第六節:『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2)

【0】

 幸福な日常は、これからも続いていく。
 そう思っていた矢先に、この平穏は崩壊した。

 吉備の国に忍び込んだ男が、俺達百済の民の存在を、時の朝廷に密告したのだ。
 俺達のお陰で豊かになった吉備の国を、奴等は恐れていたのだろう。
 すぐさま俺達を排除しようと、吉備津彦命を派遣したのだ。

 吉備の国の王にまでなっていた俺は、最初こそ和平を求めた。
 この国の民は善人ばかりで、そんな彼等を戦わせるのはあまりに痛ましい。
 何より俺自身が、痛みばかりが増える戦争などもうしたくなかったのだ。

『大丈夫だ、奴等も話せば分かってくれるだろう』

 そう言って、不安がる仲間達を宥めていたのを覚えている。
 あの頃の俺は、話し合えば丸く収まると本気で思っていたのだ。
 奴等とて怪物ではない。同じ人間なら、俺達の言い分を理解してくれるだろう、と。

 だが、朝廷の連中は――吉備津彦命の野郎は!
 和平の申し出を一蹴し、容赦なく吉備の国に攻め込んできた!

 奴等は俺達百済の民を、"吉備の国を恐怖で支配する鬼"だと糾弾してきた。
 事実無根だ。この国の民が幸せになる為に、俺は努力を惜しまなかった!
 持っていた百済の技術は、彼等が幸福に生きていく為だけに使っていたというのに!

 にも拘わらず、朝廷の連中は俺達が発展させた街を、無情にも破壊していく!
 悪しき鬼が支配した証だと、何の躊躇いもなく壊し続けていく!

 圧倒的な物量で押し寄せてくる朝廷の軍勢を、吉備の国は押し返す事が出来なかった。
 俺達を信じてくれた民が、俺と共に海を渡った仲間達が、次々に死んでいく。
 吉備の王を生かす為に、俺を生き残らせる為に、ことごとく戦地で散っていく。

 追い込まれた俺の前には、吉備津彦命が立っていた。
 まるで、この戦いはこちらに正義があると言わんばかりの表情だった。
 奴は俺に言った、『鬼の身で人らしく生きるなど、紛う事なき罪であろうに』と。

 違う!違う違う違う!
 鬼の証など、お前らが押し付けただけだろうに!
 俺は人間だ、ただ平和に暮らしたかっただけの、ごく普通の人間でしかない!

 何度叫んでも、幾度否定しても、吉備津彦命は考えを改めなかった。
 人の肌を持つ俺を鬼だと信じて疑わず、刃を俺に振るったのだ。

 吉備津彦命は恐るべき手練れだった。
 それこそ、俺の抵抗がまるで意味を為さない程度には強かった。
 だから、俺に出来たのはせいぜいみっともない悪あがきくらいで。
 結局最期には、無残に首を刎ねられるという終わりを迎えたのだった。

 こうして、俺は、温羅は、百済の民は滅んでいった。
 何もかも奪われた。領土も民も命も、人である証さえも。
 あれだけ沢山の命を握っていた掌には、何も残ってなど――。

『鬼め、人ならざるおぞましき二本脚め』

 ああ、違う。確かに俺にはまだ残っているものがある。
 "吉備の国を脅かした鬼"という後付けの怪物だけが、唯一残っていた。
 人々から恐れられる人外の風評が、この掌に残ってしまった!

 時代は移り変わり、それでもなお纏わりつく偏見が消えることはない。
 吉備津彦命の武勇は「桃太郎」という物語となり、なおも俺を苦しめる。
 桃太郎を鵜呑みにした大和人は、一様に俺が悪鬼だと信じて疑わない!

『東洋の友人から聞いたぞ、"温羅は鬼ヶ島の鬼だ"と!』
『知ってるよ!温羅ってすっごく悪い鬼なんでしょ!?』
『悪い事をしたら、鬼ヶ島の鬼に喰われてしまうよ!』
『温羅といえばアレだ、桃太郎に討伐された鬼だろう?』
『犬に噛まれ、猿に引っ掻かれ、雉に啄まれる!惨めな鬼め!』

 誰も否定しない、誰も訂正しない、誰も修正しない!
 「温羅が鬼ヶ島の鬼」だという空想が、さも現実のように拡散される。
 風評は常識となり、常識は事実となって、俺の魂をも変容させた。

 「無辜の怪物」。人々の願いによって在り方を歪められるスキル。
 こんなふざけた力のせいで、俺の身体は史実から大きく逸脱した。
 図体はより巨大になり、額からは二本の角が生え、肌は鋼鉄の如く堅くなり。
 振るった拳は大地を砕き、口からは灼熱の火炎を吐き、手を翳せば稲妻を呼び寄せる。

 その姿は、鬼という名の"おぞましき二本脚"そのもので。
 気付けば俺は、正真正銘の人外に成り果てていた。

 どうしてだ、俺が一体何をしたというんだ。
 ただ平穏に生きたかっただけなのに、それが数百年も苦しむ罪だとでもいうのか?
 人の身体さえ奪い取る罰を受ける咎が、この身にどこにあるというのだ?
 教えてくれ。どうして俺が、こんな目に遭わなければならない?

