特異点となったことで今のベルリンは様々な因子の混在した異界と化している。
アンネの言う通り、結構な数の貴重な素材を発見することが出来た。
しかしながら僕の顔色は決して良くはない。
というのも、そんな利点が帳消しになるほど臭いがひどいのだ。
昨日歩いた辺りの道は、まだ被害の少ない方だったらしい。……あれで、だ。
「マスター、大丈夫ですか? 気分が悪いようなら、少し休んでも」
「宝探しばっかりして帰るわけにもいかないだろ。僕なら大丈夫だから、サンソンは気を張っててくれ」
効率を考えて、アンネと僕らは別々に行動している。
アンネは例の宝具で戦闘を可能な限り避けることが出来るだろうが、僕らの場合はそうも行かない。
虐殺役に当てられているシャドウサーヴァント達が皆昨日レベルの強さなら、まあどうにかなる。
もっとも、"どうにか出来る"のはあくまでサンソン達だけだ。
ひ弱な僕を殺すだけなら遠距離から狙い撃ちでもすればそれだけで事足りるわけで。
ちょっと申し訳ないが、サンソン達にはそういう"いざという時"のために気を張っていてくれた方がありがたい。
これでも僕は地獄絵図ってものをそれなりに経験している。気が滅入りそうにはなるけど、動けなくなるほどヤワじゃあない。
「残酷ね……。同じ国に生まれた仲間にこんなことをするなんて」
道に散らばる屍の中には子どもと思われるそれも多くあった。
ショッキングな光景にぽつりと漏らすナーサリー。
僕はその目を覆ってやろうとしたが、「大丈夫よ」と笑顔で断られた。
まあ、見た目は子どもでもサーヴァントだもんな。余計な世話か。
などと思いながら進んでいると、サンソンが何かに気付いたように立ち止まり、僕らを手で制止した。
何事だと前方に視線を移せば――遠くに黒い物体がうごめいているのが見える。
いや、違う。うごめいているのではなく、歩いているのだ。歩いてきているのだ。
「お出ましか」
「どうしますか、マスター? ……愚問だとは思いますが」
「やるしかないだろ。僕らがやらなきゃまた大勢死ぬんだ」
自ら戦うわけじゃないのにこんな台詞を吐くのは自分でもどうかと思うけど、そこは礼装で精一杯サポートしよう。
今回着ているのはオーソドックスなカルデアの魔術礼装。
攻撃、回復、回避の三本揃った万能型だ。リチャージは大体一時間もすれば完了する。
「「「er――er――er――er――」」」
「「「Führer Führer Führer Führer」」」
足音と、それを埋め尽くす勢いでのフューラーコール。
耳が馬鹿になりそうなくらいの総統賛美は今のベルリンの異様な状態を象徴しているかのようだ。
最初は面食らったが二度目ともなれば流石に怯みはしない。
サンソンがザッと一歩前に出て、ナーサリーもそれに続く。
「前に出ないように。早急に片を付けますので」
「かわいそうな子たち。大丈夫、すぐ楽にしてあげるわ」
重厚な金属音と共に、シャドウサーヴァント軍団……【影の大隊】も臨戦態勢を取る。
中にはアーチャーらしいシルエットもあったので、僕もいつでも真横に跳べるように身構える。
大隊の最前列が一歩前に踏み出した。それに合わせてサンソンたちも飛び出そうとして――そこで。
「待ちなさい。貴方たちが出たところで、無駄に数を減らして【総統】にご負担を掛けるだけです」
隊列の後ろから、進軍を諌める声が掛かった。
シャドウサーヴァントたちのそれとは明らかに違う重厚な声だ。
アンネの言っていた、ナチスに与するサーヴァントだろう。
……だが僕は嫌な予感がしていた。聞き覚えがあったからだ、その声に。
こういう時のそういう予感ほどよく当たるものはない。
そしてその例に漏れず、モーゼの逸話さながらに分かれた隊列の向こうより姿を現した【英霊】は――僕の知る顔をしていた。
「……あんたは」
「おや、もしや別な私とお会いしましたか? でしたら、その記憶は捨て去ることをお勧めしますよ」
質のいい黒髪に銀色の鎧、石膏を思わす白い肌。
僕は彼を知っている。今の姿の彼も、変わり果てた姿の彼も、どっちも。
