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エピローグ:如月

 さまよっていた。 
 気が抜けたように、ふらふらと。
 仮にも神様だ。からだの傷は、すぐに癒えていく。
 あれだけボロボロだった漂流神のからだは、今や傷一つない。
 魔力の消耗は今も重度で、まだ宝具の欠片すら使えないような有様だけれど。
 生きていく上では、何の支障もない。

「……やっぱり、あさにはならないんだね」

 白み始めた空は、また闇に覆われ始めていた。
 この如月に朝は来ない。永遠に、夜を繰り返す。
 夜の終わりが夜の始まりに直結する異界。
 あの海原に比べれば、変化があるだけマシというべきだろうか。

 くしゃ、と、手のひらでいちごの残り香が芳しい包装紙を握る。
 これが、彼女に残された最後の思い出だった。
 藤丸立香。たった一晩だけの友達。自分の人生に帰っていった、心優しい女の子。

 あの子はきっと変わらないだろう。
 優しいまま、お人好しなまま大きくなるだろう。
 そして、いつかきっと大きなことを成し遂げる。
 あの子は奇跡を起こせる人間だ。
 人の心を、敵味方問わず掴んで引き寄せる。
 あの子なら、世界だって救えるかもしれない。
 ……大袈裟かな、と少女神は苦笑いした。

 その時だった。

「……なんだ。まだいたの、あなた」

 道の先を塞ぐように、見覚えのある妖魔が立っていた。
 顔のない女妖だ。水面色の剣妖を連れていたが、戦いには一度も参加しなかった存在。
 それが、道の真ん中に立っている。空洞の顔は、確かに蛭子命へと向けられていた。

「まだなにかようがあるの? しんぱいしなくても、あのこはにんげんのまちにかえったよ」

 藤丸立香を連れてトンネルを越える計画は失敗した。
 もう一度やる余力は残っていないし、気力もない。
 自分ひとりの命でならまだしも。
 誰かを犠牲にして永遠から抜けるという気には、どうもなれそうになかった。

 ……せっかくオロバスが教えてくれたのに。ぼくは、あの子にずいぶんほだされてしまったみたいだ。
 そう思うと、また苦笑が溢れた。

「▆▄▇▇▅▆▇▆▄。▃▇▇▅、▆▆▄」

「なにいってるかわかんないよ」

 これとあの剣妖は、遂に何を言っているのか一度も分からなかった。
 ざざざざ、と、耳障りな音で喋るのだ、こいつらは。
 それを世の人は"砂嵐(ノイズ)のような音"と形容するのだったが、そのことを蛭子命は知らない。

「……あ、そうだったね。忘れてたや。ノイズ外してもらわないと」

「……ふつうにしゃべれたの?」

 あーあー、と。
 その声は、意外にもまっとうな女性のそれだった。

「よし、これでオッケーかな。
 いやあ、ごめんね。わけが分からなかったでしょ?」

「まあ、ききとれなかったし」

「それだけじゃなくてさ。わたし達の存在が、だよ」

 言われてみれば確かにそうだ。
 蛭子命の計画は、彼女達によって阻止された。
 言うなればウォッチャー一派の手によって。
 ……だが、蛭子命はそもそも彼らが何者なのかを全く知らないのだ。
 如月の町に紛れ込んだ異物。何故かはわからないが、自分の企てを把握している集団。

「ほんとはもっと早く普通に話したかった。
 乱暴だってしたくなかったんだけどね。
 やっぱり、直接会っちゃうのはまずいらしくてさ。
 仕方なく姿を変えて、声も変えて、大事なことを何も教えないまま邪魔することにしたんだよ」

「……なにいってるの? さっぱりわからないんだけど……」

 訝しむような顔で、少女神は頭をポリポリと掻く無貌の女を睨む。

「この町はね、特殊なんだ。
 現実の隣にある異界。"普通の時間軸とは隔絶されている"、だったかな。
 とにかくそんな場所だから、レイシフトが持つ意味も特異点のそれとはずいぶん変わる。
 こう言って分かってくれるかちょっと自信がないけど、そのまんまタイムトラベラーになるんだよ、わたしは。
 過去でやったことは直接的に未来を変える。人理の修正力とか、そういうものからも弾き出されたところだからね。《如月》は」

