「そう、わたしこそナチスドイツの【国家啓蒙・宣伝大臣】。閣下の認めた国民的偶像! ヨーゼフ・ゲッベルスです!」
ヨーゼフ・ゲッベルス。
学のない僕にとっては知らない名前だったが、ナチスの中ではどうやら相当な有力者の一人だったようだ。
しかしナチスにこんな派手で胡乱な見た目の政治家がいたなんて話は聞いたことがない。ヒトラーに負けず劣らずのインパクトだぞこんなの。
そんな僕の心をまた見透かしたように、【総統】……もといゲッベルスは笑って言う。
「やだなあ。英霊になった今ならまだしも、こんなふりふり衣装着た変人の言うことに心を打たれるほどドイツ人は馬鹿じゃないですよ」
「特殊な生まれだってさっき言ってたな。魔術か何か使ったのか」
「当たりです。何せこちとら死ぬまでこの見た目だったので、それらしい姿への偽装は必須だったんですよね。
ホントの姿を見たことあるのは……閣下とマクダと、ヒムラーのクソ野郎と……後はせいぜい数人くらいでしょうか」
ナチスドイツのゴスロリ大臣。自称アイドル。
またとんだ劇物が出てきたと普段なら頭を抱えるところだが、そんな余裕すら今の僕らにはない。
前方には【影の大隊】、【百年戦争の騎士】ジル・ド・レェ、そしてこの【現総統】ヨーゼフ・ゲッベルス。
ゲッベルスの脅威度が未知数である以上、僕らは戦うにしろ逃げるにしろ、巨大なブラックボックスを抱えて臨むことになる。
【国家啓蒙・宣伝大臣】。曰く小さなドクトル、プロパガンダの天才。
……どう考えてもサポート型だろ、こいつの宝具。僕はこの時思いっきり嫌そうな顔をしていたと思う。
「……では【総統】、これより我々は貴方の指揮下で戦うということでよろしいですかな?」
「せっかく再興に向かい出した帝国を台無しにされちゃ敵いませんからね。
そもそも、劣等の猿があの人の国を我が物顔で歩き回ってるってのがまず不愉快ですし」
一番台無しにしてるのはどこの誰だ、そもそもこの地獄絵図のどこが国なんだ。僕は心の中で吐き捨てる。
そうだ、どう対処するか考える前に聞いておかなきゃいけないことがある。
単に狂っているから、という身も蓋もない理由だったなら閉口するしかないが――ゲッベルスのやってることは明らかにおかしい。
答えてくれるかどうかは別として、問い質すことに意味はきっとあるはずだ。
「ひとつ聞かせろ、ゲッベルス」
「【総統】とお呼びなさい。で、なんです?」
「あんたはなんでアーリア人を殺す? あんたがご執心のちょび髭が毛嫌いしてたのは、あくまでユダヤ人だけだろう」
そう、そこがおかしい。
ヒトラーが望んだのはあくまでもユダヤ人の抹殺だったはずだ。
その思想を肯定するわけではないが、あのちょび髭はそれ以外の従順な国民まで虐殺することはしなかった。
先代が支配民族として尊んだアーリア人。しかし今の【総統】は彼らさえホロコーストの対象に含めている。
これでは最後には何も残らない。無人の町を指して国と呼ぶつもりなのか、この狂人は。
「僕、あんまり強い英霊じゃないんですよね。近代英霊の中でもせいぜい下の上くらいかな」
「……」
「わたしの目的は第三帝国の復活。あの人が成し遂げられなかった、【戦勝からの君臨】を成功させること。
しかしながら、わたしほど格の低い英霊だと聖杯一個ですぐ帝国復活、とは行かなかったのです。悲しいことにっ」
確かに、聖杯の力をきちんと運用したなら一国の復興など朝飯前だろう。
なのにわざわざ敗戦間際のベルリンでちまちまやっているのは確かに妙だったが、そういう理由があったのか。
しかし納得する僕の耳へ次に飛び込んできた台詞は、あまりにもあまりなものであった。
「そこで僕は礎を用意することにしました。魂喰いってあるじゃないですか? あれを大規模にやるわけです」
「……は?」
「ドイツ国民全員を礎石にして帝国復活を成し遂げる。
政治家や役人は全員聖杯に焚べました。兵士たちもベルリン近辺にいる分は焚べました。赤軍兵士もありがたく思いながら焚べました」
こいつ――何言ってんだ?