彼は……いや。"こいつ"は、騎士だ。
敬虔に神を信じ、そして裏切られた男。
心酔する聖女を異端として処刑され、狂い果てて屍を積み上げた男。
その名は――
「……ジル・ド・レェ!」
「"この"私は、貴方たちと相容れることは決してない」
後に【聖なる怪物】と呼ばれる男。百年戦争の英雄――ジル・ド・レェ。
真名判明
ベルリンのセイバー 真名 ジル・ド・レェ
こいつは危険なサーヴァントだ。
とはいえそれはキャスターの時の話。
セイバーの彼はあくまで敬虔な英雄……狂気の兆しこそあれど、確かな善性を宿した存在である。
にも関わらず、善良なはずの彼は今【影の大隊】の側に立って僕らとの敵対を宣言していた。
「バカな。何故貴方ともあろうお人が、このような所業に……!」
サンソンの声には動揺と、それ以上に怒気が籠もっていた。
無理もない。狂気に落ち魔本に手を伸ばす前のジルといえば誰もが認める英雄だ。
間違っても、無辜の民を山ほど虐殺して弔いもしない鬼畜の所業に力添えするような人物ではない。
ましてサンソンとジルは同じフランスの出身だ。思うところがあるのは当然だろう。
「……それを貴方が知る必要はありませんよ、シャルル=アンリ・サンソン。
今の私は【総統】の手足であり、それ以上でも以下でもない。私に英雄性を期待しているのならばお門違いだ」
「っ……貴方が。よりによって貴方がそんなことを言うのか、ジル・ド・レェ伯……!!」
ジャンヌ・ダルクを敬愛する余りに狂った男が、【総統】の手足を自称する。
異様な光景で、気分の悪い光景だった。
サンソンが思っていることはきっと僕と同じだろう。
思うと同時に、分かってしまった。
彼ほどの男が自ら人道に乖いたことを認めた。
どういった経緯があったのかは不明だが、並大抵の覚悟でないことは確かだ。
つまり、ジル・ド・レェとの和解は望めない。
今回のこいつは――敵だ。お互いに歩み寄ることの出来ない、明確な"敵"。
「【総統】は貴方たちにご立腹です。早急な排除を望んでおられる」
「……でもこいつらじゃサンソンたちは倒せない。だから自分が出る、ってか?」
「左様」と一つ返して、ジル・ド・レェが更に歩み出る。
彼はセイバーだ。当然、対魔力のスキルも持っている。
こうなると戦えるのはサンソンのみだ。僕とナーサリーを庇うように、彼も前へ。
――仮にそうでなかったとしても、役目を買って出たのは彼だったろうが。
「残念だ。貴方とは、出来れば共に戦いたかった」
「買い被りすぎですよ。私は……貴方の思うような偉大な人物ではありません」
その言葉を皮切りに、戦いの火蓋が切って落とされた。
駆けるジルと応じるサンソン。銀の剣を処刑刃が受け止めると、それだけでサンソンがよろめきかける。
クラスの違いもあるが、やはり英雄とまで呼ばれた騎士と処刑人とでは経験でも技術でも大きな差があるようだ。
何度か得物をぶつけ合った時点で、もうサンソンの顔には苦いものが浮かび始めていた。
しかしそのまま押し切られるほど、サンソンは弱いサーヴァントではない。
「っ……おおおおッ!!」
たたらを踏んだ次の瞬間、鋭い突きの一撃でジルの虚を突きにかかる。
それもジルに防がれてしまうが、主導権を握り返せたのは大きい。
数を重ねる。突く、斬る、薙ぐの連打。
小手先といえばそれまでだが――しかしサンソンは知っている。
どこを傷つければ死なずに済むか。
後遺症が残らないか。
そして、どこを傷つければいいのか。
「ぬ……っ」
ジルの表情にわずかな焦りが過ぎるのが分かる。
そうだろう、戦いにくいだろう。
あんたが戦の何たるかを知り尽くした英雄なら、サンソンは人体の何たるかを知り尽くした処刑人だ。
スペックの違いはどうあれ、誰だって戦いにくいはずだ。人の体を持つ英霊なら、誰だって。
「サンソン!」
僕はすかさず叫び、瞬間強化をサンソンへ飛ばす。
低い筋力が解消され、サンソンの刺突を受け止めたジルが大きく後方に吹き飛んだ。
畳みかけるように踏み込み、終わらせにかかるサンソンだったが……これで敗れるようなら【英雄】などとは呼ばれない。
