「はじめてあったときのこと、おぼえてる?」
からだが重い。まるで内臓の代わりに砂の詰まった袋でも入っているみたい。
きっとそれはひーちゃんも同じに違いない。
いや、もしかしなくてもひーちゃんの方がきついはずだ。
だから、わたしが支えてあげないと。
そうやってお互いにからだを支え合いながら、わたしたちは夜の終わり始めた如月の町を引き返す。
他愛もない話を交わし合いながら、笑い合いながら。
「おぼえてるよ。あのときは、ほんとうにあんしんしたなあ。じぶんとおなじ、まいごがいて」
「まあ、けっきょくまいごではなかったわけだけど。
……ぼくはふあんでいっぱいだったよ。わるいことかんがえてるほうがふあんだなんて、おかしなはなしだけどさ」
出会ってすぐてけてけに追い回されたから、あの時は何か考える余裕もなかった。
でも今思うと、確かにおかしいと思うべきだった気はする。
わたししか電車から降りていなかったんだから、当然ひーちゃんは電車でやってきた迷子ではありえない。
もっと前の電車で来たか、それともこんな真っ暗な夜の中、わざわざ駅までやってきていたかのどちらかだ。
ひーちゃんもなかなか詰めが甘い。……このときほど自分がバカでよかったなあって思ったことはないかもしれないな。
もしわたしが気付いてしまっていたら、ひーちゃんとこうやって友達になることは出来なかっただろうから。
「あのね、りっか」
「ん、なに?」
「りっかにはほんとうにわるいことをしたなっておもってる。
でもね、ぼくは……りっかといられてたのしかったよ」
にぱ、とひーちゃんは微笑んで。
「りっかといっしょにぼうけんしたじかんは、ぼくのしょうがいでいちばんたのしいじかんだった」
そんなことを、言った。
わたしもそれに笑顔で頷く。
わたしもそう言おうと思ってたんだ。
この冒険は本当に怖くて辛くて疲れたけど、とってもとっても楽しかった。
ひーちゃんと一緒だから楽しかった。
「わたしもだよ。ひーちゃんといられてよかった」
「……りっかはおひとよしすぎ。ここはおまえがそんなこというな!っておこるとこだよ」
「えへへ、よくいわれる~」
たぶん、性分……ってやつなんだと思う。
お母さんたちからも、将来悪い人に騙されないようにねってよく言われてたっけ。
でもお人好しな自分のおかげでひーちゃんと仲良くなれたんだったら、この性格も悪くないかも。
「ところでさ。りっかは"チョコレート"ってたべたことある?」
「? あるよ?」
「そっか、いいなあ。
オロバスはそとのせかいのたべもののこともおしえてくれたんだけど、チョコレートはそのなかでもいちばんおいしそうだったんだ」
「あのね、くろくてあまいんだよ! ものによってはにがいけど。
あと、チョコレートをおとこのこにおくる"バレンタイン"ってイベントもあるの!」
「へえ……あげちゃうんだ」
「うん。けど、バレンタインにチョコレートをあげたら、ホワイトデーにおかえしのおかしがもらえるの!」
ひーちゃんもやっぱり子供だ。
お菓子の話になると、どことなく目が輝いている。
「オロバスさんは、マカロンっておかしのこともおしえてくれた?」
「マカロン? ううん、それはきいたことない」
「ちいさいマルをうえとしたからあわせたみたいな、かわいいかたちのおかしなんだよ。
チョコレートなんてめじゃないくらいあまくておいしいんだ! わたしのだいこうぶつ!」
「……じゅるり」
まるで普通の女の子同士みたいな顔。
ひーちゃんは知らないことがいっぱいあるから、話してる側もとても楽しい。
ごちそうしてあげたい食べ物も、見せてあげたい景色も、やらせてあげたいゲームもいっぱいある。
けど、それが叶わないことを思い出すと……悪いことをしちゃったかな、と少し申し訳なくなった。
だって、わたしがどれだけ楽しいものを紹介しても。
ひーちゃんは、それに触れられない。
……あ――そうだ。
その時わたしは、自分のポケットに勢いよく手を突っ込んだ。
よかった、ちゃんとある! 落としてなかった!