『化物め!』『悪役め!』『悪鬼め!』『邪悪め!』

 耳を塞いでも聞こえてくる、俺への罵声と嘲笑が。
 目蓋を閉じても見えてくる、俺への偏見と侮蔑が。
 どこに逃げても、俺は張られた呪い(レッテル)から逃げられない。

 それでも、これを見ても、なお俺を化物と呼ぶのか。
 忌むべき者と俺を疎み、憎むべき者と俺を弾圧するのか。

 お前にまだ、人を憐れむ心があるというのなら。
 俺を、ただ人でありたかった男を、"人間"と呼んでくれよォ!


【1】


「だがお前は、やはり化物だ」

 温羅の叫び声を、牛若丸は躊躇なく一蹴した。
 歪であろうと、彼の言葉は祈りだった。二度と化物と呼ぶなという懇願だった。
 されど彼女は、情けをかけることなくそれを両断した。

「……なん、だと。今、なんて、言った」

 温羅の身体が、わなわなと震え始める。
 こめかみに青筋が立ち、息が更に荒くなっていく。
 怒りを滾らせているのは明白、しかし牛若丸は口を休めない。

「貴様に事情がある事は承知した。なるほど、憎しみを滾らせる理由に相応しいだろう。
 武士の情けをかけるというのなら、貴様を人間として扱うべきなのかもしれん」

 もし何も知らない者であれば、温羅に同情をしたのかもしれない。
 化物と蔑まれる彼を憐み、彼を人間として扱ったかもしれないだろう。
 けれど牛若丸は、東京で起きた全てを知っている。

「だが貴様は、この世界で何人の血を流した?何人の日本人を殺した?
 貴様が殺した無数の命が、貴様自身の苦悩に釣り合うと本気で思っているのか?」

 牛若丸は、この地で何が行われたのかを把握している。
 大和の血を引く者が、屍となって山を作っている事を。
 人としての権利を剥奪され、玩具のように弄ばれている事を。

「理解できないならもう一度言ってやる。
 確かに貴様はかつてこそ人間だった、それは揺らがぬ事実だろう。
 だが貴様は人の善性を捨て去り、ただの悪鬼に成り果てたッ!」

 あくまで温羅は、虐殺に組した万博の一味だ。
 罪の無い多くの命を奪い取った、憎まれるべき邪悪でしかない。
 だからこそ牛若丸は、人理の護り手として彼を否定するのだ。

「私利私欲の為に虐殺を成す者は、最早人ではないッ!今の貴様は、ただの血濡れの怪物だッ!」

 牛若丸の糾弾が、温羅の魂に深々と突き刺さる。
 最早それは、彼の精神の緒に決定打を与えるものに他ならず。
 完全な暴走を齎すのに、これ以上ない一撃であった。

「そうか、そうかよ」

 地の底から響くような、憎悪の声であった。
 骨の髄まで染みるような、怨讐の声であった。
 交じり気のない憎しみが、大気をも振動させる。

「そんなに、テメェが、俺を鬼扱いしてぇなら……ッ!」

 温羅の総身が灼熱を帯びていく。
 元より巨大だった肉体の体積が、更に増していく。
 四肢や背中に、牙に似た突起物が次々と生えていく。
 上半身のスーツが裂け、赤銅色の肌が白日の元に晒される。

「望み通りッ!!!"鬼"としてッ!!!」

 牛若丸のいるカルデアにも、たしかに鬼はいた。
 酒呑童子と茨城童子という気まぐれで残酷な鬼を、彼女は知っている。
 けれど目の前にいる怪物は、彼女ら二人とはまるで違う。

 それは、極限まで純度が高められた殺意の結晶。
 害する事に特化しすぎた、破壊と殺戮の為の霊基。

「牛若野郎ッ!!!テメェを殺してやるよォォォッッ!!」

 最後に、巨大な二本の角が温羅の額に生え揃う。
 折れていた鬼の証が、完全に元の在り方を取り戻す。
 「鬼ヶ島の鬼」の温羅が、今まさに完成したのであった。

 赤銅色の肌、頬まで裂けた口、極めつけは額の二本角。
 今の温羅を見た十人中十人が、彼を邪悪な鬼だと慄くに違いない。
 最早擁護しようもない程に、温羅という人間は怪物になり果てた。 

「ば、化物……!!化物……ッ!!」

 温羅の変異を目にした兵士の一人が、思わずそう零した。
 雑兵が発したその言葉、本来ならば宙に消える筈の独り言。
 けれども、鬼と化した温羅はそれすら聞き逃さなかった。

 そう、そのたった一言はあまりに致命的だった。
 完全な鬼と化した今の温羅は、狂化によって理性が掻き消えている。
 「自分を鬼と呼んだ者」への憎悪だけが、今の彼を衝き動かしているのだ。
 そんな状況で彼を化物と呼べばどうなるかなど、火を見るより明らかだった。

