【1】
俺達は元々、大和のではなく百済の民だった。
所謂渡来人というやつで、俺はその中でも長の役割に就いていた。
渡来人にならざるを得なかったのは、俺達の国が敗れたからだ。
後の世で「白村江の戦い」と呼ばれている戦いと言えば、察しがつくだろう。
唐・新羅の連合軍と、倭国・百済の連合軍が争った、あの戦争の事だ。
あの戦いに敗れた俺達は、命からがら海に逃げ延びたのだ。
そうして長い航海を続けた後、俺達が辿り着いたのが吉備の国だ。
最初に俺達を見た街の連中が、酷く困惑していたのを覚えている。
特に俺に対してなど、恐怖が入り混じった眼でよく見られたものだ。
無理もない。俺は百済の民の中でも、飛び抜けて屈強で長身だったからだ。
だが、吉備の国の住人達は、すぐに俺達を歓迎してくれた。
化物と呼ぶ事も無く、偏見も持たずに受け入れてくれたのだ。
ただその事実だけで、当時の俺は堪らなく嬉しくなったものだ。
俺達は彼等の恩義に報いるべく、様々な文化を伝授した。
例えば製鉄の方法、例えば船の作り方、例えば製塩の手段。
俺達が知り得る限りの技術を、吉備の国の人々に伝えていった。
吉備の国の住人達は、決して恩を仇で返すような真似はしなかった。
俺達を家族の一員の様に扱い、決して無碍にする事はなかった。
外様である俺達に、怪しむ事なく手を差し伸べてくれたのだ。
今でも鮮明に思い出せる。俺達を敬ったくれる彼等の表情を。
下心一つ見当たらない、純粋な好意だけがそこにあった。
俺はただ、この地で平穏に暮していければそれでよかった。
もう領土を拡大しようだとか、そんな覇道に進む気もありはしない。
この優しい世界で、ゆっくりと時間が経つのを楽しんでいたかった。
俺達百済の民は、この平和な街で過ごしていく。
吉備の国の人々だって、きっとそう信じていた。
あの日が、吉備津彦命がやってくる日が来るまでは。
【2】
日本刀片手に迫る牛若丸へ、バーサーカーの剛腕が迫る。
彼女は咄嗟に身を捻る事で、それを見事回避する。
既に戦闘を行った相手の攻撃を、そう易々と喰らう彼女ではない。
身を捻った勢いを利用して、刃でバーサーカーの身体を一閃する。
やはりと言うべきか、堅牢なその身にそう深い傷はできていない。
舌打ちをしながらも、牛若丸はすぐさま距離をとった。
「効かねえ、効かねえなァ……そんななまくらじゃ俺は殺せねえ」
「薄緑をなまくら呼ばわりとは強く出たな……ッ!」
名のある名刀である薄緑をも寄せ付けぬ、驚異的な防御力。
やはりこれは厄介だと、内心牛若丸は焦る他なかった。
何しろ、武器と呼べるのはこの日本刀以外に持ち合わせていないのだ。
これが通用しないとなると、痛手を与える方法が見当たらない。
「テメェを見てるとあいつを思い出すぜ。あの弁慶とかいう大和人をよ」
「弁慶だと!?」
バーサーカーの言葉に、思わず牛若丸は動揺した。
あろうことか、自分の部下がこの場に召喚されていたのである。
一体全体、こんな場所で何をしていたというのだろうか。
「効きもしねえ武器で必死に攻撃して……無様だったぜ、ありゃ」
「死んだのか、奴は」
「ああ、キャスターの野郎を逃がしやがったからな。俺が殺してやったさ」
そう話して、バーサーカーはカラカラと笑ってみせた。
過去を思い出し、その光景の滑稽さに嘲笑を隠せない風であった。
一方で、弁慶の死を知った牛若丸は、一瞬だけ目を伏せる。
彼はピカソを敵の手から逃す為、独りバーサーカーに立ち向かったのだという。
「大馬鹿が……囮役など、お前が最も恐れるものだろうに……」
そう、本当に小さな声で一言ごちた後。
牛若丸は、以前以上の熾烈さでバーサーカーを睨み付けた。
殺意に塗れたその視線は、周囲の兵士達をも慄かせる。
「ならば私からも一つ教えてやろう。貴様の真名、たった今確信したのでな」
「……何だと?」
そう、牛若丸は既に、バーサーカーの真名を推理できていた。
少し前までは漠然としたものだったが、変容した万博を目にした瞬間、それは確信へと変わった。
人間である事に固執するなど、何らかの要因で化物になってしまった者以外に在り得ない。
そして、あの鬼ヶ島そのものと呼べる巨大な岩城。最早答えは明らかだった。
「かような城を持つ者など、一人をおいて他にいない!