僕は久方ぶりに、"戦慄する"とはどういうことなのかを思い出していた。
背中がぶわっと粟立って胸が痛くなり、息が乱れる。
僕は今、戦慄している。
「……っ、正気で言っているのか!? 本末転倒にも程があるだろう!」
「? 話聞いてました? わたしは第三帝国を復活させたいんですよ?
そのために燃料が必要だというのなら、あの手この手で用立てるのは当然じゃないですか。どこに変なところがあるんです?」
声を荒げるサンソンに対し、ゲッベルスは本当に「何を言ってるのか分からない」といった様子で返す。
見るに見かねたのか、次に口を開いたのはナーサリーだった。
「国っていうのは人があってのものでしょう? 国を直すために人を犠牲にしていたら、せっかく出来上がった国ががらんとしてしまうわ。
あなたのやろうとしていることはおとぎ話の愚かな王様と一緒よ。そのやり方じゃ、あなたの頑張りを褒めてくれる人すら残らないもの」
「いや、足せばいいじゃないですか」
「……え?」
足す。何を?
決まっている。
「や、減った分だけ足せばいいじゃないですか。
きっちり燃料を注がれた聖杯なら流石にそのくらいは出来るでしょう? 殺した分だけ作ればいい。
むしろそうすれば人種の統一も優性の維持も思うがまま。良いことづくめです」
僕も、サンソンも、恐らくはナーサリーも。
まったく同時に理解した。本人にその気はないのに理解させられた。
――こいつに話は通じない。
狂っている。倫理観とかそんな月並みじゃものじゃない。もっと大事な何かが破綻している。
その国を生きていた人間の中身や経歴なんてどうでもよくて、重要なのは国民であるということだけ。
だから躊躇いなく殺せる。人種さえ無視して殺せる。あとで作ればいいから数を減らせる。
……ヨーゼフ・ゲッベルスにとって国民とは、代用の利く燃料なのだ。
聖杯を効率的に運用するために必要な、えらく都合のいい、取り放題の燃料。
「サンソン、ナーサリー。ゲッベルスを倒すぞ」
僕は思わず口にしていた。
二人もそれに小さく肯く。
第三帝国の復活は認められない。
人理どうこう以前の問題だ、こんなの。
「倒されませんよ。恋する乙女は無敵ですから」
「言ってろふたなりが。言っとくけど僕はな、あんたより何倍もおっかない連中を越えて此処まで来てんだよ」
すっ、とゲッベルスが右手を挙げる。
【影の大隊】が武器を構えた。
ジル・ド・レェも剣を構える。
……その顔にわずかな憂いの色が見えたのは気のせいだろうか。深く考えている余裕は、今はない。
「第21SS武装山岳師団、突撃」
喜悦混じりの声と共に火蓋は切って落とされた。
瞬間、僕は魔力を回し、吠える。
やるならこのタイミングしかない。
確実に策を打てるタイミングを見逃すな、特異点での教訓だ。
「――ナーサリー・ライム! 令呪を以って命ずる!」
ゲッベルスの眉がぴくりと動く。
ジル・ド・レェがそれを庇うように動いた。
「命令破棄。迎撃体制に移行!」という【総統】の声に【影の大隊】たちも動きを変える。
悪いな、先手は貰ったぞ。そんでもって勝ち逃げだ。
「宝具を解放し、すべての敵をなぎ払え!」
「ええ――承知したわ、マスター!」
令呪による宝具の解放。つまりは速攻戦術。
僕の令呪は本来のものとは少し効き目の違うそれだが、劣っているわけでは決してない。
小回りは確かに利きにくいかもしれない。しかし分かりやすさは有用さとイコールだ。
「繰り返す頁のさざなみ、押し返す草のしおり」
この場は僕らにとって圧倒的不利。
サンソンもナーサリーもジルと大隊、それに加えてまだ見ぬゲッベルスのスキルや宝具を同時に相手取れるほど強いサーヴァントではない。
だから此処の最善手は意地になることじゃなく、戦略的な撤退だ。
けれどおめおめと逃げ帰るのは性に合わない。