紙に包まれた、二つの丸くて硬いもの。
おばあちゃんが帰りにお食べって持たせてくれたお菓子。
飴玉だ。うんと疲れた時に舐めようと思って、ずっと忘れていた。
「ひーちゃん、これあげる」
「……! これ――」
「あ、これはしってたんだね! そう、あめだまだよ! いちごあじ!」
おずおずと受け取ると、ひーちゃんは興味深そうに眺める。
オロバスさんは飴玉については教えてくれたようだけど、実際に見るのはやっぱり初めてなんだろう。
こうやって出すんだよ、と目の前で包装紙を解いて、中の飴を出してみせる。
ひーちゃんはおっかなびっくり、わたしの動作をなぞっていく。
「わあ……」
そうして、出てきた飴を見つめる。
すごく驚いているから、わたしも自分の手に載った飴を改めて見つめてみた。
……いつもは全然気にしてなかったけど、よく見ると飴玉ってすごくきれいだ。
透き通った色合いと、閉じ込められた空気の泡。これでおいしいんだから、言うことはない。
「いっせーのでたべよっか」
「……うん」
「いっせーのー、で!」
あむ。
わたしたちは全く同時に、手のひらの飴を口に放り込む。
すると、いちごの優しい甘味が広がった。
「おいしい……」
飴を口の中で大事そうに舐めながら、ひーちゃんがこぼす。
それを見てわたしは思わず微笑んでしまう。
まるで妹ができたみたいだ。
もっといろんなこと、してあげたいな。
この町でだってできること。ひーちゃんのしらないこと。
考えればいくらだって思いつく。たとえばひーちゃんは鬼ごっこもかくれんぼも知らないだろうし、お手玉だってあやとりだって知らないはず。
もっと、もっと――いっしょにいたいな。
ずっと、きみといっしょにいたい。
でも、その願いごとは。
「……あ……」
わたしが人間だから、叶わない。
わたしの視界の先には、駅があった。
はじまりの駅。如月の入口。今は、如月の出口。
「……トンネルしかでぐちがないっていうのもね、うそなんだ。
ぼくはきみを、このえきからまねきいれた。そのぎゃくをやれば、きみをにんげんのまちにかえすことができるんだよ」
心のどこかで期待していた。
引き返したはいいけどやっぱり帰れなかった、そんな結末を。
ひーちゃんとずっといっしょにいられる未来を。
しかしそれは、ひーちゃん自身の手で砕かれる。
お別れが、口を開けて待っていた。
「いこっか」
ひーちゃんが、一歩を踏み出した。
それに続いてわたしも足を動かす。
帰りたくない。帰りたくないのに。
この先になんて、行きたくないのに。
もう、話すことは思いつかなかった。
いや、思いつかないんじゃない。
話したいことは山ほどある。一週間時間があったって、尽きないくらい。
でも……思いついたお話が全部、お別れしたくない、という気持ちにかき消されてしまうんだ。
時間がない。時間がないのに。
わたしは、黙りこくってしまう。
そうしている間に、わたしたちはとうとうホームに着いてしまった。
遠くの方から電車がやってくる。行きとは逆の方向から、眩しいライトを照らしてやってくる。
「りっかは、しあわせになって」
「っ……」
「きみはどこにでもいける。なににでもなれるんだ」
ライトに照らされたひーちゃんの笑顔は眩しかった。
「きみはいつか、おとなになる。
きみのじんせいにもどって、おおきくなっていく。
そしてきっと……だいじなひとにかこまれながら、たくさんのひとをえがおにするさ」
でも、とひーちゃんは続ける。
笑顔のまま、目元を指で軽く拭って。
少しだけ、そのアイスブルーの瞳を潤ませて。
「でも、いつか……いつか。
ひまなときでいい。なにもやることがないときでいい。
おばあちゃんになって、ゆっくりしているときでいいからさ」
―――言った。
「たまにはぼくのことをおもいだしてくれたら、うれしいな」
「わ――」
それで、堪えられなくなる。
そんなのずるい。
反則だ。
そんな、一生のお別れみたいなこと……!!
「わすれないよ!!」
だからわたしは、叫ぶ。
「わすれない! ぜったい、ひーちゃんのことをおぼえてるから!
いつまでも、いつまでも! おとなになっても、ぜったいにわすれないから!!」
電車が、向かい合ったわたしたちの横にやってきた。
扉が開く。わたしをわたしの人生に連れ帰るために。
乗りたくない。乗りたくないんだ。ひーちゃんを置いて行きたくない。
そんなわたしの肩を優しく抱いて、ひーちゃんはわたしをドアの前に立たせる。
わたしはお構いなしに振り返った。微笑んだ、けれど泣き腫らしたひーちゃんに。
「いつか……!」
声を張り上げる。
ひーちゃんはわたしの胸に手を伸ばして、とん、と押した。
くらりと揺れるからだ。
バランスを崩して、わたしはそのまま電車の中に。
ドアが、閉まる。わたしの力じゃ開けられない。
だから、急いで窓を開けた。ああ、もう電車は走り出してる!
聞こえなくなる前に、言わなくちゃ!!
「いつか、ぜったいたすけにいくから!!」
喉が枯れたっていい。
「なんねんかかるか、わからないけど!
おとなになってるかもしれないけど!
ぜったいにきみをたすけにもどるから!」
ここに来る方法なんてわからない。
今は、わからない。
でも、いつか。
いつか、必ず辿り着くから。
きみを助ける。きみを、助けるから!!
「きみをひとりになんて、しないからああああああああああ――――――!!!」
ひーちゃんの顔はもう見えない。
わたしの声だけが響いていた。
電車の中には誰も載っていない。
わたしだけ。わたしの隣に、水色の女の子はもういない。
わたしとはワンサイドアップのあの子。鏡に写したみたいなあの子。
あの子は、もういない。置いてきて、しまった。
「う……うああああああ!! ああああああああああああ!!!」
わたしは泣いた。思いっきり泣いた。
友達をなくすのは、生まれてはじめての経験だった。
■
「…………」
ぺしゃりと、力が抜けたようにその場にへたり込む。
紛れもない神の霊基を持つ少女は、電車の去った方角をずっと見つめていた。
そして。
「やだ……」
子供のように、声をあげた。
「やだぁ……! りっかと、えぐっ、さよならするの、いやだよぉ……!!!」
ああ。
きっとこの想いは、あの時に言うべきだった。
藤丸立香は蛭子命の願いを聞いてくれただろう。
この如月に残って、一緒に永遠を過ごしてくれただろう。
でも、それはしなかった。永遠の苦しさは、蛭子が一番よくわかっているから。
夜の闇に、ただ少女の泣き声が響いていた。
二人の最後の思い出である、いちごの飴が。
ゆっくりと溶かされて、その形を失って。
こくんと、喉の奥に消えていった。
最終更新:2018年03月15日 14:39