温羅ッ!貴様は"鬼ヶ島の鬼"の原型たる男、温羅だなッ!」
言い当てたその瞬間、静けさが場を支配する。
そしてそれを破ったのは、バーサーカーの小さな笑い声だった。
以前までの豪快なそれとは打って変わった、何やら卑屈なものである。
「大和人の分際でよく当てやがったな……いや、大和人だからこそ、か」
そう言ってバーサーカーは、被っていた中将の能面をゆっくりと外した。
彼の素顔を目にした兵士の一人が、思わず「ヒィッ」と声をあげる。
バーサーカーの額にあったのは、根元から折れている二本の角だ。
それが意味するのはただ一つ、彼が"鬼"であるという事実であった。
「そうだとも。俺の名は温羅。テメェら大和人が鬼だと蔑む"人間"だ」
真名判明 万博のバーサーカー
真名――温羅
「そういう手前は源義経か?弁慶と聞いてやたらと動揺してやがったからな」
源義経、つまりは牛若丸のもう一つの名前である。
真名を言い当てられた牛若丸は、沈黙を返答とした。
それを肯定と捉えたのか、温羅は口元を歪めてみせた。
「その反応、当たりみてえだな」
「そう思うのなら勝手に思えばいい。
それよりも貴様……何故この様な虐殺に手を貸す?」
刹那、温羅の表情に文字通り鬼が宿った。
今更それを聞くのかと、常識を疑わんとばかりの顔だった。
これまで以上の殺意が放出され、兵士達が思わず身震いする。
「何故かだと?決まってるだろうがッ!手前ら大和人が俺を侮蔑したからだッ!」
そう怒鳴り散らして、温羅は額の角をこれ見よがしに見せつける。
それが示すのは、彼が人間ではなく鬼であるという、揺らぎようのない事実だ。
無実の人間を怪物に変える、そんなスキルの存在を、牛若丸は知っていた。
「……無辜の怪物か」
「そうだ!鬼ヶ島の鬼にされたせいで、俺はずっとこの姿のままだッ!
百済から逃げ延びて、吉備の国の奴等に知恵を教えた、ただのそれだけでだッ!」
桃太郎と言えば、日本人であれば知らない者はいない昔ばなしである。
桃から産まれた桃太郎が、御伴を引き連れ鬼ヶ島の鬼を対峙する。
そんな物語の源流は、遥か昔にあった討伐の記録なのだという。
それ即ち、吉備津彦命による温羅退治であった。
「お前に分かるかッ!?身勝手な理由で討伐され、挙句人である権利を奪われッ!
数百年もの間化物だと嗤われる怒りがッ!怪物だと嫌悪される痛みがッ!」
桃太郎の物語が成立したのは、室町時代からなのだという。
つまりは、その頃から温羅は"鬼ヶ島の鬼"という呪いをかけられていたのだ。
数百年前から現在に至るまで、鬼として生き続けねばならない苦しみ。
その原因たる大和人に恨みを抱くのは、何らおかしな話ではなかった。
「知りもしねえ南蛮人でさえ俺を鬼とせせら笑うッ!糞だ屑だと侮蔑するッ!
600年、いや700年間もッ!俺は化物と後ろ指を指されてきたんだよッ!」
牛若丸は、激情する温羅の剣幕に思わず息を呑んだ。
彼の中で滾る憎悪は、想像を絶するものだったのである。
だが牛若丸の中では、次に口にする言葉は既に決まっていた。
「俺は人間だッ!頭からつま先まで人間でしかねェッ!!
鬼なんかじゃねえッ!俺は化物じゃないんだよォォッ!!」
温羅の語調は、最早悲痛な叫び声と化していた。
無実の罪で討伐され、怪物として嘲笑され続ける怒り。
その凄まじい感情は、共感性に乏しい牛若丸にさえ理解が及んだ。
「……なるほど、人であれなかった憎しみ、確かに同情に値する」
人間でありたいという温羅の願いは、間違いなく尊いものだろう。
例え返り血で真っ赤であったとしても、それは純粋な願いに他ならない。
聖杯に託すに相応しい、美しい祈りだと言っていい。
「だがお前は、やはり化物だ」
――――それでも牛話丸は、その血染めの祈りを両断する。
最終更新:2018年05月01日 01:52