少しでも苛つかせて消耗させて――迷惑かけてから消えてやる。
「――すべての童話は、お友達よ」
幾度となく聞いた詠唱と共に、飴玉、ぬいぐるみ、ケーキといったファンシーな"お友達"が嵐のようにゲッベルスたちへと押し寄せる。
サンソンが素早く僕とナーサリーを抱え、戦場を離脱。
裏路地に入り込むと、そこには待ってましたとばかりに灰色の少女が立っていた。
アハターハウスのキャスター、アンネ・フランクだ。
その後ろにはあちこちに傷を負い、不安そうな顔をした一般人が数人見て取れる。
彼らがゲッベルスたちに見つかっては事だ。僕は思いっきり力強く頷いて、アンネに"それ"の発動を懇願した。
アンネは頷き返し――その名を紡ぐ。
「『未だ暗き希望の家』!!」
刹那――僕らのすべては、ナチスドイツから隠された。
◆
藤丸立香の機転は見事勝ち逃げ同然の結果を作り出した。
対峙していた分の【影の大隊】は七割ほど消し飛ばされ、ジルも致命的ではないがダメージを負った。
ゲッベルスはジルの献身もあって無傷だったが――"してやられた"のは誰の目から見ても明らかだ。
「……ということがあったんですよ。もう、マジで腹立っちゃいます!」
「申し訳ございません、【総統】。あの展開を読めなかった私の落ち度です」
総統官邸。
薄明かりに照らされた部屋の中、ゲッベルスはご立腹であった。
ゲッベルスの算段では、カルデアからの来訪者を今日粛清するつもりだったのだ。
藤丸立香という特級の異分子さえ切除すれば最早ナチスは盤石。
【礎石】が揃うまで何一つ心配することなく、のんびりと構えていることが出来たというのに。
「……別にジルは悪くないですよ、むしろ今回のは僕の落ち度です。
僕が介入していなければ、シャルル=アンリ・サンソンは落とせていたかもしれない。
あああああ、もう、難しいですね指揮官ってのは! もっとよく考えて動かないと……」
ヨーゼフ・ゲッベルスは政治家であって軍人ではない。
ゲッベルスにしてみれば良かれと思っての乱入だったが、結果としてはこれだ。
思慮が足りなかった。そして、それ以前に。
「だから言っただろう? あの少年を侮ってはいけないよ。彼はどうしようもなく脆弱な魔術師だが、経験だけなら世界一サ!
確かにこの地で我々は絶対的な優位にあるが、それにあぐらを掻けばあっという間に潰される。勉強になったネ、ゲッベルス君」
「――そうですね、あなたの言う通りでした。あの人ならまだしも、わたしじゃ余裕綽々とはいかないみたいです」
くつくつと笑う老紳士に、ゲッベルスは素直に頷く。
彼もまたジルと同じ、ゲッベルスが呼び寄せたナチス側のサーヴァント。
その中でも最も悪辣な頭脳を持つ、人類きっての【大悪党】。
「それはそうと先生面はやめてください、モリアーティ教授。教師は嫌いなんです」
「生憎、性分でネ」
犯罪界のナポレオン。シャーロック・ホームズ最大の敵。
かつてヨーロッパ中に犯罪の網を広げ、その生きた証全てが有害だとまで言われた犯罪紳士。
ジェームズ・モリアーティ。それが、この男の真名だった。
真名判明
ベルリンのアーチャー 真名 ジェームズ・モリアーティ
「まァ、そうしゅんとすることもないサ。さっきも言ったが、我々は現状圧倒的な優位にある。
無限に展開出来る【影の大隊】に君を除いて五騎……いや、事実上は四騎か? ともかく、それだけの数のサーヴァント。
何よりこの私がいる限り、多少のミスなどいくら重ねても取り返せる。大船に乗ったつもりで居たまえよ、我らが【総統】」
「そうします」
ふう、と息を吐き出すゲッベルス。
モリアーティが言った通り、彼女が呼び出したサーヴァントは自身を除いて五騎だ。戦闘要員だけ数えるなら、四騎。
ベルリンのセイバー、ジル・ド・レェ。ベルリンのアーチャー、ジェームズ・モリアーティ。そしてアサシンとアヴェンジャー。
