「残念です」
命の灯火が何度目かの消灯を迎えた。
でも、ナーサリーはぐ、と体を動かす。
痛みに嗚咽をこぼしながら、それでも動くその意味はひとつ。
いばら姫の甘い声を拒んで、あいつは永久機関・少女帝国を使ったのだ。
悩ましげにため息をつくいばら姫に、僕は懲りずに駆け出していた。
「あなた様も学習しない方ですわね。痛くされるのが好きというわけでもないでしょうに」
今度は上から鞭に叩き伏せられる。
殺しに来ないのは、彼女なりの優しさなのか。
哀れんだように眉を垂れ下げて、いばら姫は僕に言う。
「一体どういう偶然が【もうひとりのナーサリー・ライム】なんてものを紛れ込ませたのかはわかりませんが……。
手品の種さえ割れてしまえば脆いもの。わたくしの救いを邪魔するものは、これで何一つなくなりました」
「まだ、僕がいるぞ……」
「あら、これは怖い。念入りに叩いておかなくてはなりませんね」
起き上がろうとして、また叩き潰された。
骨が何本か逝ったのが自分でわかる。
痛いな、くそ。
肺に肋骨が突き刺さったとか、そういう笑えないやつは勘弁してくれよ?
「時に、わけを知っているなら最後に教えてほしいのですが。実際のところどうやったのですか?」
「……が、っ。な、にが、だ」
「レム睡眠の延長線上に設置したこの特異点にあなた様が踏み入れたことは、まあよしとしましょう。
しかしその少女に関しては本当にわからないのです。
クラスも違えば宝具も性質も違うのに、【炉心】のナーサリー・ライムと寸分違わず同じ霊基を持って活動している」
「……それで?」
「別々なクラスで召喚された同じ英霊を並べたとしても、そっくりそのまま同じ霊基反応が出るなんてことはありませんよ?
何かわたくしの知らない、それこそあなた様の天文台にしかない技術でも使って介入してきたとしか考えられないのです」
心からの疑問を吐露するいばら姫。
僕はそれを鼻で笑ってやった。
「悪いけど知らないし、あんたなんかに教えてやる義理もないね。一生頭悩ましてろよ」
「つれないのですね。では、おしゃべりもそろそろ終わりといたしましょう」
僕の頭上から、茨の槍が音を立てて生えてくる。
ナーサリーを囚えた鳥かごは相変わらず動き続けている。
僕はとうとうそれを止めることが出来なかった。
いばら姫の口がまた緩む。
処刑人と呼ぶにはあまりにも浮ついた顔だった。
「さようなら、藤丸立香。さようなら、ナーサリー・ライム。
あなた方の奮戦は無駄に終わりましたが、その生き様は実に素晴らしいものでございましたよ」
「……あー。最後にひとつ、僕からもいいか」
「うふふ、なんでしょう?」
えげつない真似ばかりしてくる女だったが、辞世の句を詠ませてくれる優しさは残っていたらしい。
その温情に心の底から感謝しながら、僕は血が貼り付いて息苦しい喉から声を絞り出した。
「しゃべりすぎだよ、お姫様」
「へ?」
オーダーチェンジ。
僕は、【炉心】と【白ドレスのナーサリー・ライム】を入れ替える。
「は? え? えっ?」
「あんたが教えてくれたんだぜ、【炉心】と【白ドレス】はミリ単位で同じ霊基反応を持ってるって」
僕が今着ている礼装はカルデア戦闘服というものだ。
この服には三つの機能が搭載されている。
内の二つについては散々見せてきた通りだ。
火力を底上げする全体強化ととにかく小回りの効くガンド。
一方で残り一つは、これまでこの病棟では一度も使う機会がなかった。
それもそのはずだ。だってこれは、自分が複数のサーヴァントを同時に使役してるのが前提のスキルなんだから。
「詳しい原理は知らないけど、今の僕はナーサリー・ライムのマスターだ。白い方だけどな。
なら、完全に同じ霊基を持つ【炉心】のナーサリー・ライムも僕のサーヴァントとして数えられたっておかしくはないだろ」
「あ、あああ、あな、た。な、なにを!」
