。こうなるとわたしも、歩くしかない。
 ひーちゃんが転んでしまうから。ぎこちなくても、歩き出すしかないのだ。

 そんなわたしたちの様子を、水面色の剣妖は黙って見ていた。
 何も言わずに、ただ、黙って。
 涙を必死に拭いながら、わたしはごめんねと繰り返す。
 空が白んできていた。夜の終わりが、すぐそこにやってきている。


 わたしたちは、冒険に失敗した。


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最終更新:2018年03月14日 22:12