「れい、しふと? たいむとらべらー?」

 さっぱり意味がわからない。
 もっとわかりやすい言葉で説明してほしい。
 疑問符をたっぷり浮かべて首を傾げる蛭子命に、今度は女妖が苦笑する番だった。

「察しが悪いね、きみは」

 そして、その全身像が乱れ始める。
 偽装を、迷彩を解くように。
 烏がどこかで鳴いた。




「いやあ、痛いですね。霊核を直接ぶち抜かれるというのは……」

 隻腕の男だった。
 体がほとんど透明化している彼は、じきにこの異界から消滅する身であった。
 小泉八雲の後輩たるウォッチャー。
 妖怪を誰より理解し、友人として愛した男。

「むしろ何故、まだ原型を保っているのだ貴方は。
 戦闘続行のスキルを持っているわけでもあるまいに」

「まあ、近代じゃ一番苦しい時代を生き抜いた野郎のド根性ってことで一つ」

 煙管から紫煙を吐き出しながら、ウォッチャーはくつくつと笑う。 
 その傍らに立つのは、日本人離れした体格と顔立ちを持つ美丈夫だ。
 彼に囁かれたなら、どんな女でもコロリと落ちてしまうだろう。
 そして彼自身、それをそこそこ喜ぶ性根だから質が悪い。

「私に言わせりゃ、おたくも大概だったと思いますがね。
 最強の騎士とはよく言ったもんだ。上皇陛下を止める時にも出てきてほしかったです」

 それを言うのは卑怯でしょうと眉を顰める騎士に、また笑うウォッチャー。
 彼らは今、ビルの屋上に居た。そして、ある二人を見据えている。
 無貌の女妖と、心中を企てた漂流神。永遠に囚われた虜囚。

「……しかし、意外だった。
 あの八雲という男は、漂流神を滅ぼすのを目的としていたようだが。貴方は違ったのだな、隻腕のウォッチャー」

「ええ。八雲さんは気難しい人ですから、言いませんでしたがね」

 ウォッチャーは続ける。
 遠くを見て、満足げな笑みを浮かべながら。

「私は争いってもんが嫌いなんですよ。
 そりゃ漫画の中じゃ、戦う奴らを描くこともありますが。
 出来るなら、仲良くおかしくあれるのが一番だろうと常に思ってます」

「なるほど。"彼女"の言っていた、あれか」

「夜は墓場で運動会とまでは、行かずともね。
 人も妖怪も、報われるべきなんです。あり方はどうあれ、どっちも立派な命なんですから」

 結果的に、此度の騒動は彼の狙い通りになった。
 小泉八雲が彼を苦手としていたのも、頷ける話であろう。
 この男はとにかく、食えない。
 そのくせとびきり優秀だから、最悪なのだ。

「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ~……ってねえ」

 鼻歌を歌う観測者に、最強と謳われた騎士は、ただ嘆息するしかないのだった。




「……え……?」

 息が止まる。
 神が、口をぱくぱくとさせるしかない。

「……長かった。
 けど、一度だって忘れなかった。
 ずっとね、きみのことを覚えてたんだ」

 迷彩が解ける。
 なくなっていた貌が、露わになる。
 整った顔だった。愛嬌のある、顔だった。
 橙色の髪が夜風に揺れる。
 蛭子の水色の髪も、同じく揺れる。

「きみにとっては一瞬だったろうけど、わたしにとっては十年以上の長旅だったよ」

 くす、と笑うその顔。
 弾むようなその声。
 どちらも、少し変わってはいたけれど。

「話したいことがいっぱいあるんだ。
 わたしね、世界を救ったんだよ?
 いろんな人と出会って、いろんな人と仲良くなった」

 あまりにも、覚えのあるものだった。
 忘れられるはずもない、ものだった。 

「けど……せっかくここまで頑張ってきたんだ。
 その前に、一回だけ格好つけさせてよ。
 きみにね、ずっと言いたい言葉があったんだ。
 もし、もしもう一度、きみの前に立てるなら。
 その時は絶対こう言ってやるんだって、十年前から決めてたの」


 涙が溢れ出す。
 ぺたんと、力が抜けてまたへたり込む。
 そんな神様に、人間は笑って言った。


「――――助けに来たよ、ひーちゃん」


 さあ、夜の続きを見に行こう。




亜種異空世界 A.D.2007 無間暗黒迷界 如月



神子漂着






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第十五節:いつか、いつか 無間暗黒迷界 如月 神子漂着

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最終更新:2018年03月15日 14:42