「ギャンブルだったけど、結果はこの通りだ」
オーダーチェンジ。味方二体の位置座標を、文字通り【入れ替える】。
これにより僕は白ドレスのナーサリー・ライムを茨壁の向こうに回して。
【炉心】にされていたナーサリー・ライムを鳥かごの中に転移させた。
慌てていばら姫は鳥かごの動作を止める。
そうだよな、その子は殺せないよな。
大事な【炉心】なんだもんな? 今更代わりなんて利くわけがない。
「作動中の精密機械からコンセントをぶっこ抜いてやったみたいなもんだ。あんたの安物聖杯は、果たしてちゃんと動くのかね?」
多分今、僕は世界一性格の悪い笑顔を浮かべているだろうな。
でも仕方ない。今日くらいは許してくれ。
面白いくらいうまく決まったんだから。
茨の城、院長室が比喩でもなんでもなく震動する。
壁の向こうで何かよからぬ事態が起こり始めているのは明白だった。
「――聖杯が……!!」
いばら姫は僕から視線を外して安楽椅子を立ち、壁の向こうに駆けていく。
お姫様の注意が僕から反れたのをしっかり確認した上で、僕は吠えた。
「やっちまえ、ナーサリー!」
「――うん!」
壁の向こうから響く声。
後ろ姿だけでも、いばら姫が青ざめたのがわかった。
あの子は何度も何度も殺された。涙さえ流して殺され続けた。
でも、諦めはしなかった。
なら怯みなんかしないよなと確信しての命令。
【ご都合主義】の彼女は、そんな無茶振りに元気な返事で応えてくれて。
「や、め。―――やめてええええええええええええっ!!」
いばら姫の絶叫を無視して、壁の向こうで管に繋がれた【聖杯】をぶった切った。
割れる黄金の杯。ほんとは回収しなきゃいけないらしいけど、どうせ夢だ。
それに粗悪品の聖杯なんてサーヴァントに使えないしな。
いばら姫は半狂乱になりながら茨を動かしてナーサリーを攻撃するが、それすら遅い。
茨の壁を一撃で消し飛ばして、白ドレスの少女がこっちに駆けてくる。
自分をさんざん痛めつけた鳥かごも同じように破壊した。
そして、中の少女を。
ずっと助け出したかった黒ドレスの【自分】を、ついに彼女は抱き上げる。
「お兄ちゃん!」
「僕も全身バキバキなんだけどな……! まあいい、子供一人ならなんとかなるだろ!!」
もうひとりのナーサリー・ライムを受け取って、離さないよう抱え上げる。
そんな僕らを、いばら姫は茫然自失とした様子で見つめていた。
その瞼は開かれている。
宝石みたいな黄金色の瞳を、僕はじっと睨みつけた。
「……ほんとのさいごだね、これが」
「そうだな。特異点が消えるのが早いか、僕らがあいつを治すのが早いか」
まだ仕事は終わっちゃいない。
ナイチンゲールに託されたでっかい仕事が視線の向こうに立っている。
僕らの敗北条件は特異点が途中で消えて、物語が半端に閉じてしまうこと。
……いばら姫に殺される気は、不思議としなかった。
だってそうだろう。あいつは今、誰の目から見ても明白なくらい、自分の病みをさらけ出しているんだから。
「許さない。許しませんわ、絶対に!
極刑です、極刑に処します! わたくしの……皆の夢を、よくも!!」
「あなたは病気だわ、お姫さま」
砂糖菓子の剣をまっすぐに向けるナーサリー。
それを睨みつけ、自分を守る茨の城を大きく凶暴に蠢かせるいばら姫。
どうなるかな、なんて投げやりな言葉はもはや出てこなかった。
――勝とう、ナーサリー・ライム。君の言う通り、これが最後だ。
「夢から覚めるときが、きたのよ」
崩壊していく世界はまるであの時間神殿のよう。
そんな終末の中で、最後の戦いは……最後の治療は幕開けた。
「黙りなさい……黙れぇっ!」
ほとんどそれは癇癪に近く見えた。
いばら姫自身既に気付いているのだろう。
自分の計画はご破算になった。
もう、世界を眠らせる手段は存在しない。
「すべて忘れて眠っていれば辛いことなど何もないのです!