体勢を立て直す前に放ったはずの攻撃をジルは当然のように捌いてのけた。
そして意趣返しのようにサンソンへ強烈な一閃を放ち、受け止めた処刑人が苦悶を浮かべて後退する。
「……やはり、一筋縄ではいかないか」
サンソンはまだ宝具を解放していない。
だが、それは敵側にも言えることだ。
お互いに手の内を見せた状態でぶつかり合ったならどうなるか、僕には判断が付かない。
「……」
ナーサリー・ライムがジル・ド・レェをじっと見つめていた。
その目は、無残に殺された人々の死体に向けるものと同じだ。
幼く純粋で、それでいて子どもたちの英雄と称される創作体系そのものである彼女には、僕には分からない何かが見えているのだろうか。
ジル・ド・レェという騎士が、何故騎士のまま悪に堕ちてしまったのか。
僕にもサンソンにも分からない難題の答えを、彼女は悟っているのかもしれない。
「――行きますよ」
「……来い、ジル・ド・レェ」
世界から音が消える。
影は戦闘が不要となった途端にあれだけうるさかったフューラーコールを一斉にやめてしまった。
僕らはただ固唾を呑んで見守るしかない。
どちらが勝つにせよ――戦いが長引くことはないだろう。素人である僕にも分かった。
サンソンとジルが、タイミングを合わせたようにぴったり同時に一歩を踏み出す。
「はーい、そこまでです。水を差すようで悪いですけど、この場はお開きにしてください」
その時だった。
恐らく少年のものだろう高い声が響いたのは。
僕らが浮かべるのは未知の事態に対しての驚きだったが、ジルの顔に浮かぶそれは違っていた。
何故、というような顔だ。此処にいるはずのない誰かが現れたことに対する驚き。
声に一瞬遅れて、【影の大隊】が恭しく敬礼する。
直立のまま右手を水平に構え、掌を下に向けて斜め上へ突き出す奇妙な敬礼。
それから、彼らは言った。わずかのズレもなく、同時に。
「「「Sieg Heil!!」」」
ジークハイル。
それは、ナチスにおいて常用された万歳の文句。
「「「Heil Mein Führer!!」」」
狂った【総統】を狂おしく崇拝する彼らが、よもや本人以外をその名で呼ぶとは考え難い。
つまり、この場に現れた人間。正体不明の声の持ち主が誰なのかは確かめるまでもなく明らかだった。
「……ナーサリー! マスターを!」
「ええ! マスター、どうかわたしから離れないでね……!」
即ち、【総統】その人。
本来の歴史において、既に滅んでいるはずの人間。
あまりにも多くの犠牲を積み上げ、今も虐殺を繰り返す独裁者。
アドルフ・ヒトラーか、あるいはその立場を引き継いだ者。
ベルリンに地獄を作り出した諸悪の根源。
それが今――僕たちのすぐ近くにいる。自らやって来た。
「ジルは仕事熱心ですね。僕は有能な部下は大好きです」
「……は、勿体なきお言葉」
「でもやるなら徹底的にやるべきだ。僕なら大隊も戦闘に参加させますよ。
しょせん補充の効く雑兵どもですが、力はそれなりにある。自爆特攻でもさせれば使い物になるでしょう」
……声を聞いた時から薄々は分かっていたが。
その人物は、【総統】は、僕らの知る【総統】とはかけ離れた容姿をしていた。
少年とも少女とも取れる顔立ち。長いツインテールの黒髪。小柄な体。そして何より、俗にゴスロリと呼ばれるようなふりふりの洋服。
何かの間違いでコスプレイヤーでも紛れ込んだのかと疑いたくなるような姿だが、しかしそれらしいポイントも要所要所に確認出来る。
腕には鉤十字の腕章、胸にはナチス党員を意味するバッジ。トーテンコップのあしらわれた総統制帽。
「たまには前線指揮もしないと勘が鈍りますからね。
ナチスはあの頃ほど強くないですし、【総統】である僕が引っ張っていかないといけません」
「……お前が、【総統】なのか?」
「ん? ええ、そうですよ――」
【総統】が僕を見る。
そして肯定を口にした次の瞬間のことである。
【総統】の声が、少年から少女に切り替わった。
「今はわたしが【総統】です! 何せ任されちゃいましたからね、あの人に!