 温羅は瞬く間に、兵士達の列へと突っ込んでいく。
 そこから始まったのは、見るも悍ましき大虐殺である。
 その剛腕を以てして、次々に兵士達の息の根を止めていくのだ。

 ある者は顔を殴られた衝撃で、そのまま首が千切れ飛んだ。
 ある者は天高く殴り飛ばされ、そのまま墜落死した。
 ある者は足先と頭部を掴まれ、真っ二つに引き裂かれた。

 「化物」と零した兵は一人だけ。しかし恩羅は、兵を無差別に殺していく。
 かつて、兵士達が嗤いながら民間人を殺してきたかのように。
 彼はただ消費するかの如く、兵士を殺戮していくのだった。

「お、俺達仲間だったんじゃ――――ッ!」
「来るな、来るなァーーーー!!」
「たすけ、助けて……助けてくれェ!!」

 蜘蛛の子を散らしたかの様に、兵士達は逃げ惑っていく。
 されど温羅は、背中を見せる弱者にさえ容赦をすることはない。
 彼は頬まで裂けた口を開き、大きく息を吸い込むと――――。

 瞬間、灼熱が空間を真昼の太陽の如く照らし出した。
 温羅の口から、高熱の火炎が放射されたのである。
 扇状に広がる火炎は、兵士達を悉く灰燼に帰していく。
 肉が焼き焦げる悪臭が、牛若丸の鼻腔にまで届くほどであった。

「嫌だ嫌だ何とかしてくれよコロンブスさぁん!!」
「殺される、殺されるっ!こんなの、話が違う!」
「こ、こっち来るんじゃねえ化物!!!」
「ああ、あ、悪魔!悪魔がいる!!助けて神様ァ!!」

 過剰なまでの暴力を見せつけてなお、温羅は手を緩めない。
 火炎から逃げおおせた兵士達に顔を向けると、彼の体が光を纏い始めた。
 「バチリ、バチリ」と音を鳴らす光は、叫び声と共に兵士達に向かって行く。
 その光とは、即ち稲妻である。本来天より降り注ぐ筈の雷光が、生き残りたちに降り注ぐ。
 雷に撃たれて平気な人間などいない。当然のように、兵士は焼け焦げた屍骸と化した。

「▆▆▅▅▆▂▅▆▇▅▆▅▅▆▂▅▆▇▅▆▄▇▇!!!!!」

 温羅の咆哮が、再び大気を大きく揺らした。
 それは、勝鬨を上げんとする巨獣の咆哮のようにも聞こえ。
 しかし同時に、その姿は泣き叫ぶ子供の様にも見えた。

 誰もが思ったのだろう、鬼とはこうあるべきなのだと。
 力持ちで、火を吐き、雷を操り、それでいて残虐に"決まっている"と。
 故に、温羅は"望まれた通りの姿"に成り果てた。

 火炎と雷の化生。鬼ヶ島に巣食う悍ましき邪悪。
 誰もが思い描く普遍的な"鬼"が、そこにはいたのであった。

(よもやこれほどとは……!)

 蹂躙を続ける温羅の姿に、牛若丸は冷や汗が滲むのを抑えられなかった。
 鬼種の強大さは理解していたつもりだった、何しろ同種が同僚にいるのだから。
 しかし、鬼という種が殺意を極限まで滾らせた時、これほど凄まじい力を見せるとは。

 味方同士で同士討ちをしてくれたのは、牛若丸からすれば思わぬ幸運だった。
 如何に雑兵であろうと邪魔な存在なのだから、身内で潰し合うのはむしろありがたい話ではある。
 けれど問題はその後。彼女はたった独りで、あの強靭な鬼に挑まねばならない。

 兵士達を殺し尽くした温羅が、牛若丸に身体を向けた。
 強烈な殺意が彼女を射抜く、さながら「次はお前だ」と言わんばかりに。
 一方の牛若丸は、それに応えるように刃を構える。

「……ぅシ…………わカァ…………!!」
「来るか、温羅……ッ!」

 悪鬼と相対してもなお、牛若丸の身体は震えを見せることはない。
 それもその筈、恐怖を見せるような弱さなど、当の昔に捨て置いてしまった。
 けれどそれ以上に、今の彼女には"敗けるものか"という信念がある。
 何しろ、マスターに「ここは任せろ」と言い放ち、そして彼も任してくれたのだ。
 かような期待がかかった場面で、負けれる筈もないのである。

 それに、この四肢に流れるのは、多くの怪異を討ち滅ぼした源氏の血。
 自分も源氏の武士であれば、目前の妖怪を叩き斬れない訳がない。
 この血と己の才、そして薄縁が揃えば、勝てぬ"魔"などあるものか!

「いくぞ悪鬼ッ!この身に源氏の血が流れる限り、貴様を討てぬ筈がないッ!」
「▂▂▅▇▅▇▃▇▆▆▅▅▆▂▅▆▇▅▆▆▄▇▇▅▇▃▂▅▆▇▅▇▇▅▅!!!!!」

 武士が吼え、悪鬼が轟く。
 牛若丸の鬼退治が、その幕を開けるのであった。


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最終更新:2018年07月30日 02:04