あなた方さえいなければ、誰もが何に怯えることもなく暮らせる【楽園】が生まれていたのですよ?!」
戦いは戦いになってすらいなかった。
そもそもこいつ、サーヴァントとしてはそう強い方じゃないんだろう。
その弱さを補う茨の城も、聖杯が失われたことによる特異点崩壊の余波をモロに受けてぐちゃぐちゃになっている。
そんな有り様で倒せるほど、ナーサリー・ライムは弱くない。
【機械仕掛けの神】の振り子は淡々と落ちるだけだ。
「それは楽園じゃない。ただの張りぼてだよ、いばら姫」
僕の声はいばら姫に聞こえていないだろう。
茨の槍、鞭、剣、網、エトセトラエトセトラ。
出した武器を片っ端から消されていくいばら姫の顔にもはや余裕の色はない。
「呑みなさい、永き眠りの王!」
真名解放。
茨が津波になってナーサリー・ライムを呑み込まんとするが。
病みを露わにした彼女の攻撃は今や、先程以上にたやすいものに変わっている。
相性差の究極だ。そしてナーサリー自身、最初から全力に近い勢いで宝具を開放している。
茨の城が消えていく。消しゴムをかけたみたいに白く変わっていく。
「わかるわ。物語が終わっちゃうのは、さびしいものね」
茨の津波は砂糖の山になって自壊した。
永き眠りの王ではナーサリー・ライムを殺せない。
焦りを顔中に浮かべて今度は茨の壁を創造するが……もちろん、無意味。
砂糖菓子の剣を一度振るえば、蒸発といっていい勢いで砂糖化、崩れていく。
「でもそれは――きっと、悲しいことではないのだわ」
踏み込んだ。
最後の一撃を振りかぶる。
そこでいばら姫の顔に浮かんだのは、絶望ではなく会心の笑み。
かかったなとでも言いたげなものだった。
「永遠に、落ちなさい」
さっきも一度見せてくれた、サーヴァントを瞬時に無力化するほどの強制力を持った謎の宝具。
……いや、種は割れている。
いばら姫自身も言っていた。
自分の宝具を聖杯で拡大して、全人類の恒久的睡眠を開始するのだと。
ならばつまり、これから来るのは【眠り】の宝具。彼女が老婆から受けた夢見る呪い!
「呪わしき至福の王権…………!!」
がくんと、またナーサリーが脱力した。
対病の性質が最大まで高まっている状態ですら、これほど効くのか。
恐るべき宝具だった。でも僕は、僕らは絶望しない。
だってこの時のために、わざわざ取っておいたんだから。
「ナーサリー・ライム!」
令呪三画。
おまけの全体強化。
全部持ってけ――お前が主人公だ!
「――ぶちかませッ!!」
「繰り返す頁のさざなみ、押し返す草のしおり!」
魔の眠りは吹き散らされる。
幻想を殺す幻想は今、目の前の【聖女】を完全に凌駕した。
茨の城は死に体、眠りの呪いは弾かれた。
相手の盤面には、キングが一体ぽつんと立っているだけだ。
崩れゆく世界に甘い香りが満ちる。
幻想を塗り潰して幻想が支配する。
病みをかき消して元の姿を戻す療法幻想。
「――貴方に還す物語」
砂糖菓子の剣がもう一度、いばら姫の胴体を切り裂いた。
今度は浅くない。
その癒やしは霊核にまで届き、彼女という英霊のすべてを破壊し、修復していく。
黄金の瞳から滂沱の涙がこぼれ落ち、いばら姫はたたらを踏んで後ろへ下がっていった。
「い、いや。嫌です、いやいやいやいや――覚めたくない! 夢が、終わる……わたくしの、夢が……!!」
ついには崩れ落ちて、子供のように泣きじゃくる。
その体が金色を帯びて、少しずつ消えていく。
英霊病棟は墜ちた。
救済の願いは潰えた。
炉心は取り出され、聖杯は砕かれ、自分の王権も土に塗れた。
完全敗北――いばら姫が辿り着いたのはまさしく、夢の終わり。
「あ、あああ……現実が、あのお城が見える……、
わたくしの世界が、帰ってきて――――」
でも、それでいい。
それがあるべき結末だ。
お姫様は永遠に夢を見ながら楽しく暮らしましたなんておとぎ話があってたまるか。
「――――あ、ぁ」
いばら姫は最後に目を覚ますんだ。
こんなの子供でも知ってるぞ、まったく。
「あぁ……そう、でした……そう、でしたね……ふふ……」
王子様がやってきて、いばら姫は夢から帰還する。
そして幸せに暮らすってのが、あのおとぎ話の結末だ。
いばら姫がどんな夢を見てたのかは僕にはわからない。
もしかするとその夢は本当に幸せで、捨てがたいものだったのかもしれない。
それでも。彼女は現実で生きて、物語は終わるんだ。
有限の現実だって悪いもんじゃないだろ?