そうなったら~、やるしかないじゃないですかっ。わたしもこの第三帝国には思い入れがあるんですよぅ?」
声質自体は同じだが、声色も語調も明らかに先程までとは性別が違う。
さっきの声を聞いて少女と間違う者はいないだろうが、今のを聞いて少年と間違う者もまたいないと断言出来る。
一人二役にしては真に迫りすぎた演じ分け。
思わず僕は、益体もない質問を投げかけてしまう。
「……おたく、【どっち】なんだ? えらく演技派みたいだけど」
「ん? ああ、僕はちょっと特殊なんですよ。体質が、というか、生まれが。
わたしって【どっちでもある】んですよねー! どっちも付いてるんですよ、お得でしょ? 見ます?」
「いらん」
いわゆる、両性具有……というやつのようだが。
どっちも付いてるからって性別は一つだろう。
両性具有者はこんな風に男女を切り替えながら喋るなんて口走ろうものなら総叩きに遭うに違いない。
体質ではなく生まれが特殊ということは、魔術絡みのあれこれなのだろうか。
……いや、そんなことは今はどうでもいい。
「なんでこんなひどいことするんだー、って顔してますねぇ」
にやにやと。
馬鹿にしたように、【総統】は笑っている。
それに苛立ちを覚えないほど僕は寛容じゃなかったが、こういう時だからこそ冷静さが要求されることは知っている。だから努めて平静を装った。
「言ったでしょう。僕は引き継いだんです。わたしは任されたんです」
「……アドルフ・ヒトラーからか?」
「その通り」
恍惚の笑みを浮かべながら【総統】は両手を広げ、天を仰ぐ。
僕らはこれまで姿を見たこともない【総統】のことを、勝手に狂っていると決めつけて話を進めてきた。
だが、これからはどうやらあれこれ【総統】の人格について考えなくてもよさそうだ。
――この男は、狂っている。
こいつが浮かべているのは狂人の笑顔だ。
「偉大なる【総統】、アドルフ・ヒトラー。僕に光を下さったお方。
偉大なる【総統】、アドルフ・ヒトラー。わたしに愛を教えてくれたお人。
僕は引き継いだのです。わたしは任されたんです。あの方に。あの人に。
僕こそが、わたしこそが――アドルフ・ヒトラーの正当後継者。第三帝国の発展という使命を持つ新たな【総統】なのですよ!」
「……そうか、君は。君の真名は……!」
アドルフ・ヒトラーの正当後継者。
そのワードを聞いて、サンソンはこいつの真名に思い当たったようだった。
「ヒトラーの後継者……? いや、そんなやつはいないだろ。
ナチスドイツはヒトラーが死んで崩壊して、今じゃ世界中のタブーだ。
ネオナチなんて呼ばれるろくでもない連中も居はするみたいだけど――」
「……いいえ違います、マスター。ヒトラーは死に際、指導者として政治的遺書を残している」
それは自身の座の継承を願うようなものではありませんでしたが――
……というサンソンの言葉が気に入らなかったのか、【総統】が割り込んだ。
「違いますよ? あの人はわたしに預けてくれたんです、任せてくれたんです!
黄金の第三帝国を! 鉤十字の栄誉を! わたしに委ねて、頼んだぞって遺してくれたんです! 僕を信頼してくれていたんです!」
乙女の愛情と少年の自負が内包された支離滅裂な台詞はしかし大真面目だ。
あくまでも彼は、自身をアドルフ・ヒトラーの後継者であり、ナチスを継ぐ者だと自称して憚らない。
「ヒトラーが自分亡きドイツの首班を任せたのは、ある天才的な政治家だった。
【プロパガンダの天才】【小さなドクトル】……ヒトラーが直々に任命した【国家啓蒙・宣伝大臣】。
名を――ヨーゼフ・ゲッベルス。君は、ゲッベルスだな。【総統】!」
サンソンの言葉に――本当に嬉しそうに、楽しそうに……【総統】・ヨーゼフ・ゲッベルスは頷いた。
真名判明
ベルリンのバーサーカー 真名 ヨーゼフ・ゲッベルス
最終更新:2018年05月25日 04:00