シャルル=アンリ・サンソンもナーサリー・ライムも、そこまで強力なステータスのサーヴァントではない。
数に飽かした攻めを続けていけば、いずれは必ずすり潰せるだろう。
「それに実のところ、収穫がなかったわけでもないんですよね」
「ほう?」
「前々からちょろちょろ目障りに動き回ってるネズミがいたでしょう。
どうもカルデアのマスターは、件のネズミと結託してるみたいなんですよ。
足止めを食らったのはせいぜい数秒。にも関わらず、追跡に回した影が足跡ひとつ持ち帰れなかった」
「なるほど、確かにいつものアレだネ」
前々から何度かこういう事象は起こっていた。
明らかに逃げ場のない状況から、虐殺対象が忽然と消失する。
ただの人間が英霊を、聖杯から生まれ出た【影の大隊】を欺けるはずはない。
誰かしら、ナチスに仇為すサーヴァントがこのベルリンに召喚されている。
そしてカルデアからの侵入者はそれと結託し、ナチス打倒を目論んでいるのだ。
その関係性が見えただけでも収穫だ。この収穫は必ず今後プラスになってくれる。
「――我が【総統】 我らが【総統】
愛するが故狂った者 狂ったが故愛する者 我が歌をお前へ贈ろう 我が歌は果てなく 高らかに響き渡るだろう」
それは歌うような、何とも形容のしにくい声だった。
ゲッベルスの顔があからさまに、「やりにくいやつが来たな」と歪む。
彼女はこの英霊が苦手だった。意思疎通がしにくいというのもあるが、何となく一緒にいると背中がむず痒くなる。
髑髏の面で顔を隠した、巨大な鉤爪の男。
恐らくは世界で最も有名な――【怪人】。それがこの、ベルリンのアサシンである。
「……出たいんですか?」
「然り 我が歌は届く かの者へ届く 我が爪は等しく あらゆるものを切り裂くとも」
彼と話すのはゲッベルスにとって疲れる行為だ。
だが、その歌うような口調が崩れたならば手綱を引き切れるかは分からないのも事実であった。
彼の物語を知る者なら、軽く見ることなど出来ようはずもない。
よりにもよってこの男を――【オペラ座の怪人】を。
「……ああ、なるほど。そういうことですか。考えましたね、ファントム・オブ・ジ・オペラ」
真名判明
ベルリンのアサシン 真名 ファントム・オブ・ジ・オペラ
狂える【怪人】が自ら進言した意図を、少し遅れてゲッベルスは理解する。
確かに、試す価値はありそうだ。
件のネズミと藤丸立香、その双方を同時に消す。
それを成す手段が彼にはある。
高らかに歌い上げるその歌と共に、逃れ得ぬ死を運んでやれる。
「いいですよ。それじゃ、あなたに奴らの掃討を任せます。
調整段階のアヴェンジャーを無理矢理実戦投入するよりかは、色んな意味でリスクも小さそうだ」
ふふ、とゲッベルスは妖しく笑う。
モリアーティの言う通りだ。
自分の手札は潤沢、負ける理由というものがそもそも存在しない。
経験で劣る? 指揮官の才能? そんなもの、配下の数と質で穴埋めしてしまえばいい。
「アヴェンジャーの調整を進めましたら、僕はもう休みます。シェヘラザードはもう寝室に?」
「……ああ、向かっているはずだよ。しかし君は奇特な奴だな、サーヴァントに寝食など必要ない、そのくらいは分かっているだろうに」
「わたしは人間の頃の生活リズムを崩したくないんですっ」
日課の調整を終えたら寝室に向かい、そこで【語り部】の語る物語に耳を傾けながら眠りに落ちる。
それがヨーゼフ・ゲッベルスの一日の締めくくり方だ。
省く気になれば省ける行程であるにも関わらず、決して欠かそうとしない無駄な習慣。
ジェームズ・モリアーティの言うように――ゲッベルスは極めて奇特なサーヴァントなのであった。
奇特でなければ生きられない――難儀なサーヴァントなのであった。
最終更新:2018年05月25日 03:59