ある人の受け売りみたいなもんだけど、さ。
「お許しくださいませ、愛しのあなた……わたくしは、とても、とても愚かな……夢を、見ていた……ようで――――」
いばら姫が消滅した。
すべての病みが消えた。
そしてこれから、世界も消える。
英霊病棟のルーラー、消滅。
【院長室】、閉鎖。
英霊病棟、これにてお役御免。
▼ ▼ ▼
「結局君、何者だったんだよ。
正しいナーサリー・ライムじゃあないんだろ?」
僕らは消えていく世界の中、並んで座っていた。
僕はまだ眠っている黒い方のナーサリー・ライムを抱いて。
白い彼女は、それを楽しそうに見つめながら足をばたばたさせている。
砂糖菓子の剣は既に黒いナーサリーに刺してあるから、パラノイアどうこうについてはとりあえず安心だ。
「お兄ちゃんはたぶん、あたしみたいな子を知ってると思うよ」
「ああ、いわゆる疑似サーヴァントなのか。イシュタルだとか孔明みたいな」
多分この子は後者だろうなと僕は勝手に思った。
元となった人間の個我が全面に押し出された疑似サーヴァント。
イシュタルなんかとは真逆のパターンだ。
それなら、僕が抱いてる黒いナーサリーにえらく思い入れを抱いていたのも頷ける。
「聖杯戦争でもやってたのか? こいつと」
「うん。たくさん遊んだんだよ、いっしょに」
「そりゃよかったな。こうやって、ちゃんと助けられたし」
「もうひとりのお兄ちゃんともね、そこではじめてあったのよ」
もうひとりのお兄ちゃん。
そういえば前に、なんかそんな感じのことを言ってたな。
「やっぱり君とこいつみたいに、僕もそいつとめっちゃ似てたりするのか?」
「ううん、見た目はぜんぜん似てないよ。
でも……やさしいところは似てるかも。あのひとも、あたしと、お友達になってくれたから……あたしのこと、見てくれたから」
ナーサリーの声は途切れ途切れになり始めていた。
白いドレスから金の粒がこぼれては消えていく。
消滅が始まっていた。
僕の抱いている黒いナーサリーも、消え始めている。
最後の最後まで、目覚める気配はない。
「起きないな。起こそうか?」
「ううん、だいじょうぶ。寝かせておいてあげて」
椅子を立つと、ナーサリーは僕の前で屈む。
そして眠る黒い童話少女を、優しく見つめた。
そのまま頭に小さな手を伸ばしてそっと撫でる。
「……もうだいじょうぶよ、あたし」
鏡に合わせたような二人。
僕は終わる世界の中でそれをぼうっと見ていた。
朝が近付いてくる気配がする。
ああ、やっぱり夢の世界なんだな此処は。
「さ、そろそろおしまいみたい。絵本が閉じる時間だわ」
「らしいな。なかなか見ごたえのある夢だったよ」
もう一度やれって言われたら絶対に嫌だけど。
今も体の節々が痛いし、息をするだけでも割ときついんだぞ。
あのゆるふわお姫様、何の容赦もなくボカスカ殴るから。
「よかったら、その子をいつか呼んであげてね。
きっとお兄ちゃんのことをいっぱい助けてくれるから」
「そうだな。君も召喚しときたいし」
僕がそう言うと、白いナーサリーはなぜか一瞬寂しそうな顔をして。
すぐにまたいつもの笑顔に戻った。
そうだね、また会えたらいいね。
そんなことを言って。
「――それじゃあね、カルデアのお兄ちゃん。
あたしといっしょに遊んでくれて、お友達になってくれて、本当にありがとう」
朝の光が英霊病棟の残骸を、何もかも消し去っていった。
最後の最後まで、あの子は優しく笑って僕に手を振っていた。
僕もそれに手を振り返しながら、そっと踵を返すのだった。
僕にとっての現実に、僕は戻っていく。
▼ ▼ ▼
「……ぱい。せんぱい、先輩!」
「ん……マシュか」
ふああ。
欠伸をしながら僕は上体を起こす。
視界にはいつもの後輩。
どうやらわざわざ起こしに来てくれたらしい。
「今日はクリスマスの飾り付けをするって約束ですよ。
ジャックさんたちが首を長くして待ってます」
「あ、そういやそうだった」
そうか、今日はクリスマスか。
正確にはイブだけど、まあ同じようなもんだろ。
サンタオルタに聞かれたら大目玉を食らいそうなことを考えながら、僕はマシュと歩いていく。
「エジソン貴様、なんだその照明は? 私が事前に伝えていたテスラ式交流スペシャルライトと違うように見えるが?」
「フフ、この聖なる日に交流なんてものを使ってはみんながっかりしてしまうと思ってな。
今朝優雅な朝食を摂っていると偶然にも閃いた、この新作直流グレートライトを取り付けることにした」
「は?」
「やるか?」
エジソンとテスラがまた喧嘩をしていた。
最初はガンの飛ばし合い、次は小突き合い、最後は全力の殴り合い。ヤンキーかこいつら。
止めに入ろうとするマシュを制止して、そのまま進む。
大丈夫、どうせすぐにエレナが飛んでくるさ。
「おう、カーミラ。沢庵が上手く漬かったんだが、食わねえか」
「……歳三、あなた本当に飽きないのね……」
「どこだ酒呑!? しゅてーん!?
吾はいつまでこの……さ、さんたの格好をしておればいいのだーっ!?」
今日もカルデアは賑やかだ。
しかしクリスマス、ううん嫌な予感がするぞ。
というかほぼ確実に、何か頭の痛いイベントが起きそうな気がする。
そんなことを考えている僕と、いつも通りのマシュ。
その前方に、ナイチンゲールの姿が見えた。
「おはよ、婦長」
「おはようございます。今朝はずいぶん遅かったようですね、早寝早起きは人間の基本ですよ」
「ちょっと夢見が悪かったんだよ。骨とかめちゃめちゃ折るやべー夢」
何なら今もまだ体の節々が痛い気がする。
そんな僕を見て、ナイチンゲールは何故か薄く笑う。
此処は心配するところだぞ、婦長。
「その割にはいつもより顔色がいいですよ。本当は夢見が良すぎて寝坊してしまったのではないですか?」
……夢。
夢――か。
あれは結局、現実にあったことなんだろうか。
それとも僕の脳みそが作り出した壮大な夢だったのだろうか。
確かめるすべはもうどこにもない。
英霊病棟は崩れ去って、夢は覚めてしまったのだから。
「あれ、先輩! どちらへ行くんですか、皆さんがいらっしゃるのはそっちじゃありませんよ?」
「悪い、ちょっと先に召喚をやってくるよ。聖晶石結構溜まってるしさ」
「特に戦力が不足しているクラスはないはずですが……またの機会にした方がいいのでは?」
「まあ、そうなんだけどさ。なんとなく――今ならいいサーヴァントを召喚出来る気がするんだ」
召喚出来る気がする、ってのはちょっと格好つけたな。
召喚したいサーヴァントがいる、っていうのが正しい。
呼んであげてと頼まれた、あの黒い少女。
ちょうど今日はクリスマスだ。
子供を釣るならこれ以上適した日はないだろう。
「……今日の先輩はちょっとヘンです。でもこういう時の先輩が言うことはよく当たるのも確かです」
「だろ? 僕を信じろって」
「いいでしょう、このマシュ・キリエライト、先輩の勘の行く先を見届けます! お供しますよ、先輩!」
▼ ▼ ▼
亜種特異点 AD.2017 麻酔少女一夜 オイ・アクツィオン
――――――幻夜終点
白ドレスのナーサリー・ライム[セイバー]は離脱しました。
▼ ▼ ▼
もはや暗記してしまった召喚の呪文。
凍土と呼ぶのも生易しいこの大地で、僕は再びそれを唱える。
もうすることもないと思っていた英霊召喚の儀式。
けれど世界は救われなかった。
終わりの向こうにはまた物語が待っていた。
カルデアは崩壊して僕らはいつ終わるとも知れない旅に出た。
余分なことを考えている暇なんて片時もない。
そんな状況だというのに……僕は今も時折、あの夜のことを思い出す。
砂糖菓子のように光の中へ消えていったあの子のことを思い出す。
召喚サークルの光の向こうに、あの白い少女が立っているのではないかと。
お久しぶり、また会えたねと笑っているのではないかと。そんな益体もないことを、考えてしまうのだ……
最終更新:2018年04月23日 16:49